第8話

文字数 6,787文字

実践野菜作りその一 コマツナ 水滴のネックレスを捧げる

 家庭菜園向けの本や雑誌記事、インターネットサイトでもコマツナの栽培はとても簡単であると紹介されている。実際、時期さえよければ種播きから一か月弱で収穫できるし、難しい作業も特にない。
 
 しかし農家が、ある程度まとまった量を一斉に収穫できるよう均一に、農薬を使わずに育てるのは、決して簡単ではない。まして、適期とはいえない時期に育てるのはなお難しく、それはどんな野菜栽培にもあてはまる。

 スタートは順風満帆だった。コマツナの種を播いたらすぐに防虫のためのネットと支柱をトンネル状にかけて一か月待つ。すると、もりもり、ぴかぴかのコマツナたちが「さあとってくれ」と言わんばかりに収穫時期を迎える。
 コマツナに土がかからないよう、慎重に防虫ネットを外すと、アブラナ科特有の優しい甘みと少しだけツンとする匂いが一気に広がる。あっという間に販売用の野菜袋に収まらない大きさになってしまうため、背丈が二十㎝を超えたあたりからどんどん収穫する。
すぐに一週間おきに播種しておいた次のコマツナたちもその大きさになってしまうから、本当にあわただしい。

 収穫した農産物は、牧田さんに紹介してもらった近所のスーパー内にある「地元生産者コーナー」に置かせて貰えることになったため、袋詰めしたコマツナをそこに運び込み、スーパーの野菜担当者に教えて貰ったとおりバーコードシールを発行し、貼り付けたものをそのコーナーに並べて置く。
 それらが売れると店のPOSシステムを通じて、設定時刻に販売数が自分のメールアドレスに届く。
 収入は、一か月毎に締日を迎え、手数料を引いた金額が自分の口座に振り込まれるという仕組みだ。手数料はどこの店も十五パーセントから二十パーセントほどと言われており、私の納品先もその範囲内だった。

 収穫してその日のうちに袋詰めし、夕方には店頭に並べる自分のコマツナは、一般的な流通経路を通して売られている、いわゆる「仕入れ品」と呼ばれるものよりも一目で分かるほど鮮度が良かった。色、張りが全く違う。お客さんにも当然それは伝わるようで、価格さえ同じなら、私のコマツナの方がどんどん売れていく。有機栽培であることも伝えたかったので、妻が作ったポップを立ててアピールした。
 ただ、残念なことに農林水産省の有機JASを取得しなければ、「有機栽培」という言葉は使えないことになっている。規格としては十分に満たしていても、ある程度の費用と手間をかけてその認証を取らなければならないのだ。なにしろ金銭的な余裕がないため、有機JAS取得は諦め、認められている精いっぱいの表現「栽培期間中、農薬・化学肥料は使用しておりません」をポップに記載した。有機JASの認証を取っていても、使っていい農薬があり、こちらは全く農薬を使っていないのに、「無農薬」も「有機栽培」も「オーガニック」も使えないのは何とも納得しがたかった。

 もうひとつ残念なのは、いくら新鮮さや農薬を使っていない点をアピールしても、価格が少しでも「仕入れ品」より高いと、途端に売り上げが減ってしまうことだった。もちろん、まったく売れなくなるわけではないので、一定数のお客さんには理解してもらっているのだが、多くのお客さんは品物そのものよりも、値段を重視しているのが現実だった。作る側としては寂しい限りだが、いざ自分が購入する側として考えてみると、毎日の買い物で少しでも安いものを購入するのはごく当然で、やむを得ないと共感する部分もあった。

 何はともあれ価格さえ「仕入れ品」と同じにしておけばコマツナはどんどん売れたので、まずは一年中、可能な限りコマツナを作って、農業経営として成り立つのか試してみようと意気込んだのも束の間、梅雨がやってきた。


 石牟礼道子著「椿の海の記」ではあの長雨の季節を「土方殺しの梅雨がやってくると・・・」と表現している。その言い方を借りるなら、「露地農家殺しの梅雨」がやってきた。

 はじめのうちはまだよかった。梅雨入りしても初夏と変わらず、せっせとコマツナを納品する私に、スーパーの野菜担当者はすごいねえ、よくできるねえと声をかけてくれ、まだ本格的な梅雨の怖さを知らない私は、普通に栽培してるだけですよなんて涼しい顔で受け答えをしていた。ちょっとした晴れ間を見つけて、何とか一週間ごとに種播きを続けていれば、このまま納品し続けられると思っていた。

 やがて梅雨本番になってくると、ようやくその難しさが分かってきた。

 まずコマツナの株元あたりがおかしくなってきた。地際の茎がぐずぐずしはじめて、とろけてしまうのだ。次に葉の裏側に、白い点が発生し始めたと思ったらどんどんその点々が増え、ひとつひとつが大きくなってきた。白サビ病という。
 湿気が多く、やや気温の低い梅雨時期と秋雨の時期に多発する病気。収穫しても収穫しても、白サビのひどいコマツナを廃棄してゆくと、売り物になるのは三分の一以下だった。雨に打たれながら、全身びしょ濡れで取っているのがだんだん馬鹿らしくなってきた。おまけにこれだけ雨が続くと、種を播くのも難しい。畑の土が泥状になり、トラクターや管理機などの機械が入れないため播種の準備ができないのだ。

 「穀潰し《ごくつぶし》」とはよく言ったもので、雨が続くにつれ収穫量はどんどん減り、収入が途絶えるのは目に見えているのに、体力だけは消耗しているので腹はペコペコになった。ストレスも食欲を一層増加させる。情けなかった。
 両親の反対を押し切って私のもとへ来てくれた妻には、絶対に経済的な困窮を味わわせまいと心に誓って「正社員」の道を選んだのに。
 昼食に持ってきた弁当を食べても空腹がおさまらない。近くにコンビニはあったがとてもカネを使う気にはならず、水ばかり飲んでいた。水呑み百姓という言葉も頭をよぎった。


   ・・・


 久しぶりの晴れ間となった朝、いつものようにほとんど売り物にはならないと分かっているコマツナの畑で、それでも慎重に防虫トンネルを開けると、コマツナの葉を取り囲むように、それぞれの葉脈の終点に玉となった水滴が輝いていた。葉一枚一枚、ひとつもかけることなく律義に、朝の光に反応して蒸散ををはじめた植物体は、体の中の水分を絞り出し、葉の周囲に水の宝石をちりばめさせていた。あまりの美しさに近づいて凝視すると、私と、私をとりまく空と世界全部が、凸レンズと化したひとつぶひとつぶ全ての水滴に収まっていた。冠状に輝く数えきれない宝石の全てを、妻に捧げたかった。
 そっと触れると、あっけなくその葉から滑り落ちて全て地面に消えた。


   ・・・
 

 鈍色(にびいろ)の空の下、卑屈な目つきの毎日を過ごしていると、作業場として()いている物件を貸してくれるという人が見つかった。
 牧田さんが手頃な作業場がある、と見つけてきてくれ、はじめにお願いした時は断られたのだが、牧田さんに頼り切っている自分を反省し、その後、少し間をあけつつ三度ほど、ひとりで家主さんに掛け合ってようやく承諾を得られたのだ。元々製材所の休憩所兼機械置場だったので、住宅としての機能はないが、風雨がしのげて収穫物の袋詰めもできるし、耕耘(こううん)用の管理機などを置いておく軒のついたスペースもある。梅雨が明けたら「新規蒔き直し」だ。蒔かぬ種は生えぬ。


    


      実践野菜作りその二 ニンジン 香りに溺れる

 ニンジンの栽培にはどれくらいの期間がかかるかご存じだろうか。

 一般的に広く行われている慣行農法の夏播きの作型だと、八月の中旬頃までに播種、十一月終わりか十二月から収穫となる。その間百日から百二十日ほど。播種前にはもちろん準備が必要で、整地して肥料をまいて、それらが土に馴染むまで少なくとも二週間。全部で百三十日ほどかかることになる。
 コマツナの場合、時期さえよければ、播種から一か月弱で収穫期を迎えるのに対して随分長く感じるが、有機栽培ではもっとかかる。

 ニンジンは種を播いてから発芽までに時間がかかる作物だ。およそ一週間から十日。発芽までの時間が長くて困るのは、その間に、種を播いたわけでもないのに旺盛に生えてくる雑草の存在だ。あっという間に地表を占領し、ニンジンの芽が出る頃には完全に主導権を握っている。ニンジンはなんとか発芽しても、周りの雑草の陰に隠れ、うまく生育できないまま敗北、消え去ってゆく。慣行栽培だと除草剤を使用してこれらの問題を解決するのだが、有機栽培ではどうするか。

 太陽熱消毒という方法がある。夏の暑い時期に、種を播く準備をした畝にビニールやプラスティックフィルムでできたマルチと呼ばれるシートをしくのだ。これによって地表、地中の温度があがり、雑草の種子や地中に存在する病原菌を駆除する。さらにこの時、太陽熱による温度上昇だけでなく、地中微生物の発酵作用で、より発熱効果を得ることができる。

 地中微生物の発酵を促すためには、微生物のエサとなる有機物が畑の土に豊富にあることが条件となる。

 この有機物を入れるため、緑肥と呼ばれる草を栽培して、ハンマーナイフモアという機械で細断した後、トラクターで地中にうないこむという方法をとる有機農家が多い。どこか他の場所から大量の有機物を運搬して畑中にまくよりも、緑肥(エン麦やソルゴーなど)の種をまき、育ってきたところをその場で刈り倒し、地中にうないこむ方が労力が少なくて済む。が、トータルの時間はかかる。

 三月中旬には整地を終え、下旬に緑肥の種をまく。二か月ほど経過したらぐんと伸びてきた緑肥を刈り、何回かトラクターをかけて地中にうない込む。 その後、梅雨の晴れ間をぬって太陽熱消毒のためにマルチシートをはり、ここからさらに一か月かけて畑の温度をあげる。
 マルチシートをはがして、畑の土の温度が落ち着いたころに雨を待ってようやく播種。それから百二十日で収穫可能という算段だ。収穫しはじめるのは十一月下旬だとしても、冬の間を通して収穫し続けるので、最後の収穫は二月末頃か、時には三月に入ることもある。そうなるともう大急ぎで片づけて、また次の年のニンジン栽培のために緑肥をまく準備ということになるから、準備から収穫まで実質丸一年かかることになる。スーパーでいつでも買えるニンジンだが、有機農家はこんなにも手間と時間をかけて作っているなんて想像もしていなかった。

 こうしてできたニンジンは本当においしい。

 太陽熱消毒のためにはられたマルチシートが真夏の太陽を反射して、全面がぎらぎら輝き、わが身を焦がさんばかりに発熱する畑。爽やかな秋の収穫時には、そんな辛い暑さの思い出も吹き飛ぶ喜びを味わうことができる。
 まず香りにやられる。畑中にニンジンの、その甘さを約束した匂いが漂っている。引き抜くと土の匂いと合わさって、はじける。
 収穫後に洗浄したニンジンを置いてある作業場はアロマサロンのような優しい空気が充満している。この香りに溺れながら眠りにつきたいと思うほどだ。
 梅雨同様、収穫できるものが少なくなってしまう厳寒期に、霜にも負けず、どっしりと地中に根を張るニンジンは、栽培品目から絶対に外せない作物だ。


   ・・・


 本当に自宅と同じ市内だろうかと思うほど、この緑ケ原は冷える。積雪の量も圧倒的に違う。1月中旬から2月中旬までの厳寒期、屋外で作業している人はめったに見かけない。山々の木々もその葉を失い、咲く草花もないあたり一帯は、墨絵のようなモノクロの世界となる。収穫用の鋏とスコップを持って畑に立つと、足の裏から全身に寒気(さむけ)が走る。気が遠のくほどの寒さの中、音もなく色もなく、動くものもない死の世界に、ハクセキレイはどこからともなくいつもやってくる。
 「チチチ(おはよう)」私は現実に引き戻され、目を細める。収穫のため引き抜いて並べてあるニンジンの上を、ハクセキレイは橋渡りをするように両足ジャンプで一本ずつ飛び跳ねながら近づいてくる。あの尾っぽふりふりも忘れずに、ぴこっ、ぴこぴこっ。
 「チチ、チチ」今度はなんと言っているのか分からない。しかし、明らかにいつもいつも、こうやってニンジンの上を楽しそうに渡りながら私に近づいてくるのだ。愛らしい君。君は昨日の君なのかい。あの時の君なのかい。そうなんだろう。と私は心の中で呟きながら、墨絵の畑の上に引き抜いた鮮やかな朱色を並べてゆく。


   ・・・

 
 二月も中旬を過ぎる頃になると、気温的にはまだ十分に寒くても、少しだけ太陽の光に力強さを感じるようになる。地面には、低くて小さな雑草の緑が淡く増えはじめ、ようやくこの世界を「色付き」にかえてくれる。その小さな緑を目で追ってゆくと、山々の稜線が柔らかな丸みを帯び始めていることに気づく。

 一気に春から初夏を迎えるのに置いてゆかれぬよう、早々に夏野菜の栽培を計画する。

 就農一年目の昨年は、種播きから収穫までの期間が短く、手早く現金化できるメリットに目を奪われてコマツナだけを栽培し、それがどんどん売れてゆくために他に手がまわらず、あっという間に梅雨を迎えて失速してしまった。長雨にやられて、その期間の収入を支える収穫も、その先の期間の収入となるべき種播きも出来ない時期を長く過ごすことになってしまった。

 梅雨時期に作業が滞っても、なんとか収穫でき、梅雨明け直後もなお収穫が続けられるのは夏野菜だ。キュウリ、ナスはもう溢れかえるほど出てくるだろうと思い、当時はまだそれほどメジャーではなかったズッキーニを作ることにした。それにトマト。トマトもそれこそ大量に出回るだろうが、出荷できないようなものを自分で消費したかったのだ。トマトピューレ、ドライトマト、どれだけ作っておいても困らない食材だ。

 次作の計画で頭がいっぱいになる、農家にとってこの上ない幸福の時間だ。




     実践野菜作りその三 ズッキーニ 屹立の無謀を称えよ

 ズッキーニの花は美しい。カボチャの仲間なので、黄色く、大きな花を咲かせるが、カボチャのそれよりも花びらに入る切り込みが深く、五つの頂点をくっきりとさせたヒトデ型が鮮やかだ。
 その()は物理法則を無視して屹立している。力強い円筒が、主枝や根っこの意外なほどの貧弱さを考慮せず、ぴかぴかに聳える。その無謀を、その勇気を称賛したい。

 ズッキーニ収穫中の仲間は蜂たちだ。彼らが受粉を手伝ってくれなければ売り物となる品質に成長しない。受粉していないズッキーニの実は、いびつで、腐りやすい。
 もし蜂がいなくなって、人の手で、つまり私が全ての雌花に雄花の花粉をなすりつけてゆくことを考えると、気が遠くなる。朝からその羽音を響かせて、せっせと受粉作業に夢中の蜂たちの隣で、私はせかされるように収穫を続ける。

 それにしてもこんなに(とげ)だらけの植物だとは想像もしていなかった。茎、葉、実、その全てに頑健な(とげ)をまとっている。おまけに細かくびっしりと生えているので、作業服の上からでも刺さると痛い。

 成長力にも驚かされる。少し小さめかなと思い収穫せずに残しておくと、翌日には販売用の袋に入らないほどの大きさになってしまう。朝と夕方、一日2回の収穫作業が望ましい。

 取っても取ってもまた翌日には収穫すべき実を成らすズッキーニに夢中になった。コマツナやホウレンソウなどの「葉菜類」や、ダイコン、ニンジンなどの「根菜類」はその場にあるものを収穫したらそれでおしまいだが、「果菜類」のズッキーニは同じ樹から何本も収穫できる。
 なぜ去年果菜類を作らなかったのだろうと反省しながらも、収穫の喜びに浸って取りまくっていると、ある晩、西からの強い風が、この緑ケ原を襲った。


   ・・・


 畑のある緑ケ原は自宅から西に六十㎞程のところにある。自宅を出発する時間は日の出の時間に作業を開始できるよう、逆算して決まるので、季節で変わってゆく。まだ朝とも言えない暗いうちに自宅を出ると、道中の運転席からサイドミラーに映る天文ショーを見ることができる。この星の球の曲がりの先からオレンジが漏れ出て、雲がその色に焼かれる。
 まだ明けきらない前方の夜と、日の出間近の後方の朝。私は濃紺と(だいだい)に挟まれ、時間の(まよ)い子となりながら、すいている国道を、雄大なショーの中を移動する。 
 その朝は確かに、道路に転がる小枝がやけに目についた。


   ・・・


 その背の高さや、付ける実の重さに比べると、ズッキーニの根っこはあまりにも脆い。大きな葉はまともに西風を受けて全身を大きく揺さぶる役割を担った。揺れ始めると立派な実がぶらぶらと振幅を増加させ、いとも簡単に地面近くでその主枝を折った。
 強風の一夜で、ほぼ全滅だった。
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