第15話 消された二文字

文字数 8,450文字

 茜のスマホには『明京女子』という連絡フォルダがあり、二十人ほどの人物が並んでいた。それ以外にも『他大学』というフォルダもあり、そこには九人の連絡先があった。
「この人物すべてに当たれば、実行犯がいる可能性はあるんだね?」岩田が訊く。
「そうですね。可能性でしたらあります」
「早速聞き込みをしてみる。野津、捜査本部に伝えて欲しい」と岩田が言ったとき、江頭が部屋に入ってきた。
「陽晴が証言しました。ナイフのことは本当に知らないそうです。警察車両追突は仲間がやったと言っています。別ルートで入手したモルヒネを飲んで運転していた、アンダーテイカー構成員を逃がすためだったんです」
「彼のバンドメンバーではないのか?」と立ち上がった岩田が訊く。
「いや、別のアンダーテイカーメンバーですね。というか、バンドのメンバーにアンダーテイカーはいないそうです」
「鵜呑みにしていいのか分からないが、よくそこまで吐いたな」
「まあ、黙秘すれば罪状が重くなりますからね。嘘もないと思っていいのではないかと考えますが、どうです?」江頭が論理的に説明した。
「そうだな。いまさら嘘もつかないか。いまアイグレー構成員の一部の連絡先は分かった。早速聞き込みをして貰う。何かは事実が出てくるだろう」しかし、と岩田は言葉を続ける。
「ナイフを盗んで加古くんの部屋に置いた人物はまだ不明か。それがわかればなあ」
「目的は加古くんに容疑を抱かせる意図でしょうけど、加古くんのDNA が付着しているのまでは知っていたかどうか」江頭は思案顔で答えた。
野津の血が付いたナイフは誰が運んだのか。野津自身、心に強く引っ掛かるものがあった。簡単に言えば流行の「違和感」というやつだ。彼は早足で捜査本部に行き、アイグレー担当の刑事プラス四人に、書き出した連絡先をコピーして渡し、聞き込みを頼んだ。
「できれば、任意でジカに話せればなおいいですね」
女性刑事四人を含む十人で五組、同時に頷いて、
「分かりました。実行犯の逮捕に繋がるよう全力で臨みます」と居住まいを正した。
 野津たち取り調べで疲れた四人は休憩室で茶を飲み一服した。
「きょうは凄い日ですね。いろいろと判明しましたし、水巻の逮捕もあったし」と江頭。
「警視庁が出張って来て、我々の努力が無駄にならないことを祈るが」岩田は案じる。
「もし、そうなりそうだったら捜査本部全員が反対しますけどね」と野津が宥める。
「全員?署長もか?高柳さんはちょっときな臭いんだがね」岩田が小声で言った。

 翌朝、三鷹北署に警視庁捜査一課の塚越という警視がやって来た。高柳の部屋に通され、
「緊急会議を開いて欲しい。用件はそこで言う」と冷ややかな声を発した。まだ30前後だろうか。典型的なキャリア組である。高柳は捜査本部に行き、大会議室へ招集した。本部にいない者もできる限り声を掛けさせた。署の自席にいた野津と岩田は、警視庁と聞いて顔色を変えた。
「案の定か。嫌な予感がする」と岩田。野津は無言で同意する。
 捜査員を前に高柳がマイクを取る。
「これより、警視庁捜査一課塚越警視からお話があります。一同起立!」
塚越は壇上に上がりながら両手で制して、
「まあまあ、座ってくれ。敬礼もいらない」と全員を座らせた。間を置いて警視は、
「ええ、この度、バイオレットピープル会員を脅していた岸村殺害の容疑で水巻崇を逮捕するに至った。三件の死亡事件も岸村殺害と関連していると位置付け」そこまで言ったとき、
「待った。まさか、連続殺人を警視庁が引き取るとでも?」と一人が叫んだ。三角だ。
「ここまでやらせておいて、それはないですよね!」平岡も声を荒げた。
「落ち着け。引き続き三件の事件はここの捜査本部で調べて貰う。が、警視庁からの応援も五人ほど参加させる、という話だ」塚越はあくまでも冷静だ。
 しかし、応援というのは見張りと同義だと野津は思った。明らかに千堂の息がかかっている。だが証拠もないのにそれは言えない。真相に辿り着こうとすると止められるかもしれない。ただ、いまはできることをするしかない。同じ考えの捜査員は多数いるはずだった。
「では、明日から捜査一課の警視と警視正が来るのでよろしく」そう塚越は言い放ち、さっさと会議室を出て行った。高柳は、
「みんな、そういうことだ。いままで通り捜査を続行して欲しい。ただ、捜査一課に失礼がないように頼みます」とざわめきを抑えて言った。

 デスクに戻った岩田は、隣の野津に、
「厄介なことになったもんだ。ただ、需要があるものは供給されるべきだ、ってな」
「ああ、十文字光の座右の銘ですか?」
「痴漢されたい女性が実在する限り痴漢は供給されるし、犯罪がある限り警察は供給されなければならない。よく考えれば何でもそうなんだけどな」感慨深げに岩田は机に肘をつく。更に彼は目を閉じて腕を組み、何やら考えている。野津は『珍しいな』と思い黙っていた。しばらくして目を開けた岩田は、
「ナイフ、野津を襲った凶器についてはオレにちょっと考えがある。まかせてくれ」と囁く。
「わたしにも内緒ですか?」野津は怪訝な顔だ。
「結果が出るか分からんから、ドジったらオレが責任取るさ」と作ったように笑う。岩田はつと立ち上がり、捜査本部室のほうへ姿を消した。
 野津には岩田の思考回路が分からなかった。経験値の差か、性格の違いか、あるいは?リスクがある独断捜査を考えていそうなので、彼の恋愛事情も含めて心配になった。岩田はすぐ戻って来て、
「そういえば、加古くんたちはもう保護しなくてもいいよな。彼らを襲ったのは茜と分かって勾留してるんだから」とにこやかに言う。
「あっ、そうですね。すぐ連絡して、帰れるよう手配します」野津もやっと気付いて同意した。加古に電話すると、二人は大喜びで、
「講義が始まっていたので本当によかったです。もう怖がらなくていいんですね」と電話の向こうではしゃいでいる。
「でも茜さんが犯人というのはショックですけど」加古は慶菜を思いやるように言っていた。

 高柳は自室で、ハッキングについての連絡を待っていた。早くブロックできないと、自分の監視モニターも見れない。つまり、上への報告もできない。彼は警視庁の人物に手なずけられた、一種のスパイ役だ。引き換えに昇進という餌を与えられている。警察の要人にバイオレットピープル関係者がいるのだな、と推理はできたが、まさか口に出すわけにはいかない。千堂聡介と警察の癒着にも気付いていた。そのようなケースは過去にいくらでもあり、別に驚きもしない。むしろ無事に事件が落ち着いて欲しいと思った。
 だが、スマホでSNS を見ると、まだ警察の動きまで漏れている。自分のことを疑う書き込みが拡散している。あくまでも憶測だとは思うものの不愉快ではある。警視庁との連携もすでにサイトに上がっていた。漏れているというより、一部の報道の取材力か?個人名に見せかけて、じつはマスコミの場合も最近はある。うっかり反応して得はない。自然鎮静を待つだけだ。捜査員にきつく口止めしても、却って自分に疑いが向くかも知れないと思った。
 知らない番号からの着信があり、いぶかりながらスマホを手にした。
『捜査一課の辻という。岸村の件で逮捕した水巻だが、奴は藤中組の鉄砲玉で、殺人の実行犯ではないという見解だ。ところが藤中組が麻薬を凌ぎにしているのが分かり、マトリが動き出した。これは決していい兆候ではない』
「と申しますと?」高柳は緊張して次の言葉を待つ。
『篠崎姉弟や多和田茜、品田風美にもマトリの手が入る。となれば、麻薬の出処も露見するだろ?いま守っている要人を秘匿できない可能性があるんだ。あなたにとってもそれは困るはずだ』辻は小声だがきっぱり言った。高柳は千堂のことは知らない。
「はあ。篠崎陽晴と品田風美は確定ですが、さやかと多和田もですか」
『多和田が服用している頭痛薬と称するものはモルヒネに違いない。また、出処はさやかまでは判明してるだろ。そのもっと上の出処があるわけだ』
「それは極秘ではありませんか?」
『だから、それがマトリによって暴かれるかも知れん。一応覚悟はしておけ』では、と言って電話は切られた。
 高柳は形容しがたい不安に襲われた。捜査本部には言えない事情だ。だが、連続殺人との関連性はどこまであるのか。自分の昇進がかかっている事案なのに、と溜息をつく。

 加古が自分のアパートに慶菜と戻ると、庭の芝生でバットを素振りしている見慣れない人物がいた。大学生くらいの歳に見える。
「こんにちは」と声をかけると、
「あ、どうも、こんにちは。201に引っ越して来た者です」と振り返って返事をする。東京ヤクルトスワローズのレプリカユニフォームを着ていた。
「僕は106号の加古と言います。よろしく」
「僕は伊勢と言います。西東京医大の2年です」と会釈して微笑む。いかにも頭がよさそうだ。
「僕らは今度3年になった明京大です」と加古も会釈する。
「明京ですか。それはまた凄い」
「いや医学部だって難関ですよ」
「でも僕は背番号51ですから」と伊勢が照れながら言う。
「え?」
「一浪、ってことですよ」慶菜が横で笑っている。加古もつい笑った。
「彼女さんですか?」伊勢が羨まし気に言う。
「あ、まあ一応」と照れた。
 久し振りの自分の部屋で加古と慶菜はほっと一息ついた。二人でベッドに倒れ込む。眠ってしまいそうな安心感だ。温暖な春のせいもある。脚を絡み付けてくる慶菜を撫でながら、加古は先日見たYouTubeチャンネルを見ようとした。あの、捜査内容に詳しいのを検索したところ、見事にBANされていた。警察のリークにしても早過ぎる情報だったので、おかしいなとは思っていたが、やはり違法な物だったようだ。
「消されたか」
「なにが?」とまだ甘えた声の慶菜。
「捜査内容っていうか取り調べ速報みたいなチャンネルがさ」
 遠くから東京音頭が聞こえてくる。早速2階の伊勢が応援の練習か。生粋の東京人にはジャイアンツよりスワローズファンが多いと聞いたことがあるが、伊勢もそうなのか。
「ケイちゃんは野球ならどこ?」
「え、野球だったらタイガースよ。親がファンだから」と意外な答え。
「東京猛虎会っていうのもあるのよ。東京ドーム、神宮球場、横浜スタジアムにタイガースが来た時に親に連れられて何度か行ったわよ」加古も近畿出身ゆえにタイガースファンだ。
「甲子園に行ったことは?」
「ないわ。一度くらい行ってみたいけど。ねえ、東京ドームでいいから行きたくなった」
「もうシーズン始まったから、今度三塁側で応援しようか」
「いいわね。ずいぶん久し振りだけど、ヨシくんとなら楽しそう」とキスをせがむ。
「まあまあ、とりあえず荷物を片付けてからゆっくりしよう。ケイちゃんも一度アパートに帰ったほうがよくない?明日中にはスマホも戻って来るしね」
「はあい」わざとふざけた返事をする慶菜。二人で抱き合って笑った。

 党本部の自室で千堂はいらいらしていた。加古芳也はなぜ逮捕されないのか。薬と痴漢殺人は別件なのにそれは言えない。女性秘書がそっと出したお茶をぐびりと飲む。革張りの椅子の肘掛けを指で叩きながら思案したが、どうしたらいいのか妙策が浮かばない。モルヒネの件は連続殺人と無関係だと思うのだが、岸村殺害という別件で水巻が逮捕されたとなると、どうしても反社との関連が付き回る。千堂はすべての殺人に関して、報道以外には具体的なことは何も知らない。微かに思い当たる節はあるが、彼が殺人指令を出したわけではなく、報道管制も敷かれているようで一連の殺人事件を深掘りするテレビも雑誌もない。
 千堂はスマホを手に取り、警視庁に電話する。
「労民党の千堂だが玉置さんに繋いでくれ」
『はい、あの、木の玉木でしょうか、置くの玉置でしょうか』同音異字がいるらしい。
「置くのほうの玉置警視正だ」
『分かりました』
 ほどなく警視正が出た。千堂が名乗ると、
「ちょっと厄介になりました。捕まった水巻の藤中組は、先生もご存知のように麻薬を凌ぎにしています。水巻は身代わりで、実行犯は別にいるという統一見解なのですが、藤中組を洗わないといけなくなりまして。マトリも動き出しています。先生の名前が出ないように細心の注意を払いますが、絶対お守りできるとは言えなくなっています」
「玉置、わたしの妻の連れ子、瑞穂の父親は、先日亡くなった橋爪大使だぞ。それを分かっているのか?」
「え?はあ、そうですか。それでは尚のこと、先生が逮捕されないように全力を尽くします」
「マトリにも上層部がいるだろ。いざとなれば、そこに働きかけるしかない」
「よく分かりました。それでは失礼いたします」

 聞き込みを終えた刑事たちが岩田に報告に来た。代表していくらか年長の刑事が言う。
「やっと全員と直接面談できました。彼女たちに共通なのは、事件当夜に現場付近か現場にいたということです。指定された道をゆっくり歩くように指示され、被害者とぶつかった者や列になって結果的に公園に誘導した形になった者もいます。そして」ここで息を継いだ。
「そして?」と岩田。
「現場にいた女性は指令通り被害者を囲むように立ち、そうすると間もなくスーパーハリケーンというマスクマン、いやそのレスラーのコスチュームの男が現れ、「どけ」と言って、被害者をバックドロップの要領で壁に頭を打たせたとのことです。ちなみにマスクマンなので人相は不明です。体格は170~175センチのがっしりした身体だったようですが、プロレスラーほどの大柄ではなかったと証言が一致しました」
「指令を受けた彼女たちは?」
「解散して別行動で帰る、というのも命令されていたそうです。口をつぐんでいたのも、アイグレーという組織を恐れてのことだった模様です」
「プロレスラーではないがバックドロップの要領を知っている、というわけか。実行犯はその男だが、いったい誰なんだろう。アンダーテイカーの一員だと仮定するとリスクが多過ぎる。警察の盲点を突いた存在かも知れんな。ま、とにかくご苦労様でした。ありがとう」
 そう言って、岩田は刑事たちを持ち場に戻した。野津が話しかけてくる。
「ガンさん、アンダーテイカーでなくても、鍛えている人はいますよ」ニヤリと笑う。
「どういうことだ?」
「サンテラスジムのメンバーをもう一度洗ってはどうでしょうか」
「やってみる価値はありそうだな」そう言って岩田は色川に電話した。
「ああ、岩田です。先日はどうも。あのサンテラスジムの歴代男性会員名簿を貸してください」
『殺人実行犯に心当たりができたのですか?』
「まあ、疑わしいものは当たっておきたくて」
『分かりました。ウチの人間が三鷹についでがあるので、今日中に持っていかせます』
それで電話を切った。

 三鷹署内部の情報をハッキングしていた人物がやっと捕まった。
「署内のコンセントに刺してある二股ソケットを全部調べてください。15個盗聴器が仕込んである」意外にもアナログな方法だった。署内の掃除婦を買収して付けさせたのだという。片端からソケットを集め、全部分解した。確かに15個の盗聴器があった。とりわけ2つある取調室にはキチンと付いていた。
 すぐにその掃除婦を呼んで調べると、
「すみません、現金に困っているときに5万円出すからと言われて・・・」と認めた。
犯人側の盗聴でなくてまだよかった、と岩田と野津は胸を撫で下ろした。署内のパソコンは使用禁止を解除され、捜索機能を取り戻した。ただひとつ、掃除婦の名字が「葛城」だったので、
「葛城秀幾という人物を知らないか?」と訊くと、
「そ、それは夫です」とすぐに答える。MEA幹部の妻である。MEA関係者が警察の妨害をしていたとは。野津と岩田は顔を見合わせ首を傾げる。
「ご主人に頼まれたのでは絶対ないのですね」と野津。
「いえ、その、そういうことは全然関係ないです。夫が何かと維持費だとか、お金を貸せとうるさく言いますが」
一応だが証言を信じて彼女を帰した。
 そこへ色川の事務所の見覚えのある人物が訪問してきて、
「色川に頼まれまして。サンテラスジムの名簿を持参しました」と分厚いファイルを出す。
「ありがとうございます。色川さんにもよろしく」と言う岩田は笑顔だ。色川との次のデートはいつなのか野津は気になったが黙っていた。
 二人は早速手分けしてファイルを調べた。黙々と30分ほど調べたとき、野津が、
「ガンさん、これは」と少し驚いたように言う。岩田は野津が手にしたファイルを覗き込み、
「え?矢野もかつては会員だったのか。そいつは怪しいな」と顔をしかめた。
 
 慶菜が加古のアパートから出て行くのとほぼ擦れ違いに、上質の黒いストローハットを目深にかぶった婦人が管理人室に入って行った。
「先日はありがとうございました。今後共よろしくお願いいたします」と言って分厚い茶封筒を差し出す。明らかに帯封の現金だ。
「いえ、こんな物いただいては却って申し訳ないです」大金に縁のない管理人は丁重に断った。
「そう言わずにお納めください」婦人は頭を下げた。
 そのとき、
「はい、そこまで」という声が聞こえた。
婦人が振り返るとヤクルトのレプリカを着た人物が立っている。伊勢だ。というか本当は吉永だった。吉永は警察手帳を見せ、
「映像は録画しましたよ、篠崎さん。音声もかろうじて録音できた。話は署の方で聞きましょう。こんなに早くビンゴとは、署でも驚くでしょうね」路駐していた警察車両へさやかを誘うと、吉永は車を出した。
 グレーのロングワンピースに黒の麦わら帽子のさやかは、署に着いても仏頂面だった。
「こんなの違法捜査ではないですか」
「いや、彼が趣味で撮っていた動画にあなたが映り込んだわけで」岩田は涼しい顔だ。
「また話を聞こうと思っていたところです。場所を変えますかね」
そう言って、岩田はさやかと野津を取調室に誘導した。

「来たメールを転送していた?」岩田と野津は驚いた。
さやかのスマホを見ると、ウィクトーリアからのメールがあり、そのまま指定のメルアドに転送していた。だが野津はあることに気付いた。
「『揉み消してくれ』という部分が『消してくれ』になっていますが、これはいったいどうしてですか?しかもこれは全部、三件の殺人事件の前日です」
「いずれは話さなければと思っていました。最初はミスというか、京がメールをいじって偶然『揉み』を消去してしまったのを気付かずに転送してしまったんです。そうしたら殺人が起こって・・・岸村に脅されているのを揉み消すはずが、脅されている人が殺されて。でも、結果的に消えて貰ったほうがいいと思いました。バイオレットが明るみに出たらわたしも困るからです。二件目と三件目つまり梶谷のときはわざと『揉み』を消して転送しました」さやかは伏し目がちだったが、ほぼ淀みなく話した。
「梶谷さんはどうして消えて欲しかった?」と岩田が疑問を投げかける。
「あの人がいると再婚に差し支えるからです。矢野さんとは遊びのつもりでしたが、千堂は自分の血が通った実の子がいなくて、『妻とはセックスレスで、もう子供が産める歳でもない。きみがわたしの子を産んでくれるなら、妻とは別れて結婚したい』と言われて、本気の付き合いでしたから。梶谷は京に会えなくなるとがっかりするでしょうし、それがストレスで病気が悪化するかも知れません。ただでさえ、痛みで生きるのに疲れているように感じていました」
「で、ナイフの件は?」野津が口を挟んだ。
「千堂に頼まれて、瑞穂さんのポストから盗み、加古くんの部屋に親戚と嘘をついて置きに行きました。きっと瑞穂さんの罪を野津さんの親戚とは知らず、加古くんに擦り付ける目的だったんでしょう。管理人さんには秘密にして欲しいと言いました。『サプライズなので』と嘘をついて。きょうはお礼に千堂から預かった現金を渡しに行ったんです」
「だから瑞穂のポストの開け方も知っていたし、さりげなく手袋をして行ったわけだな」岩田が頷きながら謎が解けたという表情で言った。野津は、
「『揉み』をわざと消してメールを送ったのは未必の故意で、殺人教唆になるかも知れない。ナイフを加古くんの部屋に置いたのも犯罪性がありますよ」とさやかを睨む。
「罪に問われるのは分かっていました。それでも千堂とのことが大切だったんです。大物政治家ですからお互い再婚となれば世間の晒し物にはなるでしょうけれど」さやかはきっぱりと言い切った。
「取り敢えず身柄は拘束させて貰います」と岩田は落ち着いて告げた。
「ガンさん、吉永を張り込まさせたのは凄いですね」野津は二人きりになってから言う。
「まあ、経験値かな。空振ったら責任を負うつもりでちょっとギャンブルしてみた」
「吉永も新人なのにファインプレーですね」
「いや、刑事らしくないほうが、こういうことは上手にできるもんだよ」
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み