第8話 震える弥生

文字数 7,901文字

 
 痴漢、バイオレットピープル、殺人、MEA、アンダーテイカー、色川容子、加圧ジム、矢野元教授、篠崎陽晴、品田風美、アイグレー、加古を含めて捜査妨害と思われる犯行、そしてモルヒネ。要素が多過ぎて、頭がこんがらがって事件のこれといったヒントが見つからない。
 そこへ加古から着信が。
「おはようございます。いま彼女を用心しながらアパートまで送ったところです」
「そうか。彼女の名前は?」
「高島慶菜。明京の演劇部でクラスメイトです」
「身辺に警護をつけようか」
「いや、まだいまはそこまでの必要はないかと思います。で、ちょっと気になることが」
矢野元教授と多和田茜という英文科で慶菜の友人が大学で話していたのを伝える。
「高島さんはそこに居合わせたのか。進路の話はカモフラージュかも知れん。だけど矢野は痴漢同意派で、彼の何を疑えばいいのか根拠がないよな」
「そこが悩みの種で、僕もおおっぴらに警察に出入りできないので電話しました」
「なるほど。加圧ジムには隠しマイクを完全装備したから、潜入捜査もしばらくはもういいよ」
「そうなんですか。春休みはバイトとデートが忙しくて」とつい笑った。
「外では彼女とも手を繋いだりしないとか、用心して欲しいけど」
「それはもう気を付けてます。ちょっと不満ですが」加古の本心だ。
「彼女が襲われるより全然いいだろう?当面は我慢して。で、デートはどうだった?」
「最高でした。お金は全然ないですけどね」苦笑と溜息が混ざる。
「他に高島さんの目撃証言は?」
「えーと、そうだ、多和田さんがピルケースから何かを取り出し飲んでいたと」
「白い小さなカプセルでは?」
「そこまでは聞いてません」と慶菜の連絡先を教えた。
この際、慶菜も警察と連絡できたほうがいいとも思ったからだ。
 慶菜は加古と別れると、部屋着に着替えて寝不足を補うために仮眠に入った。寝入りばなに警察らしき着信がスマホに。眠気を堪えて出ると、
「三鷹北警察の岩田と申します。急いで聞きたい事があって、加古くんに番号を教わりまして」
「なんでしょう」欠伸をかみ殺した。
「多和田茜さんが飲んでいたというサプリか薬に見覚えは?」
「ないです。白い小さなカプセルでしたが」
内心の驚きを隠して、岩田は、
「ありがとう。参考になります。寝ているのを起こしたようでごめんなさい」
「午後は稽古に顔を出す予定ですが、普通にしていていいですか?」
「制限する権限はないけど、不審者に十分気を付けてね」と電話を切る。
多和田茜という人物がモルヒネを服用している可能性が出てきた。しかし、だとしたら何だというのか、岩田は混乱するばかりだった。

 加古はその頃、塾講師の面接に行き、春休み限定で古文と数学を教えることになった。高校の数学程度なら問題なく教えられる。苦手科目がないのも加古の強みだった。明京大生の時給設定は高く、春休みの昼間だけで15万以上稼げそうだ。うまくすれば今後も週二くらいなら続けてもいいと思った。3年生になると進路のことがあるが、塾講師をしながら小説を書いてもいいかも、などと考える。できれば早速明日からと頼まれ快諾。服装はカジュアル過ぎなければいいらしい。それも有難かった。
 自転車で帰宅途中、後ろから自転車が猛スピードで追いついてきて、加古の左上腕を強く跳ね上げた。左肩に激痛が走る。逃げる自転車の人間は黒いフードを被っており、後ろ姿では小柄としかわからなかった。一度経験した脱臼であろう。右ブレーキで一旦止まり、片腕で近くの整形外科に飛び込む。玄関で痛みに耐えかねてうずくまると、看護師がきて
「どうしましたか」と問う。
「左肩の脱臼でしょうね」と絞り出すように言う。
診察の順番を飛ばして、すぐに診察室に呼ばれ、事情を話した。急いでレントゲンを撮り、また診察。やはり左肩亜脱臼だった。
「ちょっと痛いですよ」と言って医者は脱臼を整復し、
「ひたすら湿布と安静。左手は固定しましょう」
 痛み止めの注射を患部に打たれ、左肩から手首まで太い包帯で身体に固定された。骨折と似た処置だ。痛みで全身に発汗している。
「3日後に、痛くなくてもまた来てください」と鎮痛剤を処方された。
最低1週間は固定されるようだ。着替えや入浴が困難なのは中学生時代に経験している。剣道の試合で負傷したのだ。ここは、秘密裏に慶菜に助けて貰おうと考えた。
 仕事が塾講師でよかったと加古は思う。利き腕があれば講義はできる。ただ、片道徒歩15分を歩いて通うのは面倒ではあった。それより明らかに標的にされているのは間違いない。そのほうが彼の心を浸食してきた。歩けば歩いたで危険を感じるし、さすがに岩田に電話する。
「加古くん、どうした」
「自転車で後方から抜かれるときに左肩脱臼させられました」
「犯人の後姿は?」
「黒フードのナイロンパーカーで、小柄なことだけはわかりました」
「そうか。きみに一人身辺警護を付ける。断っても付けるぞ」
「いや、有難いです。僕バイトしないと暮らせなくなるんで」
 翌日から警官がアパートの前に立ち、加古と行動を共にする。私服でないのは抑止力を考えてだった。塾を含めて立ち寄った先では入口に張り込んでくれた。1日交替で違う警官だ。これは激務だからである。ほとんど飯を喰う時間がないのだ。トイレも最小限。辛そうな表情など微塵も見せなかったが、警察内では張り込みを一人でやるのより敬遠されている仕事だ。
 慶菜に怪我のことを連絡して助けて欲しいと話すと、
「しばらく芳也さんのアパートに住み込む」と言い、
怪我をした夕方から自分の生活用品をスーツケースに入れてやってきた。グレーのサロペット姿だ。おそらく動きやすいようにだろう。
「ごめんケイちゃん、この状態じゃHもできないのに」と詫びると、
「そんなの関係ないわ。一緒にいられるだけでも十分だし、ここから大学に稽古に行くのも却って安全そうな気がする」と、いそいそと身の周りの世話を焼いてくれた。米を研ぎ炊飯のセットをすると冷蔵庫の中身を確認し、てきぱきと調理にかかる。小一時間して、
「こんなものしかできないけど、ね」と微笑み、野菜炒めとご飯をテーブルに乗せた。
「ありがとう。コンビニ総菜でもよかったのに」
「だって、わたしがちゃんと食べたいんだもん」と語尾を上げて媚びるように言う。
「だったらいいんだけど。あと3日で仕送りが届くから、食材を買いに行こう」
「うん。さあ、食べて」
 ここで差し向かいに座って手作り料理を食べる日が、思ったより早く来た、と加古は思う。慶菜さえよければ、多少広いアパートで同居したい気持ちが強くなった。いまはそれどころではないのだが、身辺警護を思えば、慶菜と同居している状態はお互いに安全ではある。古い1DKのここでは、将来的に同棲は難しい。2LDKで家賃折半なら快適である。慶菜は、
「わたしは、部屋は広めだけど1Kだから、ここのほうがいいな」と言う。
「でもさ、二人で住むには部屋はもうひとつないとね」
 慶菜の住まいと、このアパートの家賃はほぼ同額だった。同居すれば、むしろ一人当たりの負担が軽くなる。ただ、問題は彼女の親が首を縦に振るかだ。そう遠くはないので、たまには母親がアパートに訪れて来るともいう。次善の策として、加古のアパートの空室に慶菜が引っ越してくる案もある。2階に空き部屋があるのは知っていた。

 塾に通って3日、加古は講義をするのに慣れていった。数学に関しては一応予習をしたが、自分が受験をしたときとさして変わりはない。塾長にも、
「生徒が『わかりやすい』って評判だよ」と褒められた。
まあ、2年前には受験した身だから、高校2年生の古文と数学なら楽勝だ。明京大が第一志望の子もいて、何かと質問されたりもした。聡明そうな高校生たちが
「先生の受験経験について、もっと聞きたいのですが」などと、矢継ぎ早に言ってくる。
 帰りに仕送りを引き出し、整形外科に行く。肩の痛みはほぼなくなっていた。
「若いだけに回復が早いけど、ルーズショルダーにならないようにもう少し固定して、来週の頭には動かせると思うよ」と言われた。その後も、しばらくはサポーターをしたほうがいいらしい。
 アパートに帰ると、慶菜はもう帰っていて、一緒にスーパーに買物に行く。警護の警官には申し訳ないと思ったが、必要な行動なので仕方がない。冷蔵庫に入る限界ほど多くの食材を買い込み、5分程度の帰路の途中、後ろから一台の車が暴走気味に走ってきた。
「危ない!右に!」と警官に言われ、二人で路肩の隅に下がると、その車はスピードを上げたまま警官スレスレを通過した。
「狙われましたね」と警官。加古と慶菜は引きつった顔を見合わせる。
歩道がない道では相当注意が必要らしい。慶菜の顔も覚えられただろうか。捜査というか、推理をやめろという警告か。それにしても執拗だなと思った。
 警官はどこかに連絡し、指示を仰いでいる。
「すみません。明日から高島さんにも警護を付けます。婦人警官ですが」
「わかりました」と慶菜。
三人でそそくさとアパートに帰る。警官は、
「では、きょうはこれで任務を終わらせて頂きます」と言って部屋の入口で去って行った。
 慶菜は手慣れた包丁さばきで、手際よく夕飯を作りながら、
「わたしにも警護かあ。目立つのは嫌だけど、仕方ないわね」と呟く。
「僕のせいだよ、ごめん」と加古は詫びた。
「ヨシくんが謝ることじゃないわよ」と柔らかく彼女は言うと、食卓に料理を並べる。
いつの間にか呼び名が『ヨシくん』になっている。まあ、お互い様だ。
厚揚げの煮物、焼シャケ、味噌汁。和風に徹している。和歌山の実家を思い出すような献立だ。
「どこで料理を覚えたの?」
「母からの伝授よ。だからちょっと昭和でしょ」と笑う。
美味しい、美味しいと言いながら夕飯を食べ終えると、慶菜がつと加古の脇に立つ。
「ねえ。寝たままで動かなくていいから、したいの」と囁く。
「あ、うん」加古も実は性欲が有り余っていた。

 警察でも麻薬捜査を中心に、各方面の捜査が進んでいた。
色川が見張りを付けろと言った品田風美は、不審とまでは言えないが、女友達と思われる人物との喫茶店での待ち合わせが目立った。私服の婦人警官がさりげなく隣の席に座って会話を聞いたところ、「アイグレー」という単語を含む会話があったと報告があった。具体的な話の脈絡は聞こえなかったそうだが、フェミニストの過激集団かも知れないという情報を踏まえれば、品田から目を離せない。
中野の加圧トレーニングジムでも女性更衣室の録音に、「アイグレーをもうやめ…けど…」という不明瞭な音声があったが、防犯カメラの死角でされた会話で、人物特定ができない。だがここも「アイグレー」なる集団の人間が出入りしているのは確実だ。色川容子に確認したが、アイグレーについてはまったく知らないという返事だった。
 野津と岩田が捜査本部のホワイトボードで事件を図で整理していると、市村という交通課の刑事がきて、
「取り逃がした違反車両の主を逮捕できました。危険運転という名目ですが」
「追突されて妨害された件ですか」と野津。
「そうです。蛇行運転を繰り返していて通報があったので。本人の血液検査で麻薬性オピオイドが検出されました」
「オピオイド?」と岩田。
「モルヒネの成分です。が、人工モルヒネにも当然含まれているので、どちらを服用したのか区別がつきません。本人はトラムセットという薬だと言い張っています。確かに腰痛で処方されていたのですけど、血中濃度が高いのは不審ですね」
岩田は思案気に答えた。
「警察の車にわざとオカマ掘った車の床に、梶谷家のものと同じ成分のモルヒネが残っていたしな。麻薬捜査となると我々では手に負えん」
 三件の殺人現場周辺の聞き込みも入念に行われたが、どうしても目撃者が見つからない。ただ一つ、立川駅前のコンビニで、事件当夜、いつもより10本ほど多くのビニール傘が売れたという。監視ビデオを見たかったが、日にちが経っているのでもう消去されている。それでも見過ごせない手掛かりではと思われた。複数犯の犯人達が買ったのではという疑いがある。
 そんなとき、岩田に沢尻という麻薬取締官から直々に電話があった。人気のない会議室に移動しろと言われて、空いている部屋に入ると、
「手当たり次第、関係していそうな人物を呼んで指紋も取った。結果、梶谷家のモルヒネ箱の指紋に、篠崎陽晴のものがあった。当人は六本木のクラブで50カプセル入り2箱を彼のファンだという若い女から5万円で買ったと供述したが、売った女の身元が不明だ。『ゆきの』と名乗ったらしいが、どうせ偽名だろう。1カプセルにはガン患者に投与する程度のモルヒネしか配合されていないが、100カプセルは見逃せない量だな。1箱が梶谷家にあったのは、『一度服用して、2箱は多すぎると思って、姉に渡して光さんへと頼んだ』と言っている。篠崎さやかは『鎮痛剤としか聞いていない』と言うが、看護師なら違法のものと勘づいていたはず」
「待ってください。篠崎姉弟が関与しているんですね?それと事件との関連はどうなんです」
「そこだ。いま言ったところまで調べたときに上からストップがかかった。『その件はこれ以上調査するな』とね。こういう場合、政治家か官僚が絡んでいるのがほとんどだ」
「上からの圧ではどうしようもないですね。ただ、偉い人がモルヒネと事件に関与している可能性は残りますか」
「そういうことになる。捜査への警告や妨害はそれが原因ではと思う」
「事件の捜査はどうしましょう?」
「いまのままでいいとは思うが、つついてはまずい藪があるのは知っておけ。なお、この電話は内密にしている。岩田一人の胸にしまっておいて欲しい。他の者には、モルヒネは事件とは関係ないそうだ、と言っておけ」と電話を切った。
 しかし、多和田茜が服用していたのがモルヒネだったら、と岩田は長考に沈んだ。

 「えっ!ドローンだって?」
岩田と退院し立ての野津は異口同音に声を上げた。三鷹北署の窓外の桜は散り始めている。ぬくぬくと温暖な気候が訪れ、気を緩めると眠くなりそうだったが、事件を追う刑事たちの緊張感は日毎に増している。
「野津さんのマンションの防犯カメラ映像はすぐ抑えたので、犯行の様子を解析するのに手間取りましたが、黒い物体が横切るように見えて、それが人間ではなく飛ぶ物と判明しましたよ」
そう鑑識の課長が言う。
「160センチ前後の人間と間違えていましたが、よく鑑定したら人体ではなかったわけで」
「ドローンにナイフを装備したとしても、あの警告文は?」と野津。
「リモートのクリップに挟んで飛ばせばできることですよ。しかし、ドローンのカメラだけを見て操縦したとするなら、相当な高等技術ですけどね」
「ということは、凄い技術での操縦か、犯人はドローンを見える場所で?」岩田が尋ねる。
「そのどちらかですね。ただ、どの防犯カメラにもそれらしき人物は映っていませんが」
 野津と岩田は腕組みをした。野津は、
「操縦技術が凄いとしたら、どこを当たればいいのやら」と呟く。
 鑑識課長は、つと立ち上がってコーヒーメーカーから三人分のコーヒーを注ぎ、テーブルに並べながら、言葉を選んだ。
「野津さん。搭載カメラだけであの犯行ができる人間は、日本に百人と、いませんよ」
「ということは、その百人といない人物を全部当たればいいわけか」岩田が納得する。
「ですね。でも、ドローンは資格試験があるものの公的には免許制ではなく、誰なのか名簿があるわけじゃないですが」
「付近に痕跡はないんだね?」と岩田。鑑識課長は、
「残念ながら性別も年齢も体格も、いまのところまったく手掛かりはないですね」と首を振った。
「ダメモトで、もう一度現場を調べてくれないか。そうだ、科捜研同伴で」と言う岩田に、
「もちろんいいですが、日数が経過したいまでは、期待しないでくださいよ」と鑑識課長は少し困った顔になってコーヒーを飲み干した。
「わたしも現場に」と野津が言うのを、岩田が遮った。
「行けるわけがないだろ。ロクに歩けない癖に。車の振動でも悪化するぞ」といさめた。
 『この件に関してはとりあえず保留』という悔しい気持ちで、三人は顔を見合わせる。桜の木が強風に揺れ、花びらが吹雪のように舞う。ふと室内に春の匂いがした。

 捜査会議の席上、野津と岩田はもう一度驚くことがあった。
殺されている三人が、いずれも死んだ当時、すでにバイオレットピープルの会員ではなくなっていたという共通項が見つかったのだ。野津達は元会員になっていたのは梶谷だけと思っていたし、捜査員全員の思い込みでもあった。時系列の照合をしたデータ班の人物も、やや興奮気味に報告した。
「となると、グループの秘密漏洩を恐れたとか、非会員に会員特権は利用させないという都合とか、考えなくてはならないことが多いですね」そう野津は岩田に囁いた。
「だな」と岩田が同意する。
 「なぜパープルなんとかではなく、紫色をバイオレットと表したのでしょうか」という疑問を発言した捜査員もいた。しかし、ネーミングというのはセンスもあるし、直球で『パープル』と名付けなくても、そこに不自然はない、という意見が大半を占めた。
 モルヒネについて岩田は発言を求められたが、
「麻薬捜査官からのご報告で、殺人の線とは関係ないだろうとのことでした」と言うしかなかった。ただ、バイオレットピープルの会員に、露見してはマズい地位のある人物が少なかれ名を連ねているのは、その方面を探っていた刑事の報告で分かったが、実名は現状、会議の席上では情報共有するのははばかられた。捜査員も大勢になると、誰かが暴走やリークをしない保証はないからだ。
 岩田は会議が終わった後、三角という刑事に話しかけた。先程、要人に関係者がいると報告した人物だ。岩田は周りに聞こえないよう小声で
「バイオレットの会員に、例えば誰が?」と尋ねた。
「うーん、一番の大物は、労民党代表の千堂聡介ですかね」と三角。
「まだ、その、現役会員ですかね」
「調べた限りでは在籍しています」
「そうか。ありがとう」
 野党第一党の労民党代表となると、なかなか厄介だなと岩田は思った。
「ガンさん、どうしました?」と野津に声を掛けられ、岩田は振り向いた。
「ちょっと来い」そう岩田は言って、野津をトイレに連れ込んだ。
 モルヒネの事情を聞いた野津は、驚きながらも考え込む表情になり、
「それはどこまで探っていいのやら、微妙ですよね」と呟いた。

 中央区の党本部から車に乗り込んだ千堂聡介は、運転手に
「私用で寄るところがある」と運転手に言い、住所を告げた。
「そこで降りたら、きみはもう帰っていい。わたしはタクシーで帰る」と秘書の根尾に言う。
「わかりました」と初老の運転手は答え、車を西新宿へと向かわせた。根尾は、
「先生、ご身分をわきまえて、危険な行動はお慎みください」と言った。
「わかってる。大丈夫だ」聡介は少し不機嫌になって答える。
 千堂は48歳の若さで最近党首になった人物で、党内の人望もあったが、瘦身で眼光鋭く、何を考えているのか分からないような謎めいた雰囲気を漂わせ、国会議員にしては珍しく、髪を濃いブラウンに染めている。
 途中の桜並木はすでに半分ほど散っていて、道路をピンクの絨毯にしていた。快晴で温かい日なので、彼は「暑いな」と呟き、車内で上着を脱いでシャツの袖をまくった。手頃な値段だが英国ブランドのしゃれたスリーピースを着こなしている。
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