第20話 エピローグ―愛と恋の行方

文字数 3,288文字

 岩田は3日有給を取って、色川の家に泊っていた。岩田は昇進のことを真っ先に話すと、
「え、凄い。捜査一課の警視なんてドラマや映画でしか見たことないですよ。嬉しいな」
「ドラマみたいに派手な仕事じゃないけどね。喜んでくれるならよかった」
「話はそれだけ?」と色川は暗に催促する。
「いや、真面目な話をします。付き合ってください。結婚を前提に」岩田は緊張した。
「その言葉を待っていたのよ。わたしは下の事務所を管理するだけにして、ハーフリタイヤしてもいい?ちょっと収入は減るけど、子供を産むことも考えれば暇が欲しいの」
「うん、大丈夫だよ。それほど高給取りじゃないけど、ここに住んでいいなら余裕だ。そういえば、奥の空き部屋は?」
「不思議に思ってたでしょ。子供部屋として作って置いたのよ」
「それは準備がいい。きみらしい計画的な発想だね」
「じゃあ、お願いがあるんだけど、今夜から避妊しないで」
「え?まだ結婚したわけじゃ」
「できたら籍を入れればいいでしょう?入籍が先になるかも知れないけど。ねえ、もうここに住んでくださいな。いつでも引っ越して来て。荻窪のほうが警視庁にも便がいいでしょ。あなたの家賃ももったいないし、ね」
「なんだか申し訳ないけど、そうさせて貰おうかな。オレも早く子供が欲しい」
 色川はそっと岩田の肩に顔を埋める。目尻から一筋の涙が流れた。

 史代は野津が有給を取ってゆっくりしているので上機嫌だった。岩田と勉の昇進も喜んでいる。昼間からベッドで寄り添ってテレビを見ていた。
「ねえ、話があるの」と史代が少し甘えた声で言う。
「うん?」
「あのね、部屋がもう一つ必要になるわよ」
「え?・・・」
「鈍感ねえ、できたのよ。赤ちゃん」少し恥ずかしそうだ。
「ああ、えっ!ホント?嬉しいな、昇進を待ってたみたいなタイミングだ」野津ははしゃいだ。
「1週間以上アレが遅れていたから、検査薬で調べたら分かって、きのう婦人科で確定よ」
「2LDKは欲しいよな。三鷹のマンションなら12万くらいかな」
「あのさ、いっそローンで家買わない?」史代は思い切ったように言う。
「家か。そうだな。3500万円までなら、家賃と同じくらいの支払いで買えそうだな」
「場所にもよるけど、この辺だったら、三鷹の新川とか下連雀とか。ちょっと駅は遠くなるけど。それとも武蔵小金井か田無あたりでどうかしらね」
「よし、あとでネット検索しよう。いまは史代を検索する」と笑う。
「隅々まで検索して。まだあなたの知らないわたしがいるわよ」と含み笑いをした。

 篠崎さやかと千堂聡介は、在宅起訴なので自由が制限されていたが、電話で話した。
「豊里の出世頭だったのに、こんなことになって本当に申し訳ない。罪を償ったら小さな会社でも作って大人しく暮らしたいものだ」と千堂はすっかり意気消沈している。さやかは、
「身分や収入より、あなたがわたしを選んでくれるなら、喜んであなたの子を産みたいわ」と本心から言い慰めた。
「きみには無駄に罪を犯させた。一生掛けて幸せにしたい。京くんの将来もあるし。でも、メールの内容をいじったのは何のためだ?」
「それは当然、政治家であるあなたと、わたし自身を世間から守ろうとしたからですよ。労民党党首が離婚と再婚するとなれば、マスコミに詮索されると思っていたから」
「そうか、そうだよな。いらぬ気を遣わせて悪かった。もう一般市民だから、ほとぼりが冷めれば話題にもならないだろう」
「じゃあ、結婚してくれると信じていいんですね」さやかは真剣に確認した。
「もちろん。妻は離婚調停に応じるだろうし、橋爪の遺産も入る。そう高額の財産分与は求めて来ないと思う。ここ世田谷の家は残るし、事業を起こすくらいの資産は守る。離婚が成立したら、すぐにでも婚姻届けを作ろう。男はすぐに再婚できるから」
「ありがとうございます」言いながら涙声になった。

 ゴールデンウィーク前に新幹線切符を買った加古と慶菜は、予定通り朝ののぞみに乗った。新大阪で降り、あとはひたすら在来線なのだが、早く着く方法として加古がレンタカーを提案し、実家の近くに乗り捨てできる車を借りた。帰りも同じ方法を使う予定だ。家にも車はあったが、父親に片道90分以上の送迎を頼むのは忍びない。昼は新大阪で食べた。
 実家のある街のレンタカーに車を返すと、10分ほどで家に着く。
「ただいまー」と加古が玄関で呼ぶと、母親がすぐ出て来た。
「ハイハイ、芳也おかえり。東京の彼女さんもよういらっしゃいましたね」
「高島慶菜と申します。芳也さんと同じ学科の同級生です」とお辞儀をした。
「まあ、なんだか東京の人は垢抜けていて眩しいですわ。ほんと、お美しい。さあ上がって。古い家でお恥ずかしいですけどね。おとうさん、美海、芳也と彼女さんだよ」
 上がってすぐの広い茶の間を通って、奥の空き部屋に行く。
「ここに荷物おいて、茶の間でゆっくりしてね」
戻ると父と美海がいた。
「わあ、お兄ちゃん!キレイな彼女さん連れてっ!あ、妹の美海です」と慶菜に挨拶した。
 父の達也はすでに座っており、
「東京で芳也がお世話になっとります。まあ、座ってくださいな」と笑顔で言う。
加古は高島家で頂いた野菜の袋を出して、
「お土産頂いてきたよ」と差し出す。
「おや、東京の野菜ですか。これはこれは。畑も持っておられるんですか?」
「ええ、そんなに広い畑ではありませんが、八王子という東京でも郊外ですので」
「ありがたく頂戴します。大地主で会社役員のお家だそうで。芳也から聞いて、そんなお嬢さん大丈夫かって言ったんですけどね」と満更でもない様子だ。
 加古は背中から箱を前に持ち替え、
「父さん、校長昇進祝い」と差し出す。達也は笑顔で受け取り、
「おっ、ネクタイ?見ていいか?」と箱を開ける。
「ネットにブランドの新品を安く売ってるサイトがあってさ」
「おい、シャネルじゃないか。これは高価な物を。いいのか?」
「だからほぼ半額の物なんだよ。ただし、去年のモデルだけどね」
「いやいやありがたい。オレも息子からこんなプレゼントを貰えるとは」と破顔した。いや、厳密に言うと泣き笑いかも知れない。
 寝ていた祖母も起きて来て、
「まあ、東京のお嬢さんかい。素敵な娘さんじゃあね。芳也、よかったねえ」と言う。耳が多少遠いと加古が慶菜に耳打ちすると、慶菜は声を張って、
「高島慶菜と申します。芳也さんにお世話になってます」と言った。
ばあちゃんは満面の笑みでしわしわの顔になった。
「うんうん」と呟く。

 お茶を飲みながらひとしきり話が弾み、日が傾いてきた。美海が絶対彼氏に会って欲しい。4ショットで写真撮ろうとしきりに言う。美海も大人びた顔になって来たなと加古は思った。
「ケイちゃん、海見たいって言ってたよね」加古が思い出したように言う。
「ええ、もう潮風の匂いが気持ちいいけど海辺に行ってみたいわ」
「よし、行こう。母さん、ちょっと海に出てくる」
「いいわよ。夕飯までに帰ってきてね」
慶菜は履きやすいカジュアルシューズなので砂浜も大丈夫そうだ。街や漁港でないほうの海へ出る。慶菜は何故か大きいトートバッグを抱えている。
「それ、何?」
「ま、あとで分かるわよ」といなされた。
 海辺に出ると満ち潮の時間帯だった。
「わあ!沖縄でもないのに凄くキレイな海」
「瀬戸内の端だけどね」
「海で焼けたり、泳ぐのはそんなに好きじゃないけど、潮風は大好き。浄化されるわね」慶菜はトートバッグを置き、深呼吸した。赤い夕陽が眩しく海面を彩っている。
「あのさ」と慶菜が切り出した。
「海に浄化して欲しい物があるんだ。この中身放り出させて」とトートバッグを指す。
「海に廃棄するのって本当はダメだけど、まあ今回はいいよ、危険物でなければ」
 無言でトートを持って波打ち際に行った慶菜は、バッグの中身を掴んで投げていく。それはすべて紫色の衣類だった。全部海に投げ終えると慶菜はスッキリした表情になった。
「ケイちゃん・・・」
「そうよ。わたしもバイオレットピープルメンバーだったのよ」
 振り返った慶菜の顔は逆光で見えない。海はそろそろ夕凪を迎える。
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