生贄の儀式

文字数 2,131文字

 風が吹いていた。
 どん、どん、と空に太鼓の音が響きわたる。
 その音に合わせて、神泉の前で着飾り舞を踊る女たち。
 太鼓をたたいているのは藤の父と弟、そして舞っているのは母と妹だった。
 儀式を取り仕切るのは長老だが、細かいことは神職である藤の家族がやっていた。
 供物は藤じしん。
 藤の父も母も弟も妹も泣きながら仕事をしていた。

 藤は滝の上へとつながる階段を、長老を先頭に供の男たちと少しずつ登って行く。

 そして、葵龍神の御許へとつながる滝の上にのぼった。
 上からみると、神泉はかなり下にあり、ここから落ちればやはり死ぬだろう。
 滝の下の周りには儀式を見とどけるために、村人たちがいた。
 滝は細く弱々しく落ちており、下の泉の水深はここから見ても浅そうだ。
 しかし、上から見ると、中央は深くなっているようで、底が見えなかった。
 
 夕方だった。夏の生暖かい風が頭頂に結った藤の長い黒髪を揺らす。
 長老が藤に向かって口をひらいた。

「藤。これから儀式を始める。葵龍神の贄には『五体満足で健康な』とあるから、身体には何も傷つけることはしない」

 藤は呼吸が荒くなるのを感じた。
 村からきた供の男たちは、藤が逃げたり暴れたりするのを取り押さえて、滝から突き落とす役目なのだろう。
 じりじりと近寄ってきたので、藤は腕を掴まれる前に男たち言った。
 大声をだして村人に聞かれては家族の肩身が狭くなるので、小さな声で。

「触るな。私は、本当は生きていたかった。あんたたちの為に私は死ぬんじゃない。弟や妹、家族のために飛ぶんだ」

 (なんで葵龍神の生贄は五体満足で健康な生娘なのよ。絶対に昔のいやらしい爺(じじい)が決めた決まりよね)

 藤は生娘が特別尊いとは思っていない。子供を産み育てた熟年の女性の方が尊いと思う。
 
 昔のいやらしい爺を恨みながら、藤は男たちがふれる前に、滝の上から空に向かって飛んだ。


 
 いくら高い滝でも下に着地するまで十秒とかからないだろう。
 空に向かって身を投げても、重力に引かれて下へと向かう。
 死を覚悟して目を閉じると、ごおお、という鳴き声のようなものが聞こえてきた。

 空から龍神が藤めがけて一直線に降りてきたのだ。

 大きな金色の目、鹿のような角をもち、ヘビのような身体に銀色の鱗とたてがみが光っていた。
 空を飛ぶためだろう、羽があり、手には水かきがついていた。
 
 葵龍神だ。

 龍神は身体をくねらせながら、しかし素早くまっすぐに落ちていく藤に向かっていった。

「ガウゥゥーー」

 雷鳴のような鳴き声を発しながら藤と共に落ちていく。

 村の人々は驚きと共に歓喜した。
 神が降りて下さった、と目を開いてその光景を見た。
 
 藤が泉に叩きつけられる前に、龍は大きな(あぎと)をひらいて、藤を口の中へとふくんだ。

 そして、そのまま下にある神泉へ突っ込み、大きな水しぶきをたてながら姿を消したのだ。
 


 あまりの超常的な光景に、村人たちはだれも何も言わなかった。 
 神泉はいましぶきを周りにまき散らして、大きな波紋が揺れていた。

 しかし、あの大きな龍がすいこまれるような大きさではないのだ。
 それなのに、龍神は藤とともに泉に消えた。

 村人たちは呆然として葵龍神の消えたあとを見ていた。

「儀式は成功した……!」

 長老の声がおおきく響いた。

「生贄は葵龍神のもとへと届いただろう。もう何も恐れることはないぞ」

 長老の声が泉に響き渡る。
 それを聞いた村人たちは、息を吐いて安堵した。
 もう日照りで苦しむことはなくなる、と喜んだ。

 藤の父と弟は太鼓をたたくのをやめ、地に伏せて号泣した。
 母も妹も舞をやめ、抱き合って泣いた。
 


(にしき)(さい)
 『はい』

 二人の声が可愛くはもった。

「この人の目が覚めるまで、ここに寝かせておいてください。そして目覚めたら知らせてください」
「わかりました」
 
 耳に心地よい男の声と、可愛らしい二人の子供の声が聞こえる、と藤は朦朧とした意識の中で思った。
 自分の置かれている状況がいまいちつかめず、必死に考える。
 
 私は――、そう葵龍神の生贄になったのだ。
 そして、たしか喰われたはず――

 滝から身を躍らせ、気が付いたときには口に含まれ、その時点で気を失っていた。

 ここは何処(どこ)のなのだろうか。
 この人たちは誰だろう。
 
 そんなことを考えながら気力を振り絞ってうっすらと目を開ける。自分は誰かに横抱きにされて、運ばれているようだった。そして、やはり神殿の中のような造りの場所にいるようだ。
 障子にかこまれた廊下を抜けて、畳の部屋へとはいる。向かいの障子が開いたところから木々に咲いた花が見える。

 花? 今は日照りで花など見ることはできないのに。

 藤を抱く腕は、細いながら力強い腕だった。
 藤を抱いてもびくともしていない。
 着ているものは上等の着物なのだろうか、とてもいい香りがした。
 満ち足りた気分になって、その人物の腕の中で安心する。
 大きな何かに守られているような気持ちになったからだ。
 
 
 藤はその腕から、暖かくて柔らかい布団に寝かせられ、上掛けをかけられた。
 それがとても心地よくて、また意識が遠くなる。 

 (私、生きてる――)
 
 それだけを実感し、藤はまた深く眠りについた。


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登場人物紹介

主人公 藤(ふじ)


元気で健康、活発な少女

葵龍(きりゅう)


陽明国の北であがめられている神。

龍神として祀られている存在だけど――


蘭鳳(らんほう)


陽明国の南であがめられている神。

人型のときは後頭に鳳凰の尾羽が生えていて、本体になると炎をまとう鳳凰(ほうおう)になる。

ハヤブサ王


陽明国の賢王。

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