人々の怒り

文字数 2,143文字

 そのころ、雫村では村人たちが、雨が降らないことに怒りを覚えていた。
 生贄を差し出した藤の一家は、心ない村人から嫌がらせをされた。
 葵龍神さまは、生贄が気に入らなかったのだという噂がながれ。
 その噂と一緒に、森の奥の洞窟にある(ほこら)に祀ってある『水虎(すいこ)』という(あやかし)の封印を解こうという動きが出てきた。
 水虎は水が好きな妖だから、雨を降らせてくれるのでは、という考えだ。

 そんな得体のしれないものに頼るほど、人々の生活は水がなくて逼迫(ひっぱく)していた。



 雫村(しずくむら)の長老は、数名の青年たちを連れて水虎の祠に向かった。
 ほどなくして到着すると、頼み事をするように祠の中央にたった石碑を撫でる。

「水虎さまを蘇らせるのに、また生贄を用意してくれば良かったかのう。失敗した」

 無慈悲な言葉を吐いて、石碑に向き合った。
 その石碑はもう苔むしていて、ながい年月ここにだれも来なかったことがうかがえる。正面に刻んである文字も、もうかすれて読めない。
 しかし、古いながらしめ縄はしっかりと掛けられていた。
 ただ、雫村に伝説としてだけ残っている水の(あやかし)、という情報だけが頼りで封印を解きに来たのだ。
 実際、ここに水虎が眠っているかもわからない。
 しかし、もし実際に居て、そして雨をふらせてくれるのなら。
 万々歳であり、多くの人が救われるのだ。

 それだけを考え、長老は石碑になけなしのお神酒(みき)をかけた。

「水虎さま。我らの為に復活してくだされ。そして雨を降らせてくだされ」

 そして、小刀でしめ縄を断ち切った。
 長老も、男たちも、固唾をのんで水虎が現れるのを待った。

「長老、これで村が救われるのでしょうか」
「そうじゃ。きっとな」
「雨を降らせてくれるのでしょうか」
「水虎さまがいれば、きっとな」

 しばらく待ったが、変化はなかった。

「やはり生贄を用意するべきだったか……。そうすればいい雨を降らせてくれただろうに」

 長老が石碑に背を向けたとたん、背から斜めに血しぶきが飛んだ。

「か、はっ」

 言葉が出ない長老の後ろから、のそりと。
 痩せた男のような生きものがでてきた。

「妖にお神酒をかけるなんざ、間違ってると思わねえか?」

 その生きものは、舌なめずりをして顔にかかった長老の血を舐める。

「ふん、久しぶりの飯はまあまあの味だな」

 村のものが見たこともないくらい美しい容姿の魔物が、赤い舌を出した。
 都の遊女のような、貴族の娘のような、妖しい美貌を持ちながらも、目付きはすこぶる悪く、手には長い刃のような爪がついていた。
 その爪でさきほど長老の背を切りつけたのだろう、と男たちは思った。

 長老をおつきの青年が抱きとめると、まだ息があった。

「すぐに医師へ見てもらわなければ!」

 そう言った青年の首を、その生きものは無慈悲に長い爪で掻き切る。
 また生臭い血がその生きものの美しい顔や体にかかった。

 血のしぶいたその姿は、暗がりということも相まって、そこにいる者たちを震え上がらせた。

「化け物だ……」
「化け物かい? 酷い言いざまだな。俺は水虎。雨を願って蘇らせたのはお前たちだ。望み通りに降らせてやるよ」

 その瞬間、微量の小雨が洞窟の外でぱらぱらと降り注いだ。

「あ、雨か……」

 一瞬、喜んだ青年たちだが、雨は一瞬で止んだ。

「あ、雨を降らせてくれる妖なんじゃないのか! そう聞いたから俺はここまで来たんだ! お前はこの程度の雨しか降らすことが出来ないのか!?」

 大声で罵った青年の胸を、その生きものはまた掻き切る。

「わああああーーーー!!!!」

 青年の悲鳴、血の生臭さ、飛び散った赤いものが水虎をまた、まだらに染めた。
 森の洞窟のおく、暗がりに立つそのまがまがしい姿に、残った男たちはみんな後ろを向いて逃げだしていく。
 その様子をみながら、水虎は男たちに言い放った。

「よく蘇らせてくれたなあ。お礼に、血の雨を降らせてやったよ! 雨が欲しかったんだろ?」

 ハハハ、と高笑いが洞窟にひびき渡った。

「さてと。久しぶりに封印が解けたし、水でも浴びたいものだな」

 水虎は血だらけになった己の身体を見て、呟いた。
 そして、洞窟の外に歩き出す。
 すると。

 足元に青紫色をした球が落ちていた。
 水虎は首を傾げてそれを見て、手に取った。
 手のひら大のその珠は、綺麗に磨かれた紫水晶のようで、とても綺麗だった。

「ほう、これはいい宝を見つけたな」

 水虎はそれを空にかざしてとくとくと見た。

「みれば見るほど、綺麗な珠だ。まるで葵龍神の如意宝珠のよう……」

 水虎ははるか昔、封印される前に葵龍神の如意宝珠をみたことがあったのだ。

「ちょっと試してみるか。如意宝珠よ、俺の命令を聞いて大雨を降らせよ!」

 空に掲げたその珠はうんともすんとも言わなかった。

「やはりまがい物か……」

 そう水虎が言ったとき。

 ざああ、と今まで降らなかった大雨が水虎に、その一帯に降りそそいだのだ。

「はっ。まさかの本物?! はははっ! はははっ! 楽しすぎる!」

 水虎の身体についた血が、その雨で洗い流されて行く。

「丁度いいな。もっと降れ! もっと! もっと!!」

 ざーっと雨は豪雨になって水虎に、大地に、降り注いでいく。

「復活早々いいもん見つけた。さて、どうやって使おうか」

 森の中で水虎の笑い声がこだました。
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登場人物紹介

主人公 藤(ふじ)


元気で健康、活発な少女

葵龍(きりゅう)


陽明国の北であがめられている神。

龍神として祀られている存在だけど――


蘭鳳(らんほう)


陽明国の南であがめられている神。

人型のときは後頭に鳳凰の尾羽が生えていて、本体になると炎をまとう鳳凰(ほうおう)になる。

ハヤブサ王


陽明国の賢王。

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