急転直下な才の推理(一)
文字数 2,141文字
2月27日の日曜日。
目覚めた時は曇りだった空が、いつの間にかカーテン無しでは眩しさを感じるほどに明るくなっていた。私が花粉症の為にこの時期は洗濯物を室内干しにしているが、これだけの陽射しなら今日一日で乾きそうだ。
壁時計の針は10時半を回っていた。ブランチとして用意したオムライスが並ぶ食卓に、私は二人の息子と夫と共に着いていた。
交わされる会話は子供達の学校の話、新型ウィルスの話、私の体重の話。
「俺のクラス、六人も休んでるのにまだ学級閉鎖にならないんだよ。兄ちゃんのトコはいいな~。一週間も休めたもんな」
「阿保。五年生と三年生を一緒にすんな。学校が始まったらな、もの凄い量の宿題が出たんだぞ?」
「だな。高学年は勉強することが多いから大変だ。ところでお母さん、また丸くなった?」
他愛無いけれど幸せな時間。誰にも邪魔されたくない大切な空間。しかし無粋者はそれらを容易く蹂躙 する。
「ケータイ鳴ってねぇ?」
「お父さんのじゃないぞ」
「えっ、じゃあ私の?」
私の携帯電話は台所の棚に置きっ放しだった。慌てて電話の元へ向かった私であったが、液晶画面に表示された名前を見て、それを床に叩き付けそうになった。
久留須才。
あれだけカラオケ店でお願いしたのに。本当に必要な用件以外で掛けてくれるなって。せめてメールになさいな。
「ふぅ。……日比野ですが?」
私は殺意を伴う低い声で応じた。電話向こうの才はのほほんとしていた。
『カナエさんですよね? 具合悪いんですか?』
悪いのは機嫌とあんたの頭だ。
「身体は大丈夫。で、今日はどうしたの?」
『マングローブの一番の歌詞について、伝えたいことが有りまして』
またそれか。マングローブはもういいってのに。さっさと聞いて、とっとと電話を切ってしまおう。
「新しい発見が有ったの?」
『ええ、そりゃあもう』
電話口の才の声が弾んだ。その口調で、奴はとんでもないことを言い出した。
『死んでました!』
ぞわり。
「……は?」
『マングローブの歌詞に登場する人達が、死んでたんです!』
「!?…………」
どういう意味だろう。歌詞に出て来るのはヴィーナスとアポロン。神々が滅んだ? いやそんなまさか。
そもそも人死には、そんな明るい声で伝えるべき情報じゃない。つくづく不謹慎な青年だ。
『詳しくはまた、前回使ったカラオケ店で話します。直近 で都合の良い日はいつですか?』
「え、明日……」
うおお。動揺して、つい才の誘いに乗ってしまった。
契約している会社が自宅にチラシを届けてくれるのが火曜日。そこから木曜日か金曜日までにチラシを配り終える。これが私の仕事スケジュールだ。
土曜日曜は家族と過ごしたい。つまり完全に私個人の予定が空いているのは月曜日のみなのだ。
『明日ですね、了解です』
貴重な一日フリーの月曜日を、ボサボサ頭の不作法者に捧げてしまったよ。だって誰かが死んだとか言うんだもん。
私は才と、待ち合わせ時間を打ち合わせてから電話を切った。心臓がバクバク鳴っていた。
「誰からの電話だったん?」
居間に戻った私に夫が問い掛けた。
「あー、仕事関係の人。スケジュール確認」
才は同業者だ。噓は言っていない。
「暗い顔だね、厄介事?」
「いや~、ご飯を中断させられたからイラッとしただけ。せっかくのオムライス、冷めちゃったよ」
心配をかけないように私は誤魔化して、そして翌日のことを思って憂鬱になったのだった。
☆☆☆
2月28日の月曜日。
こんなに早く同じカラオケ店を訪れるとは思わなかった。一曲も歌ってないんだけどね。防犯カメラを見た店の従業員は、私達をおかしな客だと思うのだろう。
二十四時間営業の店に私達は午前9時に入り、部屋に通されるやいなや本題に入った。才は発見したことを早く伝えたいからで、私は用件を済ませて早く解散したいからである。
「ヴィーナスとアポロンが死んでいたって、どういうこと?」
鼻息荒く私は才に尋ねた。才はバッグから前回同様に書類の束を取り出したが、量が明らかに増えていた。追加資料を今回用に作ってきたらしい。その労力を就職活動に回せば褒めるのに。
「神の名前はカモフラージュだったんです。本当は別に名前が有るんですよ」
「別に?」
「ヴィーナスは美奈子で、アポロンは陽司です。曖昧な存在の神ではなく、現実世界の日本人だったんです」
「???」
全く理解できない私を見て才がニヤニヤと笑った。
「どういうことよ?」
怒りを露わにした声にも才は動じず、奴は歌詞が印字されたあの紙を再度広げて見せた。
「もう一度、歌詞をよく読んでみて下さい」
私は最初から詞を読み直した。しかし最後の行まで読んでも理解度は上がらなかった。
「どういうことよ?」
結局同じ質問をする羽目になった。
「では視点を変えてみて下さい。歌詞の前半部分は、いったい何を表しているのでしょうか?」
さっさと答えを教えてくれたらいいのに。
「何を……って、恋人ヴィーナスへのアポロンの不満じゃないの? アポロンが何度会いに行っても、ヴィーナスが冷たい対応ばかりするんでしょう?」
「そう読めますよね。では後半部分は?」
才め。どうやら大発見をしたらしいけれど、すぐに教えるのはもったいないと思っているな。腹立つ。
目覚めた時は曇りだった空が、いつの間にかカーテン無しでは眩しさを感じるほどに明るくなっていた。私が花粉症の為にこの時期は洗濯物を室内干しにしているが、これだけの陽射しなら今日一日で乾きそうだ。
壁時計の針は10時半を回っていた。ブランチとして用意したオムライスが並ぶ食卓に、私は二人の息子と夫と共に着いていた。
交わされる会話は子供達の学校の話、新型ウィルスの話、私の体重の話。
「俺のクラス、六人も休んでるのにまだ学級閉鎖にならないんだよ。兄ちゃんのトコはいいな~。一週間も休めたもんな」
「阿保。五年生と三年生を一緒にすんな。学校が始まったらな、もの凄い量の宿題が出たんだぞ?」
「だな。高学年は勉強することが多いから大変だ。ところでお母さん、また丸くなった?」
他愛無いけれど幸せな時間。誰にも邪魔されたくない大切な空間。しかし無粋者はそれらを容易く
「ケータイ鳴ってねぇ?」
「お父さんのじゃないぞ」
「えっ、じゃあ私の?」
私の携帯電話は台所の棚に置きっ放しだった。慌てて電話の元へ向かった私であったが、液晶画面に表示された名前を見て、それを床に叩き付けそうになった。
久留須才。
あれだけカラオケ店でお願いしたのに。本当に必要な用件以外で掛けてくれるなって。せめてメールになさいな。
「ふぅ。……日比野ですが?」
私は殺意を伴う低い声で応じた。電話向こうの才はのほほんとしていた。
『カナエさんですよね? 具合悪いんですか?』
悪いのは機嫌とあんたの頭だ。
「身体は大丈夫。で、今日はどうしたの?」
『マングローブの一番の歌詞について、伝えたいことが有りまして』
またそれか。マングローブはもういいってのに。さっさと聞いて、とっとと電話を切ってしまおう。
「新しい発見が有ったの?」
『ええ、そりゃあもう』
電話口の才の声が弾んだ。その口調で、奴はとんでもないことを言い出した。
『死んでました!』
ぞわり。
「……は?」
『マングローブの歌詞に登場する人達が、死んでたんです!』
「!?…………」
どういう意味だろう。歌詞に出て来るのはヴィーナスとアポロン。神々が滅んだ? いやそんなまさか。
そもそも人死には、そんな明るい声で伝えるべき情報じゃない。つくづく不謹慎な青年だ。
『詳しくはまた、前回使ったカラオケ店で話します。
「え、明日……」
うおお。動揺して、つい才の誘いに乗ってしまった。
契約している会社が自宅にチラシを届けてくれるのが火曜日。そこから木曜日か金曜日までにチラシを配り終える。これが私の仕事スケジュールだ。
土曜日曜は家族と過ごしたい。つまり完全に私個人の予定が空いているのは月曜日のみなのだ。
『明日ですね、了解です』
貴重な一日フリーの月曜日を、ボサボサ頭の不作法者に捧げてしまったよ。だって誰かが死んだとか言うんだもん。
私は才と、待ち合わせ時間を打ち合わせてから電話を切った。心臓がバクバク鳴っていた。
「誰からの電話だったん?」
居間に戻った私に夫が問い掛けた。
「あー、仕事関係の人。スケジュール確認」
才は同業者だ。噓は言っていない。
「暗い顔だね、厄介事?」
「いや~、ご飯を中断させられたからイラッとしただけ。せっかくのオムライス、冷めちゃったよ」
心配をかけないように私は誤魔化して、そして翌日のことを思って憂鬱になったのだった。
☆☆☆
2月28日の月曜日。
こんなに早く同じカラオケ店を訪れるとは思わなかった。一曲も歌ってないんだけどね。防犯カメラを見た店の従業員は、私達をおかしな客だと思うのだろう。
二十四時間営業の店に私達は午前9時に入り、部屋に通されるやいなや本題に入った。才は発見したことを早く伝えたいからで、私は用件を済ませて早く解散したいからである。
「ヴィーナスとアポロンが死んでいたって、どういうこと?」
鼻息荒く私は才に尋ねた。才はバッグから前回同様に書類の束を取り出したが、量が明らかに増えていた。追加資料を今回用に作ってきたらしい。その労力を就職活動に回せば褒めるのに。
「神の名前はカモフラージュだったんです。本当は別に名前が有るんですよ」
「別に?」
「ヴィーナスは美奈子で、アポロンは陽司です。曖昧な存在の神ではなく、現実世界の日本人だったんです」
「???」
全く理解できない私を見て才がニヤニヤと笑った。
「どういうことよ?」
怒りを露わにした声にも才は動じず、奴は歌詞が印字されたあの紙を再度広げて見せた。
「もう一度、歌詞をよく読んでみて下さい」
私は最初から詞を読み直した。しかし最後の行まで読んでも理解度は上がらなかった。
「どういうことよ?」
結局同じ質問をする羽目になった。
「では視点を変えてみて下さい。歌詞の前半部分は、いったい何を表しているのでしょうか?」
さっさと答えを教えてくれたらいいのに。
「何を……って、恋人ヴィーナスへのアポロンの不満じゃないの? アポロンが何度会いに行っても、ヴィーナスが冷たい対応ばかりするんでしょう?」
「そう読めますよね。では後半部分は?」
才め。どうやら大発見をしたらしいけれど、すぐに教えるのはもったいないと思っているな。腹立つ。