新たな出会いとマングローブ(五)
文字数 2,477文字
聖良の愚痴は続いた。
「一曲だけだからって、父は他のメンバーにそう説得されたんです。だと言うのに、マングローブの曲は大ヒットしたでしょう? だから父以外のみんなは、次の曲も同じ路線で行きたがったんです」
アマチュアの時とは違い、プロのバンドマンは生活費を稼ぎ出さなければならない。矜持 よりも目先の金。そうせざるを得ない場合も有るのだ。
「父は憤りました。一曲だけという約束を破られたんですから。しかも、そうまでしたセカンドシングルは大して売れなかったんです」
「セカンドシングルについては、私もほとんど記憶に無いんです」
私は正直に打ち明けてから尋ねた。
「何て曲名でしたっけ?」
「タスマニアデビルに嚙まれて病院」
私は腰から崩れそうになった。
「タスマニアはマングローブの二番煎じに過ぎませんでした。薄っぺらなタイトルと歌詞は、一作目を超えるほどの衝撃を聴衆に与えることが出来なかった。プロデューサーが変わったことが最大の敗因でした」
さようですか。
「この失敗を経て、キリング・ノヴァは原点に帰ることになりました。父が望む硬派なロックバンドに」
聖良は睫毛の長い瞳をまたたいた。
「メジャー契約を切られたキリング・ノヴァは、インディーズに戻って地道にファンへ誠実に活動し続けました。でも努力は報われなかった。何年続けても売れなくて、ついに解散となったんです。私が高校、美波ちゃんが小学校に上がった年だったかな?」
「うん、その頃ね」
聖良と美波には九つも歳の差が有るのか。それにしては仲良しさんだ。
「も、もう皆さんは音楽活動をしていないんですか?」
「私の父は未だにギターを捨てられてないんです。普段は楽器ショップの店員ですが、たまに知人バンドのライブで、助っ人として演奏に参加しています」
「ウチのお父さんはスッパリやめたな。今は普通の会社員ですよ」
聖良に続いて答えた美波はあっけらかんとしていた。涙はもう引いたようだ。
「あの、お二人にはもっとお話を伺いたいんですが、今日はもう時間が無くて」
美波は所持していた、山吹色のハンドバッグをゴソゴソと漁った。
「だから、連絡先を交換して頂けませんか?」
彼女は私の眼前に自分の携帯電話を差し出した。
「え、私と……?」
まいったな。初対面のよく知らない相手に個人情報を渡すことを私は躊躇 った。まして相手は殺人事件の関係者。できることなら繋がりたくない。
「ごめんなさい。今日はスマホ持ってなくて……」
苦しい言い訳だけれど、うっかりオバさんなら許されるでしょう。自慢じゃないが、実際に携帯電話を携帯し忘れて外出したことは何度も有る。
「そうですか……」
美波がしょんぼり項垂 れた。しかられて耳が垂れたワンコのようだった。あああ、罪悪感が。
「お、俺と交換しましょう!」
才が私と美波の間に割って入った。助け舟を出してくれたのではなく、単純に美波のアドレスをゲットしたかっただけだろう。
「あ、えと、……はい」
多少の戸惑いを美波は見せたが、男への警戒心よりも情報取得が優先されたようだ。彼女は才と連絡先を交換した。小さくガッツポーズを取った才を私は見逃さなかった。
「それでは、失礼します」
聖良と美波は私達に一礼し、アパートを後にした。彼女達の背中に、才が大きく手を振って見送った。
「はぁ、美波さん可愛いかった……」
それについては私も同感だった。しかしだね、美波の気を引きたかったら今のままではいけないよ。実家からの仕送りをゼロにしても暮らしていけるくらいの、安定した収入が見込める職に就かないとね。
他人の人生設計への口出しは余計なお世話になるから、直接言ったりはしないけどさ。
「じゃあ、私も帰るね」
立ち去ろうとした私の腕を才が掴んだ。
「は? 何言ってんですか?」
「いやあの、お話が済んだから……」
「済んでませんよ。これからです」
「ええ!?」
まだ話すこと有んの?
「でもお昼ご飯食べたいし」
「食べれるし話せる、良い店を知っています」
才は私の腕を掴んだまま何処かへ向かっていた。奴の脚は無駄に長いので歩幅が広い。進みが速い。なので私は小走りに近い状態になった。複数人で行動する際は、遅い人のペースに合わせるのがマナーなのに。
「新型ウィルスが流行ってから私の家、開店直後以外の外食を自粛しているんだよね。子供に我慢させているのに親の私が食べに行くって、それってどうなのかなぁ?」
「俺とカナエさんの二人だけ、少人数だから大丈夫です。個室ですし」
どちらかが罹患 していたら一発アウトなんだけどね。あれって無症状の人が多いらしいし。
コフーコフーと荒い息で手を引かれて才に付いていく私は、歩道の通行人達に訝 しげに眺められた。彼らに私はどう見えているのだろう。反抗期が終わらない息子に振り回される母親? 嫌だ。
どうか知り合いが通り掛かりませんように。特に子供の学校の保護者は勘弁して下さい。私は羞恥心でいっぱいになりながら強く願った。
☆☆☆
才の言う良い店とはカラオケ店のことだった。
入店時に人数分のドリンクを頼まなければならないが、部屋の使用料金が平日は破格に安い。レトルト食だろうがメニューもそれなりに豊富だ。
「防音だから、物騒な話をするにはもってこいでしょ?」
マスクを外した才がニヤリと笑った。素顔の彼は美丈夫と呼ぶほどではないが、まぁまぁ整った顔立ちをしていた。背丈は有るし肌も綺麗なのだから、髪さえ整えて堂々とした態度を取れれば普通にモテそうだ。
と、私が思ったところで才はパーカーを脱いだ。ああ、前言撤回。コイツ細過ぎる。ジーンズを穿いた脚も細いが、上半身は更に肉が付いていなかった。鎖骨がくっきり浮き出ている。
女性は本能的に自分を守ってくれる強い異性を求めがちだ。普段は自分で何とかするにしても、病気や怪我、妊娠に出産と碌に動けない時期というものが有る。有事の際に頼れるかどうか、そこも恋人選びの大きなポイントの一つになるのだ。
才は……無理そうだ。吹けば飛びそうなモヤシっ子は、美波を背負っただけで潰れそうだ。
「一曲だけだからって、父は他のメンバーにそう説得されたんです。だと言うのに、マングローブの曲は大ヒットしたでしょう? だから父以外のみんなは、次の曲も同じ路線で行きたがったんです」
アマチュアの時とは違い、プロのバンドマンは生活費を稼ぎ出さなければならない。
「父は憤りました。一曲だけという約束を破られたんですから。しかも、そうまでしたセカンドシングルは大して売れなかったんです」
「セカンドシングルについては、私もほとんど記憶に無いんです」
私は正直に打ち明けてから尋ねた。
「何て曲名でしたっけ?」
「タスマニアデビルに嚙まれて病院」
私は腰から崩れそうになった。
「タスマニアはマングローブの二番煎じに過ぎませんでした。薄っぺらなタイトルと歌詞は、一作目を超えるほどの衝撃を聴衆に与えることが出来なかった。プロデューサーが変わったことが最大の敗因でした」
さようですか。
「この失敗を経て、キリング・ノヴァは原点に帰ることになりました。父が望む硬派なロックバンドに」
聖良は睫毛の長い瞳をまたたいた。
「メジャー契約を切られたキリング・ノヴァは、インディーズに戻って地道にファンへ誠実に活動し続けました。でも努力は報われなかった。何年続けても売れなくて、ついに解散となったんです。私が高校、美波ちゃんが小学校に上がった年だったかな?」
「うん、その頃ね」
聖良と美波には九つも歳の差が有るのか。それにしては仲良しさんだ。
「も、もう皆さんは音楽活動をしていないんですか?」
「私の父は未だにギターを捨てられてないんです。普段は楽器ショップの店員ですが、たまに知人バンドのライブで、助っ人として演奏に参加しています」
「ウチのお父さんはスッパリやめたな。今は普通の会社員ですよ」
聖良に続いて答えた美波はあっけらかんとしていた。涙はもう引いたようだ。
「あの、お二人にはもっとお話を伺いたいんですが、今日はもう時間が無くて」
美波は所持していた、山吹色のハンドバッグをゴソゴソと漁った。
「だから、連絡先を交換して頂けませんか?」
彼女は私の眼前に自分の携帯電話を差し出した。
「え、私と……?」
まいったな。初対面のよく知らない相手に個人情報を渡すことを私は
「ごめんなさい。今日はスマホ持ってなくて……」
苦しい言い訳だけれど、うっかりオバさんなら許されるでしょう。自慢じゃないが、実際に携帯電話を携帯し忘れて外出したことは何度も有る。
「そうですか……」
美波がしょんぼり
「お、俺と交換しましょう!」
才が私と美波の間に割って入った。助け舟を出してくれたのではなく、単純に美波のアドレスをゲットしたかっただけだろう。
「あ、えと、……はい」
多少の戸惑いを美波は見せたが、男への警戒心よりも情報取得が優先されたようだ。彼女は才と連絡先を交換した。小さくガッツポーズを取った才を私は見逃さなかった。
「それでは、失礼します」
聖良と美波は私達に一礼し、アパートを後にした。彼女達の背中に、才が大きく手を振って見送った。
「はぁ、美波さん可愛いかった……」
それについては私も同感だった。しかしだね、美波の気を引きたかったら今のままではいけないよ。実家からの仕送りをゼロにしても暮らしていけるくらいの、安定した収入が見込める職に就かないとね。
他人の人生設計への口出しは余計なお世話になるから、直接言ったりはしないけどさ。
「じゃあ、私も帰るね」
立ち去ろうとした私の腕を才が掴んだ。
「は? 何言ってんですか?」
「いやあの、お話が済んだから……」
「済んでませんよ。これからです」
「ええ!?」
まだ話すこと有んの?
「でもお昼ご飯食べたいし」
「食べれるし話せる、良い店を知っています」
才は私の腕を掴んだまま何処かへ向かっていた。奴の脚は無駄に長いので歩幅が広い。進みが速い。なので私は小走りに近い状態になった。複数人で行動する際は、遅い人のペースに合わせるのがマナーなのに。
「新型ウィルスが流行ってから私の家、開店直後以外の外食を自粛しているんだよね。子供に我慢させているのに親の私が食べに行くって、それってどうなのかなぁ?」
「俺とカナエさんの二人だけ、少人数だから大丈夫です。個室ですし」
どちらかが
コフーコフーと荒い息で手を引かれて才に付いていく私は、歩道の通行人達に
どうか知り合いが通り掛かりませんように。特に子供の学校の保護者は勘弁して下さい。私は羞恥心でいっぱいになりながら強く願った。
☆☆☆
才の言う良い店とはカラオケ店のことだった。
入店時に人数分のドリンクを頼まなければならないが、部屋の使用料金が平日は破格に安い。レトルト食だろうがメニューもそれなりに豊富だ。
「防音だから、物騒な話をするにはもってこいでしょ?」
マスクを外した才がニヤリと笑った。素顔の彼は美丈夫と呼ぶほどではないが、まぁまぁ整った顔立ちをしていた。背丈は有るし肌も綺麗なのだから、髪さえ整えて堂々とした態度を取れれば普通にモテそうだ。
と、私が思ったところで才はパーカーを脱いだ。ああ、前言撤回。コイツ細過ぎる。ジーンズを穿いた脚も細いが、上半身は更に肉が付いていなかった。鎖骨がくっきり浮き出ている。
女性は本能的に自分を守ってくれる強い異性を求めがちだ。普段は自分で何とかするにしても、病気や怪我、妊娠に出産と碌に動けない時期というものが有る。有事の際に頼れるかどうか、そこも恋人選びの大きなポイントの一つになるのだ。
才は……無理そうだ。吹けば飛びそうなモヤシっ子は、美波を背負っただけで潰れそうだ。