第一章 貴族への道 第二話

文字数 4,272文字

 三位(さんみ)以上の位に在る公家(くげ)公卿(くぎょう)と言う。左右の大臣や大納言、中納言などである。彼らは、俸給や荘園からの上がりで多くの収入を得る一方、朝廷から認められた家臣の他に只で使える多くの従者(ずさ)を抱えていた。
 従者の多くは地方豪族の子弟で、(あるじ)の推薦を得て位階を得る為に公卿達に無償で奉仕していた。生活費ばかりでなく、主を始め、家司(けいし)や女房達にも貢物を贈らなければならないので、それら全てを親元からの仕送りに頼っている。
 満仲には公卿に無償奉仕をする余裕など無かった。父を当てにすることは出来なかった。必要な財は、全て己で稼ぎ出さなければならない。

 満仲は偉丈夫(いじょうぶ)である。幼い頃から鍛錬を続けて来たので、誰にも負けない丈夫な体と強い意志を持っていた。(えら)の張った(あご)、太い眉、しっかりと座った鼻。初対面の者でも満仲を甘く見る者はまず居ない。黙っていても威圧感が有る。満仲自身は、己の顔立ちに満足感を覚える一方、人に警戒される顔だなとも思っていた。それが好都合な場合もあるが、裏目に出る場合も有る。人を脅すには都合が良くても、人に取り入る為には不都合な顔立ちだ。そう思った。それから満仲は鏡を見ながら色々な表情を作り、己の顔が他人にどう見られるかを考えるようになった。そして、強面(こわもて)のその顔を一瞬にして愛嬌の有る笑顔に変える(すべ)を会得したのだ。

 満仲は己の持つ威圧感を利用して稼ぐ事を思い付いた。不足した警護の人数を補う為の日雇いから、貸付の取り立て、揉め事の力に寄る解決など、汚れ仕事も厭わず何でもやった。そう言う種類の仕事は満仲に頼めば、嫌がらずに何でもやってくれる。そんな評判が公卿達の間に徐々に広まっていった。

 或る公卿(くぎょう)家司(けいし)に呼び出された。庭に控える満仲に、(きざはし)の上の家司が独り言のように呟く。
「〇〇卿を存じておるか?」
「はっ」
と庭に膝と右の拳をついた満仲が返事をする。
「事情が有って、我が(あるじ)は〇〇卿の事をご不快に思われているようでな。なに、独り言じゃ」
と責任逃れの為の予防線を忘れていない。
一切(いさい)承知」
と答えて、満仲はさっさと姿を消す。
 その日の夕刻の事である。〇〇卿と名指しされた男の牛車が賊に襲われ、〇〇卿は裸足で烏帽子(えぼし)も脱げる散々な姿で命からがら逃げ出した。
 翌日、この噂で都は持ち切りとなった。賊を装った満仲の仕業であった。この時代の男、中でも公家達に取って人前で烏帽子を脱がされることは、これ以上無い屈辱であった。

 手際の良い事、口の固い事で、満仲は益々公卿達の信用を得てゆく。荘園で揉め事が起こったと相談されれば、郎等達を連れて乗り込み力づくで収めて来る。証拠を残したり表に出ては絶対にまずい事ではあったが、暗殺さえも引き受けた。そうして稼いだ財で、満仲は郎等を増やして行く一方、有力公卿達との繋がりも作って行った。

 (けが)れを嫌う公卿達に代わり汚れ仕事を(こな)して行く満仲は、彼らの秘密も多く握る事になった。小悪党なら、それをネタに小遣いをせびるような真似をするのだが、満仲は、約束の報酬さえ貰えば、そのことを知っている素振りさえみせない。口が固いと言う事で裏の仕事での満仲の評判は益々高くなり、実入りが増え郎等も増える。満仲は都随一の(つわもの)へと成長して行った。

 この満仲の躍進振りに注目している公卿が居た。源高明(みなもとのたかあきら)である。
 高明は故・醍醐(だいご)天皇の皇子(みこ)であり、朱雀(すざく)天皇、村上天皇の腹違いの兄で、自身が臣籍降下した一世源氏である。七歳で臣籍降下したが、十七歳で従四位下(じゅしいのげ)天慶(てんぎょう)ニ年には若干二十六歳で参議に任じられ公卿(くぎょう)に列していた。同じ源姓とは言え満仲とは天と地ほどの身分の差が有る。
 高明の出世が早かったのは、単に前帝の子であるからだけでは無い。一世源氏の尊貴な身分に加えて学問にも優れ、朝儀(ちょうぎ)にも通じていたからである。
「同じ源氏として、麿に力を貸してはくれぬか」
 その高明に呼び出されて、何を依頼されるのかと思ったら、そう言われた。
 この時代、源氏などゴロゴロ居るのだ。仕事を依頼されるにしても、通常は家司(けいし)などを通じての事で、公卿本人から言葉を掛けられた事など一度も無かった。(みかど)皇子(みこ)から『力を貸してくれ』と言われて満仲は震えた。財を得る為に何でもやって来た。それを()める訳には行かないが『この(かた)の為に働きたい』と言う気持ちが湧いた。

 稼がなければならないので従者として勤める事は出来なかったが、以後、満仲は高明派の(つわもの)と見られるようになった。しかし、当時実権を握っていた藤原氏の公卿達の(もと)にも顔を出し、相変わらず闇の仕事にも手を染めていた。高明も、そうした満仲の行状に付いてとやかく言う事は無かった。

 稼ぐ為に汚れ仕事を続ける一方で、満仲の心は高明へ夢を託そうとするようになった。本来、(みかど)の家臣の身分であるべき藤原一族がのさばり(まつりごと)を独占し、(みかど)さえも思うように口出しが出来ない政情が続いていた。

 父・醍醐(だいご)天皇の後を受けて、朱雀(すざく)天皇は七歳で即位した。当然、(まつりごと)は出来ないから、母方の叔父・藤原忠平(ふじわらのただひら)摂政(せっしょう)として実際の(まつりごと)を行った。しかし、朱雀天皇が成人しても忠平は実権を手放さず、関白と立場を変えて政治を執り続けた。
 この時代、富士山の噴火や洪水などの災害が多く発生し、その上、承平天慶(じょうへいてんぎょう)の乱(平将門、藤原純友が起こした乱の総称)が起きるなど政情不安が続いていた。忠平は、その責任を天子に徳が無い為として、成人して扱いにくくなった朱雀天皇に押し付けて退位させてしまった。朱雀はまだ二十四歳の若さだった。
 後を継いだ村上天皇は朱雀とは同母弟。二十歳での即位であるから朱雀が飾り物にされた上使い捨てられた経緯をしっかりと見ていた。忠平の権力が確立してしまっている現状で策も無く対立する事の危険性をも熟知していた。
 高明は朱雀、村上両天皇の異母兄である。村上天皇は藤原摂関家(ふじわらせっかんけ)から実権を取り戻し、帝親政(みかどしんせい)を復活させることを願っているに違い無かった。それを実現する為には高明の出世を待ち、藤原を排除して源氏が親政を補佐する体制を作り上げる必要が有る。そう読んだ満仲は、
「同じ源氏として力を貸してくれ」
と言う高明の言葉を重く受け止めていた。単に貴族の地位を得るだけではなく、将来、高明の側近として(まつりごと)の中枢で活躍出来るのではないかと言う夢が生まれたのだ。

 財を貯め余力の出て来た満仲は、公家達との人脈を生かし官職に就き、出世の階段を上がり始めた。しかし、裏の仕事も含めて雑用の多い身。毎日役所勤めばかりしていたら捌き切れない。必要に迫られれば、(やまい)と称して(ずる)休みをしたりしていたが、それくらいでは追い付かない。そこで、弟の満季(みつすえ)に雑事を手伝わせるようになった。満季は兄弟の中でも一番、兄・満仲を敬っており忠実だった。
「麿の夢はな、我等・清和源氏の名を世に轟かすことじゃ。決して、己が出世のみを考えている訳では無い。(なれ)達兄弟も、そして、我等の子や孫も胸を張って生きられるようにしたいと思うておる」
 満季を屋敷に呼んで、そう切り出した。
「済まぬ。兄者にばかり苦労を掛ける」
 満季は、神妙な面持ちで、満仲の話を聞いていた。
「まずは、麿が貴族に成ること。それが出来れば、(なれ)達も必ず引き上げてやる。だが、そう簡単に貴族には成れぬ。指を加えていれば、我等の身分は、代々下がる一方じゃからな」
「全くその通りだ。父は(もと)王、爺様は親王(しんのう)と言うのに、今の我等は何なのだ。公卿(くぎょう)共に(あご)で使われてよ」
 満季は、日頃の不満を口にした。 
「三郎。そんな()(ごと)を一生言い続けて朽ち果てて行く者が、どれくらい居ると思う? 目を瞑って石を投げても当たるくらいおるわ。皆、()し上がろうとする覇気も無ければ才も無い連中だ」 
「そう言われてもな。どうにもならぬことも多いではないか」
 満季の言い分は大方(おおかた)の者が同じように思うそれだ。
「皆がどうにもならぬと思っていることをどうにかせねば、前には進めん」
と満季の目を見詰めて満仲が言う。
「どうすると言うのだ」
と満季が身を乗り出す。
「力有る者の力を借りる。だが、それをするには莫大な財が必要となる。並の者は『無理だ』と思い、そこで考えが止まってしまう。後は、愚痴と繰り言の人生よ」 
「確かに」
 満季が息を吐いて頷く。
「なぜか? 皆、腹を括ることが出来ぬからだ」
「言うは易いが、なかなか難しい」
「財じゃ。財が有れば出来る」 
「うん。……それはそうだが」
「綺麗事では行かん。ひとのやらぬことをやる。誰もやりたがらぬことをやる。それで財は得られる」 
「ふん。ふん」 
「それから先が肝心。どう生かして使うかだ。財を得るのに巧みな者は居る。だが、使い方を知らぬ。使わねば意味が無い。惜しげも無く使うことだ。使い方を間違えなければ、必ず、二倍三倍になって戻って来る。その繰り返しじゃ」
「兄者の言うことは分かるが、中々難しいのう。いざ、やるとなると」
 満季の考えは凡人のそれでしかない。 
「まあ、任せておけ。人の真価は、能書きを言うだけか、実際行えるか。その差じゃ。麿はやる。例えひとがどう評そうともな。能書きを言うしか能の無い連中には言わせて置けば良い」
 少しの間、考えている素振りを見せていた満季が、決心したように満仲を見た。
「決めたぞ、兄者。一生、兄者に付いて行く。兄者のように色々考えることは出来ぬが、腕だけは兄者にも引けを取らん。兄者が我等一族の為にすることであれば、麿ばかりではなく、次郎兄も弟達も、きっと同じように思うはず。我等を手足として使ってくれ」
 満仲が両の手で満季の手を取った。そして、弟の顔を見詰める。
「三郎。良くぞ言うてくれた。他の弟達も頼らねばならぬが、中でも麿は(なれ)を最も頼りにしておる。宜しく頼むぞ」
 満仲の目が、いくぶん潤んでいるようにも見える。満仲と言う男、実の弟でさえ演技で足らし込もうとする。
「宮仕えとは窮屈なものでな。適当に(いとま)を取ってはいるが、それにも限度が有る。時が足らぬ。これからは、代わりに(なれ)にやって貰わねばならぬことは増えるぞ」
「任せてくれ。荒事なら(むし)ろ胸が躍る思いじゃ」
「頼もしい。(なれ)の先のことも考えておるぞ。何とか検非違使(けびいし)に押し込もうと思っておる。数年待て」 
 満季の顔が上気する。
「本当か? 実は、もし官職に就くなら、是非とも検非違使をやってみたいと思うておったのよ」
「そうか。麿は出来ぬ空約束(からやくそく)はせぬ。楽しみに待っておれ」
 弟のことを思ってと言うのが嘘と言う訳では無い。だが同時に、
『身内を検非違使にして置けば何かと便利だろう』
との計算が有ったこともまた事実だった。
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