第二章 有明の月(花山帝) 第一話

文字数 4,284文字

 摂関家(せっんけ)の策謀により、安和(あんな)の変で皇嗣(こうし)(世継ぎ)となった守平親王はやがて即位して円融(えんゆう)天皇となる。円融帝は即位時はまだ数え十一歳だったため、大伯父にあたる太政大臣(だじょうだいじん)藤原実頼(ふじわらのさねより)摂政(せっしょう)に就任、実頼が薨去(こうきょ)すると、外舅(がいしゅう)藤原伊尹(ふじわらのこれまさ)が摂政を引き継ぐ。しかし、その伊尹も早逝(そうせい)した。伊尹の後、権力を掌握しようとした兼家であったが、犬猿の仲である兄・兼通(かねみち)に謀られて長い間冷や飯を食わされる事になる。
 高明(たかあきら)追い落としの時には、小聡明(あざと)く動き回った兼家も、その後は負け続けの人生である。出世争いで兄・兼通に負け続け、策士としての一面はその影も無く、すっかり、負け犬としての評価が定着してしまった。兼家の台頭を期待して寄って来ていた者達も、徐々に離れて行く始末。だが、不思議な事に利に(さと)いはずの満仲(みつなか)は、何故か兼家との関係を保っていた。

 そんな時、兼家に取っても満仲に取っても幸運が舞い降りた。兼通が薨去(こうきょ)したのだ。兼通は兼家憎さの余り、死の直前、従兄弟の頼忠に関白の座を譲っていた。またもや兼家は死せる兼通にしてやられてしまったのだ。

 兼家との確執が続く中、円融帝は嫌気(いやけ)が差して帝位を投げ出してしまう。円融帝の後を継いだ花山(かざん)天皇は十七歳で即位したが、有力な外戚(がいせき)を持たなかった。関白には、兼通に後を託されていた藤原頼忠が留任となったのだが、実権を握ったのは、(みかど)外舅(がいしゅう)藤原義懐(ふじわらのよしちか)乳母子(めのとご)藤原惟成(ふじわらのこれしげ)であった。人事も、帝を含む四者の駆け引きの中で行われることになる。
 
 花山(かざん)帝は、『内劣(うちおとり)の外めでた』などと評される性格の持ち主で、乱心と思える振る舞いも多く、好色で移り気。情緒不安定な面もあった。その一方で、絵画・建築・和歌など多岐に渡る芸術的才能に恵まれ、独特な発想に基づく創造は度々人の意表を突いた。 
 やがて、権力は義懐(よしちか)惟成(これしげ)頼忠(よりただ)兼家(かねいえ)の間で分散されて行く。手が届きそうになっては、その度に、するりと兼家の手を抜けて行く権力と言う魔物。兼家は屈辱感に苛まれていた。しかし、兼家を敵に回したく無い頼忠は天元(てんげん)元年、兼家を右大臣とし取り込もうとした。

 そんな頃、花山帝が寵愛していた大納言・為光の次女で女御(にょうご)藤原忯子(ふじわらのきし)が妊娠中に死亡した。(みかど)の哀しみ方は尋常では無い。忯子の(みたま)を弔う為に仏門に入るなどと言い出す始末。
「一時の気紛れとは思いますが、お(かみ)にも困ったものです」
 蔵人(くろうど)を務める兼家の三男・道兼が溜め息混じりに兼家に訴えている。
「この不忠者め!」
 いきなり一括されて、道兼は驚いた。見ると、この処ずっと鬱々としていた父の目が、爛々と輝いている。
(みかど)の望まれることは、何であろうと叶える為に全力を尽くすのが、臣下としての努めであろう」
「はあ、しかし」
「まだ分からんのか。(たわ)け。懐仁(やすひと)親王様は己の何に当たる」
 皇太子・懐仁親王の母・詮子(せんし)は兼家の三女であり、道兼の妹である。花山帝が仏門に入ると言う事は、懐仁親王が帝の位に就き、兼家が帝の外戚として絶対的権力を手に入れられると言う事なのだ。父の腹の内を知って道兼はたじろいだ。

 一方満仲は、遠隔地に飛ばされても、兼家に対する貢物(みつぎもの)を欠かしてはいなかった。計算高い満仲が、負け続けの兼家になぜ臣従を続けていたのか? 
 安和(あんな)の変までの満仲は、兎に角、貴族に成ることだけを考え、必死だった。何でもやったし、誰に何と言われようと気にもならなかった。だが、安和の変の際の働きを評価されて念願の貴族と成ってから、徐々に心境に変化が表れて来たのだ。
 何としても貴族に成ると言う強烈な欲求が満たされると共に満仲の願いは、一族の繁栄へと変化して行き、経基(つねもと)流・清和源氏の繁栄を齎した偉大な祖として、子孫から崇められる存在と成りたいというものに変わって来ていた。そして、その繁栄は何に因って齎されるかと考えれば、答はやはり財である。 
 満仲は蓄財と勢力の拡大に更に重きを置くようになっていた。蓄財には、地方の国司と成る方が都での昇進より都合が良い。それも、畿内の裕福な国、出来れば気に入った摂津(せっつ)国守(くにのかみ)に返り咲きたかったのだ。
 満仲は以前に一度、摂津守(せっつのかみ)に任じられていた。ところが、兼通(かねみち)が権力を握った途端に任期途中で越後に飛ばされた。兼家憎しの人事のとばっちりを受けたのだ。

 満仲はもはや、都での政争に感心は薄くなっていた。遠隔地の受領(ずりょう)を歴任していたが、兼家が右大臣と成ると、すかさず摂津守(せっつのかみ)再任を願い出た。兼家は関白・頼忠に満仲の再任を進言してくれた。関白・頼忠に取ってはどうでも良い人事なので、聞いて置けば、他の事で兼家の譲歩を引き出せると考えた頼忠の了承も簡単に得られ、満仲の思惑通りとなったのだ。
 なぜ兼家から離れなかったのだろうかと、満仲自身も思う。もし、貴族の地位を得る前であったら、間違い無く見限っていたに違い無い。それだけ必死だった。だが、叙爵(じょしゃく)に因って満仲の中で何かが変わった。ぎらぎらした必死さが薄れた。

 摂津守に復帰してから満仲は国内の巡視を始めた。その目的のひとつは税収を上げることである。新田開発可能な土地を探したり、隠し田を見付けたりすることが増収に繋がる。決められただけの物を都へ納めれば、残りは堂々と自分の懐に入れることが出来る。つまり、増収は国の為では無く己の為に必要なことなのである。
 欲ばかり深くて能の無い受領(ずりょう)は、ひたすら搾取する。(受領(ずりょう)とは実際に任地に赴任する国守のことだ)搾取に変わりは無いが、少しましな受領は、全体の収量を増やし手元に残る分を増やすことも併用していた。
 当時、受領に権力が集中し、百姓(ひゃくせい)による受領に対する訴えや武力闘争(国司苛政上訴(こくしかせいじょうそ))が頻発していた。『百姓(ひゃくせい)』とは農夫では無く、地方の富裕層、国人のことである。
 そんな世情の中満仲は、この地を本拠地としようと考えていたので、過酷な収奪は控えていた。あちこち見て歩いた結果、結局、多田盆地に入部。摂津国(せっつのくに)川辺郡(かわべごおり)多田庄(ただのしょう)(現・兵庫県川西市多田周辺)を所領として開発することにした。
 更に満仲は、山本荘を兼家に献上、摂関家の荘園とした。そして、郎等の坂上頼次(さかのうえのよりつぐ)荘司(しょうじ)とすると共に、摂津介(せっつのすけ)に任じて貰うよう兼家に願い出、成功した。頼次は、一族を率いて山本荘に入った。

 満仲の関心は私領となった多田荘の経営に移っていた。そんな生活の中、三年ほど経った頃、兼家から突然の呼び出しが有った。
「或る警護を頼みたいので、郎等十名ほど率いて上洛せよ」
と言うものであった。
「はて、家人(けにん)従者(ずさ)はいくらでも居るのに、麿に警護せよとは何であろうか」
 何か胡散臭いものを感じた。又、正直、今更面倒であった。しかし、摂津守への復帰、頼次を摂津介に任じて貰うなど、兼家にはこのところ色々と世話になっている。断ることは出来無い。
 寛和(かんな)二年六月二十二日、満仲は指示通り十名の郎等を率いて上洛し、午刻(うまのこく)過ぎ、兼家の舘に入った。

 一方、父・兼家の覚悟を知った後の道兼である。花山帝が出家し、結果、退位することになれば、次の(みかど)は甥であり、父・兼家からすれば孫の皇太子・懐仁(やすひと)親王になる。父・兼家は、右大臣であり帝の外祖父と言うことになるので、頼忠を引きずり下ろし、即、摂関と成ることが出来る。
 外戚では無い頼忠とは違って、絶対的な権力を手に出来るのだ。長年、望んでも望んでも得られなかった摂関の座。それが目の前に有る。道兼には父・兼家の気持ちが痛いほど分かった。

 (みかど)が本気で仏門に入りたいと思っているなら問題は無い。だが、花山帝がいかに移り気であるか、道兼は良く知っている。重臣の誰かに話して止められれば、簡単に諦めてしまうに違い無い。それどころか、好色であるから、妃の誰かと(とこ)を共にした際、そのことを口にし、泣かれただけでも気が変わってしまう可能性が有る。要は、一時の感情で言っているだけと言うことが、道兼は良く分かっているのだ。
 兼家と違って、道兼には帝を(おそ)(はばか)る気持ちが少しは有る。
『孝ならんと欲すれば忠ならず、忠ならんと欲すれば孝ならず』と言う処か。親孝行と忠義の(はざま)に道兼は陥ってしまった。
(みかど)のお供をして、麿も落飾(らくしょく)しようと思います」
 そう兼家に告げた。怒鳴り付けようとしたが、兼家はぐっと堪えた。
「道兼」
と静かに呼び掛ける。
「仏を(たばか)る気か。そなたの仏心がそれほど厚く無いことは、仏はお見通しじゃ。仏を(たばか)ってはいかん」
 逸る気持ちを制して・重々しそうに言った。
「それは、お(かみ)も同じでは」
と道兼が言葉を返す。
「黙れ。臣下が帝の御心(みこころ)を疑うなど有ってはならん。
綸言(りんげん)汗の如し』と申す。天子には戯れの言葉は無いと言うことじゃ」
 己を省ず、他人(ひと)には平気で綺麗事を言えるのは、良からぬ政治家に必要な資質のひとつと言える。
「良いか。そなたが剃髪(ていはつ)するなど絶対に許さん。父の心裏切るなよ」
 暫しの沈黙の後、道兼は黙って頭を下げた。

 翌日の内裏に話は移る。花山帝は、西廂(にしびさし)から中渡殿(なかわたどの)に出て、物思いに耽るように空を見上げている。いとおしい寵姫(ちょうき)を失った帝としての自分に酔っているかのようである。周りに他の者が居無いことを確かめて、道兼は帝の側に寄り、足許(あしもと)に座った。
「お(かみ)
と呼び掛ける。
「何か?」
 花山帝が答える。
(おそ)れながら、ひとつお伺いしても宜しゅう御座いましょうか」
「良い」
「御出家されたいとの御心(みこころ)にお変わりは御座いませんでしょうか」
(たれ)も本気で耳を貸さぬ。悩ましいことじゃ。(たれ)(ちん)の心を解さぬ」
(やつがれ)は、御心(みこころ)痛い程お察し申し上げております」
(まこと)か?」
御意(ぎょい)(やつがれ)にお任せ頂ければ、必ずや、御心(みこころ)に添うよう手配致します」
「うん?」
と花山帝は何かに気付いたような表情を見せた。その様子に道兼は、花山帝が一瞬甘い夢から覚め、現実に戻ったのでは無いかと言う不安を覚えた。
「お(かみ)が仏門に入り、亡き弘徽殿(こきでん)女御(にょうご)忯子(きし)様の(みたま)を弔いたいと言う御心(みこころ)(まこと)で御座いますれば、この道兼共に仏門に入り、来世迄もお仕え申し上げる所存に御座います」
 すかさず、そう申し上げる。
「真ならば? (ちん)の心、疑うか」
「滅相も御座いません」
「ならば、(ちん)に従って仏門に入ると申すか」
御意(ぎょい)
「道兼、嬉しく思うぞ」
「お言葉、勿体無き限りに御座います。全て(やつがれ)が手配、段取り致しますが、お(かみ)にもお願いしたき儀が御座います」
「何か?」
「ご重臣方に知れれば、事は不首尾に終わることとなります。あの方々は本気にはしておりませんが、それでも、万一を考えて、密かにお上のご様子を見張らせております。このこと、お(きさき)様方を含め、決して(たれ)にも漏らされぬようお願い申し上げます」
「分かった」
 道兼は低頭すると共に大きく呼吸した。
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