第三章 殺生放逸の者が…… 第二話 因果応報

文字数 5,099文字

 だが、せっかく源賢(げんけん)を呼んだのだから、仏法に関し日頃疑問に思ってはいるが他人には聞けぬことを、この際だから聞いてみようと思った。それで我が子がどれ程の修行を積んでいるかも、大方の察しは付く。
「以前、或る者を切り捨てた時、ひと太刀では死なず、その者はまだ息が有った。火付け、押し込み、人殺し、“何でもござれ”の男だった。ところがその男、苦しい息の下で『なんまいだ、なんまいだ』と呟き始めた。何のつもりかと聞いてやった。すると『これで吾は極楽往生出来る。満仲、貴様はいずれ地獄行きだ』と抜かしおった。麿は、それならばさっさとあの世へ往けと言ってとどめを刺した。この話どう思う?」
 満仲が源賢(げんけん)を見据えた。源賢(げんけん)は穏やかな表情で答える。
「悪人でも念仏さえ唱えれば極楽浄土へ往けると言うなら、誰も好き勝手に生きれば良いと曲解する者もおります」
「曲解では無かろう。無知蒙昧な者達にそう教え込んで信徒を増やしているのではないのか」
 仏教界全体が俗化していると日頃感じている満仲は、そう突いて出た。
「阿弥陀仏に身命を捧げて服従し、お縋りしますと言う心が無ければなりません。仏様を信じる心、即ち“信心”です。信心が生まれれば心の在り方が変わり、自ずと心が正されます。死ぬ前に一度唱えれば良いと言うものではありません」
「なるほど。そんな安易なものであれば、寄進も僧の修行も意味が無いことになるからな。ところで源賢(げんけん)。如来とは八百万(やおよろず)の神々のように大勢御座(おわ)すものなのか? 浄土教では阿弥陀如来、天台では釈迦如来、真言宗では大日如来と申すではないか。大体、仏法とは釈迦が始めたものと麿は思うておったが、他にも色々な仏法が有ると言うことなのか?」
 日頃から疑問に思っていた事ではあるが、僧に聞いてみても、己の宗派に都合の良い説明しかしないに違いないと決め付けていたので、今まで聞いた事は無い問いだった。
「如来とは悟を得た方のことですから大勢御座(おわ)します。お釈迦様入滅以前にも数多くいらっしゃいました。お釈迦様は、天竺(てんじく)の然る国の王子としてお生まれになり、人の生病老死の愁いをお悲しみになり、地位を捨てて出家されました。やがて悟を開き布教されたのですが、入滅を前に弟子達にこう語られました。
『実は私は、始めて悟を開き如来と成った訳では無い。前世もそのまた前世も久遠(くおん)の遥か昔から如来で在ったのだ。そしてこれから先も、いつの世にもそこに在る』
 そう仰いました。法華教の本門に書かれていることで、お釈迦様を久遠仏(くおんぶつ)と称します。例えて言うなら、お釈迦様が月で、他の諸仏は棚田に映った月とお考え下さい。それが、天台法華の考え方です」
「ふん。そなたも坊主らしく成ったものじゃのう。坊主は訳の分からんことを申して人を煙に巻きおる」
 満仲がそう混ぜっ返したが、源賢(げんけん)は続けた。
「入滅の時期と悟られ、弟子達を前に最後の説教をされた時のことです。薬王菩薩達などの大勢の菩薩は、お釈迦様の(めい)に従い末法に法華経を広めることを誓いました。しかし、お釈迦様はそれを拒否されたのです。 
『仏法に帰依した男子(おのこ)よ。汝等がこの経を護持せんことを用いず』
 そう申されたのです。お前達はこのお経を広めなくて良い、と仰っているのです。薬王菩薩たちは戸惑ってしまいます。
 お釈迦様は『我が娑婆世界には大勢(おおぜい)の菩薩が居る』と述べられました。そうしますと大地が振動して六万恒河沙(ろくまんこうかしゃ)(ガンジス川の川砂のことで、無限に近い数)と言う菩薩が湧出して来ました。みな金色(こんじき)の光明に輝いていました。そして、この大地から涌き出た『地涌(ちわく)の菩薩』の上首が上行(じょうぎょう)無辺行(むへんぎょう)浄行(じょうぎょう)安立行(あんりつぎょう)四大菩薩(しだいぼさつ)で、四大菩薩はお釈迦様に向かい(たてまつ)り合掌して『世尊(せそん)(釈迦)は安楽にして少病少悩に居られますが。衆生を教化することにお疲れは有りませんか』と挨拶をされました。
 この様子を見ていた弥勒菩薩達は、これらの高貴な菩薩はどなたかを問われます。弥勒は『今まで師の側に仕えて参りましたけれど、この方々を一度も見たことも聞いたことも無い。どう言うことでしょうか?』と尋ねられました。お釈迦様は『吾、久遠(くおん)よりこれらの衆を教化せり』と答えられます。弥勒は『師は三十歳に成道され、まだ四十年ほどしか経っていないのに、いつの間に教化されたのですか、まるで二十五歳の青年が百歳の人を我が子であると言い、また、百歳の人も青年を指して我が父であると言っているようで信じられない』と言います。
 これに答えたのが法華経(ほけきょう)如来寿量品(にょらいじゅりょうほん)です。お釈迦様は『皆は自分が王子と生まれ十九歳に出家し、三十歳で成道した仏と思っているだろう、しかし、実は久遠(くおん)の昔から仏で在った』と述べられるのです。
地涌(ちわく)の菩薩は、お釈迦様が久遠から教化して来た弟子であり、地から湧き出たことでそれを証明している』と教えたのです。皆が今まで思っていた仏とは、菩提樹の下で始めて仏と成った『始成(しじょう)の仏(今世(こんじょう)で初めて成仏(じょうぶつ)したと言うこと)』であったけれど、本当は「久遠(くおん)の仏」であったことを()かれたのです」
 満仲は話し半分として聞いていた。
「そのような事、誰が見たのか? 誰が聞いたのか?」
と追求する。
「弟子達です。ここで言う菩薩とは弟子の内、或る程度の修行の域に達した者達とお考え下さい。人です」
「それを誰が書き残したのか?」
と更に満仲が問う。
「それも弟子達です。お釈迦様の入滅後、結集(けつじゅう)と言う会議を開き纏めました。
 お釈迦様入滅時に一人の比丘(びく)(男性修行者)が『もう師からとやかく言われることも無くなった』と放言したことが切掛けで、これを聞いた大迦葉(だいかしょう)(摩訶迦葉(まかかしょう))と言う高弟が、お釈迦様の教説(法と律)を正しく記録することの大切さを仲間の比丘達に訴え、聖典を編纂したと言うことです。 
 その後、解釈を巡って対立が起きるごとに、百年後、二百年後など、結集(けつじゅう)は四回ほど行われたそうです。それで経典の数も多くなり、どの経典に重きを置くかで解釈が分かれ、本仏とする如来も違って参りました。
 天台では法華一乗(ほっけいちじょう)と言う立場を取り、釈迦如来を本仏とし、法華教を根本経典とする立場を取っております」
「菩薩とは?」
「修行僧の中で最高の段階です」 
「その時、釈迦の弟子達は人であったであろうが、地涌(ちわく)の菩薩達は既に人ではあるまい」 
「はい。菩薩の位は五十二位有り、その最高位は妙覚と言い、一切の煩悩を断じ尽くした位で、仏・如来と同一です。既に悟りを得ているにも関わらず、成仏を拒み、仏陀の手足と成って活動する菩薩もおります」
「それが、地涌(ちわく)の菩薩か?」
 満仲は、他の宗派を頭から否定する事をせず“天台では”と自らの立場を説明する源賢(げんけん)の姿勢に好感を持ち、話の中に入って行く姿勢を見せている。
「お釈迦様は多くの弟子達に対して、滅後、末法に法華経を広めるのはこの娑婆世界に住する地涌(ちわく)の菩薩であることを宣言されたのです。法華経の本門では弥勒菩薩を筆頭とする、お釈迦様の弟子又は他方の世界から来臨した菩薩は、本仏が分身した迹仏(しゃくぶつ)が教化した迹化(しゃっけ)の菩薩とされます。それに対して地涌の菩薩は、久遠(くおん)本地(ほんぢ)に本仏が教化した本化(ほんげ)の菩薩とされます。即ち末法の大衆を救済するのは迹化の菩薩では無く、久遠の本地の菩薩である地涌の菩薩であるとされているのです。
 本仏の化身であるお釈迦様の化導(けどう)を受ける普賢・文殊・観音・勢至・弥勒・薬王などの菩薩は迹化の菩薩であり、数多(あまた)地涌(ちわく)の菩薩を本化の菩薩と申します。また、本仏が教化し久遠の法を持つ地涌(ちわく)の菩薩は本仏の化身であるお釈迦様、即ち、当時、生身の人間としてこの世に在ったお釈迦様より尊いが、それではお釈迦様在世の衆生が困惑してしまうので、父がお釈迦様、子が地涌(ちわく)の菩薩という形を取ることで、末法の世界の人々が受け入れ易いように、お釈迦様が説法をしたと言うことを法華経は説いております」
 満仲は首を捻った。
「何か良う分らんようになって来た。それに付いてはもう良い。末法と申したが、今は末法なのか?」
と話題を変える。真剣に聞いてはいたが、やはり満仲には理解し難い話となってしまったようだ。
「そうだと申す者もおりますし、末法は近いが、未だそうでは無いと申す者もおります」
 満仲は曖昧さを嫌う。
「いずれじゃ。又、何を以て末法と言うのか?」 
源賢(げんけん)に詰め寄る。
「お釈迦様がこの世を去ってから最初の千年の間を正法(しょうほう)の時代と言い、教えがきちんと伝わる時代のことを指します。その次の千年を像法(ぞうほう)と言い、影だけが伝わる時代で、その後の千年を末法と言って、お釈迦様の教えが廃れてしまって、世の中に混乱が起こると言われています。正法を五百年と言う説も有り、又遠い昔、天竺(てんじく)でのことですので、お釈迦様の入滅が何年前だったのかに付いても諸説有ります。入滅されたのは、凡そ今から千五百年前、正法を五百年とすると、あと数十年で末法と言うことになります」 
 源賢(げんけん)は満仲を説き伏せようなどとは思っていない。ただ、持てる知識を父に分かる言い方で伝えようとしていた。
「なるほど。仏法とて時が経てば忘れ去られるか。尤もじゃ。ふん。今の世の有り様を見ていると、麿は、とっくに末法が始まっていると思うがな。だが待てよ。久遠の仏はいつの世にも在り、末法には法華経を広める数多の地涌(ちわく)の菩薩が現れると申したではないか。それなのになぜ世は乱れる? 本仏や数多(あまた)の菩薩の力を以てしても、世も人の心も変えられぬと言うことか?」
「世はまだまだ乱れると思います。手前は、やはり末法に入るのはこれからだと考えております。今から六拾五年後の壬辰(みずのえたつ)の年から末法が始まると考える者が多数御座います。その時には、必ず、数多の菩薩がこの世に現われ、衆生(しゅじょう)を救おうと必死に働くものと手前は考えております」
 源賢(げんけん)が満仲を見詰め真剣な表情で答える。
「そもそも、久遠仏(くおんぶつ)数多(あまた)の菩薩がおって、なぜ末法と成ることを防げぬのかと聞いておる。六十年以上先では、麿は元より、そなたとて生きておらぬであろう。何とでも言えるわ」
 我が子以外の僧にこんな事を言ったら、屁理屈が帰って来るに違いないと満仲は思った。 
「仏教の根本原理を三法印(さんぼういん)と申します。仏教を特徴付ける三つの真理のことで御座います。そのひとつが諸行無常。即ち、全ての存在は、姿、形、その本質も常に変化・生滅するものであり、一瞬といえども、存在は同じでは無いと言うことです。仏法も、娑婆世界に於いては、それを免れることは出来ません。そこで、末法の世に於いては、教えを取り戻す為の努力が必要となるのです。この真理を知った上で、あらゆる物事を良い方向に変化させて行くような前向きな生き方に目覚めよと言うのがお釈迦様の本意です」
「麿の死んだ後のことだ。確かめようも無いな」
『やはり仏法など屁理屈か』と満中は思うが、切り捨てられない不安も残っている。
「他にも聞きたいことが有る。『因果応報』と言う言葉が有るが、これをどう思うか?」
「どう思うかとは?」
「良い行いをすれば良い結果が生まれ、悪事を行えば仏罰を受けると仏法では説いているのではないか?」
「大方そのような意味になる教えは御座います」
「さぞかし麿などは仏罰を受ける方の立場であろうが、これは、そなただから聞けることで、例え高僧であろうが、他人には決して聞けぬことじゃ。心して答えよ」
 満仲が真剣な表情で源賢(げんけん)を見詰める。源賢(げんけん)は、そこに父の苦悩の正体を見た。
「はい」 
 源賢(げんけん)も真剣な面持ちで答える。
「その名を口にすることは憚られるが、ここに或る一族が居ると思え。この一族は十代を越えても、尚、繁栄を誇っている。他のいかなる氏族よりもじゃ。永きに渡り、この一族の中心に居る者がこの国を動かして来た。ここまで言えば、名を出さぬ意味は殆ど無いが、他国でのいずれの時代かの逸話と思って聞いてくれ。だが、この一族のして来たことと言えば、裏切りと謀略、そして骨肉の争いの連続じゃ。一族の地位を脅かす者が現れれば抹殺し、他氏を排斥して来た。時には、やんごとなき辺りの方々までも陥れる。
 なぜこの一族は繁栄を続けられるのか? それに答えられなければ、仏法など絵空事と言われても仕方有るまい。ただ、この一族の(おさ)は、決して自らの手で人を殺めたりはせぬ。(けが)れを嫌い、又恐れるゆえ、誰かに殺らせるのだ。その一方で、この一族の者は仏法に帰依する者が多く、大枚(たいまい)の寄進をしたり、多くの寺社を建立したりしておる。自らの手を血で汚すこと無く、大枚の寄進をしたり豪華な寺院を建立して功徳を積んだりしているから、仏はこの一族を擁護し続けていると言うことなのか?」
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