第三章 殺生放逸の者が…… 第一話 老僧

文字数 4,850文字

 高明(たかあきら)を裏切る事により貴族の地位を得、落ち目の兼家に従い続けた結果として、更に出世を重ねた満仲(みつなか)。何をやっても結局は勝つ。振り返って見れば、人生の選択を間違えなかったのだ。苦渋も舐めたが結局は勝ち続けて来た満仲である。

 気にするほどの事では無いと思っているが、最近、やはり気になる出来事が有った。
「只今、門前に妙な老僧が来ておりまして、殿にお目に掛かりたいと申しております」
 或日、郎等(ろうとう)の一人がそう言って来た。
「老僧? はて、誰であろうか」
 満仲には心当たりが無い。
「出家前の俗名、西院の小藤太と申せば分かると申しております」
「西院の…… 小藤太」
 満仲がぎろりと目を剥いた。
「連れは何人おる?」
と郎等に問い(ただ)す。
「いえ、連れなどおりません。本人のみです」
 腕を組み、満仲は暫し瞑目していた。
「西に有る寺の境内にて待てと伝えよ。その後、戻る振りをして気取られぬよう跡をつけろ。そして、いっときほど様子を見てから報せに戻るのだ。誰かと繋ぎを取らぬか注意して見張れ。良いな」
と命じる。
(かしこ)まりました」
 腰を浮かせて下がろうとしている郎等に、
「それと、このこと、くれぐれも他言無用じゃ」
と釘を刺した。
「委細承知致しました」
 郎等が出て行くと、満仲は腕組みをして、首を捻った。
『千晴がなぜ?』
と思う。
『まさか、麿を殺そうとする程の(たわ)けに成った訳でもあるまい』と思う。

 探って来た者の報告に寄ると、全くの一人だと言う。となれば、源満仲ほどの者が逃げ隠れする訳には行かない。又、郎等を引き連れて行くのも沽券に関わる。何のつもりかは分らぬが一人で行くしか無いと思った。
 笠を被り粗末な直垂(ひたたれ)を着て、満仲はひとり寺に向かった。誰も国守(くにのかみ)とは気付かない。そんな()で立ちである。
 境内に入ると、成るほど、老僧がひとり庭石に腰掛けている。こちらも笠で顔は見えないが、痩せこけた老僧である。
「あれが、本当に千晴なのか」
 満仲はそう思った。満仲の知る千晴は、痩せ形ながら、鍛え上げられた肉体を持った精悍な男だ。ゆっくりと歩んで老僧の前に立った。老僧もゆっくりと立ち上がる。
 顎紐を解き老僧が笠を脱いだ。かなり、老け込んでいる。
「何用か? 麿を殺しに来たのか」
 満仲が静かに尋ねる。
「まさか」
 そう言って、千晴は静かに笑った。
「見ての通り、杖以外持ってはおらぬ。それに、この体では立ち会っても負けるわ」
と千晴は自虐的に言って笑う。
「で、あろうな。それほど愚かに成ったとも思えぬ。だが、麿に対して、それ以外の用が有ろうとも思えぬ。まさか、単に恨み言を言いに来た訳ではあるまい」
 油断無く鋭い視線を千晴に浴びせながら、満仲が言う。
「恩も恨みも情も捨てた。今は無名(むみょう)と名乗っておる。要は名無しじゃ。ここに居るのは、もはや、藤原千晴などでは無い」
 満仲の隙を狙っている素振りはまるで無い。『ではなんの用か?』と思った。
「禅問答に興味は無い。用件を申せ。結構忙しい身でな」
 すると、思いも寄らない言葉が千晴から返って来た。
「ならば率直に申そう。仏門に入る気は無いか?」
「何? 馬鹿も休み休み申せ。何が悲しくて麿が出家せねばならんのだ。やはり呆けたか、千晴」
 千晴は平静な表情を崩さない。
「そうか、思い悩むことは無いのか。それならば良いが」
と千晴は思わせ振りに言う。
「何が言いたい。ふん、分かったぞ。坊主の(なり)をして尤もらしいことを申しておるが、やはり恨み言を言いたいのであろう。もし、高明様が失脚しなければ、その右腕として、(なれ)は今の麿(まろ)と同等の立場に立っていたはずだったのだからな。高明様を見限った麿を許せぬであろう。だが、そんな持って回った言い方でしか麿に恨み言を言えぬとすれば、藤原千晴も落ちたものよな。はっきりと罵られた方が、まだ気分が良いわ」
 満仲はそう言い放った。
(ののし)られることには慣れていると申すか。気の毒にな」
 満仲がキッと目を剥いた。心の奥底を見透かされたような気がしたのだ。
「哀れな姿を見ては斬る気も起らなんだが、愚弄する気なら斬り捨てるぞ」
 そう脅す。
「そうしたければするが良い。もはや惜しい命でも無い。だが、坊主を殺すと七代祟ると申すぞ。そう成ることは本意ではあるまい。世間の陰口を気にせず(なれ)がひた走って来たのは、弟達や子や孫に美田を残してやりたいが為であったのであろう。世間からは鬼のように言われても、(なれ)には、そう言う、家族思いの優しい処が有る。麿と違ってな」
 満仲が何とも言えない妙な顔付きをした。
「気色の悪いことを申すな、心にも無く」
「いや、今は真底そう思っておる。確かに、あの頃は(なれ)を蔑んでおったし、警戒もしていた。島に居た頃は、汝を殺す為に生きて帰る。日々そう思って過ごして居た。だが、生まれて初めて飢えと言うものを知り、病をも得て、我が命、もはやこれ迄かと悟った時、ふと気付いたのだ。汝に取っては、負け犬になるか、あの生き方をするかのどちらかしか無かったのだとな。麿は、父の残してくれた美田の上に胡坐(あぐら)()き、兄弟達の助けも有って、ただ、ひたすら高明様に仕えることが出来ていたのだとな。それに引き換え、(なれ)には何も無かった。どんな手を使ってでも、己で掴み取って来なければならなかったのだな。そう気付いた。そして思った。もし麿(まろ)(なれ)の立場だったらそこまで頑張れたであろうかとな。恐らく、負け犬に成っていたであろう。そんな風に立場の違う者が、簡単にひとを『善だ。悪だ』と決め付けて良いものだろうかと思った。(なれ)(たばか)られたからでは無い。負け犬となったのは、己自身の身から出たものだと気付いた。だが、更に考え続けると、何が勝ちで、何が負けなのかと思うようになった。本音を言えば、汝同様、麿も出世しか考えていなかったのよ。こんなことを言い出すと、それこそ、負け犬の遠吠えとしか聞こえぬであろうが、生き方に付いて何かと考えるようになり、結局、己で答を出すことが出来ず経を読み仏に縋った」
 満仲は、自分は、なぜこんな戯言(たわごと)をいつまで聞いているのかと己自身で思いながらも、
『もう良い。失せろ』
と言ってその場を立ち去ることが出来無いで居る自分に苛立っていた。
「浮き世も戦場と同じ、善も悪も無い。有るのは勝ちか負けかだけだ。麿が勝ち、(なれ)は負けた。それだけのこと、わざわざ仏に聞かずとも自明のことだ。屁理屈を並べてみても、腹の足しにもならんぞ」
「仏に教えを乞いたいのは、そのようなことでは無い」
「なら、仏には会えたのか?」
 満仲は、意識してこともなげに尋ねた。
「いや、まだだ。心は(いま)彷徨(さまよ)っておる」
()や子、孫達には会うたか?」
「情は捨てたと申したであろう」
「ふん、下らん。いつまでそんな話に付き合っておれんわ」
 そう言い残すと、満仲は(きびす)を返して歩き出した。千晴は、それを無言で見送る。
 満仲が振り返った。
無名(むみょう)とやら、二度と麿の前に現れるな」
 (すご)みを効かせて、千晴を睨む。
(なれ)の曾祖父は清和の(みかど)。皇孫たる身がこのままで終われるかと言うのが、汝の出世欲の源であったのでは無いのか。そして、(みかど)の血を引いていると言うことが、唯一の誇りであったはずだ。前帝(さきのみかど)にしたことに対し(たてまつ)り、今、心苦しくは無いのか?」
 己の悩みをずばり突かれて、満仲は内心ギクリとした。
「何のことを申しておる」
と惚ける。
「いや、良い」
 再び(きびす)を返して、満仲は歩き始めた。
「世迷い言を抜かしおって」
 そう呟くが、ずっしりと重い物が載し掛かって来るような気がした。弱気など起こしてたまるかと己に言い聞かせる。

 ところがそんな満仲が、間も無く、夜毎悪夢にうなされるようになってしまった。思い余って高僧に救いを求めたが、その僧も結局俗物でしか無かった。満仲自身、心の揺れが信じられない。自分はそんな気弱な男では無いと、己に言い聞かせるが、どうにも落ち着かない。ふと、僧となっている五男の源賢(げんけん)の話を聞いてみようと思った。

 延暦寺の許しを得て、満中は源賢(げんけん)を館に呼んだ。
「麿の寄進をなぜ断った」
 呼び出した源賢(げんけん)に満仲はいきなりそう問い質した。以前、源賢(げんけん)の僧としての地位を上げてやろうと叡山(えいざん)へ寄進をしようとした際に、源賢(げんけん)が断って来た事が有ったのだ。
「申し訳御座いません。父上のお心を無に致しました」
 源賢(げんけん)は本当に済まなそうに頭を下げた。満仲とすれば親心と思ってした事なのだ。
 今や僧も公卿の従者も変わりが無い。財を使って上司の機嫌を取れば、役も職も得られる。そう言った駆け引きは満仲の得意とする処だ。それを、何が不満で断ったのか、まず聞きたかった。
「まだまだ、修行が足らぬ身。今せねばならぬことが山ほど有ります。地位が上がってしまったら出来なくなることも有るのです」
 そう弁解したが、満仲には理解出来ない理屈である。 
「それが何かは知らぬが、そんなことは下の者にやらせれば良い」
と不機嫌そうに言った。
「己がすべきことをひとにやらせたりしたら、何の為の修行か分からなくなります」
源賢(げんけん)が応じる。
「麿の子とは思えぬ人の良さじゃな。ついこの間会うて来た高僧など、まるで欲の塊じゃった」
 源賢(げんけん)は僅かに微笑んだ。
「どなた様かは存じませんが、父上の思い違いと言うことも御座いましょう」
 満仲が目を剥く。
「麿の目を節穴と思うてか。人を見る目に間違いは無い。特に、胡散臭(うさんくさ)い奴は直ぐ分かる」
 正しいかどうかは別として、揺るぎない信念を以て生きて来た父の言葉を否定する訳には行かない。
「ひとのことはもう宜しいでは御座いませんか。それより、本日のお呼び出しはお叱りの為で御座いますか?」
 源賢(げんけん)は話題を変えようとして、そう言った。
「うん? 用件か。そうであったな。では聞こう。仏法とは何か?」
 満仲は出し抜けにずばりと聞いた。
「これはまた、いきなり難しいことを聞かれますな。日々それを学んでおりますが、万分の一も理解出来ておりません」
 父らしいと言えばそうに違いはないのだが、無茶な事を聞くものだと源賢(げんけん)は思った。
「いや、難しい理屈は要らぬ。麿に分かる範囲で簡単に申せ」
と満仲はせっついた。
「ならば、ごく簡単にお答え致します。
 生きることへの執着、病に倒れることへの不安、老いることの悲しみ、死への恐れ。人は皆、それらを思い患いながら生きております。又、そこから欲に絡む数々の煩悩が生じて参ります。その苦悩から脱するには、己を見詰め拘りを捨て、己を無にするしか御座いません。これを解脱と申します。解脱出来れば、苦悩は無くなり清浄な日々を送ることが出来ます。しかし、言うは易く行うは難し。道程は遥か永遠とも思える難事で御座います。そこで、如来(にょらい)、即ち悟りに達した御仏(みほとけ)のお言葉を学び、悟りに至る手順をひとつひとつ実践して行くのです。これも簡単ではありません。それが仏法の修行です」
 真剣に見詰めていた満仲がニヤリと笑う。
「無理じゃな。そんなこと、天地がひっくり返っても麿には出来ぬわ」
 満仲は首の辺りを擦りながら、源賢(げんけん)から視線を逸らし、庭の方に視線を投げた。意気込んで問い掛けたものの、到底無理と思い興味が薄れたようだ。
「ご心配無く。今申し上げたのは、我等修行する者の立場でのことです。お釈迦様は『全ての衆生(しゅじょう)は往生出来る』と仰っているのです」
 満仲が不思議そうに源賢(げんけん)を見た。
『まさか、こ奴、親の麿を(たぶら)かすつもりではあるまいな』そう思った。
 難題を吹っ掛けて置いて、いきなり、簡単に出来る方法が有ると囁く。人を陥れる時良く使われる手だ。何を血迷って居たのかと、己を顧みて、満仲は思った。
『悪夢も突然襲って来るやりきれなさも、全て疲れのせいだ。体と心の疲れが死霊に付け込む隙を与えているのだ。吾ながら少し働き過ぎだと思う。任せられることはもう少しひとに任せ、少し休暇でも取れば、悪夢も見無くなるだろうし、気鬱(きうつ)も晴れるに違いない。ひとを頼ろうと思ったことが間違いであった。吾らしくも無い。それも、疲れから来た迷いであったのか』そう思った。
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