5.十三支を狩る者

文字数 10,813文字

「――ねぇ。君、伊吹青也(いぶきあおや)くんだよね?」
「え?」
 放課後の教室。今日の眠い午後の授業も終わり、無事本日の全教科を学びきった。そんな弛緩した俺の机の前に立ち、一人の少年がにこにこと笑みを浮かべて声をかけて来た。見知らぬ顔に、思わずまじまじと見つめてしまう。それでも少年に気にした様子ない。
「君、伊吹青也くん……だよね?」
 もう一度俺の名を確認してきたので、今度はきちんろ応答する。
「たしかに、伊吹青也は俺だけど……。そう言うお宅はどちら様?」
 尋ね返しても、少年はただにこりと笑うだけだった。
 変なやつに絡まれたな。と、内心ため息をついた。表面上は平静装うことを忘れない。
「ちょっと、一緒に来てもらってもいいかな?」
「……いや、悪いんだけど俺、この後人と待ち合わせしてるから」
 そう言って愛想笑いを浮かべて謝りつつ、席を立った。と、椅子を戻そうとした左手を強い力で掴まれた。
「!」
 視線を向ければ、少年の左手が俺の腕を掴んでいた。そのまま相手の顔へ視線を移せば、口元を笑みの形に貼り付けたままの少年がそこにいた。しかし、その瞳は全く笑っていない。
 ぞくりと、背筋が泡立った。変なやつ、などという軽い言葉では済まない。こいつは、異常だ。
「知っているよ。戌のやつだろう?だから、引き留めているのさ」
「何言っ……」
 言葉の意味を聞き返す前に、掴む手に力を籠められて痛さに顔を顰めた。
「あんな奴らに守られたって、無意味だよ。だから、ボクと一緒に行こうよ」
「!」
 少年の顔がぐんと俺の顔に近づく。思わず身を引いたその至近距離で、見つめ合った相手の瞳が獣のそれに変化する。黒目がキュッと細くなり、先程まで普通の人の色をしていたものが別の色に染まった。右が金に見える薄茶色で、左が水のような青色をしていた。俺は、その瞳にどこか見覚えがあった。しかし、どこで見たのか思い出せない。

『――の証言からして、我々と同じ十代の少年。ただ、その眼は獣の目をしており――』

 不意に、小野寺先輩の言葉が頭の中でリプレイする。その特徴が、まさに目の前の少年にピッタリと当てはまり過ぎて身を硬くした。
――じゃあ、こいつが?
 そう思っただけで、嫌な汗が背中を伝った。大体、十三支の能力者でもない俺の目の前にどうしてこいつが現れるんだよ。
「道を開け。あちらとこちらを繋ぐ道を。その架け橋となる生贄になれ。そうすれば、あの人は。我が主はこちらへ、こちら側へ来られる」
「は?何言って――っ!?」
 目を見開いて笑みを浮かべたまま、訳の分からないことを淡々と捲し立てる。その声が耳の奥でワーンと響き、視界がぐにゃりと歪んだ。堪らず頭を押さえてその場にしゃがみ込んだ。
「道を開け。道を開け。贄となれ。道を繋ぐ糧となれ」
 掴まれたままの腕に、強く爪が食い込む。その痛みに縋るように、俺はグルグルと回る頭の中と視界に呑み込まれないよう踏ん張った。腕を掴む少年が何をしたいのか分からない。この気持ち悪さは一体何だというのだろうか。しかしそれも、今は考えてなどいられない。ただ、耐えることしか出来なかった。
 ただ、壊れたラジオの様に何度も何度も同じ意味の言葉を繰り返す少年。その視線は今は俺から離れ、窓の外へと向けられていた。段々と治まって来た気持ち悪さの合間に、ちらりと少年が見つめる窓へと視線を向けて、俺はそこに広がる光景に目を疑った。夕暮れと青空の入り混じった綺麗な色だった空が、今は赤紫色の濁った水のような気持ち悪いものに変わっていた。空の色以外にも、見えていたたくさんの建物の屋根も見えない。もやのようなものが広がっており、何があるのかさえ分からない。変わったのはそれだけじゃなかった。先程まで、放課後の開放的な雰囲気の中賑わっていた教室には誰一人いなくなっていた。俺と、この気味の悪い少年の二人きり。
「開く、開く!もう少しだ。もう少し……」
 上擦った少年の声に、俺はふらつく足でその場に立ち上がった。
「……なぁ、お前、一体何者なんだ?これは、一体……」
 まだガンガンと傷む頭を押さえ、絞り出すように訪ねた。
「ボク?ボクは、クロだよ。忘れちゃった?」
 スゥッとゆっくり視線を俺に向けると、少年は首を傾げて不思議そうにそう言った。
 「お前なんか知らない」と、俺が口を開く前に少年の顔に同情の笑みが浮かぶ。
「ああ、そっか。分からないのか。ごめんね?」
「は?なに、言って――」
 意味の分からなさ加減に少々怒気を含んだ俺の声を、少年が遮った。
「いいんだよ。思い出さなくて。君は。君はただ、ボクの主のために、道を繋ぐ生贄になれば、それでいいんだ」
「っ!」
 どうして、と思うほど悲しそうな笑みを浮かべてクロと名乗った少年が手を伸ばした。その先にあるのは、俺の首だった。
「ぐっぅ……!」
 おおよそ、その細い体のどこから出てきたのか分からない。不思議なほどの馬鹿力で、握り潰さんばかりに首を絞められた。
「死んでよ。死んで、贄になってよ。お前が生きているからいけないんだ。お前が……!」
 訳の分からないことを叫んで一身に俺の首を絞めるクロ。まだ力の入らない体では、その腕を引き剥がすことすら出来なかった。必死に腕を掴んで引っ張るが、ガンガンと響く頭痛と脱力感が俺の意思とは逆に体から力を削いでしまう。
 ああ、これは不味いね。非常に不味い。訳の分からない理由で、何も分からず理不尽に殺されるのかと思うと、腹立たしくてしょうがない。しかし、その怒りはクロを撥ね退けるだけの力になってくれない。
 「死ね、死ね」と縁起の悪い言葉を連発して俺の首を絞め続けるクロ。その苦しそうな表情を眺めながら、こいつにはこいつの理由がきっと何かあるんだろうなとぼんやり思った。そうして眺めている内に、さっきまでは見たこともない人物だと思っていたクロが誰かに似ていることに気がついた。……誰だったかな?回らない頭で考えて、無意識の内に震える手をその顔に伸ばしていた。
「……ク、ロ……」
「!」
 吐息の様な声で、その名前を呼んだ。瞬間、ぎゅうぎゅうと締め付けていた首の力が弱まる。
何だ、と思う間もなくゆっくりと首から手が離れた。
「っ!げほっ、げほっ!ごほっ……」
 一気に新鮮な空気が肺に入り込んで咽た。何度か咳き込んだ後、クロへと視線を向ける。クロは自分の震える両手を目の前で広げて、俺の方と交互に見ては首を横に振っていた。
「あ、あ、ボ、ボク、は……ち、違う。ちが……こんなこと、望んで…なんか……」
 切れ切れに呟き、クロは首を振りながらじりじりと後づさっている。その顔は泣き出しそうなほど情けなく歪んでいた。急に変わった態度と様子に当の俺も訳が分からず、くらくらする頭とかすむ視野でクロを眺めるしか出来なかった。
「……お――」
 何とか息を整えて、意を決して口を開こうとした時、背後でバン!と音をたてて教室のドアが開いた。
「伊吹!いるか?!」
 飛び込んで来た人物は柴田先輩だった。教室を見渡し、一瞬異様な雰囲気のクロに驚いたようだったが、直ぐに俺を見つけて駆け寄って来た。
「伊吹!おい、矢吹!大丈夫か?!」
「……しば、た、せん、ぱ……」
 近くに来てやっとその顔に焦点が合い、ホッとした。ああ、本当に本当の柴田先輩だ。俺に意識があることで、一先ず安心したのか険しかった柴田先輩の顔が一瞬緩む。が、その視線が首に向くとすぐに顔を顰められる。そうして、柴田先輩がクロを鋭く睨みつけた。
「てめぇか!伊吹にこんな仕打ちをしたのは?!」
 その咆哮で先輩が顔を顰めた理由を悟った。まあ、あれだけ強く絞められれば痕も残るだろうな。そんな先輩の声に我に返ったような表情を浮かべると、クロはにっこりと最初に出会った時と同じ貼り付けたような笑みを浮かべた。
「なんだ、干支の能力者か。丁度いい、探す手間が省けたよ」
「そいつはこっちの台詞だな。お前か?俺の仲間を襲って回っていたっつーのは」
 俺を庇う様に前に立ち、クロを真っ向から見据える先輩。その声は怒気を孕み、流れる雰囲気は一発触発状態だ。
「だったら、どうする?」
 馬鹿にしたような声に、先輩がキレた。
「は、はははっ!どうするだと?!んなもん、ぶん殴るに決まってんだろ?!」
 叫び、先輩がクロへと飛び込んで行った。
「ま……!せん、ぱ……っ!」
「――ダメよ。無理しちゃ」
 クロに感じた妙な違和感の正体が知りたくて、慌てて先輩を止めようとして俺はバランスを崩した。痺れる手が滑り、縋っていた机から落ちかけた俺をそっと優しい手が支えてくれた。優しく柔らかな声にたしなめられ、それに反応する間もなく体から力が抜けた。
「……え?な、に……」
 がくりと膝が床につき、傾ぐ体と遠のく意識をどうすることもできなかった。
「もう、大丈夫よ。安心して、眠って?」
 視界の端に、一瞬映ったのはふんわりとした長い髪とセーラー服の襟。少女の手がそっと俺の瞼を覆い、暖かく優しい闇の中へ俺の意識はすとんと落ちた。


 次に目を開けたのは、白く安っぽい天井の広がる部屋の中だった。
「……」
 さわさわ手の平に伝わるシーツの感触に、自分がベッドに寝かされていることを知った。ここが学校の中だと仮定して。ベッドがある場所と言ったら一つしかない。
「ほ、けん、しつ?」
 乾いた口が上手く回らず、妙な発音で言葉が口から零れた。
「あ、起きた?」
「!」
 声が聞こえた方へ首を捻れば、閉められていたベッド横のカーテンが揺れて影が映っていた。
この声には聞き覚えがある。俺が意識を失う時に話しかけてきていた優しい少女の声だ。動く影をぼんやり見ていると、カーテンの端から細い指が生え、ゆっくりと開けていく。そうしてひょっこりと現れた少女の顔に、俺は驚いて目を瞬かせた。俺の見間違いか寝ぼけているのでなければ、その顔の左半分に妙な赤文字で書かれたお札の様なものが貼られていたのだ。そんな俺の心境を察したのか、少女の見えている菫色の片目が困った様細められ、口元に苦笑が浮かぶ。
「驚かせてごめんなさい。すごい顔でしょ?」
「あ、いや。……はい。ちょっと、びっくりしました」
 否定しようとして止めた。きっとそっちの方が彼女には失礼になるような気がして。彼女は小さく、今度は女性らしい笑みを浮かべてカーテンの向こう側からパイプ椅子を一脚引き寄せる。
「調子はどう?まだ、どこか痛かったり気分悪かったりする?」
 椅子に座りながら尋ねて来た彼女に、少し頭が重く全身が怠いことを告げた。それに彼女は頷き耳を傾けてくれた。
「全身が気だるいのは、明日になればきっと治るわ。頭が重いのも。多分、精神的にも身体的にも負担がかかったせいだと思うから」
 俺の額を触り、熱がないことを確かめながら彼女が言う。そのくるくるとうねりふわふわと柔らかな肩までの髪が揺れる。その度に甘くホッとするような匂いが香っていた。彼女の穏やかな雰囲気と声も相まって、全体的にアルファーファでも出ていそうな人だ。
「あり、がとうございま、す」
「あ、ごめんなさい。気がつかなくて」
 掠れた声で礼をのべると、彼女が慌てて…と言っても俺から見れば随分とゆっくりした動作で、向こうの机から水の入ったコップを持ってきた。
「体、起こせる?」
 それに頷き上半身を起こした。思っていたよりも自然に動き、これなら大丈夫かなと自分でも思えた。彼女からコップを受け取り、ゆっくりと口にする。乾いていた喉が潤うと、やっと人心地ついて体から余分な力が抜ける気がした。そのまま勢い良く飲み乾し、大きく息をついた。
「すみません。ありがとうございました」
「どういたしまして。それだけ飲めれば大丈夫ね。良かったわ」
 口を拭いながら言った俺の手から、彼女がそっとコップを取って元の場所へと戻す。そして再び椅子に座り直す彼女に、聞かなければならないことをやっと口にできた。
「ところで…今更な質問で申し訳ないんですが、名前を聞いてもいいですか?」
「あ!ご、ごめんなさい!一番大切なこと……私ったら、うっかりしていたわ。私は綿抜夢子(わたぬきゆめこ)、三年生よ。柴田くんや勝子ちゃんと同じ、十三支の“(ひつじ)の者”よ。生徒会では副会長をしているわ」
「ああ。やっぱり生徒会の人だったんですね、俺は――」
 同じく自己紹介をしようとした俺を、綿抜先輩が遮った。
「知っているわ。矢吹くんでしょ?伊吹青也くん。十三支の間では護衛するべき対象者について情報を、常に共有しているから、皆知っているわ」
「そうなんですか」
 感心する俺に、綿抜先輩は「それに」と続ける。
「あなたは特に関心を持たれているのよ」
「え。どういうことですか?」
 嫌なことじゃないだろうなとびくびくしながら聞き返すと、先輩はじっと俺を片目で見据えた。
「あなたが影猫に襲われると、必ず猫の関係者が助けに来る」
「!」
 先輩に言われて、どきりとした。実は俺も、常々考えていたのだ。偶然で、二回もあんなにタイミング良く助けに来られるものだろうかと。シロは偶々通りかかっただけだ。見かけたから助けただけと言っているが、どうにも信じきれないでいた。もしかしたら、どこかで俺を見張っている可能性はないだろうかと。まあ、「何で?」とか聞かれるとまだ答えようがないんだけど。
「まるであなたも猫の関係者で、影猫から守るように。だからあなたが影猫に襲われるのは、そのためなんじゃないかって言う人もいるぐらいよ」
「そんな、まさか……」
 否定しようとして、思いのほか真剣な先輩の表情に閉口した。
「もし…もしそれが本当なら、私は誰をおいてもあなたの護衛に名乗り出たいと思っているの」
「え?」
 言葉の意味を図りかねて、俺は間の抜けた返事をこぼしていた。先輩は言葉を続けた。
「私、どうしても猫の能力者に会いたいの。会って、確かめたいことがあるのよ。七年前に行方不明になった猫の能力者、梅景圭吾(うめかげけいご)が今どこでどうしているのか聞きたいの。なんでもいいの。何か…何か彼に関する情報が欲しいのよ」
 先程までのおっとりとした物腰からは想像もできないほど、先輩は必死に話している。それだけで、どれだけ彼女がその梅景という人に会いたいのか伝わって来きた。
「何か、訳ありって感じですね。差し支えなければ、理由を聞いてもいいですか?」
 遠慮がちに聞くと、先輩は小さく笑みを浮かべて頷いた。
「そんなにややこしいことはないのよ。単純に言ってしまえば、私が圭吾お兄ちゃんに会いたいだけ。会って、お話をして…無事なことを、確かめたい。それと、私が幼い頃に影猫から助けてもらった、圭吾お兄ちゃんと同じ十三支の一人になったことを伝えたいの」
 先輩の言葉に驚いた。
「綿抜先輩も、影猫に襲われたことがあるんですか?」
「ええ。私、昔から色々見える体質だったから。それで、ターゲットにされたことがあったの。小学校の帰り道で襲われてね。周りに助けを求めたかったけど、私にしか見えないからとにかく逃げたわ。そうして追いつめられて。もうダメだって思った時に、彼が…圭吾お兄ちゃんが助けてくれたの。でも、圭吾お兄ちゃんの猫の能力は強制的に前任者から受け継いでいたからとても不安定だった。私を追いかけていた相手が妙に手強い相手だったせいもあって、お兄ちゃんは力を使った際に半分能力に体を乗っ取られかけた。そして、振るった力で私は怪我を負ってしまったの。でも、それは私がいけなかったのよ。影猫を倒しても収まらない力を必死で制御しようとしていた彼に、私が不用意に近づいたから」
 そこで一旦言葉に詰まった先輩は、その時のことを思い出しているのか下唇を噛んで顔を後悔で歪めていた。
「でも、それは先輩のせいじゃないですよ。だって、小学生の子供に十三支の能力とか影猫とか、そんなこと分かるわけがないじゃないですか」
 真剣な表情で俺が言うと、先輩は一瞬驚いたような表情浮かべのち苦笑した。
「ふふ、圭吾お兄ちゃんと同じことをいうのね」
「えっ」
「ありがとう。励ましてくれて。確かにそうかもしれない。でも、それで圭吾お兄ちゃんが自分を責めていたことを、私は知っているわ。だから私、会って伝えたいのよ。私が今、あの時のお兄ちゃんと同じ立場に望んでなったことを」
 綿抜先輩の顔には、強い決意の色が滲んでいた。
「あの時助けてもらってからずっと、私にも影猫に目をつけられるぐらいの力があるというのなら、圭吾お兄ちゃんと同じ、人を守る人間になりたいって。だから、この高校を受けたの。そして、私が入学した年に卒業する先輩から、私は未の能力を継いだ。先輩は自分が強制的に能力を継いでいるせいで、不自由するかもしれないけど良いのかって何度も確認してきたけど、私にはそんなこと気にする要素じゃなかったは」
「すみません。話の腰を折って申し訳ないんですけど、多分前任者の方の言っている“不自由をかける”って、その顔のお札みたいなもののことですよね?」
 先輩の話はもちろん聞いているが、起きた時から目にして気になっていたことを聞いてみた。丁度良くそれに関連した話題も出て来たことだしな。
「そう。お札みたいじゃなくて、これお札なの。強制的に能力を継ぐと言うのは、前任者が望まないか止むおえない状況で必要に迫られたかで、能力を継ぐことのできる人に無理矢理能力を継がせることなの。その場合、能力が正しい方法で器に渡っていない分、能力を使う度に力自体に呑み込まれる危険性が高くなるの。よっぽど精神力がなければ乗っ取られて、見境なく暴れる力の塊になってしまう。そうなると、与える影響範囲は非常に広くて、様々な天平地異はもちろん、人の精神を壊したりすることもあるそうよ」
 昨日、柴田先輩が影猫に対して使っていた式神などの力が、そんな事になるのかと考えても実感が湧かない。しかし、天平地異や意味も分からない精神崩壊など実際に自分の身に起こったらと考えると寒気がする事ばかりだ。
「でも、能力を使わずに影猫と戦うことは出来ないから、能力を暴走させないためにわざと体の一部の機能に制限をかけるの。願掛けなどで、好きなものを断ったりするでしょ?あれと似たようなものね。不自由になることで戒めたいものを戒める感じかしら?」
「なるほど。それが、先輩の場合は左目なんですね」
 俺の言葉に、綿抜先輩が頷く。
「ええ。それに、封じる箇所は体の部分で能力の影響が強く出ている場所なの。私の場合、左目が未の目になっているわ。見るとそれだけで、他の能力者や力のある人には影響が出るから見せられないけれど…」
 そう言ってすまなそうにお札を押さえた先輩に、俺は引きつり笑みを浮かべた。そんな、危なっかしいものは、見られたとしてもお断りしたいところだ。しかし、見ただけで影響がでるなんて、先程の暴走の話が今更ながら非常にリアルに感じられてゾッとした。
「ちなみに先輩は片耳が未の耳になっていたから、耳を封じていたわね」
「なるほど」
 能力が表に出る箇所は人それぞれらしい。
「先輩の前任者は影猫との戦いの中であちら側に引きずり込まれたと聞いているわ。相手が強過ぎて、弱らせるだけで精一杯だったらしいの。それが、先輩の友達で…先輩はその場で能力を継いだ。急だったし、先輩自身もそんな力を継げるような力を持っていなかったから継いだ当初は随分と酷い目にあったそうよ。それでも、親友が最後に自分に託して行ったものだから、自分は何も苦にならなかったって先輩は言ったわ。だから、私も同じですって言ったの。私も同じように、自分自身の強い意思で十三支になりたくてこの高校へ入学したんですって。だから、どんなことがこの身に降りかかろうとも十三支の一人になれるのなら構いませんと言ったの」
 そう語る先輩の表情は元の穏やかな笑みに戻っていた。
 十三支にも、色々あるんだな。影猫が見える俺も、先輩と同じ立場に立たされる可能性があるのだろうか。その時俺は、果たして先輩のように受け入れることが出来るだろうか?
 そんな来るかも分からない近い未来に思いを巡らせていると、ガラガラと保健室のドアが開く音がした。
「お邪魔するよ」
 声からして、どうやら小野寺会長のようだった。俺の寝ているベッドからはカーテンが邪魔で姿を見ることは出来ないが、二つある足音のもう一人は花鳥だろう。
「はーい。こっちよ、勝子ちゃん」
 間延びした綿抜先輩の声に答えるように、足下のカーテンが先輩の開けた続きより更に大きく開かれた。最初に見えたのは背の高い花鳥の真面目な仏頂面で、視線をそれより下げて小野寺会長の心配そうな顔にやっと辿り着く。
「起きていたのか。なら、もう大丈夫そうだな」
 そう言いながら、近寄って来た小野寺会長に綿抜先輩は立ち上がり座っていた椅子を譲った。
「すまない。ありがとう」
「いいえ」
 一瞬笑みを交わすと、小野寺会長は椅子に座り俺へと視線を向けて来た。その視線が俺の首に巻かれた包帯を見ると、顔が顰められた。
「痕がだいぶ残りそうだな。すまない、伊吹くん。今回の件はあたしの落ち度だ。まさか校内の侵入者を感知できないなど、あってはならない失態だった。本当に申し訳ない」
 そう言って頭を下げる会長に慌てた。
「そ、そんな!頭なんか下げないで下さいよ!人間誰しも失敗するもんですって!それに、俺が今こうして生きていられるのは柴田先輩たちが来てくれたおかげです。首に痕は残っても、そんなものは数日もすれば消えます。だから、頭なんか下げないでください」
 会長は俺の言葉にもう一度「すまない」と口にしてから、表情を引き締めた。
「それでは、お言葉に甘えて二つ目の本題に入ろう。侵入者の少年と対峙した柴田の情報からして、十中八九その人物が我々十三支を最近襲っていた張本人に間違いはないだろう。問題は何故、十三支でもない伊吹くんを襲ったかということだ。考えられる可能性としては、二つ。一つは君が既に影猫のターゲットになっていることからその縁に惹かれて、偶々近くに居たため十三支を炙り出すだしに使われたということ。もう一つは、君が十三支か近々十三支になる要員だと思われたため。どっちにしろ、伊吹くんの潜在的力はそれ程大きいということだな」
 そこで切ると、先輩は口元に笑みを浮かべた。
「もし継ぐ者だとすると、三年生になるあたしや夢子の後任者の可能性が高くなる。あたしは、大歓迎だがな。伊吹くんならきっとしっかり務め上げてくれるだろう」
「いや、そんな俺なんか……」
 会長にそう言われると悪い気はしない。嬉しい反面、綿抜先輩の話を聞いた手前素直に喜べなかったこの学校では十三支は憧れの存在でもあるらしく、生徒会室に呼ばれたあの日は友達が色々しつこく聞いてきたな。その友達はどうやら小野寺会長のファンの一人だったみたいだけど。
 複雑な心境の中、余分なことを思い出していると小野寺会長の顔が再び真剣なものに戻る。
「それはそれで喜ばしいことなんだが、問題は既に十三支の一人であった場合だ。二つの内前者の方が濃厚ではあるが、君には色々と今までのターゲットとは違う面が見えるからな。その顕著な例が君の周囲にやたらとちらつく猫の関係者だ。現在、十三支の中でその所在が全く不明なのは猫の能力者だけだからな」
 小野寺会長の言葉に俺は体が強張った。まさか、そんな可能性が浮上するとは思ってもいなかった。……俺が、猫の能力者?
「いや、だって。そんな、まさか……」
 否定できない要素が今までのことを振りかえると多く、俺は言葉に詰まった。思考が上手くまとまらない。先程の綿抜先輩の話と一緒に俺の頭の中をその事実がぐるぐると回っていた。もし。もし、そうだとして。今の俺にそれを受け入れるだけの勇気は、はっきり言ってなかった。色々なことが一気に押し寄せ過ぎて混乱する俺の肩を、小野寺会長が叩いた。
「落ち着け、伊吹くん。今の君が、あたしの話した後者の件で悩む必要はない。あくまで可能性の話だ。そういう事は、確実な事実になってからしっかり考えればいい」
「……はい、そうですね。すみません、色々あり過ぎてパニックになってしまって」
「気にするな。急にそんな可能性を告げられては誰しもそうなる」
 肩を落として謝る俺に、会長は笑って首を横に振った。なんだか先程と立場が逆で、少しそれがおかしかった。
「だが、可能性とはいえ君にはもう少し厳重な警護をつける必要が出て来た。故に、今日から柴田に加え夢子、君伊矢吹くんの警護に回ってくれないか?」
「え、私?」
 急に指名されて小野寺会長の横に立っていた先輩は目を丸くした。
「ああ、是非頼む。守りに関して秀でた夢子の能力で伊吹くんをしっかり守ってもらえれば、柴田も安心して影猫やそれ以外の相手にも全力で立ち向かって行けるからな」
 そう言って笑う小野寺会長の言葉に、綿抜先輩も笑みを浮かべて頷いた。
「わかったわ。私も全力で、伊吹くんを護衛する」
「ああ、よろしく頼む」
 そう言って頷き合うと、小野寺会長は俺に再び向き直った。
「そう言う訳だ、伊吹くん。明日からは柴田と夢子と行動を共にするように心がけてくれ。都合がつかない時は、あたしや花鳥など他の十三支がサポートするゆえ心配は無用だ」
 会長の言葉に、花鳥も静かに頷いている。つか、こいつは本当に職務に忠実というかくそ真面目というか。必要以上のことを全く話そうとしない。まともに会話したのが初日の生徒会室へ連れて行かれた時だけっていうのが信じ難いよ。
「とにかく、今日は大事を取って十三支会の方で車を回してくれるそうだ。家に帰ったらしっかり休んでくれ」
「はい。有り難うございます」
 十三支会と言えば、確かこの学校の十三支の元の組織だったかな。
「ところで、柴田先輩は?」
「ああ、柴田は今逃げた侵入者を他の仲間と追跡に出ている。数分前に見失った旨の報告が届いているから、時期に戻るだろう。なに、心配せずともあいつなら元気そのものだ。報告にかけて来た電話で逃げられたと大声で悔しがっていたよ」
「あはは、確かに元気そうですね。よかった」
 その時の様子を思い出したのか、小野寺会長が苦笑しながら教えてくれた。俺は元気そうな柴田先輩にホッと胸を撫で下ろしたのと同時に、あの少年がまだ生きていてくれたことにも安堵していた。捕まったところで小野寺会長たちが酷いことをするとは思えないが、クロ自体が自ら命を絶つ可能性がないわけでもない。俺を殺そうとした時の彼の目は、本当に主のためならば命すら厭わないと俺に語っていた。そして俺は、あの目を知っている。そう、朦朧とする意識の中で確かに何かを思い出しかけたのだ。忘れていてはいけないような、そんな記憶を。

ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み