2.豊城高校生徒会執行部

文字数 12,526文字

「――あなたが、伊吹青也(いぶきあおや)くんかしら?」
「へ?え、ええ。そうですけど……」
 早朝、下駄箱から引き出した靴を、思わず落としそうになってしまった。
 声をかけてきたのは、俺の通うこの豊城高等学校のみならず、他の高校にもファンクラブを持つ同学年の超有名人少女、花鳥彩華(はなどりあやか)だった。『校則の申し子』と呼ばれるほど校則に乗っ取ったセーラー服の着こなしをしており、靴下は白の短いソックス,スカート丈は膝下きっちり,制服のリボンは赤で長さは結び目より二十センチ以内だ。
 そんな彼女がただ一つだけ校則を破ったものがある。それは髪の毛だ。入学初日は黒かった腰まである長い髪の毛を、彼女は次の日その毛先だけまるで脱色したように鮮やかな朱色に染めて来たのだ。一時期は生徒の間で厳しい家への反発だの、柄の悪い人たちの妾になっただの色々噂にまでなった。しかしそれも、彼女が生徒会の書記になったと発表された瞬間綺麗さっぱり消えてしまった。
 彼女の髪と生徒会。そこには何か、関係があるのかもしれない。それが一体、どんな関係かは俺には想像もできないけれど。
 まるでモデルのようなスタイルにすらりと伸びた足で立ち、片手を腰に宛てこちらを真っ直ぐに見据えてくる花鳥。その黒い瞳から注がれる少々きつい視線にたじろぎつつ、俺は返事をした。
「そう。では、(わたくし)と一緒に来て頂きましょう」
「え?」
「私、生徒会にて書記を務めさせて頂いております、花鳥彩華と申します。生徒会長の命により、あなたを生徒会室までご案内致しますわ」
「え?え?」
「さ、参りましょう」
 言いたいことだけ告げると、花鳥はさっさと身を翻して歩き出してしまう。
 俺はと言うと、わけもわからずしばし呆然とその後ろ姿を眺めていた。
 生徒会と言えば、この学校では確か先生や校長先生、ひいてはPTAや国の公共機関である教育委員会すら意見することを許されない存在だと聞いたことがある。その理由は、曰く『彼らがこの国の命運すらも握っている存在だから』らしい。一体何を握っているのかは知らないが、とりあえず俺に分かることは、生徒会とはこの学校において絶対であり、畏怖すべき存在であるということだけだ。
 その、生徒会の会長から直々に呼び出しをくらったわけだ。しかし、俺にはどうにも心当たりが全くなかった。豊城高校へ春から入学して早三ヶ月。今までの学生生活を振り返っても、なんら問題行動をとった記憶が見つからない。第一、昨日までは何もなかったのだ。
「伊吹くん」
「え、あ!はい!」
 再び呼ばれて、自分がすっかり思考の海に呑み込まれていたことを自覚した。慌てて止まって待っていてくれた花鳥の後を追う。
「すみません」
「いえ。お気になさらず。では、参りましょうか」
 へらりと笑って謝れば、花鳥は気にした様子もなくそれだけ言って再び歩き出した。
「あ、ああ。はい」
 俺は何とも言えない気持ちでそれに続いた。同学年なのにやたらと落ち着いた物腰と何故か敬語で話す花鳥には、どう接したらいいものか分からず調子が狂うんだよな。
 話かけるのも気が引けて、一階の廊下を彼女に先導されながら黙々と歩く。自然と人が避けて道ができるため人を避ける苦労をしなくていい分、避けた生徒や通り過ぎる生徒たちの視線が痛い。「こいつ、何やらかしたんだよ」とその視線が語っている。中には花鳥ファンの男女問わない妬みの視線も含まれているのが、余計に性質(たち)が悪い。
……というか、代わってくれと言われれば、喜んで代わってやるっての。誰か声をかけてくれっ!
「ここですわ」
「あ、はい!」
 心の中で周囲に文句をばら撒いていると、不意に花鳥から声がかかった。弾かれたように顔を上げて思わず畏まった声色で返していた。
 足を止めたのは、一階の一番校庭が良く見渡せる中央の大きな部屋の前。普通なら校長室がありそうな場所だが、この学校の校長室は職員室のずーっと奥にこじんまりと存在していた。外からの来客が来た時はさぞ不思議に思うことだろうと、いつもながら考えてしまう。
 花鳥がノックをして入室を請う。すると教室の引戸とは違い、ノブのついた茶色い木目模様のドアの向こうから「どうぞ」とハスキーな声の返答があった。声だけ聴くと、女か男か分からない感じの声質だ。
「失礼致します」
 高校受験の面接見本になりそうな動きでドアを開けると、花鳥は一礼して室内へ颯爽と入って行く。それに見習って、そろそろと俺も室内へ足を踏み入れた。
 周囲も見ず、とりあえず勢いで頭を下げる。木目の入った正方形の小さな板がいくつも嵌められた、フローリングの床が視界を埋める。
「し、失礼致しますっ!」
 上擦った声でそう言ってから、これは順番が逆じゃないかとはたと思い当たった。確か花鳥は「失礼致します」と言ってから、中へ入っていた…よな?気づいたことに焦っていると、苦笑する少女の声が聞こえてきた。
「そんなにかしこまる必要はないよ。花鳥は少し、真面目過ぎるんだ」
 顔を上げると、既に目の前に花鳥の姿はなかった。見えたのは木製の立派な机。校長室に置かれていても不思議じゃないほどだ。全面に施された彫刻には、数匹の動物が植物と共に描かれていた。そのつるりと磨き上げられた卓上の向こうで、これまた立派な黒い肘掛椅子に座った小さな少女が一人いた。ニコニコと笑みを浮かべてこちらを見ている。
 俺はこの少女の顔も知っていた。彼女の名前は小野寺勝子(このでらしょうこ)。我が学校の一番の人気者にして超々有名人な、生徒会長その人である。入学式の生徒代表として壇上に昇って来た時は、どこの小学生が間違って入って来たのかと思ったほど、ちっちゃい。とにかくちっちゃい。セーラー服も特注らしく、制服を着ているというよりも子供服を着ているみたいで非常に可愛らしい。こう見えて、今年で三年生というのだから驚きだ。そしてその横には、先程まで前にいた花鳥が腕を組んで立っていた。
「まあ、そんなに緊張しないで。とにかく中に入ってドアを閉めてくれないか?」
 ぽかんとして彼女を眺めていた俺は、肩で切りそろえた茶髪を揺らして片手で俺の背後を指さす少女の言葉に我に返った。慌ててドアを閉めようと片手をドアノブへ伸ばす。
 しかし、俺手がノブを掴むことはなかった。
「小野寺先輩!猫の能力者が見つかったかもしれないって本当っスか?!」
 バンッ!という音と共にドアが反対の壁に叩きつけられ、目の前に少年が一人飛び込んできた。やたら大きな声に短く切られてツンツンとした角刈りの赤毛。大き目の瞳がクリッと動きこちらを見た。おかげでじっと見つめていた俺と、まともに視線がかち合ってしまった。瞬間、大きな目が更に大きく見開かれ満面の笑みが浮かぶ。俺は、そんな人懐っこい彼を、どこか見知っているような気がして首を傾げた。
「おおっ!お前が猫の能力者か?!」
「は?いや、俺は……」
 「違う」と言おうとした声を遮られ、両手を強引に取られてブンブンと握手したまま振り回される。っていうか、何だ“ねこののうりょくしゃ”って。俺は猫じゃないぞ?
「へぇーっ!そうか、そうか!ま、仲良くやろうぜ!俺はし――」
 されるがままどんどん勘違いを進ませる彼に困っていると、自己紹介の途中でその横っ面に赤いラインの入った上履がめり込んだ。
「!」
 少年はよろめいたものの、倒れることなくその場に踏ん張っている。飛んできた方向へ視線を向ければ、椅子の上に立ち上がり、白い靴下だけになった片足を机の上に載せた小野寺生徒会長がそこにいた。眉間に皺を寄せ、少年を睨みつける体は怒りに震えている。
「やめんか、馬鹿犬!伊吹くんが困っているだろうが!!」
「っつ、ってー…。何すんだよ、チビ寺先輩!」
「なっ?!誰がチビだ!」
 売り言葉に、買い言葉とはこのことか。立ち直って小野寺先輩に向き直った少年は、赤くなった頬を押さえながら小野寺先輩を睨みつけて口を尖らせた。先輩も、反応からしてちっちゃいことを意外に気にしているんだな。先程よりも目くじらを立てて少年に食ってかかっている。
「大体、勘違いしているようだが、伊吹くんは猫の能力者じゃないからな!」
「へ?そうなの?」
 先輩の言葉に、意外とあっさり怒りを引っ込める少年。今はもう、キョトンとした表情を浮かべて、俺と先輩を交互に見ている。
「そうだ。彼は別件…と言うほど関係なくもないが…。とにかく、彼は違うんだ」
 そう言って深いため息をつきながら、小野寺先輩は再び椅子へと身を落ち着けた。
「そっか、そっか。悪かったな、驚かせて」
「あ、いえ。大丈夫デス」
 からからと笑いながら俺の肩を叩き謝る彼に、どういう態度をとったら良いのかわからずとりあえず笑っておいた。
「すまない、矢吹くん。その単細胞には後であたしから良く言っておくから、許してやってくれないか?」
「いえ。俺は大丈夫ですので、どうぞお気になさらず」
 自分のことのように謝る小野寺先輩に、俺はそう言って片手を振った。その肩に横から少年の片腕がかかり、ポンポンと手の平だけで叩かれた。
「そうそう、伊吹もこう言っていることだし。許してよ、小野寺先輩」
 そう言っておどけた様に肩を竦めた彼に、小野寺先輩の表情が一気に無表情になった。顔を伏せて、視線は見えないが怒っていることだけは雰囲気で感じ取れた。
「……わかった。この件は後でゆっくりとお灸を据えることにしよう」
「え」
 しまったという表情を浮かべた少年には目もくれず、小野寺先輩は俺へと視線を向けて薄らと笑みを浮かべた。
「まあ、とにかく座ってくれ。話はそれからだ」
 言われて頷き返し、俺は小野寺先輩が座るでかい机の前に備え付けられた、応接セットの一人掛け用ソファーへと腰を落ち着けた。黒くざらつき革のような触感だが、恐らくビニール製か何かだろう。肘掛の部分もプリントの木目が貼られただけの安っぽいものだ。楕円形の硝子板が乗ったテーブルを挟み、同じような造りの相向かいソファーに少年が座った。ソファーは向い合せてもう一対あり、計四人掛けになる。
「まずは、見知った顔もあるかもしれないが自己紹介をしておこう」
 俺たちが座ったのを見計らって、小野寺先輩が口を開いた。
「あたしは小野寺勝子。この学校の生徒会長をしている、三年生だ。学校のイベントには良く顔を出しているから知っているだろう?」
 そう言って小野寺会長は苦笑を浮かべた。
「そしてこちらは、花鳥彩華。矢吹くんと同じ一年生で、あたしが引き抜いて生徒会の第二書記をやってもらっている」
 小野寺先輩の声に合わせるように、今まで黙って横に立っていた花鳥がきっちり四五度でお辞儀をした。そこまで正確にやられると、凄いを通り越してかえって恐ろしくなってくるな。
「で、そこの馬鹿犬は柴田大和(しばたやまと)。二年生で、一応君の先輩だな。生徒会では特に役職にはついていないが、色々やってもらっている。まあ、いわばあたしのパシリだな」
 先程のこともあってか、小野寺会長の柴田先輩…先輩だよな?うん。への態度はそうとうおざなり。
「何その紹介!酷過ぎるっスよ、先輩!」
 抗議の声をあげた柴田先輩を完全スルーして、小野寺先輩は言葉を続けた。視界の端で柴田先輩がちょっと泣きそうになっていた。まあ、自業自得だよな。この場合は。
「あとまあ、他にもメンバーはいるが、早朝ということで集まりが悪いんだ。すまないな。そう言えば、柴田もサッカーの朝練じゃなかったのか?」
「ああ、そんなもんぱぱーっと終わらせてきたっスよ。決められたメニューさえこなしちゃえば、朝はいいんっスから。何せ、あの猫の能力者が見つかったかもしれないって聞いたら、いてもたってもいられなくて」
 きちんと話を聞いてもらえたのが嬉しかったのか、泣きそうになっていた柴田先輩の顔がパッと輝いた。なんと分かりやすい性格なんだ。この先輩は。
 へらりと笑う柴田先輩の口から再び聞こえた『猫の能力者』という言葉。言葉だけ聞けば何のファンタジーだよと思ってしまうが、恐らく俺が呼ばれたことと、それは関係があるように思えた。それと今の会話で思い出したが、柴田大和と言えばサッカー部の期待のエースじゃないか。俺自身は興味なかったが、クラスの女子が騒いでいたので記憶に残っている。言われてみれば顔の整ったスポーツ系イケメンに見えなくもない。しかし、小野寺先輩に手玉に取られている現状では、恐らく普段のかっこいい様とは程遠いんじゃなかろうか。先輩方には悪いけど、偉そうな小学生に絡む見た目は高校生の、中身小学生に見えてしょうがない。
「で、どうなんっスか?先輩」
 体を乗り出して聞く柴田先輩に、俺も小野寺先輩の次の言葉へ意識を集中した。意味ありげに交わされる知らない名詞に興味を惹かれないわけがない。しかも、自分が関係あるかもしれないとなれば尚更だ。
「ああ、そのことなんだが……。伊吹くん。君は昨日の夕方、影猫に襲われたね?」
「……へ?な、ど?!」
 あまりに驚き過ぎて、言いたいことが言葉にならなかった。
 どうしてそのことを先輩が知っているのか?どうして、俺しか知らない筈の『影猫』という呼び方を先輩が使っているのか?聞きたいことは山のようだ。
「落ち着け、伊吹くん。一度、深呼吸だ」
 言われた通り、混乱する頭を落ち着けようと、一度息を吸ってはいた。
「どうしてそれを?それに、その影の呼び方は……」
「鳩がおりましたでしょう?」
「え?」
 口を開いたのは花鳥だった。静かに見つめてくる彼女に言われ、そう言えば仮面を咥えた猫を見送った際、雑居ビルの屋上に一匹とまっていたことを思い出した。それが表情に出たのか、花鳥が一つ頷く。
「その鳩は、私の目ですわ」
「……目?」
 聞き返した俺に、再び花鳥が頷いた。
「“式神”と言いますの。使い魔みたいなものですわ」
 正直、耳を疑った。同時に「こいつは一体何を言っているんだ?」とも思った。
「し、しき、がみ?つかいま?」
「あー、ストップ!花鳥!」
「はい」
 おおよそ現実的とは思えない言葉に困っていると、小野寺先輩は片手を上げて花鳥を制した。
それに、花鳥は素直に従い口を閉じる。
「急に妙な単語を並べてすまない。理解が追いつかなかったと思う。分かりやすく、順を追って説明しよう。しかし、それも君にとっては馬鹿馬鹿しい与太話に聞こえるかもしれない」
 「それでも、」と、小野寺先輩は言葉を切って真剣な眼差しを俺に向けた。
「それでも、信じて欲しい。これは、嘘でもファンタジーでもなく、私たちが生きている現実の世界の話なのだと」
 じっと三つの視線に見つめられて、しばし黙って考えた。
 信じてくれと言われても、困ってしまうのが素直な感想だった。何も分からない内から「はい、分かりました」などと答える、物わかりの良い性格だったら苦労はきっとしないのだろう。しかし生憎俺は、自分の目で見たこと以外は信じない性質(たち)だ。それに、何もかも言われたことは否定から入る嫌な性格の持ち主でもある。
「……分かりました。自信はありませんが、とりあえず信じる努力をします」
 それだけ言うのがやっとだった。
「なるほど。しかし、君はすでに昨日随分と現実離れした経験をしたと思うが……。それについても否定するのかな?」
 問われて頭を左右に振った。
「いいえ。俺、自分の目で見た現実は疑わないことにしているので。それに影猫は、幼い頃から見ていましたから。いても、またいるなとかそんな感じにしか思えなくて」
「それが、昨日は何故か襲って来た」
「ええ。いつもなら、見ててもこちらに気が付かない様子で何処かへ行ってしまっていたんですけど」
 頷いて答えた俺に、小野寺先輩が小さく頷く。
「なるほど。結構。君の事情は何となく分かった。影猫が君を襲ったのは、君をターゲットと認識したからだ」
「どういうことですか?」
 さらりと俺がシロに昨日言われ、ずっと疑問に感じていたことを言われて聞き返した。
「伊吹くん。君の経歴は調べさせてもらったが、君はこの地で生まれたようだね。幼稚園の頃に、父親の仕事の都合で別の地へ引っ越した」
「はい。その通りですけど……」
 机の上に置かれていたのか、一枚の書類を手に取って小野寺先輩が言う。しかし、それが何だと言うのだろうか?
「恐らく、君はこの地で生活している時に影猫の標的になったんだろう。生贄と言う標的にね」
「い、生贄ぇ?」
 覆わず声が裏返ってしまった。いや、だって。生贄って。
「まず、影猫という存在について話す前に、この世界とあたしたちの立ち位置について説明しておこう」
 言われて、否定したくなる気持ちを押さえ黙って耳を傾けた。
「君もよく耳にするだろう?この世界とは違う別の世界が存在する話を。あたしたちの生きる世界は色々な世界と背中合わせに存在いている。それは宇宙の果てかもしれない。或いは、死んでから行く場所かもしれない。そこに人が迷い込むことを、昔から人は『神隠し』と呼んでいるんだ。そういった世界は数多く存在するが、我々はそれら全てを合わせて“あちら側”と呼んでいる。それに対してこの我々のいる世界のことを“こちら側”と呼ぶ」
「あちら側と、こちら側、ですか」
 反芻する俺に、小野寺先輩が頷く。ここまでは、別に否定する必要もない。神隠しだのあの世だの、昔からよくある民間伝承でも語られている類の話だ。あるかどうかは知らないが、語り継がれるぐらいには原因となる何かが存在しているのだろう。
「昔はあちら側と良く繋がって、向こうへ連れ去られたり妙な者が向こうからやってきて事件を起こしたりすることが頻繁にあったそうだ。中には危害を加えず去っていくものや、こちら側が気に入り住み着く者もいたらしい。しかし、圧倒的に攫われる人と危害を加える事例の方が多くてね。事態を重く見た当時の朝廷が、その時のそう言った案件を専門に行う場所に相談したらしい。そして、日本全土に広がるあちら側への入口を、全て一つの場所に集約することに成功したのだそうだ」
「そんなことが、可能なんですか?」
 疑問に思い口を挟んだ俺に、小野寺先輩が頷く。
「可能だ。本来そういった入口と言うのは決まって開くものではなく、確率でこちら側に繋がり開いているものらしい。その確率を全て一つの場所に集中させることで、可能となるらしい。というか、現在その集約した唯一の通り口になっているのが、この豊城高校そのものだ」
「へぇ……え?えええぇっ?!なんですかそれ!だったらこの高校、めちゃくちゃ危ないじゃないですか!!」
 腰を浮かしかけた俺を宥めたのは、柴田先輩だった。
「まあ、まあ。落ち着けって。入口があるといったって、そう四六時中開いている訳じゃないから大丈夫だって。それに、今だって普通にみんな登校して授業を受けてるだろ?」
「……言われてみれば、確かに」
 納得して、再びソファーに腰を落ち着けた。
 というか、言われて思い出したが授業…始まってないか?これ。
 それを小野寺先輩に言えば、「問題ない」の一言で片づけられた。流石、生徒会。
「正確に言えば集約させた入口の開く場所に、この高校が建てられたんだ。そして、その入口を見張るために十二人の力あるものが選ばれた。十二人はそれぞれ干支の呼び名が与えられた。“子”から始まり“亥”で終わる名前がな。それから、入口はその十二人よって永く守られ、あちら側から危険な者が溢れることも、こちら側から人が消えることも無くなった。しかし、ある時、あちら側から抑えられないほど強大な者が現れ、当時の守り人の半数が命を落とした。そのため、こちら側にあちら側から害をなす者が溢れ出てしまったことがあるんだ」
「その時、あちら側から現れて、その凶事を共に鎮めてくれたのが、俺がさっきから言ってる“猫の能力者”なんだそうだ」
 小野寺先輩の言葉を継いで、柴田先輩がため息まじりに教えてくれた。どうやら柴田先輩は、長い小野寺先輩の説明に飽きてきているようだった。早く自分の興味のある話題にならないかなと、顔に書いてある。
「猫の者はあちら側とこちら側を分ける、“猫の刻”という中継ぎの空間を造ったんだ。そして、十二人の守り人と共に十三番目の守り人としてこの地に留まったらしい。猫の刻が出来たことで、あちら側に迷い込む人は減ったし、あちら側からも易々とこちら側へ来れなくなった。守り人も守りやすくなって万々歳。……の、筈だったんだけどな」
 おどけたように上げた両手を、柴田先輩はその場でユラユラと左右に揺らして眉間に皺を寄せた。
「何か、問題がまた起きたんですか?」
「ああ。その肝心の猫の能力者が、七年前から忽然と姿を消しちまったんだよ」
「えっ」
 戻した腕をソファーの背もたれに回す柴田先輩。
「正確に言えば、七年前の猫の能力を継いだ我が校の生徒が謎の失踪をしたんだ。十三支の力は、代々我が学園の生徒内で受け継いできた能力。その能力を持ったまま失踪してしまったため、現在猫の能力がどの様になっているのか全く不明なんだ」
 机の上で組んだ腕に、自分の顎を乗せて難しい顔をする小野寺先輩。
「で、その猫の能力者かもしれない人物が見つかったんスよね!一体、何処のどいつっスか!?」
 やっと聞きたかった本題に辿り着き、俄然やる気を出した柴田先輩が身を乗り出した。それに難しい顔をしたまま小野寺先輩が唸る。
「それを今から調べるのだろう。そのために、伊吹くんにはわざわざ生徒会室まで足を運んでもらったんだからな」
 なるほど、やっぱりそういうことになるのか。『猫』のキーワードに引っかかる人物に、心当たりがないでもない。というか、昨日のシロのことだろうな。これ、絶対に。
 小野寺先輩の言葉に、柴田先輩の期待に満ちた眼差しがこちらへ向いてたじろいだ。黙っていても仕方ないので、俺は昨日のシロとの出会いを包み隠さず全部話した。三人とも、途中で口を挟むことなく俺の話を聞いてくれた。そうして全部聞いた後、小野寺先輩は難しい顔をしたまま何やら考え込み、柴田先輩は期待していたことの半分しか分からず不満顔だ。相変わらず花鳥だけが無表情に小野寺先輩の横に立っていた。
「なるほど。花鳥の話だけでは分かり難いこともあったが、今の伊吹くんの話ではっきりした。確かにその“シロ”と名乗った少女が、猫の能力を継いだ者に間違いなさそうだ。影猫をあちら側へ帰せるのは十三支の能力者だけだ。しかし……」
「偶然出会った仲じゃあ、そのシロってやつが何処のどいつだかわかんねぇよなぁ」
 小野寺先輩の言葉を継いで、柴田先輩が片手を振ってため息をついた。
「すみません。なにぶん、凄い光景を見た後で言いたいことが整理できず、名前を聞き出すのが精一杯だったもので……。その聞き出した名前も、あまり本名とは言えないみたいですし……」
「伊吹くんの言う通り。この“シロ”という名も偽名だろう。もしくはニックネームか何かだろうな」
 小野寺先輩も渋い顔をしている。
「しかし小野寺会長。彼女がこの豊城の地にいることは間違いない事実。もしかしたら、次の影猫の出現時に姿を見せるかもしれませんわ」
 今まで黙っていた花鳥が口を開いた。その言葉に、渋い顔をしていた小野寺先輩の表情が和らぐ。
「なるほど。花鳥、良い提案だ」
「ありがとうございます」
 明るくなった先輩の声に、花鳥が小さく頭を下げた。そんな調子の二人なものだから、俺はどうしても書記と会長の関係だけだというのを、少々疑ってしまった。あれじゃあ、主の命令に従う従者のようだ。
「だとすれば、伊吹くんにはもう少し付き合ってもらうことになりそうだ。まあ、もし猫の者の件と関係なかったとしても、影猫に狙われている以上、生徒会の方で護衛などの手を回すことにはなるだろうが」
「えっと、どういうことですか?俺に何か、できることがあるんですか?」
 俺の問いかけに、小野寺先輩はにっこりと意味ありげな笑みを浮かべた。
「ああ、ある。一番大事な役目がな」
「囮だな」
「囮ですわね」
 小野寺先輩のやけにいい笑顔に嫌な予感がしてはいたよ。
「いや、何となく生贄とか言われた時点で、予想はついていましたけどね…」
 乾いた笑いを浮かべて、声をはもらせた柴田先輩と花鳥に答えた。そんな俺の肩を、柴田先輩がぽんぽんと叩く。にっかりと笑った顔がとても眩しい。
「大丈夫だって!心配しなくても、俺たちがガッチリ守ってやるから!」
「はあ。あの、気になってることがあるんで聞いておきますけど…。今までの話からして、柴田先輩たちが、その、能力を継いだ者なんですか?」
 俺の遠慮がちな質問に、柴田先輩が大きく頷き胸を張った。
「おう!俺は“(いぬ)”の能力を継いでるんだ。で、小野寺先輩が“()”の能力、花鳥は“(とり)”の能力だな」
「なるほど」
 それで柴田先輩への小野寺先輩の呼称に『犬』がついているのか。
「一々能力者と言うのも面倒くさいので、大体十三支の中では“子の者”,“ネズミ”などと呼ばれているな」
「俺なんか“イヌ”だぜ?ちょっと酷いよなぁ」
 口ではそう言うものの、柴田先輩にそれ程気にしている素振りは見えない。
「先輩たちのことは何となく分かりました。もう一つ、大切なことを聞かせてください」
「なんだい、伊吹くん」
 答えてくれた小野寺先輩を真っ直ぐにみて、一番聞きたかったことを訊ねた。
「影猫ってなんなんですか?それに、その呼称は誰がいつから呼んでいるものなんですか?」
「影猫か。あれはあちら側から猫の刻を通り、それでもこちらへ辿り着いた者の姿だ。大概の者は猫の刻で姿も声も何もかもを失う。それらは全て失ったのではなく、あちら側にその時点で引き返せば元に戻るものだ。しかし、それでもこちら側へ行こうとした者は、よっぽどの強者でなければ全てを失う。存在も、他者の記憶からも何もかもだ」
「いなかったことに、なるということですか」
 頷く小野寺先輩に、俺は顔を顰めた。自分がある日突然、誰からも忘れられ消えてしまうなんて、考えただけで寒気がする。しかし、それ程のことをしなければ、あちら側からこちら側を守ることは出来ないということなのだろう。そんなことが出来る最初の猫の能力者って、一体どんなやつだったんだろうかと、ちょっとだけ興味が湧いてしまった。
「そして、それらを突破して辿りついた強者が影猫となる。影が猫の姿をとるのは、我々十三支にあちら側からの侵入者が来たことが伝わり易くするためだそうだ。この豊城の地では影猫が目撃されたり、襲われた者が出たりするとその噂が広まる。猫の形をした奇妙な影の噂など、好奇心旺盛な学生が聞き逃すわけがない。それを、我々十三支は『影猫の噂が立つ』と呼んでいる。その言葉が我々の中で聞こえた時は、影猫が出現し、生贄を求め彷徨っているということだ」
「で、その生贄が今は俺。と」
 自分を指さして言うと、三人に頷かれてしまった。
……なんか嫌だな。こうも他人に生贄、生贄と認識されると。分かっていても複雑な気分になってしまう。
「影猫は呼び出されることもあるらしい。世の中訳の分からぬ連中が、どういうものかも知らずに崇拝して呼び出そうとするんだ。自分はその後、生贄として喰われるとも知らずにな。どちらの場合も、力のある贄を取り込めば取り込むほど、本来の姿と力を取り戻す。完全にこちら側で復元してしまえば、もう、取り返しがつかなくなる。もちろん、我々はどうなったとしても、全力で戦い退けるだけだがな。ただ、そうなれば、こちら側でも多くの犠牲を出すことになる。それだけは絶対に避けなければならない。だからこそ、影猫の姿の内に、あちら側へ帰すか消滅させる必要があるんだ」
「なるほど。影猫ってそういう存在だったんですね。名称も、聞いていると始めから『影猫』って呼ばれていたみたいだし」
「ああ。そのようだな。あたしも詳しく由来について聞いたことはないが、十三支のことを良く知る古い人たちもそう呼んでいることからして、最初の頃からだろう」
 小野寺先輩の言葉に、納得したのと同時に少しだけ残念に思った。『影猫』と言う呼び名は、俺はずっと自分でつけたものだと思ってきていたが、実際はそうではなかったようだ。おそらく、子供の頃に誰かから聞いて覚えていたのだろう。
「まあ、そういうことだから。頼むよ、伊吹くん」
「……はい」
 小野寺先輩の言葉に、何とも言えない気持ちで答えた。本来ならば、生徒会長に頼み事などされたらら精一杯頑張りますと言いたいところなんだけど……。今回ばかりは命もかかってしまっているので、素直に頷くことができない。どう考えても、俺が足手まといになりそうだしな。
「では、今日より外を歩く際は必ず十三支の誰かを護衛につけることにしよう」
「あの、外を歩く時ってことは、休日も外出する時は誰かと一緒にってことですか?」
 恐る恐る尋ねると、はっきりと頷かれてしまった。
「できればそれが望ましいが、そうもいかないことが多いだろう。それに、十三支も今、少々厄介な事件が別件で起きていてな」
 さも当然のように言われて閉口した。護ってもらえるのはいいけど、流石にプライベートだだもれっていうのはあまり良い気がしないのだが……。
「まあ、学校外では成るべく一緒に行動できる時は同行させてもらい、無理な時は誰かの式神をつけるようにする他ないな。今は」
 申し訳なさそうに言う先輩だが、こちらとしてはその方が有難い。式神の時も、なるべく普段は見ることが出来ても、見ないようにしてくれないかなあ。
「大丈夫っスよ、小野寺先輩。こいつのことは、俺に任せてください!」
 そう言って胸を叩いたのは柴田先輩だった。
(わたくし)も、同学年ですし、及ばずながらお手伝いさせて頂きますわ。柴田先輩」
 花鳥の申し出に、血の気が引く思いがした。
「ありがとうな、花鳥。でも、お前は小野寺先輩のサポートに専念してくれよ。俺にはできないことだからさ」
 柴田先輩の言葉に、俺もコクコクと何度も頷いた。花鳥にはできれば遠慮してもらいたい。いや、迷惑とかそう言うのではなくて、だ。男女問わず、ファンが多いせいで色々な方面が煩のだ。二人でいるところなんて見られた日には、どんな誤解を招き俺がどんな目に合うかわかったもんじゃない。
「分かりましたわ」
 素直に納得した花鳥に、俺は内心胸を撫で下ろした。
「ところで、厄介な別件とはなんですか?差支えなければ、教えて頂いても?」
「いや。たいしたことではないんだ。君が気にすることではないよ」
 遠慮がちに聞いた俺に、小野寺先輩はやんわりと断りを述べる。笑顔を崩ささないが、その眼が笑っていないことを、俺は見逃さなかった。まあ、そう言われてしまった以上、突っ込んで聞くわけにもいかない。
「分かりました。それじゃあ、今日からよろしくお願い致します。柴田先輩」
「おう。こちらこそよろしくな」
 頭を下げた俺に、柴田先輩は満面の笑みで答えてくれたのだった。

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