7.猫の刻

文字数 9,321文字

「――で、どうすれば猫の刻って開くんですか?俺、やり方とか知らないんですけど」
 学校へ辿り着いた俺たちは、生徒たちが登校してくる玄関を見つめながら立っていた。朝の挨拶を交わしながら横をすり抜けて行く生徒たちが、流れとは逆方向を眺める俺たちに奇異な視線を投げかけて行くが、もうそれも気にならなくなっていた。まあ、その視線のいくつかは、柴田先輩を見て黄色い声を上げていたようだったけれども。あるいは、綿抜先輩の顔を見て、一瞬びくつきつつ通り過ぎる一年生も中にはいた。
「大丈夫。何もする必要はないわ。ただ、あなたがそこの扉を開けて外に出ればいいだけよ」
 そう言って綿抜先輩が指差す先にあるのは、登校のために開け放たれた左右の扉に挟まれ、一つだけ閉じている中央の硝子扉だ。見る限り、何の変哲もない扉へ俺はゆっくりと近づいた。目の前に立ち、そっとその銀色の取手を握る。そうしてゆっくりと外へ向かって扉を開いた。そのまま体を外へ出して、目に飛び込んで来た外の景色に唖然とした。
「……これって……」
 広がっていたのは、誰もいない霧のような白いものが漂う校庭と、同じく霧の漂う門の外の世界だった。空は赤紫とも夕焼け色とも取れる色にほんのりと染まり、そこに太陽は存在しなかった。来た時は見えていた民家等の屋根も何処にも見えない。俺はこの景色を一度だけ見たことがあった。クロと対峙したあの日の教室から見えた、窓の外の景色そのものだった。
 今なら分かる。おそらくあの時、クロは俺を殺すことで猫の刻の出入り口を常に開いたままにしようとしていたのだろう。それに一体どんな意味があるのか、それは分からないけど。
「おお。これが猫の刻か。初めて見たぜ」
「ここに圭吾お兄ちゃんがいるのね……」
 歩み出て、外を眺めていた俺の背後から、続いて入って来た二人の声が聞こえ振り向いた。柴田先輩は額に手を翳して遠くを眺めており、綿抜先輩は真剣な表情で遠くを同じく見つめていた。
「それで、どうすればいいんですかね?入れば分かるって言っていたけど、俺、今、何も分かりませんよ?」
 圭吾お兄ちゃんに関して自分に思いつくことは何もない。目を閉じてじっと耳を澄ましたり意識を集中してみたりしたが、やはり何も感じなかった。
「場所が悪いんじゃないか?もう少し前…そうだな、校門を出てみたらどうだ?ここはまだ、こちら側と猫の刻と曖昧な場所だから分からないのかもしれない」
「なるほど。じゃあ、ちょっと校門から出てみましょうか」
 柴田先輩の推測に納得し、俺は白いもやの中ドンとその存在感を主張している半開きの鉄門へと足早に近寄った。先程学校へ入った時は大勢の生徒が行き来をするため全開になっていたはずだ。その鉄の太い格子状の門が、今はスライドさせるレールの上を半分ばかり滑った所でピタリと止まっていた。試しに押して見たが、その場所からぴくりとも動かなかった。
 その門を一歩、外の通りへ出た。その瞬間、俺の頭の中に色々な景色が浮かんで来た。それは人っ子一人いない街中だったり、野山だったりと普段良く知る自分の世界の景色だったりする。しかしその中には、あからさまに現代ではない江戸時代の街の景色だったり、平安の都の街中やあるいは何処かの遺跡が復元でもされたかのような古代都市も含まれていた。
 頭の中であらゆる時代のあらゆる場所をぶらぶら旅しているような気分になる。しかし、体は相変わらず霧のかかった見覚えのある学校の前の通りにいるわけだ。この現象が猫の者の能力なのだろうかと、眉間に皺を寄せてじっとその流れて行く景色に意識を集中させた。門を出て直ぐに、動かなくなった俺を不審に思ったのか、柴田先輩が後ろからつついてきた。
「おいおい、入口で突っ立ってどうしたんだよ?」
「あ、ちょっとすいません。今、話しかけないでくれます?」
 そう言って片手を振り向かずに振ると、何かを察した綿抜先輩によって俺から引き離されたようだった。背後にあった柴田先輩の気配が遠ざかる。
「柴田くん!ダメよ、邪魔しちゃ!今、きっと伊吹くんは圭吾お兄ちゃんのことを探している所なんだからっ!」
「あ、そっか。わりぃ、わりぃ」
 穏やかな口調で強く言う綿抜先輩の言葉にはあまり迫力はない。
 声しか聞こえない二人のやり取りに気が散りつつ、何とか集中するよう心掛けた。通り過ぎて行く景色の中に、様々な気配は感じるものの、一番探したい梅景圭吾の気配にピンと来るものが中々ない。ただ、一点だけ気になる場所があった。何という確かな理由はないのだが、どうしても惹かれてしまう……そんな感覚だ。
 気づいた時には、ふらりと足が動いていた。
「青也様!」
 背後からシロの叫び声が上がる。それと同時に、背後へ強く引っ張られた。
「おわっ?!」
 引かれてハッとなり、背後を振り返った。シロが、心配そうは顔でこちらを見つめていた。
「どこへ行かれるのですか?何か、様子がおかしいようですが、大丈夫ですか?」
 シロに聞かれ、自分が無意識に歩き出していたことに気づいた。
「あ、ああ。ごめん、シロ。有り難う、大丈夫だ」
「どうした?」
 俺がシロに礼をのべていると、気づいた二人が歩み寄って来た。
「すみません。圭吾お兄ちゃんの気配を探っていたら、気になる方角を見つけました。そしたら、無意識の内にふらふら歩き出していたみたいで……。シロが止めてくなかったら、ちょっと危なかったです」
 はははと笑って頭を掻いた。そんな俺に、柴田先輩は呆れ気味にため息をつく。
「おいおい。大丈夫か?しっかりしてくれよ。ここじゃあ、伊吹だけが梅景センパイを探し出すことができるんだからさ」
「はい、気をつけます」
「とりあえず、大丈夫だったんだからいいじゃないの」
 のんびりと言って、綿抜先輩がほんにゃりと笑った。
「それで、気になる方角ってどっちだ?」
「あ、はい。あっちですね」
 聞かれて今も惹かれ続けている方を指さしたが、全てが白い霧に覆われていてどこがどうだか良く分からなかった。しかし、確かに何かが俺に訴えかけて来ている。
「……うーん。言われても良く分からないな。全方向同じ景色だと厄介なもんだな」
 目を凝らした柴田先輩だったが、白い霧しか見えず諦めて肩を竦めた。
「そうですね。でも、俺にはあっちが気になるので、とりあえず行ってみませんか?圭吾お兄ちゃんのことを探そうとして引っかかった方角ですし」
 そちらを指さしたまま言えば、柴田先輩も頷いた。
「そうだな。ここにただ突っ立っていても時間の無駄なだけだ。お前のその感覚を信じて行ってみるか」
 シロと綿抜先輩もその意見に同意し頷いた。
「分かりました。それじゃあ行きましょう」
 俺も頷き、先頭を切って歩き出した。
「逸れないでくださいね。じゃないと、今度は先輩たちを見つけないといけなくなりますから」
「分かった」
「わ、分かったわ」
 表面上はいつもと変わらない様子の柴田先輩だが、綿抜先輩と同じぐらい緊張していることがどこか硬い口調で窺える。まあ、二人だったら直ぐに見つけだす自信はあるけどな。多分、現在一番よく接している十三支の二人だから、気配が探りやすいんだと思う。シロに至っては俺の式神だから、問題はない。というか、おそらくシロの方がここには慣れているのではないだろうか。圭吾お兄ちゃんとも、来ていただろうし。
 歩く俺たちの足下を、濃く白い霧が覆い隠している。自分の足も見えないこの状況を、もし一人で当てもなく歩いていたら心細くてしかたないだろうなとぼんやり思った。猫の刻に迷い込んだ人たちは、そうした心細い気持ちの中であちら側から呼ぶ声が聞こえたら、きっと行ってしまうのだろう。そうして、二度と戻れなくなる。……考えただけでゾッとした。だったら、霧ではなく、もっと目に見える世界が広がっていればきっともっと安心できるのではないだろうか。
 そんなことを惹かれる気配を追いながらとりとめもないく考えていると、不意に視界が開けた。
「え?」
 思わず声を上げて立ち止まる。今まで霧に覆われていた世界が消え、足下にはアスファルトの地面が見えていた。慌てて周囲を見渡すと、そこは俺が幼い頃過ごした豊城のアーケード商店街の中だった。
「……これは、一体……」
 茫然として視線を彷徨わせる。
 左に見えるコロッケの美味しい精肉店、立ち読みをしても怒られなかったお爺ちゃんの本屋。いつも通学時に目の前を通ると、必ず元気に声をかけてくれた八百屋。角の駄菓子屋は、俺たち子供の溜まり場だった。何もかもが懐かしく、あの時のままそこに存在していた。ただ、誰も人はいない。無人の店先に生き生きとした新鮮な野菜や魚が並び、食事処からは良い匂いが漂っている。
「おいおい、なんだこれは?」
「あら?まだお店がたくさん開いていて、活気があった頃の豊城アーケード街通りじゃないの。懐かしいわぁ。今はもう、お店閉めちゃったけど、小学生の頃はあそこの角の駄菓子屋さん、良く友達と通ったなぁ」
 背後でも先輩たちが突然現れた商店街に驚いていた。しかしその驚き方は様々で、柴田先輩は訝しんでいるが綿抜先輩に至っては懐かしさに半分楽しんでいる。
……俺、絶対綿抜先輩だったらここでも、平気で生きて行けそうな気がするよ。
 アーケード街の道は果てがない様に見えるほど、どこまでも真っ直ぐ続いている。もちろん、本物の商店街はこんなに長くはなくきちんと入口から出口が見えていた。その果てのない先を見据える。強く惹かれる気配は、この先からしている。
「……どうなっているかは分かりませんが、圭吾お兄ちゃんの気配はこの先からしています。行きましょう」
 先輩たちを振り返り伝えると、それぞれ辺りを見渡していた視線を俺に向け頷いた。
「そうだな。ここがどうなっているのか良く分からねぇけど、今はそれしかないな」
「うん。久し振りに開いているお店を見れて、なんだか嬉しいな」
 もはや遠足気分の綿抜先輩に、俺はなんとも言えず乾いた笑いを浮かべた。
「綿抜先輩。俺たちの本来の目的、忘れてませんか?」
「もちろんよ!圭吾お兄ちゃんを助けるでしょ?こんな大切なこと、流石に私でも忘れないわよ。失礼ね」
 柴田先輩の言葉に、綿抜先輩が頬を膨らませ腕を組んで心外だと言いたそうに怒っている。
「いえ、覚えているなら良いんです。先を急ぎましょう」
「変な柴田くん」
――いえ、変わっているのはあなたの方です。
とは流石に言えず、俺は内心柴田先輩に同情しつつ前に向き直った。再び足を動かし、懐かしい商店街を歩いて行く。前を通りかかる際に開いた店の中を覗いて見るが、やっぱり誰もいない。
「……店が開いているのに、誰もいないなんて不用心だな」
 ついつい、本来の商店街を覗いて居るつもりでぽつりこぼしていた。この世界で不用心もなにもないよな。買う人もいなければ、それを盗もうとするけしからん人も存在しないだろうし。
 そんなことを考えながら、次に除いた入口の扉が開きっぱなしの定食屋で、俺は妙なものを目にしてしまった。ここもどうせ無人だろうと、何気なく覗いた。その視界の中に、空中で広げられた経済新聞が映り込む。
「……え?」
 その新聞は、風もないのに独りでにぱらりと捲れていた。まるで誰が広げた新聞を定食屋のカウンター席に座って読んでいるかのように。しかし、よくよく目を凝らして見ると、新聞を掴んで広げている黒く薄い影のようなものが見えた。薄い、人型の様な影が、経済新聞を広げて読んでいたのである。呆気に取られて暫くぽかんと眺めてしまった。
「……あらぁ。これは、凄いわね」
「影だけど、影猫とは違う存在みたいだな。敵意は感じないし、それ程力があるようにも見えないな」
「?!」
 急に背後から聞こえた二つのひそひそ声に、俺が驚き定食屋の硝子戸をガタンと鳴らしてしまった。足を止めて思わず定食屋の中を除くのに夢中になっていた俺の背後から、先輩たちも顔を出して中を覗いていたのだった。
 ピタリと、新聞を捲る音が止む。おそるおそる二人から定食屋の中へと視線を戻すと、影が新聞を退かしてこちらへ視線を向けていた。
「……」
「……」
 そのまま暫く見つめ合うこと数秒間。
「○×□。△○×××」
「……へ?」
「×××。○□×△」
「えーっと……」
 影が何事かを口にするが、俺たちには何を言っているのかさっぱり分からなかった。混乱する俺たちに諦めたのか、影は頭っぽい部分を左右に振ると視線を外して再び新聞を読む作業へと戻った。
「……先輩方、今なんて言ったか分かりました?」
 思わず二人に聞いてみたが、二人とも首を横に振った。
「いや、全然」
「私も。残念だけど何を言っているのかさっぱりだったわ」
 そう言って肩を竦める綿抜先輩。
「分からない方が、いいですよ」
 店を覗く俺たちから少し離れた所に立って、待っていてくれたシロが言う。その言葉に、三人揃って定食の前にかじり付いていた俺たちはシロの元へと戻った。
「分からない方が良いって、どういうことだ?」
 柴田先輩の問いかけに、シロが定食屋へと視線を向けた。
「彼らは、この世界の住民の様なものなのですが、この世界に住み着く者は皆、“こちら側”と“あちら側”どちらにも居られなくなった者たちばかりなのです。言ってしまえば、どちらの世界の誰からも忘れられた存在。行く場を無くし、この猫の刻に居場所を求めた者たちです。そう言った者たちの言葉を理解できるようになるということは、彼らと同じここの住人になるということ。それは即ち、どの世界からも存在を忘れ去られるとうことになります」
「それって、生きて迷い込んで、ここの住人になっちゃった場合は、元いた世界じゃいなかったことになるってこと?」
 綿抜先輩が首を傾げながら尋ねると、シロは頷き答えた。
「存在自体がなかったことになります。神隠しとか、行方不明などではなく、最初から生まれてさえいなかったことになるのです。ですから、誰もいなくなったことに気づかない。いえ、最初からいなかったことになるのですから、気づかないというのもおかしな話になるのでしょうか」
 シロの言葉にゾッとすると同時に悲しくもなった。間違って迷い込んだにしろ、ここへ最終的に流れ着いてしまったにしろ、その者たちは等しく望まずしてここの住人になったということだろう。そして、いなくなったことを誰にも気づかれることすら、もう一生ないのだ。
「何か、悲しいな」
 柴田先輩もそう感じたのか、定食屋を見つめたまま、ぽつりとこぼした。
 ふと、シロの話を聞いて思い出したばかりの記憶に、そんな話があったなと思った。
「……そう言えば、そんな話を圭吾お兄ちゃんから聞いたことがあります。猫の刻は、十二の刻から外れた余分な時間。だから、十二の刻に居られなくなった者たちが住み着いて出来ている場所だって。あちら側にも行けず、こちら側にも居られないそんな存在達が自分の一番住みやすい場所を作って、それらが付きつ離れつしながら目に見える世界を構成しているんだって。だから、様々な時代の様々な場所の一部分が入り混じった複雑な世界になっているんだそうですよ。きっとこれから、そんな世界を幾つも通り過ぎることになると思います」
 幼い頃、圭吾お兄ちゃんはよく自分の能力について俺に語って聞かせてくれた。多分、彼には予感の様なものがあったからかもしれない。いつか、俺が猫の能力を継ぐと。
「そっか。それで、この商店街も存在しているのか」
 俺の言葉に、柴田先輩が周囲を見渡した。
「この商店街も、昔この世界に迷い込んだか追いやられた誰かの記憶の一部なのね。さっきの定食屋の方にとっては、きっと商店街のあの定食屋の席が一番居心地のいい場所だったんだわ。商店街を知っている私たちの記憶が、きっとこの場所を呼び寄せたのね」
 綿抜先輩はそう言って柔らかな笑みを浮かべた。
「あの影以外はいないのかな?」
「いますけど、多分姿を現さないと思います。彼らはとても臆病で、恥ずかしがりやが多いですから」
 しばた先輩の言葉に、シロがそう言って目を伏せた。
「……先を急ぎましょうか」
 そう言って歩き出した俺に、何も言わず頷く先輩たち。そうして俺たちは影の住まう商店街を真っ直ぐ通り抜けたのだった。
 再び歩き出した俺たちの周囲を、様々な時代の景色が通り過ぎて行く。時には江戸の通りを歩き、甘味屋の店先でお茶をする影たちを横目に通り過ぎた。そうして狭い路地を曲がって出た先は石造りの建造物が並ぶ西洋の街の中だった。羽の生えた小さな影は、比較的人に興味があるのか俺たちの周りを飛び交って通り過ぎて行った。その石畳を真っ直ぐ歩くと直ぐに足が砂に埋まった。見渡す限り砂の山と谷に囲まれた世界。いつの間にか西洋風の街中から、砂漠の真ん中を俺たちは歩いていた。太陽の熱で陽炎が立つ炎天下の中を歩いているにも関わらず、少しも暑くなかった。遠くの景色の中を、ラクダの影が、誰かの影を乗せてゆっくりと歩んで行く。
「わかってても、なんかやっぱり驚くな。これだけ色んな景色が次から次へと展開していくと。後、暑くないけど視覚だけで暑苦しいな、この世界は」
 そう言って歩きながら、首の辺りのシャツを引っ張って風を送る先輩に苦笑を浮かべた。
「うわぁ!凄い!何だか、色んな所を一気に旅しているみたいで素敵ね。私、猫の刻のこと好きになりそう」
 げんなりする柴田先輩とは打って変わって、綿抜先輩は楽しそうにはしゃいでいる。対称的な二人の反応に笑いをかみ殺しながら、俺は歩き続けた。
「そう言えば、聞き忘れてたけど、いくら臆病とは言え、迷い込んだ人間を中には襲う類のものもいるんじゃないか?」
 柴田先輩の疑問に、俺は前を見たまま首を左右に振った。今はもう、俺たちは何処か懐かしい片田舎の田んぼ道を歩いていた。夜の景色のようで、空には星々が瞬きあちらこちらから聞こえる虫の鳴き声が心地良い。
「大丈夫だそうですよ。この刻に住み着く者たちは本当に臆病な性格の者がばかりだそうです。だから、あちら側にもこちら側にも馴染めずこの漂うような、ゆったりとした世界に居ついてしまうんだとか。もし、人を襲うだけの度胸があれば、あちら側の存在になっているだろうって言ってました。……でも、それとは逆で、どんなに願っても十三支に助けられない限り、“こちら側”には帰れないんだとも言っていました」
「そっか……」
 俺の言葉に、柴田先輩の声のトーンが落ちる。重くなってしまった空気を掻き消すように、俺は努めて明るく話を続ける。
「あ、でも、悪戯好きは結構多いそうなので、気をつけた方がいいですよ。何かの拍子に、ちょっかいをかけてこないとも限りませんし」
 そう言った傍から、背後で「ぎゃっ!」という柴田先輩の悲鳴が聞こえた。それと同時に、俺の足の間をするりと何かが通り抜けて行った。
「い、今!お、俺の足の間を何かが、何かが通り抜けて……!」
 あれだけ影猫に対して強気に出れる人が、こういう得体の知れない者からの不意打ちには弱いんだな……。
「大丈夫ですよ、柴田先輩落ち着いて。ただ、通り抜けただけです」
「お、おお!そ、そんなこと分かってるよ!ち、ちょっとびっくりいしただけだって」
 振り返って宥めれば、思い切り引きつり笑顔で動揺する柴田先輩がそこにいた。
……もしかして、柴田先輩って心霊とか怪談が苦手なタイプか?
 そう思って内心ニヤニヤしていると、綿抜先輩があっさりばらしてくれた。
「何、何?お化け?うふふっ。柴田くんって、本当にそういうオカルト系に弱いわよね。心霊写真特集の雑誌なんて、見てると窓から捨てるし。お化け屋敷にも一度も入ったことないって言っていたわよね」
 へぇ、そうなんだ。ちょっと面白いこと聞いたな。今度の文化祭の出し物、お化け屋敷を提案してみようかな?そんで、先輩を誘ってみよう。きっと先輩のことだから、ちょっとかまをかければうっかり行くことに乗って来るはずだ。
「でも、やっぱり妙なものよね。そういう嫌いな人の所に限って、嫌いなものが当たることが良くあるものなのよね」
 もう、俺は笑いをかみ殺すのに必死だった。綿抜先輩に悪気は全くないのだろうが、先程の先輩の言葉を聞いた時の柴田先輩の顔をいったら、この世の終わりのような表情を浮かべていた。
「ば!そ、そんなことねぇよ…ですよ!先輩!い、今のは偶然です。偶然!きっと、草か何かが風で飛んで来ただけですよ。うん、そうだ、そういうことにしよう」
 すっかり動揺して、口が上手く回らなくなっている。まあ、こんな何が出て来てもおかしくない世界でそんなことを言われては、柴田先輩が泣きたくなるのも頷ける。なにせ、襲ってこないとは言え、この世界に住む住人は殆ど幽霊等と同じような存在だからな。柴田先輩、何もしない影は大丈夫みたいだったけど。
「あ、ほら。そんなことより前任者の猫の人ですよ!い、伊吹。そろそろ、見つかりそうか?」
 話を振られ、俺は話題を変えようと必死な柴田先輩に内心吹き出しつつ頷いて答えた。
「ええ、だいぶ近いと思います。そろそろ、何か見えてもいいと思うんですが……」
 そう言って周囲に気を配る。笑っているのを誤魔化すために言ったわけではない。確かに惹かれる気配が近いことを俺は感じ取っていたのだ。
 そうして一歩、土が剥き出しの畦道から足を下ろした先が、玉砂利の敷かれた白い道の上へと変わる。そこで俺はピタリと足を止め、足下へ走らせていた視線を上げた。視界に広がったのは、古びた縦横五十センチ程の小さな社の建つ神社の境内だった。周囲をぐるりと茂る木々に囲まれている。おそらく、何処かの林の中に建てられているのだろう。
「……ここは……」
 ぽつりと、シロの口からが悲しいような懐かしいような思いの籠った声がこぼれ落ちる。シロばかりではない。ここは、俺にとっても懐かしい場所だ。
「ああ、そうだ。ここは、俺と圭吾お兄ちゃん、それにシロとクロが初めて出会った家の近所の神社だ」
「どうしてここがこの世界に……まさか!」
 ハッとしたシロに、振り向き俺は頷いた。
「この場所を知っている何者かが、この世界に長く留まるため一番居心地のいいここを作ったってことだ。猫の刻、俺たちが初めて出会った神社。そして、圭吾お兄ちゃんのことを探していて、何故か俺が惹かれた場所とくればここには――」
「――そうだ。圭吾様はここにいる」
 俺の問いかけに答えたのは、少年の声だった。社の後ろから姿を現した少年は、何時ぞや俺を襲った時の豊城学校の制服に身を包んだクロだった。襲われた時は事態が事態だったし気づくことが出来なかったが、改めて見るとシロにそっくりな容姿をしていた。ただ違うのは、あの時も気が付いたオッドアイの瞳の色が逆なことだ。
 クロの声の調子は殺意に洗脳されているとは思えないほど、恐ろしく静かだった。しかし、その片手には一振りの小さな刀が抜身のまま握られていた。

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