昔語りを

文字数 4,422文字

 ウェルテ国は、度々花に例えられる。建国の祖が女王であったことが第一に、地図を見れば国土が花弁を広げたような形をしているのだ。中央に位置するサリスベリー領を取り巻く二公二侯で四つの領地(シノン)、更にその外を八伯の領地が取り巻いている。
 サリスベリーの中央、正に国土の中心にあるのは、壮麗な王宮を頂いた王都ゲートスケルである。
 フィデルが王都を訪れるとき、真っ先に立ち寄る場所があった。夏の盛りを迎えて花々が咲き乱れるその場所は、湖畔にひっそりと建ち、在りし日を現在に伝えている。
 曾ての砦は、初代女王の墓標となっていた。
 当初は功績を讃え、立派な陵墓が築かれる予定だったようだが、当人が抵抗したらしい。
 そんな無駄な物を造る予算があるなら他に回せ。どうしても墓を大きくしたいというのなら、もう使い道のないあの砦で充分だ。
 そんなふうに啖呵を切って、見事に実行したのである。後にその顛末を聞いたときは、アルクィン伯と二人、大いに笑ったものだった。
 斯くして英雄王と諡された初代女王は、正しく建国の礎として、砦の地下に埋葬されている。しかし、無駄だからというのは、建て前でしかないのだろう。ここは、彼女が娘時代を駆け抜けた場所だ。
 国母になるのだと、強い眼差しで決意を固めた地。
 ホールに掲げられた英雄王の肖像を見上げていると、俄に表が賑々しくなり、間もなく小さな人影が二つ、飛び込んでくる。賑やかな彼らの声に振り向いて、にこやかに敬礼するのが慣例となっていた。
「ご無沙汰しておりました、アデライン殿下。トラヴィス卿もお元気そうだ」
「フィデル卿がお出でだと聞いて、飛んできました」
 迎えに来ないといつまで経っても来ないんだもの、と小さな姫君は腰に手を当てて大仰にため息を落とす。その横で、彼女の兄代わりを自認しているトラヴィス卿が苦笑を浮かべている。
「それはご足労をおかけしました」
「すみません、フィデル卿。ちゃんと待っていようって言ったんですけど」
 済まなそうに眉尻を下げて、トラヴィス卿はホールの奥へ視線を向けた。
「お話しはお済みですか?」
「お気遣いを有難う。今更、語ることもないさ」
 生前に散々やり合ったからね、と悪戯っぽい笑みを浮かべて、フィデルはアデライン殿下の前で膝を折った。こくりと小首を傾げた姫君は、肖像の人とよく似た面差しをしている。
「ますます、初代に似てきましたね、殿下」
「見た目が?」
 ませた仕種で肩を竦めてみせる彼女に失笑して、フィデルは「いいえ」と目を細める。
「願わくは、もう少しお淑やかにしていただけると。初代の頃は、それはもう苦労致しましたから」
「大丈夫よ、自ら先陣を切って戦場に立つようなことは、ないと思うもの」
 可笑しげに笑って、彼女は両手を広げてフィデルに抱き着いた。
「ようこそ王都へ、フィデル卿。今回は、いつまでいるの?」
「そうですね、二、三日は」
お屋敷(タウンハウス)へ遊びに行っても良い?」
 ぱっと離れて、キラキラした眼差しを真直ぐに向ける。そんな所も初代にそっくりで、何だか可笑しい。
「サリスベリー公がお許しになったら」
 絶対に説得するわ、と嬉しげに踵を返して、姫君は小さな手を差し伸べた。
 そんな出来事も、ヒトの時間では遠い昔のこと。
 すっかり大人の女性へと成長した彼女は、謁見の間にて玉座に収まる老王の傍らに控え、楽しげに目をキラキラさせている。
「大きな災禍とならず幸いだ。それでは、支援は必要ないのだな?」
「はい。陛下の御心づかい、有難く存じます」
 ほうっと息をついて総身の力を抜いた老王は、肘掛けに頬杖ついて、にやりと唇の端を引き上げた。
「ところで、それはどうした心境の変化かね?」
 仕立ての良さだけが取り柄の、何の飾り気もない衣装を好んで身に着けていたはずのシャフツベリ侯爵が、決して派手に飾り立ててなぞいないのに、何処か華やかな印象をした衣装を身に着けているのだ。長年彼を見てきた老王の目には、興味深く愉快な出来事に映るのだろう。
 はぁ、と曖昧に応じるフィデルに、アデライン殿下が吹き出す。振り仰いだ老王へ「失礼しました」と頭を下げて、彼女は愉しげに言葉を添えた。
「丁度、わたくしがオルグレンにいる頃に、発端の出来事と遭遇したものですから」
 我知らずため息が零れて、吐き出す言葉にも苦さが混じる。
「うちのテーラーたちに、反旗を翻されまして」
 最初に提示されたのは、それはもう有り得ないほどに華美な衣装だったのだ。
 フィデルが撥ね付けることを想定して、盛大にデザイナーが遊んだのだろう。確かにシャノンの作る物を目にするのは好きだけれど、自分で身に着けるとなると話は別である。
 そうして徐々に装飾を削いでいった図案を前に、まんまと策略に引っ掛かったというわけだ。でなければ、こんなシャノンこそが似合いそうな代物なぞ、自分で選ぶはずがない。
 第一、リリエンソール博士やその他顧客たちを見ても、きちんと個性を配慮した意匠が出来るはずではないか。
 そう苦言を口にしたフィデルに対し、友人は「依頼人の意向に添っただけ。因みに、依頼人は親方な」と、しれっと言い放ってくれたのだ。おまけに、そもそも似合わない物なんて提案しないと断言された。……そういう問題ではない、と言いたい。
 そんな顛末までは知らないアデライン殿下は、可笑しげに目許を笑ませた。
「どうやら彼らは、フィデル卿を着飾りたくて仕方なかったようなんです」
 確かに地味だったものなぁ、と苦笑して、老王は愉快そうに片眉を持ち上げる。
「なかなかどうして、よく似合っているではないか」
「そうですよね、素敵です」
 私を幾つだと思っているんですか、と呆れ顔のフィデルに、二人は視線を交わらせて同じ表情を浮かべた。
「確かに我らより年嵩かもしれないが、竜族(ドラゴン)の基準ではまだ若者だろう」
「そうよ、長老ぶっていないで、もっと相応しい格好をするべきだわ」
 わたくしたちの身に着けるものは権威の象徴なんでしょう、と小首を傾げ、アデライン殿下は魅力的に笑う。
「見劣りのする王に仕えたいと思う者はいない、と仰ったのは、フィデル卿よ?」
 確かに言いましたが、とため息混じりに吐き出す前で、老王が軽く眉を持ち上げて孫娘を見遣った。
「おまえも説教されたのか。私も、遥か昔に同じ説教をされたぞ」
「仕方ないですよねぇ? お祖父様。わたくしたち、あの英雄王の子孫なんだもの」
 質実剛健が家訓だからなぁ、と頷きあう二人に、フィデルは苦りきった表情を隠しもしない。
「ですから、どんどん私の衣装が地味になっていったんでしょう。臣が王より目立ってどうするんです」
「おや、そうだったのか」
「私も、昔は幾らか年相応でしたよ。建国以前は」
 とはいえ、流石にここまで洒落たのを着ていた記憶はないけれど。それはそれ、時代背景という奴だ。その時々に流行があるのだから、ということにしてもらいたい。
 内心の言い訳を隠しながら、しれっと応じたフィデルは、そのまま退室を口にした。

  ◇◆◇

 見上げる肖像の人物は澄ました顔で、楚々と収まっている。
 この絵を描かせた当時、後世の子孫に大層麗しく淑やかな人だったのだろうと夢想させるのだ、と笑っていたのは、今となっては内緒の話。見事に目論見は外れて、彼女は彼女のまま、語り継がれている。
 そもそも彼女の盟友たる生き証人たちがいるというのに、そんな見栄が通用するはずがないだろうに。
「やっぱり、こちらでしたか」
 聞こえた声に振り向くと、トラヴィス卿が颯爽とやってくるのが見えた。すっかり立派な青年へと成長した彼は、フィデルの全身を一瞥すると穏やかに笑う。
「それが例の衣装ですか? フィデル卿に、良くお似合いですね」
「私としては、なんとも気恥ずかしい限りだけどね」
 何かあったかな、と水を向けると、静かにかぶりを振る。そうして、並んで立つと肖像を見上げた。
「フィデル卿にとって、ヴィクトリア陛下はどんな人だったんですか」
「盟友だね」
 あっさり答えると、果たして彼は僅かに言い淀んで、結局口を開く。
「……アリーナが、なんだか意味深だと言うんです。フィデル卿も故郷へ帰れば、いつか国を治める立場になるのでしょう? 留まってくださるのは有難いけれど、何かあるんだろうかって。私も、上手く言えないんですけど」
 いつか、不意にいなくなってしまうのではないかと、無性に不安になることがあったらしい。序でに、アデライン殿下が小さな頃から、時折フィデルの表情に何か感じるのだと、言いにくそうに続ける。
 思わず苦笑が浮かんで、肖像の人物へ視線を向けた。
「盟友でしか、ないんだがなぁ。ジェインとの出会いは、なかなか面白かったけれど」
 あの時代に於いて、臆せず剣を携えることを選んだ女性だ。面白いと思うと同時に、酷く興味を引かれたのである。当時巻き起こっていた宗教戦争は気に喰わなかったし、彼女の主義主張には賛同できると思った。だから手を貸して、結局この国に留まることになった。
「なりゆきなんだけどね。強いて言うなら、彼女が私の戦友と、同じ目をしていたから、かもしれないね」
「戦友と言うと……」
「かの偉大な、世界唯一の魔術士殿さ」
 これは内緒だよ、と悪戯っぽく笑って、実現すべき未来を語る姿を思い出す。
 その強い眼差しが曾ての魔術士と重なって、彼女の傍でなら、あの頃聞いた理想を実現できるのではないかと思ったのだ。
「この手を取らないと決めたのは彼女だったから、私は私で、出来ることをしようと思っただけさ。それだけのことだよ」
「……それって」
 ロマンスではないよ、と笑って、踵を返す。
「さて、戻ろうか」
 歩き出すと慌ててトラヴィス卿は従って、物言いたげな眼差しが、ちらりとフィデルへ向けられる。
 始まりもしなかったことだから、確かにロマンスではないのだ。そもそも、フィデルは彼女へ何も告げなかった。
 国母にならねばならないのだ、と。
 この手を取るのがあなただったら良かったのに、と言ったその口で、きっぱりと彼女は拒絶した。フィデルとしては、敬意を示して黙するしかないだろう。そもそも、婚礼の前日に言うことではないだろう、と当時は呆れもしたけれど。
 その彼女の国は立派に育って、けれどまだ成長の余地はある。まだまだ、シャフツベリでさえ、目指す先には届いていないのだ。
「安心していいよ、まだやりたいことも、やらねばならないこともあるからね。もう暫くここにいるから」
 はい、と頷いて、トラヴィス卿はほっとした様子で表情を緩める。それを見遣って、彼は可笑しげに笑ったのだ。

〈了〉
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