前日譚

文字数 3,133文字

 先代氏族長(チーフテン)ブランドン・マロリーは、俺にとって二人目の父だった。
 肉親を戦で亡くし、身寄りのない俺たち兄弟を引き受けてくれたのが、彼だったのだ。一番下のまだ幼かった弟は、望まれて子のない夫婦の元へ養子に出した。妹は年頃になるまで一緒に氏族(クラン)で世話になり、縁を得て嫁がせた。
 それを見届けた俺は氏族長に願い出て、正式に氏族へ名を列ね現在に至る。
 現氏族長ラッセル・マロリーは、尊敬すべき兄貴分であり、精一杯盛り立てていきたい人だ。先代の姓を名乗っているが、血縁ではないらしい。当人が言うには、大昔に先代に拾われて、その時に新たな名をつけられたそうだ。シャフツベリ氏族はその性質上、見た目年齢の若い者が多い。その中にあって比較的年嵩の見た目をしており、実年齢はあの黒竜よりも幾らか上らしい。
 今はもう儚くなっている血を分けた妹弟は勿論、敬愛する歴代氏族長や、氏族のみんなは大切な家族なのだけど。子供の頃に憧れて、ああなりたいと願ったのはただ一人。
 燃えるような赤い髪を風に踊らせて、愛しげに壊れゆく世界を見ていた、あの人だけだ。

  ◇◆◇

 さてどうしようか、と。賑わう駅舎からごちゃごちゃとした街並みを眺めて、マーシャルは軽く溜息を落とした。
 なにぶん、幾度となく隔壁の拡張を続けてきた古都のこと。すっかり迷路のようになってしまった町並みは、馴染みのない者では間違いなく迷ってしまう。今では、キッシンジャー名物とまで揶揄される始末だ。獣型ならいざ知らず、人型では嗅覚も人並みでしかなく、地道に地元民に目的地を訪ねて歩くしかないだろう。
 所はレヴィン国キッシンジャー。渾沌としていた大戦の時代より中立国を主張し、現在までそれを堅持し続けている唯一の傭兵国家である。
 その中枢は他国と同様に長命種が牛耳っており、キッシンジャーは曾て、オズワルド率いる傭兵団と双璧をなしていた、レヴィン国軍の駐屯地だった街でもあった。
 現在はその頃の名残りもなく、古い時代の面影を残す街として知られる程度。街の拡張と共に増えた隔壁は、現在では五枚になっているそうだ。一番古い隔壁の内側が一等地となっていて、貧しい者と新参者は一番新しい隔壁の外側に住んでいる。
 新しいといっても建設されたのは数百年前であり、隔壁の大扉も現在では開かれたままなのだそうだ。そもそも、現在では魔獣の被害も稀となり、街を覆う隔壁自体が珍しい。
 そんな場所へ何故、遠路遥々マーシャルがやってきているかといえば、キッシンジャー氏族より問い合わせを受け、氏族長の名代として訪ねるところなのだ。常ならば電信や郵便を利用するところだが、今回ばかりは少々都合が悪く、彼が直接鞄に詰めて運んできたのである。
 断っておくが、一応危険物ではない。
 ここまでは、最近新たに開通した蒸気機関車を乗り継いで、恙無く辿り着けたのだけど、なかなか大変な道程だった。暫く旅は遠慮したい所存である。……帰りも、同じだけ時間をかけていかねばならないのだけど。
 それでも遥か昔を思えば、随分と旅はし易くなった。長距離を結ぶ交通網の発達は、近代文明の恩恵といえようか。飛行船の方がもっと快適ではあるけれど、そこはそれ、懐具合との相談である。徐々に本数が増えてきたとはいえ、課題は山積していると聞く。空を行く旅は、まだまだ庶民層には高嶺の花だ。
 閑話休題。
 キッシンジャー氏族の詰所は、確か第二隔壁の内側だったか。
 取り敢えずそこまで行ってみよう、と歩き出したマーシャルは、行き交う人波の中、懐かしい横顔を見つけて瞠目した。
「シャノンさん!」
 ふと足を止めて振り向いた彼は、マーシャルに気付いたのか、軽く眉を持ち上げた。
「あれ? マーシュ? え、本当に?」
 えええ、久し振り! と駆け寄ってきた姿は、記憶の中と少しも変わらない。濃い鳶色の髪と、淡褐色の少し大きめの目。手足の長い痩身は、ともすると貧弱に思われがちだが、これで強靱な肢体の持ち主だったりする。
 身に着けた物は洒落ていて、彼の整った容貌には嫌味なく似合っていた。昔も何となく感性の良さが窺えていたが、そちらも相変わらず健在らしい。
「なんでここにいるの? 元気そうだな。ラスはどうしてる?」
「遣いで、キッシンジャー氏族へちょっと。御蔭様で、氏族長も変わりありません」
 あぁ、と何やら察した様子で相槌を打って、シャノンは表情を曇らせた。
「ブレントのこと、噂に聞いてる。顔出せなくて悪かった」
「いえ。あの当時は、こちらもごたごたしてましたから」
 来られても困りましたから気にしないでください、としれっと告げると、果たして彼は可笑しげに笑う。そうして、マーシャルを促した。
「この街、ごちゃごちゃでよくわからないだろ? 連れてってやるよ、何処?」
 有難うございます、と書き付けを示してみせると、了解したように頷いて、迷いのない足取りで歩き出す。
「助かりました、キッシンジャーは初めてで。こちらに住んで、長いんですか?」
「いや、度々来てるんだよ。中立国最古の銀行がここにあって」
 何かと便利なんだ、と飄々と告げる。どうやら最近辞職したらしく、資産整理で二、三日前にやってきたらしい。
 そういえば件の銀行は、各国の大きな街に支店を持っているのだと思い出す。聞いた話では、顧客となれば機密厳守で漏れることはなく、中立国は一貫して徹底した態度を貫いているのだ。マーシャルでは全く縁がない話だけど、資産を持っている長命種には有難く頼もしいことだろう。
「何処かで働いてたんですか? そんな感じで、ずっと?」
「うん、そう。針仕事覚えたら、なかなか楽しくてさー。あちこちで親方について修行させてもらって?」
 これも俺が縫ったの、と身に着けている衣服を摘むさまに、マーシャルは目を丸くした。
「え、それを? 凄いですね、名のあるテーラーにいたんですか?」
「いやー、この数年はドレス作ってた」
 ちょっと疲れたから暫くはのんびりしようと思って、と苦笑する。何となく、ひっそりと隠れ潜みながら世界を渡っているのかと想像していたのだけど、どうやら堂々とあちこちへ潜り込んでいたらしい。
 近況を話しながら幾つか隔壁を過ぎ、目的の場所へ辿り着くと、シャノンは向かいのカフェを指した。
「俺、そこで時間潰してるからさ。終わったら声かけてよ。夕飯一緒に行こう」
「いいんですか?」
「いいも何も、ここ宜しくない店も結構あるんだよ。折角来たんだから、美味いもの食べさせたいじゃん? あ、そうだ。宿はどうした? まだなら俺確保してるから、来る? 今から程度のいい所探すと手間だし、ベッド一個空いてるから」
 黒竜が治めるシャフツベリならいざ知らず、世間はそれなりに治安が悪い。それが渾沌と人の集まる場所なら尚の事、自衛はし過ぎるくらいで丁度いい。幾度もこの街へ足を運んでいるというのなら、ここは素直に頼った方が良さそうだ。
 何より、まだこうして当たり前に世話を焼いてくれることが、何となく嬉しい。氏族の中では既に古参で、普段は頼られるばかりだから。
 お願いします、と頭を下げると、シャノンは頷いてひらり手を振った。
「じゃ、後でな」
 はい、と踵を返すシャノンを見送って、ふとオルグレンへ来る気はないのだろうか、と疑問が浮かぶ。彼が姿を消したのは、最初に宣言していた通りの行動なのだろうし、特に隔意があるふうでもない。
 後で声をかけてみようか、と。
 何となしに考えながら、マーシャルは呼び鈴へ手を伸ばしたのだ。

〈了〉
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