文字数 2,093文字

 俺の生家は下級貴族としてはよくある武家で、祖父は祖国で軍事顧問をしており、その息子たちも残らず軍部へ所属していた。その中でも父は武勇で突出し、将軍を拝命し数々の軍功を立てた後、王族の末席にいた姫を娶ったのだという。
 長兄は誰よりも父に似て、跡取りとして順調に功績を重ね、次兄はその予備(スペア)として、着実に名を知らしめていた。
 良い息子たちを得たものだ、と誰かに言われるたび、父が誇らしそうにしていたことを憶えている。俺はそんな家の、予備にもなれない末子で、ただ対外用の道具としての価値しかなかった。
 そんな道具であっても、俺は兄たちと同様に育てられた。
 日々課せられる鍛錬は厳しく、殆ど機械的にこなしていた。けれど座学に興味の薄い兄たちとは違い、俺だけは黙々と何かを読んでいたような記憶はある。
 兄弟の中で唯一、祖父の書斎へ入り浸ることが許されたのも、俺だけだった。そうして時折、祖父と様々なことを語り合う。
 父は早々に俺に対しての興味を失ったようだし、兄たちも同様だったのだろう。彼らに遮られることのない、閉ざされた世界の中で祖父の講義は多岐に及び、幼心に妙だと思ったものだった。
 世界のこと、この国のこと、他国のこと、政治や経済、学術について。思い付いたことを思い付いただけ、自由に語るそれは楽しかったけれど。
 おまえが、もう少し早く産まれていればな。
 ある日、ぽつりと零れたその嘆きが全てなのだろう。結局、俺は生まれ順の所為で、戦わずして負けたのだ。物心つく前には決まっていた婚約も、道具の有効な活用法でしかない。
 けれど、それはありふれたことに過ぎないのだ。嘆いて何かが変わるわけでもなく、反抗が新たな状況を生むことは、まずない。
 粛々と全てを受け入れて過ごすことが、最も利口なことだと信じていたのだ。もし何かしらの転機が訪れるとすれば、実家を出てからのことだろうと思っていたから。
 婿に入るはずだった家系は、代々魔女の術を研究開発している名家だ。義両親となる人たちは温かい人柄で、その一人娘も気立ての良い穏やかな人だった。彼らとの関係は良好であり、幼い頃から通う屋敷は珍しい物に溢れていて、夢中になるのに時間はかからなかった。おそらく、こちらの方が性に合っていたのだろう。
 長じた俺は研究職を選び、国立の研究所へ出入りするようになった。
 それについて父は何も言わず、兄たちは仕方がないと笑ったようだ。武勇こそが全ての価値観の中心にあるような彼らに、俺は理解し難い異分子だったのだろう。どうせ外に出すのだからと、割り切っていたのだと思う。精々、先方に気に入られる道具であれば、彼らは満足だったのだ。
 研究所で従事する毎日は、淡々としていたが楽しかった。周りには知識欲を満たしてくれる、あらゆるものが揃っていたし、意見を戦わせる人間も事足りていた。外の世界は祖父との閉ざされた世界に似て、漸く深呼吸できたような気がしたのだった。
 こうして外に触れ、少しずつ実家から荷物を移していった俺は、婚家へ入り浸ることの方が多くなっていった。職場に近い、と尤もらしく言い訳していたが、結局は早く実家から離れたかったのだ。既に祖父の亡いあの家は、俺にとって息苦しい場所だと気付いてしまったから。
 そうして過ごす日々は、ただただ穏やかで、きっと幸せとはこういうことなのだろうと、ぼんやり考えていた。そうしてこのまま、傍らにある人と共に、ゆるゆると歳を重ねていくのだろうと。
 けれどあの日、全てが狂ってしまった。
 何が起きたのか、どうしてそうなったのか。その時の俺は知る由もなく、ただ呆然としたのを憶えている。続いて襲いきたのは、底のない絶望。
 朝は、いつもと変わりなかった。明日が楽しみだとはにかむ婚約者とは、お互いの職場へ向かう小道で別れたのが最後だった。同僚に冷やかされながら仕事をこなし、いつものようにくるくると働く。その合間に、中庭で顔見知りの女の子と立ち話をして。
 そういえば、何故いつも彼女がそこにいたのか、何処に所属していたのか、あの日まで疑問に思うこともなかった。今思えば、余りにも毛色の違う容姿。たまたま少し言葉を交わして、それから自然と挨拶をするようになった。ただ、それだけの人だったから。
 そうしてそれが起こったのは、まだ日も沈む前のこと。
 あの惨状の中で、どうして生き残ったのか。それだけは今でも良く判らない。他にも息のあった者はいたかも知れないが、間もなく事切れたのだろう。その時の俺は資料室にいて、気付いた時には瀕死の重傷を負っていたはずだった。一度意識を手放したその直前、このまま死ぬのだろうと、諦めにも似た感慨の中で、憶えているのは断片のみ。
 煩いノイズの中、誰かの嘆きが聞こえる。
 慟哭は血を吐くような悲痛に満ちて、瓦礫の向こうに見える灰色の空に谺していた。凍えるような寒さの中で頬に落ちる熱と、最後に目に飛び込んだ白銀。
 世界はその日、壊れてしまった。そうして、その日を境に、俺の人生は一変したのだ。
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