第6話  好きの理由

文字数 3,441文字

━━流石に冷蔵庫はからっぽになった。

そもそも、あまり作り置きや、〇日分の食材など入れない。
冷蔵庫の中で腐らせてしまうからだ。
あると安心して残そうとしてしまう。
まだあるという安心感で、気がついたら腐らせてしまうから。
使い切りだけにする癖をつけた。
あまり食べる気にもならなかったけれど、お腹に何か入れなくてはという、生存本能は恥ずかしくも健在だった。
無意識に買い物しようと財布を取り出す。
パジャマにカーディガン。
その上にコートを羽織り、ドアを開け、あんなに怖がっていた外に出た。
人間、お腹が空くと大胆になることが多い。
極限状態もよいしょしているのかもしれない。

□□□□□

「黒田くん、いいかい? 」
「はい? 」
「奏以くん、連絡取れた? 」
「あ、それなら蛯名と華代に見舞い頼んだんですよ」

部長が眉間に皺を寄せる。

「どうかしました? 」
「……いやね? 華代くん、今日来てないんだよ。何か聞いてない? 佐藤先生の件終わってないのになあ」

心底困った顔をしていた。

「佐藤先生って、児童文学作家の佐藤和宏先生ですか? 華代が取材してたのは知ってましたけど、何か? 」
「同期の黒田くんにならいいかなあ。あのさ、取材は終わってるのよ。問題はね、『取材内容に嘘があるからって書き換えちゃった』わけ。リークされた情報から、色々調べちゃってさー。ちょっと揉めちゃってるの」

黒田は溜息をついた。
華代は見た目が派手な割に、かなり堅物だ。
曲がったことが嫌いで、言い合いをしていることもしばしば。
世間話をしているときはあんなにもフランクではあるけれど。

「ヤバい感じですか? 」
「……訴えるって言い出しちゃってね。そんなに知られたくないことなのかなあとは思うんだけどさ。華代くん、『記事にしないならギャラなしで』って言っちゃて、佐藤先生は『迷惑料として支払え』って」

黒田も眉間に皺を寄せた。

「面倒な先生ですね。どんな内容とか分かりますか? 」
「内容って言うか、先生の作品が『ある事件』とあまりに酷似する内容らしくてさ。その事件ってのがね、先生の地元なんだよね。ニュースになっていないもので、地元新聞の小さな記事としか、ね」
「もしかして……華代は先生を犯人扱いした、とか? いや、流石にないか」
「いや、まさにそれ。根拠はあるかもだけど、資料提出してくれてないからさ。その相談したかったの」

黒田はうなづいた。

「ちょっと掛けてみます」

スマホを後ろポケットから取り出し、華代の番号を呼び出す。

━━━……電波のない場所にいるか、電源が入っていないため、通話をお繋ぎできません。しばらく経ってからおかけ直し下さい。

「……電話、つながらないですね。この時間に電源切るようなヤツじゃないんですが」

黒田の背中にゾワリと嫌な寒気が走る。

「え、蛯名は──! 」

後ろを向くと同時にガタリと2つ向こうで人が立ち上がった。

「はーい! 呼びましたー? 」

茶髪天然パーマが揺れる。
いつもと変わらず、元気なようだ。

「ちょっといいか? 」

返事の代わりにこちらに歩いてくる。

「どうしたんですか? 」

きょとんと小首を傾げた。

「昨日の、まだ聞けてなかったろ」

あっと言う顔をする。

「すっかり! 」
「蛯名くん、華代くんとお見舞いいったんだって? 」
「あ、部長! お疲れ様です! はい、行ってきました」
「どう? まだ具合悪そう? 」

蛯名は少し悩んでから答える。

「そう、ですねえ。あまり顔色は良くなかったように思います」

慎重に言葉を選ぶ。
迂闊に悠華ともかが情緒不安定であることを告げる訳にはいかない。
こんなに親身な上司も居ないだろうが、社会人としての何たるかを問われてしまう。
不測の事態ではあるが、不安を煽る言葉は避けるべきだろう。

「あ、やっぱりインフルエンザか何かかなあ」
「そ、そうですね。寝込んでらっしゃるので中々行けないようです。いざとなったらタクシー呼んで連れていきますので」
「そうなの? 心配だね。奏以くんいないと困っちゃうからさ。ちょくちょく行ってあげてね」

取り敢えず納得してくれたようだ。

「はい! お任せ下さい! 」
「華代くん移っちゃったのかなあ。心配だなあ。でも、社会人の自覚は持ってもらわないとだよ」
「はい、そちらも」

部長は、チラチラこちらを見ながらデスクに戻っていく。
蛯名も移ってないか心配なのだろう。

「私は元気でーす! 」

うんうん頷いてくれた。

「……華代さん、電話出ないんですね。お話は向こうで」

黒田は頷き、蛯名を伴い、給湯室に連れ立つ。
蛯名が先に小走りで入っていく。
コーヒーメーカーをセットすると、後から入ってきた黒田に向き直る。

「昨日は──」

怯え切った悠華。
電源を入れた瞬間、溜まったDMと共に入った新規のDM。

「奏以さんに嫌われたくないなら犯罪を犯す真似はしないとは思うんですけどねえ」
「わかんねえよ。追い詰めてるって自覚ねえんだろ? 」

黒田は居酒屋の一件を思い出し、身震いする。あの目は本気だった。

「華代のスマホに掛からないんだぞ? 」
「不思議ですよね。狙うなら私だと思いません? 」

華代は、女性としては背が高い方で、蛯名は小柄な部類に入る。

「男ってのはわかんねぇぞ? 細っこいどこにそんな力があんだよってヤツはザラにいるからな」
「そうなんですか? 流石、スポーツやってただけありますね」
「おまえは俺をからかいたいのかけなしたいのか……」
「褒められていない自覚あったんですね」

イマドキ女子の姿をした策士がそこにいた。
情報収集はお手の物。
見た目の軽さはカモフラージュとでも言うかのように見事に采配する。
強引に押し進めてもそうは思われない。

対して華代は、見た目の派手さからやることも派手。無茶も通す豪腕ぶり。
いい意味で真っ直ぐなやり方を押し通す。
その為、先程のような揉め事も絶えない。

「……弱みを握るなら、華代? 」
「それも安易ですよねえ」
「盗聴器とか決定的なもんないのか? 」
「長居は禁物ってことで帰っちゃったんですよね」

会話は進展しないものの、華代は連れ攫われた可能性がある。
スマホが繋がらない、それだけでも異常だ。
蛯名が言いたいのは、薫にとって危険視すべき相手の基準の話だ。
蛯名の情報量は膨大だからこそ、余裕がある。

「……ま、次は私って可能性がきえたわけじゃないですし、先に『華代さん探しましょう』か」

誰よりも冷静に。

「そういうのも得意なのか? 」
「今は〆切もないですし、何より人命が優先です」

返事の代わりにスマホを操作し始める。

「おい? 」
「待ってください」

━━ピコ。

数秒で電子音が鳴る。

「……意外と近いですね」
「え? 」

クルリとスマホの画面を黒田に向ける。
そこには、地図と地図に点滅する赤い点。

「自作の追跡ツールですよ。市販のアプリやツール、警察ドラマなどに出てくるものは、電源の有無に左右されちゃいますからね」

要するに、蛯名の自作ツールは電源の有無に左右されない。電源がオフでも追跡可能ということだ。

……黒田は、蛯名だけは敵に回すまいと誓った。

□□□□□

食材を買い、帰宅する。
薄暗い部屋。漏れない程度に絞った灯り。
買い物袋を玄関に置いた瞬間、目眩に襲われた。
あれからあまり眠れていない。
精神が異常に張り詰めていたせいか、頭が外気に辺り、急激な睡魔に襲われた。
力なく、玄関に倒れる。
……私は、ふわりと抱え上げられるのを感じた。
瞼は重くて開かない。
抱える腕は骨張ってもおらず、支えにしている胸も心地好い。
そのまま柔らかい場所に横たえられた。

──それが私のベッドだと気がつくのは、目が覚めてから。

優しく、優しく、頭を撫でられる。
それも気持ちよかった。

完全に意識が飲まれる瞬間、声が聞こえた気がした。
男性か女性かの判断さえも、睡魔に負けて理解できない。
そのまま、睡魔に(いざな)われて行った。


「……貴女なら、オレを偏見の目で見ない。貴女は優しい人だから」
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