第5話  彼は危険な人でした

文字数 4,993文字

「悠華ー? 」
「奏以さーん」

チャイムを鳴らしながら、名前を呼ぶ。

□□□□□

━━カーテンを閉めた暗がりの中。

……誰か呼んでる?

よろりと起き上がる。
今は何時だろう、あれからどれだけが経ったろう。
パジャマの上に、投げ出したカーディガンを拾って掛ける。
薄暗い中に見えるのは……転がるビール缶やカップ麺の空容器。灰皿に積もった煙草の吸殻。
棚の上には美少女フィギュアたち。

━━コツン、カラカラ。

ビクッとした。
足元にを見ると、落ちていたビール缶を蹴っていた。
音を立てる度に何かあるんじゃないかと怯えていた。

──まだなにもされていないのに。

何でこんなに怯えているのか、自分でもよくわからなかった。
考えながらも、ゆっくりと玄関に向かう。
女性の声だったから。
除き穴を覗くと、見知った顔が二つ。

……亜也子と蛯名ちゃんだ。

除き穴の視界に他には見えない。

『聞こえてないんでしょうか? 』
『蛯名ちゃんったら、せっかちね。ちょっと待ちましょ』
『仕事でせっかちな華代さんに言われたくないですう』
『言ってくれるじゃない』

懐かしいやり取りをしている。
思わず、中に入りたくなって──。

━━ガチャリ。

扉を開けた。

「あ! 奏以さん! 」
「悠華! 」

大好きな顔がそこにあった。
しかし、ハッとして、二人を中に押し込んだ。

━━ガチャン。

玄関で転ぶ二人を他所に、後ろ手で鍵を掛ける。

「いったあ。どうしたんですかあ? 」
「ああ、ストーカーくんがどこで見てるかわからないから。……見掛けなかったけど、いたのかしら? 」
「あ、警戒しとくの忘れてました……」

もしかしたら、二人が来ているのを知っているかもしれない。
女性だから通した? わからない。
ハッとして慌てて寝室に走り、扉を閉めた。
……見られる訳にはいかない。

「……ごめんね、心配掛けて」

亜也子が無言でカーディガンのポケットに手を突っ込む。

「?! 亜也子! 」

反応が遅れ、亜也子にスマホを奪われてしまった。
私は自分の血の気が引く音を初めて聞いた気がする。

「ダメ──! 」

私が止めるのも聞かずに、亜也子は電源ボタンを長押しした。

━━ピコンピコンピコンピコンピコンピコンピコンピコンピコンピコンピコンピコン!!

回線に繋がると同時にものすごい通知音が連続した。
私は耳を塞ぎ、へたり込む。
震えが止まらない。

「か、奏以さん! 」

蛯名ちゃんが抱き締めてくれたのがわかった。

「……すごいわね。あ、黒田の着信も数件。これはノーカンね」

黒田は仕事も兼ねてだろう。
亜也子はスマホを掴ませてくれる。

「悪かったわね。確認したかったの。『KaoruK』……ね」

恐る恐る通知をスライドする。

KaoruK『こんばんわ。まだ、見てくれないんですね。謝ってもダメですか? 』
KaoruK『オレじゃダメなんですか? 初対面だったから? 若いから? 好きに年齢が関係あるんですか? 』
KaoruK『オレは貴女がいいんです。貴女じゃなきゃ嫌なんです。悠華ともかさんだから……』
KaoruK『どうか、少しでもいい。考えてもらえませんか? 女装趣味はダメですか? 女の子じゃないと許されませんか? あの格好』
KaoruK『女の子だと思ったから、フォロー返してくれたんですか? いいね、くれたんですか? 貴女にされて嬉しかったのに』
KaoruK『でも、外さないでくれるんですね。ありがとうございます。それだけでも嬉しいです』

青ざめながら広げていく。

━━ピコン。

……気が付かれた?

KaoruK『やっと……電源入れてくれたんですね。最初は見てないだけかと思ったんですけど、既読つけないで確認する方法ありますよね。アプリや通知がありましたね。』

━━ゾクリ。

腰が抜けたように動けなくなった。

━━ゴン! ゴトゴト……。

フローリングの床にスマホが落ちる。
慌てて、隣の蛯名ちゃんがスマホを拾う。
画面越しに最新通知を見て、固まった。

「……これ、ガチなヤツです」

開いてない分、全部がスライドで閲覧出来た。

「マジで? 」
「例えば、奏以さんが休まれた当日の『シャワー』のくだり。これは習性を知っているか、この部屋の外で聞き耳を立てるかか、この部屋の前になかったので、1箇所か集合したガスメーターを見なければわからないはずですよね? 1箇所なら当てずっぽうですけれど」

分かってはいても、考えたくなかった。

「はあ……。言ってる内容は健気でいい子なんだけどねえ。いや、実際いい子なんでしょうよ。純粋過ぎて──限界値超えちゃってるけどね」

そうだ、悪い子ではない。ではないけれど……。

「……今、電源入れたことを確認したってことは、何かしらのツールを入れている可能性があります。でもそれは──」

それは、私のスマホに干渉しているということ……。
交差するようにカーディガンを握り締める。
蛯名ちゃんも、亜也子も黙り込んだ。

どうして、そこまで……。

「……あたしたちがいることを知っている可能性は高い。どこまで調べているかわからない以上、こちらも迅速に行動しましょ。あたしはツテを回るから、調べ物は頼んだわよ、蛯名ちゃん」
「分かりました」

私は申し訳ない気持ちになり、二人の服の袖を無意識に掴む。

「……ごめんなさい」

それしか言えない。
私はただただ怯えて動けなくなっていた。

仕事なら頭が回るのに、恋愛になるといつもそうだ。

──だから恋愛から逃げるようになった。

「気にしないでください。いつもたすけられているのは、私の方ですよ。奏以さんのためなら頑張っちゃいます! 」

蛯名ちゃんがいつもの可愛い笑顔でガッツポーズをする。

「あたしもよ。悠華がいるから、あの会社にいるの。あんたのサポート、いつも的確だから頼っちゃうのよね。たまには頼りなさい、ね? 」

亜也子が魅惑的に片目を瞑って、ドヤ顔をする。

私はこんな頼れる同期と後輩がいてよかった、そう思った。

━━この時は。

「あたしたちは帰るけど……部屋くらい片付けなさいよ」

……間に合っていなかったらしい。
でも、フィギュアは。

「可愛いお人形さんに埃被らないようにしてあげてくださいね」

……ダメだったらしい。
気がついていないようだけど。

「ありがとう……何のお構いも出来なくてごめんなさい」
「様子見にきただけよ」
「こういう状況なんですから、自分のことだけ気にしてください」

諭されてしまった。
私は、二人を階段を降りていくまで見送った。

□□□□□

「じゃ、また明日ね」
「はい、お疲れ様です」

アパートの前で、方向の違う二人は別れた。
亜也子は、スマホを操作しながら歩き始める。ツテを選んでいるようだ。
後ろから、真っ黒なフードを被り、全身黒づくめの人物がポケットに手を突っ込み、延々と距離を置いてついてくる。
足音はしないため、気が付かない。
悠華のアパートからかれこれ、十分。
アパートはもう見えないが、往来には程遠く、人気が全くない。
黒づくめの人物が音も立てずに速度を上げる。あっという間に背後に迫り、口を白い布で塞ぐ。
薬が仕込まれていたようで、スマホに気を取られていた亜也子は抵抗もせず、気を失い、脱力して崩れた。
崩れながら黒づくめにぶつかる。
フードが落ち、顔が顕になった。鏑木薫だ。

「……まさか、先にお姫様抱っこするのがあんたとはね。むしろ、悠華さんをお姫様抱っこしたいのに」

不満そうに軽々と持ち上げた。
細腕のどこにそんな力があるのだろうか。







「……ん」

亜也子は目を覚ました。
薄暗いヒヤッとした空気、カビ臭い匂い。
視界に広がる灰色のコンクリート。
顔をあげれば、太いネジや細いネジがチラホラと、割れたコンクリートから顔を出している。
廃工場、だろうか。

うごこうとすると、手足が動かないし、痛い。見遣れば、きつくロープで結ばれている。
亜也子は、抜かったと思った。
相手は純粋過ぎるヤンデレ。
黒田に攻撃的であったことから、他に攻撃しないなんてことはない。
薄らと光を感じ、顔を向けた。
そこは、コンクリートの壁があり、かつては扉があったであろう場所がまるみえだった。
そこに誰かいる。
光は、ノートパソコンの電子光のようだ。
それに照らされて、金にも見える猫っ毛の色素の薄い髪、細身のラインの体が浮き彫りになる。
おもむろにこちらを向く。
……聞いていた通りの中性的で、キレイな顔立ちに見惚れてしまう。

「……おはようございます。華代亜也子さん」

キレイな声音だが、突き刺すような冷たい声。明らかに敵意があった。

「本当はこんなこと、したくないんです。でもあんたが、オレから悠華さんを引き離そうとするかもって思ったら怖かった」

哀しそうな顔をする。
確信した。彼は本当に純粋過ぎるだけなんだと。
だからと言って境界線を超えていい理由にはならない。

「……悠華が知ったら、嫌われるわよ? あたしは別に、悠華が選んだ人なら否定しないわ。むしろ、祝福するわよ」

一か八か、交渉に打って出る。

「伝えさせません。きっと、あんたは伝えない。……その相手はオレじゃなきゃ嫌なんですよ。他のヤツでは、ダメなんだ」

悠華に嫌われたくないはずなのに、断言された。伝えられないと。

「……蛯名さんでは弱みを握るには情報があやふやでした。しかしどうでしょう? あんたからは……面白い情報が出てきた」

キレイなだけに薄気味悪い笑みを浮かべる。
何となく察したのか、けれど、目線は逸らさなかった。

「あんた、作家の佐藤和宏先生に、訴訟されているらしいですね? 会社からの示談金話も跳ね除けて」

亜也子は冷静に薫を見た。

「それは……嘘を書かせようとしたからよ。インタビュー前に色々情報は入る。明らかに嘘しか言わないんだもの。真実を載せるか、ギャラなしで載せないか。妥当な選択肢だわ。それをアイツが『迷惑料としてギャラは貰う。記事は載せるな』って勝手なこと言うから。こっちは何の非もないの。ギャラ欲しさと手のひら返して『言った通りを載せろ』って訴えるなんておかしいでしょ? なのに会社はアイツのゴマすりどころか、示談金までだそうとするし。うちは中堅なんだら賢くいかなくちゃ」

強引だったとは分かっていた。しかし嘘を載せることは、亜也子のプライドが許さなった。

「……『嘘』、とは? 」

溜息混じりに息をつく。

「……アイツ、佐藤和宏こと中西建造は……──二十年前の『桜町幼児誘拐事件』の犯人。あなたの産まれたか産まれてないくらいのときのね。『一度に1人ずつ攫っては帰す』と言う謎の誘拐犯。攫う時間も帰す時間もバラバラ。1ヶ月で十人誘拐された。それからぱったり。子どもたちは『おぼえてない』の一点張り。新聞は載せてもニュースでは報道されなかった。──そのすぐあとよ、佐藤和宏って児童文学作家が現れたのは。……追ってた知り合いがいてね。接触出来たの。匿名ならって、当時攫われた人にね。出されちゃ作家生命おしまいじゃないだから選択肢をあげたの」

物理的に何も無くても許せることではない。
薫は溜息をついた。

「確かにいいたいことはわかります。流石にそこまでは掴めませんでした。その話で無理なら──」

薫は亜也子に近寄り、耳元で囁く。
強気だった亜也子の顔に動揺が走る。

「……二重に仕込んで正解でした。短時間でしたけど、あんたの方が《悠華さんにバレたらヤバいこと、ありましたね。ご理解頂けるならお帰ししますよ」

だが、気丈に亜也子は薫を睨みつけた。

「……仕方ないですね。暫くここにいてください。オレは暇じゃない。逃げたければ自力で。ここにあんたのスマホ置いておきます。電源は切ってあります。それでは──」

薫は、亜也子をそのままにして立ち去った。
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