03.インジュリータイム

文字数 1,316文字

 ケイスが目覚めると、朦朧とする意識の中で、全身が激痛で覆われているのだけがわかった。

 目が閉じられているのか、耳をふさがれているのか、視覚も聴覚も潰れてしまったように、光の一筋も見えず、物音一つ聞こえない。

 全身の皮膚の感覚もない。呼吸する肺の動きすらわからなかった。

 体を動かそうとしても、自分の手足の感覚すらない。

 ただ、全身を激痛が襲っている。体中余すところ無く、激痛に見舞われている。

 連続的な痛みの中で、特にやばそうな痛みが走る時だけ、赤銅色の光に視界が包まれる。

 痛みのリズムが何かに合っているかと思うと、遠くから一定のリズムでバスの音が聞こえる。心臓の鼓動音ともとれる、連続した打音。

 すべての感覚を失い、真っ暗闇にいる自分を認識する。壮絶な孤独感が襲いかかり、叫び声を上げる。しかし、声にはならない。

 気が狂ったのか?狂いそうなのか?それともこれが死の感覚なのか?

 唐突として、ベルファストの深く青い空。そして、赤く、血の色に染まるサラエボの夕日。ゆっくりと飛ぶ白い鳥。

 巨大な影が覆い被さり、吹き飛ばされ、すべてが無に帰す。

 ナオミの最後の顔が見える。目を見開き絶望に埋め尽くされた顔。

 活力に満ちた瞳が、黒く穿った木のうろのようになり、やがて顔全体を覆っていく。

 ひからびた唇が、おおきな虚を作り、ケイスを飲みこうもうとする。

 逃がれようと手を前に出し、体を背けるが、手の存在はどこにもない。

 皮膚が一瞬にして蒸発して全身をぬめりとした激痛が包み込む。

 そして、意識を取り戻すと、また同じ激痛。

 死ぬのがこんなに大変だったとは。

 自分の死に顔はいったいどんな感じだろうか?苦痛に歪む抜け殻のような顔。

 頭に何かが、冷たい金属のスパイクが差し込まれる感覚が起こった。

 頭のてっぺんから、首の後ろ、背中までを縫うように貫いていく。

 もう一度悲鳴をあげたが、やはり声は出なかった。 

 このままこれが一生続くのように思えた。真っ黒な恐怖心が圧倒的な質量で意識を包み込んでくる。

 冷たいスパイクの感覚が、腰まで達したとき、真っ暗な視覚に光が広がった。

 そして唐突として、酒に酔って泥酔し、記憶をなくす瞬間、後頭部が後ろに引っ張られるあの感覚。

 嘔吐しようとして、自分の胃そのものの感覚がなく、体を折り曲げようにも、その体の存在が感じられない。

 しばらく、嘔吐しようとする自分の意識だけに翻弄され、ギザギザになった神経が脳を突き上げる。

 夢を見る。深く暗い海の中をクラゲになってプカプカと浮かんでいる。

 海の流れにのって漂うだけだ。何も動かせない、何も見えない、感じない。

 そのうちに、上の方に光が見える、緑の光。

 緑の星々が、光の筋を伸ばして、隣の星と結ばれていく。

 その緑の光がたくさんに分岐して、同じ様な光点を結んでいく。

 だんだんと、黒い空間が緑の光で満たされていく。

  その光の中を、白い鷲が空を漂う。ナオミの顔をしたその大鷲は、ケイスの方をチラリと見て飛び去る。蒼い海の彼方へ。
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