17.イスラエル

文字数 12,658文字

 荒涼とした大地が地平線の向こうまで広がり、砂の混じった風が周囲を黄色く染めていた。

 振り返ると荒野の向こうに、イスラエルの薄茶色の建物が密集しており、その所々に金色のモスクが顔を出している。

 第十次中東戦争以降、イスラエルは国土の三分の二はイラクを中心としたパレスチナ連合に占領されている。占領下の地域は厳しいイスラム教の戒律を建前に、国際連合で取り決められた各戦時条約を無視した圧政が行われ、占領地区に居住するユダヤ人達の理由のない虐待や殺害が後を絶たなかった。

 イスラエルは、シオニスト運動と呼ばれる、ユダヤ国家設立運動と、西側諸国の後押しによって第二次大戦後に建国された。そこからの歴史は、奪われた聖地(エルサレム)の奪還を目指す中東諸国との、テロと戦争の歴史に彩られている。

 二年前、ガザ地区でのテロをきっかけに、イスラエルが空爆による報復攻撃を行い、それを大義名分として、イラクを中心とした地上軍が国境を越えて一気に侵攻を開始した。

 イスラエルの後ろ盾である、アメリカ、フランス、イギリスも世界各地での東側との小競り合いで戦力不足が否めず、結果としてイスラエルは国土の大半を失うことになった。

 ここ一年は、モサド(イスラエル諜報機関)が中心となって、地下活動、彼らにとってはレジスタンス活動により、占領地域での敵戦力に向けた大規模なテロが連続で行われ、民衆運動も過激化。それに対する一般市民への容赦の無い大量虐殺。状況が報道管制をすり抜けて世界に配信されると、国際世論もパレスチナ側への非難が増大し、輸出入規制など、厳しい経済制裁が開始されている。

 占領地域を安定化させたいパレスチナ。しかし、あのテロアーマー部隊、ある時期を境に、バジリスク型のブレインアーマーは突然現れた。

 どの国も関与を否定する、テロと言うにはあまりにも激しい、戦闘員も一般人も見境なく食い荒らし、虐殺を繰り返す、少数のブレインアーマー部隊。

 犯行声明も、目的もなく行動する、その灰色(グレーゾーン)の性質上、正式にはどこの国も制裁が行えず、しかし、民衆にはしっかりと、恐怖と畏怖を植え付けることが可能な灰色の部隊(グレーパッケージ)。 

 国境沿いの荒野に急造された前線基地で、ケイス達の三日月は臨戦態勢のまま待機して1週間。

「来やがった…」

 対空監視班の一人が呻いた。

 砂漠の向こう。砂塵でくすんだ空の向こうから、それは唐突に、そして悠々と接近してきた。

 巨大な飛行翼を羽ばたかせ、砂塵で曇る大気をかき分け泳ぐように進んでくる。

 まだ、遠くにあっても、その異様な雰囲気が伝わってきた。何人もの人間を喰らっている怪物の独特な圧力(プレッシャー)が徐々にせまってくるのが感じられ、兵達が戦慄する。

 高いステルス性能とECMも資料の通り。相変わらず、レーダーに反応はない。

 バジリスク、その異様な姿を、四機の人型ブレインアーマーが上下に囲むように飛行している。

 怪物を守る四人の堕天使達は上部に一機、下に三機、バジリスクを囲むように飛行している。

 あの朱色のブレインアーマーは一番上空だ。まるで、バジリスクを連れて散歩をしているかのように、ある種、超然としたその姿。

 分析班の資料によれば、他の三機、ケイスとナオミをサラエボで襲った同型機は、タイプ名、グローズヌイ、別名を「雷帝」と呼ばれているブレインアーマーだ。

 グローズヌイ=峻厳、畏怖や恐怖を与え、怯えさせるという意味だそうだ。きわめて残虐・苛烈な性格であったためロシア史上最凶の暴君と言われた「雷帝」の名を冠したブレインアーマー。

 全高二一メートルと通常のブレインアーマーより全体のスケールが大きい。

 両肩が大きく張り出し、頭部はサタンの黒い影をモチーフにデザインされている。黒をベースに金でラインを描いたデザイン。

 幅の広い大きなのこぎり状の刃のついた、両刃の剣を装備している。人だろうが、戦車だろうが、叩き潰すように攻撃する映像資料を思い出す。

 逃げ惑う一般民衆に、わざわざ高速で接近して、なぎ払うような一撃を与えた資料映像。

 一振りで、辺り一面に血と肉塊が散乱。地面は血の海になる。

 各種兵装は不明な部分が多いが、他にも多種多様なオプションをもっているはずだった。

 飛行ユニットは、ロシア宇宙科学研究所で開発途中の反重力コイルとガソリンジェットエンジンのハイブリッド。

 そして、ケイス達との大きな違いは、彼らの脳は生活するための肉体をもっていなことだ。半永久的に兵器に内蔵され、人としての意思や感情の表示、行動は一切出来ないと言われている。その分戦闘に特化されているため、ケイス達のようにリプレイスメントされた体を持つ物より、戦闘能力が遙かに高いと言ったのは、アイヒマンだ。

 テロアーマー部隊が接近してくる、このタイミングでイスラエル軍の迎撃機があがっていないのは、アイングロバーバルの通達を良く理解しているからか。それとも、各地での多大な損害を知っていて、わざわざ貴重な戦闘機を失いたくないためか。

 眼のある部分をバツ字の鉄板で潰した鶏頭、蛇の様に長い首、黒く濁った羽根、豹の太腿と鶏の足、竜の尾。とりわけ異様を放つブレインアーマー、バジリスク。そして、四機の黒い人型ブレインアーマーは、周囲を畏怖させるがごとく、こちらに向かってきていた。

 ケイスは自然と脳が反応して、キーンという甲高い音と共にブレインアーマーの人工筋肉(ソフトアクチュエーター)に通電が開始されるのを感じる。人工筋肉(ソフトアクチュエーター)が震え、ベースの弦をゆっくりとなでるような低音が響く。内部骨格(インナーフレーム)に振動が伝わり共鳴する。

 フレームと装甲が重たく軋んで動き出した。

 ケイスの巨大な機体、三日月がゆっくりと立ち上がる。

 三機が一様に立ち上がると、周りの兵達の「おお!」という歓声が聞こえてきた。

 全高一九メートルのブレインアーマー。その巨体に驚いた兵も多いはずだ。

 艦内のハンガーで見るのと、陸上で見るのとではスケールもまるで違う。初めてブレインアーマーを見る者も多かった。

 ケイスがゆっくりと首を振ると、巨大な頭部がゆっくりと振られ、輸送中に付いた緩衝材の欠片がパラパラと地上に落ちていく。足下を整備兵達が小人のように走り回っている。ガリバー旅行記のガリバーの気分だとケイスは毎回思う。

 戦闘薬や素子による興奮状態は感じられない。サブ電脳のレイティアが防いでくれるのはもとより、NATOの監査委員会から正式に使用を制限されているそうだ。ゾフィーの報告書が功を奏した形だったが、緊急事態には解除されるのが条件となっている。

 ケイスは、ゆっくりと目を閉じて開くことをイメージ。眼を遠くに見えるバジリスクに光学的にロックする。

 後方からハッチの開く音。ブースターの発火する轟音が複数響き、陸戦型駆逐艦、ランド・デストロイヤーから視覚誘導式の大小のミサイルが同時に発射された。

 視覚誘導式ミサイルはまっすぐにブースターの白い煙の尾を牽いて、巨大な黒い機影に向かって飛んでいく。

 細い、光の糸が瞬く。空中で連続して爆発。

 バジリスクと五機のブレインアーマーがあっという間にミサイルを迎撃した。

 ブレインアーマーから放たれた弾丸の光芒、迎撃用小型ミサイルがダンスするように飛びかい、ミサイルを迎撃。噴煙が周囲に立ちこめている。

 その噴煙の中から一気に加速して、距離を縮める。あっという間に、その異様バジリスクの大きさが増す。

 巨大な異様の接近で、兵達の背筋に悪寒が走る。

 反重力コイルの回転音が高まり、ヤンがふわりと上昇すると、真っ先に朱いブレインアーマーに向かって突っ込んでいった。

「この前はよくもやってくれたな!」

 幼い声。ケイスは何故かそう思った。おそらく西側では最強のブレインアーマー使い。戦闘センスも抜群だ。しかし、その行動は組織的に訓練されたものとは違い、ケイス達のように正規の訓練を受けた者には違和感がある。強いて言うなら、ゲームで遊ぶ子供のような。

 シルバーの機体をギラリと光らせ、ヤンが真っ先に突っこんで行った。

 作戦前、三機の三日月は数種類の連携パターンを訓練していたが、早々に意味をなさなくなる。

 しかなく、ケイスとメイサも離陸を開始する。周囲の砂とゴミを巻き上げて急上昇すると、ヤンの機体の後を追った。

 四機の人型ブレインアーマー、その動きは巧妙だった。

 ヤンの実力が格上と見ると、夕月が巧みにヤン機にけしかけて誘う。

「このマスカキやろう!」

 ヤンは完全に逆上している。しかし、動きは秀逸。夕月の背後を取ろうと、スズメバチのごとくシャープな軌道。少しでも隙があると、右手のアサルトライフルと、左手のガトリングを交互に乱射、接近して抜く手もみせずに刀で斬りつける。

 メイサは、ヤンの動きに巻き込まれるのを恐れて、あえて援護位置を取る形で夕月を攻撃しているが、飛び道具で夕月を捉えるのは至難の技だ。

 すると、残りの三機は一斉に、ケイスの機体に向かってきた、スリーマンセル、三機一体の攻撃。接近、中距離、遠距離での攻撃を三機が巧みに使い分け、ケイスを追い詰め始める。

 ケイスは自分の操る激しい機体の挙動で、殆ど失神寸前。クルクルと回転するように何とか攻撃を凌いでいる。

 すると、黒い巨体が、一気に上空を翔ていった。

 ケイス達の後方、リック達が守るアイングロバーバル搭載部隊の前線基地へとまっすぐに飛んでいく。

 基地の連中が混乱するのが、ここからでもわかるようだ。

 司令部を置いている、ランド・デストロイヤーから六〇ミリ砲が連続して発射される。重量一五キログラムの鋼鉄の砲弾を一分間に三〇発連続発射可能。

 大気を灼き、空間を削るような連続砲撃。陣地が発射の衝撃と音で満たされる。

 しかし、バジリスクはその巨体を軽々と操り、空を馳せる鳥のように避ける。

「ケイス」

 聞き慣れた声。見慣れた青いワイヤーフレームの顔が浮かぶ。

「うるさい!取り込み中だ!」

 ケイスは空中で三連続のバク転を撃つと、当たらないのをわかっていて、右手のアサルトライフルを一連射して牽制する。金色の光芒が青い空を貫く。

「ケイス。私だ。近くまで来ている」

 遠距離からのライフル弾を避けたところを、スッと接近してきた雷帝の右フック。左足を引くようにしてかわすと黒い装甲の塊が目の前ギリギリを轟音と共に通り抜け、別の一機が中距離からアサルトライフルの連射を的確に打ち込んでくる。

「もう、君の友達の近くだ。早く止めないと大変なことになる」

 ブルーマンの声で、基地の方を振り返ると、金属を摺り合わせるような、耳を押さえたくなる金切り声が響く。バジリスクの精神圧迫音声の発信がサラエボの悪夢が蘇らせる。

「ケイス。私はここだ。バジリスクの中にいる」

「なんだと?!」

 思わず聞き返したケイスの首すれすれを、ノコギリ状に歯の付いたバジリスクの大剣がかすめていく。ものすごい風切り音が後から来て、ケイスの聴覚デバイスが悲鳴をあげる。

 雷帝三機の巧みなコンビネーションに翻弄され、ブルーマンの相手どころではなくなってしまう。

「ケイス、そいつらの動きを少し鈍らせる」

 ブルーマンが言い終わるか終わらないうちに、三機の雷帝の動きが鈍った。すかさず、ケイスが手近にいた雷帝の脇を取って体制を崩すと、首筋を自分の胸に押さえるようにして背後にまわると、くるりと反転、首筋を下から肩で決めた形で、他の二機が接近したところに投げつける。うまい具合に、他の二機が巻きこまれ、落下していくが、すぐに体制を立て直してくる。

 反重力コイルが高温を発する。急加速で、三機の包囲網から抜け出し、そのままバジリスクに向けて加速を開始する。

「メイサ!そこはヤンに任せて、バジリスクを!」

 メイサの機体がこちらを向いた。わかったという合図。まるでツバメ。高速で滑るように飛行してくる。

 小気味良い音をさせて、雷帝の一機にアサルトの三点バーストを二回当てる。しかし、厚い装甲に阻まれ跳弾。蚊に刺された程度のダメージ。

「貴様!謀ったのか?!」

 ケイスがブルーマンを睨み付ける。はめられたか?!

「君と同じだよ。ケイス。もっとも、以前の私は兵士ではなかったがね」

 ブルーマンがゲラゲラと笑った。

「私はこの化け物の制御脳の一つ。情報収集とその操作を行う」

 ブルーマンが無表情にケイスの戦闘を見つめ、ケイスのことなどどうでも良いように続けた。

「こいつは、三つの脳で制御されている。情報収集、操作が私だ。全体の統制と情報伝達も私が担当している。もう一つが、武装制御。最後が本体の動きを担当している」

 ブルーマンのワイヤーフレームが崩れ、バジリスクの構造図に変化する。

「私の脳は、ここだよケイス」

 バジリスクの背中。ちょうど背骨が曲がって尖るようになった部分にブルーマンの顔のマークが付く。

「さて、ナオミを解放する交換条件だ。私を殺せ。私の脳を破壊しろケイス」

 バジリスクの構造図に付いた、ブルーマンのマークがニヤリと笑った。

「どういうことだ?」

「君と同じだよケイス。君と違って私の場合は深刻だ。君のような体を持っていないから、ここから出ることができない」

ーロシアや中華連合の連中は脳ごと取り出されて、兵器に放り込まれてるんだー

「ナオミはどうなる?貴様が死んだら、どうやって彼女を渡すんだ?」

「大丈夫だ、私が死ねば彼女の束縛は解放される」

「貴様は勝手に死ねばいい。しかし、ナオミはどこだ?どうやって拘束を解く?」

「私自身が拘束になっているのだ。あの四機のブレインアーマーには、がんじがらめの脳味噌しかつまれていない。そのがんじがらめが私なのだよ」

「貴様が死ねば解放されると?」

「そうだ」

「ナオミは・・・」

「自分で確かめることだな。ケイス」

 ブルーマンが消えた。いつものようにゆっくりとワイヤーフレームが崩れていくのではなく、粉になって霧散霧消する。

 すると、遠く、ラジオから流れる音楽。それがシャンソンだとわかるまでそうかからない。

 ケイスはブレインアーマーの肉体の、その存在しない心臓が大きく脈打った様に感じた。

 朱いの機体がクローズアップされる。そして、太陽光にキラリと光った、上腕部装甲のマーキングされた「可憐」の文字。

「ナオミ!?

 何かの間違いではないのか。わざとケイスの動揺を誘うために情報を集め、そうした偽装を行っているのか?

 しかし、ケイスの脳はあっという間に逆上した。急激な感情の隆起に伴って冷静さが失われ、視界が狭まる。

「ケイス!危険です」

 レイティナの叫び声。

 オリハルコンの振動が高鳴り、朱色の機体「夕月」に向かってまっすぐに加速する。

 ヤンを相手にした華麗でいて凄まじい闘争。ベルファストで何度も見た、ナオミの超然とした数々の技。

 疑いが確信に変わっていくのをどうしようもない。あの機体がナオミだと言うことを否定したい気持ちと、証明を促す数々の要素。

 彼女も戦傷を負って、リプレイスメントされたのか。

 それとも・・・

 ケイスの腹の中に、怒りともつかない感情がこみ上げ、胸を締め付ける。

 あの凛々しい姿、美しいナオミが、今。

 兵器の中に閉じ込められ、感情と意識を抑制され、戦い続けることだけを強制される日々。その苦痛を少しでも想像するだけで、ケイスの脳は忘れていた感情、怒りと悲しみ、せつなさが混合された濁流。

 人工物で構成された体でも感じる、苦痛にも似たこの心痛。

 今まで遠かった感情の起伏、その感覚が一機に神経を通り抜けて、脳を焦がすようだった。

「ケイス、後ろだ」

 振り向くと、視覚いっぱいに雷帝の顔。恐怖心を高める、心理圧迫系のデザイン。

 のこぎり状の刃が眼前に迫り、それはかろうじてかわす。しかし、バランスを崩したところへ、左手に仕込まれたスタンガンがバチリと鳴って、三日月の腹部にめり込む。

 錯覚。腹に打撃を受け、息が出来ない。全身に電撃が走り、神経がショートして内臓を焼く。焦げ臭い。

 人工筋肉(ソフトアクチュエーター)が麻痺して、オリハルコンのスタビライザーが動かなくなる。それでも何とか着地できたのは、補助脳にインストールされたレイティアの制御があったからだ。

 三日月との同期が解けて、視覚が急激にコクピット内部の自分の眼に切り替わる。自分の眼?リプレイスメントされた体を動かして損傷を確かめる。

「損傷チェック。再起動まで何秒だ?」

「左大腿部の一から三番のアクチュエーター断裂。腹部装甲の四〇パーセントが損壊。再起動まで三〇秒」

 コクピット内のモニターで見ると、メイサの機体が三機の雷帝の気を引くようにして、こちらを援護してくれている。

 ケイスはブルーマンに向かって、

「どういうことだ。ナオミをどうしたんだ?」

 はっきりと言うことが出来ない。一体どんなめにあっているのか。

 ブルーマンはさも軽蔑したように、ケイスのことを見つめた。

「彼女はあそこにいる」

「生きているのか?!」

「君は生きているのかね?死んでいるのかね?」

 ケイスが黙った。

「私が生きている限り、彼女はこのバジリスクに隷属するように制御素子が働く。自発的な思考と感情は完全に失われ、戦闘に対する脳野だけが活性化されている」

 ブルーマンが無機質に言った。

「どちらにしろ、君は私を破壊するしかない。こいつが、君の仲間を喰らう前に」

 ランド・デストロイヤーの砲撃と、モータードレス隊の攻撃、アイングロバーバルから上空へ上がった迎撃機が、なんとかバジリスクの前進を阻もうとしている。しかし、確実に前線基地に近づいていた。

 メイサの三日月も、空中から急接近しては攻撃を繰り返している。熱い装甲と、巨体に似合わない俊敏な動きで、決定打は与えられていない。

 接近されれば地上部隊は本当の意味で、食い荒らされる。

「再起動します」

 レイティナの声が脳内に響く。

「私は、これでも有名な、殺人狂でね。一五年間捕まることがなかった。天才殺人鬼、そうブルーマンジャックと呼ばれていたよ」

 ブルーマンは、そこが戦場であることを無視するように、ゆっくりと落ち着いた口調で語り始める。

 それを聞きながら、ケイスは再度、三日月との同期を開始。人工筋肉(ソフトアクチュエーター)が甲高い音を立てて震え、フラフラとよろけながらも何とか立ち上がる。

「一〇年前、捕まって電気椅子に送られたはずだったが。そして、私は槽に入れられた。全ての肉体を失って。後でわかったのは、この脳味噌を槽に入れる実験は、その頃から、我が国が最初、私たちが初めてだったんだ」

 オリハルコン内の流体コイルの回転数が上がり、揚力が発生する。

「私と同じような、脳味噌が周りにたくさんあったのを感じたよ。みんな、耐えられずに長い時間をかけて徐々に意識が死んでいった。人間の脳はね、どんなに制御しても意識が出てしまうんだ。みんな苦しんでいるのが、感覚でわかったよ。出してくれと長い間叫びながらね」

 朱色のブレインアーマー「夕月」と、三機の「雷帝」は合流しつつあった。今や、ヤンは人間の、いや、ヤンというブレインアーマーの限界を超えた動きで対応している。しかし、撃墜までは時間の問題。

「私は、私の殺した人数分、業が深かったようだ。どんなに苦しんでも何故か、死ねなかった。そして、私は少しの幸運に恵まれていた。私の脳波は、研究者達の言うことを聞いていると思わせる波形を自然と出していた。そして、私は情報を収集操作するように指示され、専用の素子と組み合わされた。ある一定の自由を手に入れた」

 ケイスの三日月が上昇を開始する。スタビライザーの反応が鈍い。レイティナが再調整プログラムを走査する。

「連中にばれないように、少しずつ計画を進めた。始めはここから出ることを願っていたが、じきにどうでもよくなった。ケイス、私はもう既に死んでいるのだよ」

 ようやく安定した揚力を得ると、ケイスのブレインアーマーはまっすぐに飛行を開始した。バジリスクに向けて、まっすぐに。

「こいつに乗ってから、もう一人の脳が、虐殺を行うのを冷静に見ながら思った。もう十分だと。子供や若者が食い荒らされるのを見て、私はすでに処刑台の電気椅子で死んだことを思い出した」

 ケイスの脳に映し出される、全方向の視界。その後方で、ヒラヒラと一機のブレインアーマーが落ちていった。

 それがヤンの機体でないことを、ケイスは直感で判断する。

 左手にガトリングライフル、右手に日本刀を携え、鬼神のごときヤンのブレインアーマー。

 雷帝の波状攻撃と、ピンポイントで詰め寄ってくる夕月の攻撃を、機体の耐久能力限界のトリッキーな動きで避け、相手の攻撃終わりには、ぬかりなくカウンターを当てている。

 顔面にガトリングライフルの斉射を喰らった雷帝の顔が醜く歪む様。そこに鋭く接近すると、叩き付ける様に、装備された刀を叩き付ける。すでに刀身は曲がっているがそれでも威力は強力無比。

 雷帝の右腕の装甲が叩き割られ、内部の人工筋肉(ソフトアクチュエーター)が断裂。刀身は内部骨格(フレーム)まで達し、内部器官にズタズタに切り裂いた。

 雷帝の顔が大きく歪み、叫び声が聞こえた気がした。

 食い込んだ、刀身を残った左手でつかみ、引き寄せる。

 一瞬の隙。しかし、戦闘に特化されたカスタマイズ脳にはそれで十分。

 ノコギリ状の黒い大剣が、的確な角度でヤンの三日月に襲いかかる。

 ヤンの三日月はそれでも体を反らせて回避。

 ガキリと金属が噛む音。ヤンの叫び声が上がった。

 ヤンの三日月の右足が、あらぬ方向に向いている。断ち切られた右足が大腿部から、残りの人工筋肉(ソフトアクチュエーター)一本でぶら下がっている。

「イタイ!イタイよぉ!」

 子供のような叫び声が聞こえ、ケイスは耳を疑った。

「イタイよぉ、イタイよぉ」

 叫び声の続く中、足を引きずる様にして落下していく。

 地面に激突する直前、バックユニットから風船の様なバリュートが開き、ヤンの機体を包み激突の衝撃を吸収した。

 二機の「雷帝」と「夕月」は、そのままヤンを追撃することもなく、フォーメーションを組むと、メイサと地上部隊が足止めしている「バジリスク」へ一気に加速する。

「ヤンが撃墜された。救助を!」

 ケイスが通信インターフェースに叫ぶ。

「救助は必要ない」

 あまり聞きたくない声がインターフェースから流れる。

「アイヒマン?!」

 次の瞬間、あのバジリスクの雄叫び。荒い金属を摺り合わせるような金切り音。一瞬、すべての地上部隊の攻撃に躊躇いができた。それは、自分の中で無尽蔵に生まれる恐怖と畏怖。

 ヒットアンドウェイを繰り替えいしていた、メイサの三日月と、迎撃機も一瞬乱れる。

 ズシリと重い音をさせて、陣地の中央にバジリスク降り立った。羽根を縮め、ガトリングを一斉射。装甲車と、モータードレスの何体かが紙くずのように吹き飛ぶ。

 部隊のちょうど中央に着地されたため、ランド・デストロイヤー(陸上駆逐艦)は攻撃できない。建物のように巨大な艦橋が揺れ、脚部とキャタピラがきしみ後退を開始する。

 モータードレス部隊も、踝に着けられたローラーで急速に散開を開始する。

 脱輪した装甲車から脱出した兵士。足を引きずるようにして走る兵士に向かって、バジリスクの並んだ牙が迫る。

 ケイスは背部ユニットのフレームに取り付けられた、一〇〇ミリカノンをつかむと、視覚インターフェースでバジリスクをロックする。

 ドゴンッッ!と重金属同士を互いにぶつけ合ったような重い音がして、バジリスクの頭部がはじける。続けて三発、ケイスの放った弾頭が命中。

 バジリスクは首を一振りすると、こちらを睨み付けるような仕草をとった。ケイスはこれが人工的に作られた兵器だとはとても思えない。まるで、空想上のモンスターに睨まれるような迫力。

「ケイスそこじゃない」

 ブルーマンの余計な指摘に、「うるさい!」と怒鳴って、腰のMP7BAを掴み、フレームロックからパージする。

 無駄とわかっていてもバジリスクの頭部にヒットさせる。

「ケイス。司令部から特殊通信。体内薬物投与と素子(デバイス)の実行命令が来ています」

 レイティナの声だけ響く。

「もちろん、ノーだ!アイヒマンを呼び出せ」

「了解」

 バジリスクの背部に搭載された、大口径ガトリングが火を噴き、嘴は装甲車やモータードレスに向かって伸びる。

 迎撃機の発車したミサイルは、空中でハッキングをかけられているらしく、あらぬ方向に飛んでいく。

 いつのまにか、子供の様に泣き叫んでいたヤンの声がいつの間にか聞こえなくなっていた。

 遠く、賛美歌が聞こえだした。慈しみ深き神の歌。

 ヤンの機体が空中に舞い上がると、自らのぶるさがった右足を刀で無造作に切り取った。

 飛行が安定したところで、こちらに急接近する。

 何かおぞましいモノが近づいてくる感覚。

 二機の雷帝と、夕月が本能的にヤンに振り向いた。

 流体コイルを限界稼働させ、推進力と揚力を得た上、追加装備された液体ブースターに点火。常人の脳なら決して制御できない高速の機体。それをいとも簡単に操ると、右手に折れ曲がった刀をひっさげたまま、雷帝の横をかまいたちの様に通り過ぎる。

 と、右手が損傷していた雷帝の首が、コロリと落ちた。

 そのまま、静かに首を失った胴体が落下していく。

 更にもう一撃。ヤン機のスタビライザーが対G限界を超えて折れ曲がる。それでも、高速のスズメバチの様。

 もう一機の雷帝に襲いかかる。

 雷帝と夕月が同時に反応する。

 両機ともパッと左右に散ると、形成を立て直して、ヤンに襲いかかる。

 凄まじいばかりの双方の攻撃。攻守が入れ替わりながら移動していく。

 賛美歌の向こう、メイサの機体から笑い声が聞こえた。若い女の他者を蔑む無慈悲な笑い声。

「ケイス、この女!」

 ブルーマンの動揺した声。始めて聞く、人間的な感情が表れた抑揚。

 メイサの機体が宙に舞った。美しい放物線を描いて背面から、バジリスクの頭部に舞う。ガトリング連撃、喰らいつく牙をかわし、空中で無限軌道を描くと、安々と頭部に着地。同時に、腰に付けていた、二本の刀を鮮やかに引き抜くと、自然な流れで突き刺した。どういった力の働きか。柔らかなバターにまるでナイフを突き刺すように。

 バジリスクの悲鳴が上がる。人間が臆する精神圧迫音声が、辺りにまき散らされる。

「ケイス、だめだ!まず、制御系を破壊しなくては、代替システムが起動してしまう」

 メイサが更に二撃。ズブリ、ズブリと鶏の頭部を刺す。亀裂から、おびただしい青い液体があふれ出す。

 ケイスは、撃ち尽くしたMP7BAを投げ捨て、腰に設置された刀を引き抜いた。

 陽光にギラリと刀身が光る。水のように透き通り、濡れて見える刀身。

 バジリスクの背部に取り付けられたガトリングガン、丸太のように大きな六本の銃身が回転を始めケイスにくるりと銃口を向けた。

 大きな光弾が雨のように降り注ぐ。どでかい金色の薬莢が、滝のように地面に落ちる。

 初弾は何とか避けたが、ケイスの機体を紙くずのように引き裂いていく。

 装甲がへこみ、次の瞬間砕け、肩の装甲が吹き飛び、人工筋肉露出する。

 損傷した人工筋肉が装甲の間からだらりと内蔵のように垂れ下がった。

 ケイスの機体が消し炭のようにされかけたその瞬間、バジリスクがぐらりと揺れた。

 バジリスク二本の足に絡むワイヤーが光って見える。モータードレス隊が、バジリスクの足にワイヤーを絡めて、引っ張っている。その中に見える、蒼い装甲、リックの機体。

 ケイスが脇を引きつけながら、刀を二閃する。

 ガトリングの砲身が、唐竹割にされた丸太の様に二つ、ガランと音を立てて落ちた。

 ケイスはそのまま、バジリスクの背中に着地すると、腰のフレームからハンドガンを取り出す。ロングライフルクラスの完全被甲弾(フルメタルジャケット)を打ち出せる近接武器。

 ブルーマンがマークした辺りに、躊躇なく一〇発の弾倉を全て叩き込んだ。

 へこんだ装甲の隙間にブレインアーマーの指を突っ込んで、引き上げる。

 メリメリと装甲を引き上げると、腕部装備されたスパイクをねじ込む。

 ゴキンッと音がしてケイスの三日月が吹き飛んだ。

 ケイスの機体を吹飛ばしたメイサの三日月に巨大なノコギリ状の大剣が食い込んでいる。

 メイサのコクピットのすぐ下。ちょうど、右脇腹の辺りに喰い込んでいる大剣を、左腕でがっちりと抱え込んだ。

 バチリと電撃の走る音がして、周囲に肉を焦がす様な匂いが広がった。

 右手の大剣をそのままに、メイサの顔面に左腕のスタンを食い込ませた雷帝。その腹に、メイサが無造作に小刀を差し込んだ。

 そのまま二機はもつれ合う様にして、落下して行く。

「ケイス・・・」

 甘える様な悲しげな声が聞こえ、メイサの機体がローリングをしながら落ちていく。やがて、機体の動力反応がクローズした。

 ケイスは、バジリスクの背面装甲に指をかけると、メキメキと音をさせて剥がす。そのまま、右手を突っ込むと、スパイクの点火ボルトに撃鉄を落とす。

 火薬の発火すると音と、鋼鉄製のスパイクが飛び出し、ゴキンという重い金属に穴が穿たれる音が響いた。

 スパイクの底部にある薬室から薬莢が飛び、次の炸薬が装填される。更に、二撃ケイスはスパイクを叩き込んだ。

 ギーッとバジリスクの巨体が鳴った。急に戦場が静かになったように感じられる。

「ケイス。私の見立ては間違いでなかった」

 姿の見えない、ブルーマンの声が聞こえてきた。

 バジリスクが首と長い尾を振って、叫んだ。断末魔のその声も、兵達を臆させる恐怖の叫び。

 バジリスクのその巨体がゆっくりと傾ぐ。揺れがだんだんと激しくなり、そして倒れ込んだ。

 巨大な鉄の塊が地面に激突する轟音が響き、砂煙が数十メートル上空まで舞った。

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