10.アイングロバーバル

文字数 7,003文字

 巨大な鯨が凪いだ海を切り分けるように進み、白い波頭が後方に大きく尾のように流れる。

 赤い夕日を抱えた北海を、その巨体でグングンと進んでいく巨大潜水空母「アイングロバーバル」は警戒水域を抜け、海空とも完全に西側のエリアに入ると、浮上航行を開始した。

 朝夕、ケイスは甲板にあがって太陽の光を浴びる。洋上と空を目視で警戒する兵士達に奇異の目で見られるが、リプレイスメントされた体であっても、艦内での生活は息が詰まる。

 その後で、食堂に行って食事をとるようになった。レイチェルの言うとおり、食べることに慣れてくると、遠い感覚だった味覚や嗅覚、口の中の触覚が次第に自分の近いところに来るのが良くわかった。ありがたかったのは館内の食堂にある料理のバリエーションが豊富なことだ。ステーキやハンバーグといった肉類、フライ、バターソテイされた魚、ルッコラやバジルをあえて香りを良くしたサラダ、マッシュポテト、ライス、パンといった炭水化物類、寄港が多いのもあるのか新鮮な食材がふんだんに使われ、二四時間いつでも食事を取ることが可能だった。

 頭部を自ら損傷して病室に拘束されていたメイサは、ドイツに寄港した際に下ろされるかと思っていたが、寄港中に施設で新しい頭蓋に換装が完了したため、そのまま再度アイングロバーバルに乗艦させられていた。

 もっとも、あれ以来精神が安定していないため、定期的に安定剤が投与されているらしい。

 せめて休暇でもあればと思うのだが、陸地にいればいただえ施設から出ることは厳しく制限されている。

 任務があれば、リヒターに乗せると息巻くアイヒマンに対して、カチンと来たケイスが一歩前に出ようとすると、艦長のブルクハルトがケイスの前に体を入れ、黙って首を振った。きっと、無駄だと言ったのだろう。

 艦長のブルクハルト・エンデは四〇歳にして、ドイツ海軍で提督の地位と、出所のわからない、この超巨大潜水空母「アイングロバーバル」の艦長の座を手にした男だ。筋骨の整った巨体にドイツ人らしい整った顔と豊かな髭、典型的な艦長像だ。艦内のクルー達の間でも、あまり悪い噂を聞かない、質実剛健の人らしい。あまり細かいことを気にしない豪快な男だそうだ。いつも付き添っている参謀役の副官は女性で、ゾフィー・ブルマーと言い、艦長より年上の四三歳。副官というと切れ者で処理能力の高い人物を想像しがちのケイスだったが、艦長の横に付きそうゾフィーは、軍人と言うより、食堂のおばちゃんと言った方が、皆が納得するような風貌だ。しゃべり方も容姿を裏切らない。艦長を補佐すると言うよりは、面倒を見ると言った方が適切だと、クルーが話しているのをケイスは聞いたことがある。

 東側の制海空権からだいぶ離れると、二人は気軽に一般兵の食堂へも顔を見せるようになった。

 リプレイスメントの存在自体をまだまだ奇異の目で見るクルーも多い中、レイチェルと同じように、ブルクハルトとゾフィーも気軽にケイスに声をかけてきた。

 次の寄港地がベルファストだと聞き、ケイスは今ままでの鬱屈した気持ちが少し晴れる気がした。

 ケイスの所属していたベルファスト基地士官学校から動力甲冑(モータードレス)の実験部隊を搭載するらしい。

 ブレインアーマーシリーズとの連携運用についての実験が行われるとのことだが、ケイスにとって母校に寄れることはうれしい話だ。連絡の取れない、リックやコリーナと再会できる可能性に期待する一方で、自分の今の状態を二人がどう思うか不安に思う。

 アイヒマン大佐が決して漏らさないこういった情報を、ちょくちょくとケイスの耳にもたらすのは、ブルクハルトとゾフィーだった。

 メイサの事件以降、艦内に話が広まったのか、時々、ケイスに話しかけて来る者も増えてきた。今までは中隊規模を素手で制圧できる殺人兵器としてしかみられていなかったのだろう。特に顔を合わすと気軽に声をかけてきたのは、先の事件でケイスから銃を受け取った巨漢の黒人衛兵、サミュエル・ライスだ。

 陸軍の隊長をしていたというが、アフガニスタンでガスに肺をやられてしまい、肺をそっくりエンハンスメント=人工物と取り替える手術を行ってから、この艦で衛兵をすることになったそうだ。

 ケイスが自分よりかなり年下で、実戦経験も浅い士官候補生だったことを聞くと、「坊主」と呼んで、良く話しかけて来るようになった。

 洋上を航行している間、ブレインアーマーの新装備の実用試験も開始されていたが、ケイスにとってはあまり気分の良いものではなかった。

 シミュレーターによる数十時間にわたる訓練後の、一番機との洋上での模擬戦の実施。

 その人物の精神を表すのか、ヤン・ベルガーのリプレイスメントされた体は黒とシルバーを基調とした一種独特の風貌だった。

 尖った顎、目の位置はわざとそうしているのか、顔のデザインの中に溶け込むようにしてあり、良くわからない。ケイスのように、目鼻口の区別がまるで付かない平面的な顔面のデザインが薄気味悪い。

 ケイスより小さいボディと細い手足が印象的だった。不快感を与える一歩手前のデザインはすばしこい狐を思わせた。

「三番機が相手とはね。あんた、何度死ぬことになるかな」

 子供が大人をからかうように言うと、ケイスのことを腰に手を当てて見上げる。ゲラゲラとさも楽しそうに笑だした。

 ケイスもばからしく思うが、この男のすさまじいブレインアーマーの使い方を見ているため、そのギャップに戸惑う。 しかし、コクピットから降りると、しゃべる内容は相手を挑発するか、戸惑わせるような内容ばかりだった。

「どうせやるなら、あのイカレちゃったかわいこちゃんの方が良かったな」

 甲板に上がって来ているアイヒマンにそう嘯く。

「あいつじゃ、一分もたないぜ」

 甲板で巨大なプロペラントタンクを四本とブースター六機、左右に大きく伸びた翼を羽のように背中に装備したリヒターが、戦闘機用のカタパルトを改造したフックに固定されている。この巨大なブースターを使用して空中戦を行うのが今回の目的だ。

 ロシアの可変戦闘機スホイ三〇一等、現在の東側の制空権をがっちり固めている三次元可変翼を装備した最強戦闘機に対抗するため、また東側ではすでにブレインアーマーに装備されて実戦で運用されている航空技術に追いつくため、西側でも急ピッチで研究が進められている。

 巨大なプロペラントタンクとブースター群を眺めながら、ケイスはサラエボで襲ってきた黒い巨人を思い出していた。

 ジェット機の爆音の後、突然部隊の真ん中に現れた、黒いブレインアーマー三機。単独での飛行が可能なら、警戒非行を行っていた護衛戦闘機を撃墜して、地上に突如として出現することも可能だろう。

 グリーンのラインの入った演習用の弾倉が、リヒターに握られたガトリングライフルに飲み込まれて行く。ケイスが奴らともう一度戦える可能性を考えていると、搭乗指示のサインが脳内にサインインしてきた。

  

 白いカモメがキラキラと光る海面の上をゆったりと飛行している。薙いだ海は蒼く光る草原のようだった。

 突如、ギラリと太陽の中から巨大な影が現れる。

 本人の希望で黒と黄色い縞模様を入れたカラーリングを施さた機体。

 その動きもまるで獰猛なスズメバチのように、縦横無尽。

 まるですべての状況を味方に付けるような動きに、ケイスはヤンの機体を完全にロストしていた。

 一瞬視界を横切った機体に向かって、ガトリングを発射するが既にそこにはおらず、自分に向かって別の角度から斉射された光弾の列をかろうじて交わす。

 ヤンの動きはトリッキーな上、機体に大きな負荷をかけているように見えるが、限界性能ギリギリでコントロールをしているらしく、トラブルもなく飛び回っている。

 一方、ケイスのブースターは既にオーバーロード気味。取り付けられた可変翼もギリギリと悲鳴を上げっぱなしだ。

 執拗にケイスの背後を取ったヤンに対して、肩部のポッドからミサイルを全弾発射してなんとか引きはがし、体制を立て直す。

 と、ヤンのリヒターがあっという間に、ふらつくケイスの機体の上部を取ると、真下に向かって蹴り下ろす。巨大な機体が、三〇〇メートルをまっすぐに落下して海面に叩きつけられ、青く晴れ渡った空に、派手な水柱が上がった。

 ゲラゲラとげひた笑いが無線に響き、ヤンの機体が墜落したケイスのすぐ上まで飛んでくると、気流が不安定な海面上で、ホバリング。

 ケイスの機体が海面に顔を出したところで、リヒターの顔面に向かってガトリングライフルを躊躇なく発射する。

 いくら多重装甲が売りのリヒターでもたまったものではない。表面装甲の感覚はカットしてあったが、それでも、ものすごい衝撃を受けてまた海中に沈んでしまう。ケイスが沈んだ海面に、排出された大量の薬莢が雨のように降ってくる。

 甲板で観戦していたブルクハルトとサムが同時に手を頭にやって、天を仰いだ。

 ヤンはまた、ゲラゲラとまた大笑いすると、上昇して勝手気ままに飛び回りだした。

 海中であらゆる警報が鳴り響く中、なんとか緊急用のバリュートを作動させると、一気に海面へと浮上した。

 全高二〇メートルの巨体に換装され、その情報が疑似処理をされずに全て自分の脳に送られてしまったため、巨人の体で海に落っこちておぼれかけた感覚が脳から離れない。

 息が出来ないわけではないが、早くリヒターから分離されて、自分の肺で呼吸をしたい錯覚に悩まされる。

 ぷかぷかと浮かぶケイスのリヒターに向かって、ヤンが上空からガトリングを発射する。

 悪ふざけなのか、わざと直撃をさせずに、周辺で水しぶきを上げて楽しんでいるようだ。

 模擬弾とはいえ、気分の良いものではない。

 チッとケイスの口から舌打ちがもれた。

 周辺の海にペイント弾の赤い色彩が血のように広がっていく。

「このやろう」と思うが、ケイスにはまるで歯が立たない。ブレインアーマーと脳の親和性が明らかにケイスとは違う。新しく追加された装備を、まるで自分の体の一部の様に使いこなしている。脳に複数接続された制御用のインターフェースで、手足や体は自分の体のように動かすことができるようにはなっていたが、背部のブースターや可変翼は今までの自分身体にないパーツだ。その感覚を感じることも動かすことは、まったく未知の領域だった。

 まるで、それが始めから自分の体についていたように、ヤンの空中での動きは自然であり、そして過激でトリッキーだった。

 ハチの様な動きで、ケイスの上を飛び回っていたヤンが、突然、動きを変えた。

 高速で水面ギリギリまで落ちるようにして飛行すると、そのまま水面を走るように飛ぶ。

 その後ろを、金色の光芒が連続して薙ぎ、水面に模擬弾とは比べものにならない大きさの飛沫をあげていく。

 朱色の機体が太陽の中でキラリと光ったのをケイスは見た。

 水面すれすれを刻むようにして飛ぶヤンのリヒター。コンマゼロ秒の遅れで追う水飛沫。

 朱く細い機体。リヒターより小さめのそれは、ケイス達と同じブレインアーマーの様に見える。

 ヤンのリヒターよりすばしこい軌跡を描き、巧みに追いつき、追撃をかける。

 ヤンのリヒターもケイスと戦っていたときには見せなかった、変幻自在の運動で水面を駆ける。

 しばらく、ぼうっと見とれていたケイスの脳に、ハンマーで叩かれるような感覚でアラートがこだまする。

「ケイス!ケイス准尉!ブースターに入った水を今すぐブローしろ!貴様、バラバラにされたいのか!」

 アイヒマンのヒステリックな声が響き、脳内のイメージにアラートが「敵襲」に変わる。続いて「緊急再起動」「追撃」へとサインがめまぐるしく変化する。

 補助電脳に指示を与えて、ブースターに入った海水のブローを開始する。

「完了まで五秒」

 補助電脳の乾いた声が聞こえ、脳内の視覚野にテキストでカウントダウンが表示される。

 単機での奇襲はまずありえない。上空を警戒していると、きらりと光る薄い白い機体。スホイ三〇一ベルイードラゴン。見るからに空戦格闘効率性が高い、白い流線型の機体が五機、ケイスに向かって急降下してきた。

 五機の内、三機がケイスにヒットエンドラン。パッとミサイルが散ると、白い尾を引いて六発の円筒がまっすぐに急降下してくる。

「直撃する?!」

 海水のブローを中止すると、背部のブースターユニットを緊急パージする。リヒターの外装フレームに付けられたブースター群がボルトの軋む音共に外れる感覚が伝わってくる。

 必要のない息を吸い込むと、潜水の要領で、リヒターの体を海中に沈め、足を動かして一気に潜る。

 浸水警報が出るかと思っていたが、一応スペック的には、三〇メートルまで一〇分程度の海水中での潜水能力があるはずだった。

 そのまま限界深度まで潜ると、海面を眺める。さすがにミサイルは潜ってこない。

「ケイス。そのままゆっくり浮上しろ。本館から迎撃機五機発進。ドラゴンと格闘戦(ドッグファイト)に入った」

 アイングロバーバル管制からノイズの多い通信が入る。

 ゆっくりと浮上して、リヒターの首だけ出して上空を警戒する。戦闘はアイングロバーバル付近に移動しているようだ。

 上半身を浮上すると背中に背負う形でブースターユニットとドッキングを開始する。 

 三六〇度すべてを擬似的に見ることができるケイスの脳が、ヤンの機体と、襲ってきた朱い機体を追っている。

 ヤンの機体がまだ逃げている。搭載されている全兵装は模擬戦用の弾頭のためか。それとも、追撃している機体の技量が、ヤンを大きく上回るのか。

 朱い機体がヤンをついに追い詰めるかと見えた瞬間、ヤンのリヒターが完全停止した。生身の体なら骨が砕け、気を失うような、急停止。まるでハチそのもの。その動きに自然な形であわせて安全圏に回り込もうとする、朱いブレインアーマーの獲物を追うツバメのようなしなやかな動き。しかし、このときだけは、ヤンの方が一枚上手だった。

 急停止の直後、間髪入れずに朱いブレインアーマーに向かって急加速。腰のユニットに仕込まれていた超伝導ナイフが抜く手もみせずギラリと光る。

 躊躇なく、相手のコクピットの辺りに一気に突き込んだ。

 誰もが殺ったと思い、そして想像しただろう。撃たれたツバメのようにヒラヒラと舞う朱いブレインアーマーを。

 しかし、なんという自然な流れか。空中で突き出された、狂気のスピードを持ったナイフを、左足を引くようにして腹すれすれの位置で避け、朱色の右手をナイフの握られた手にそっと乗せるようにして、体を入れ替える。

 と、ヤンのブレインアーマーが、もんどりをうって回転し、海面に叩き付けられた。

 マーシャルアーツを極めたその動きに、ケイスは一瞬見とれた。無理のない自然な攻防の技の数々。

 機体自体が小型で細身、日本の着物、振り袖の女性のような雅なデザインのブレインアーマー。その舞は優雅、しかしダメージは深刻。

 派手な水飛沫を上げて、ヤンのリヒターが海に沈む。すかさず、朱いブレインアーマーからガトリングが斉射された。

 ヤンのリヒターが海面に浮いたまま停止した。

 ケイスは、飲み込んでしまった海水のブロー完了の合図と共に、ブースターを点火。フラフラとしながら滞空すると、そのまま朱い機体に向かって突進する。

 牽制のため、模擬弾しか入っていないガトリングを、朱いブレインアーマーに向かって一連謝する。

 模擬弾の赤い光芒の連続を、優雅に舞って避けると、ケイスに向かってガトリングを二度発射。

 一撃目を避けたケイスの機体に、二撃目が堅い装甲の間を縫うように直撃。

 よろめくケイスの機体側面を簡単に取ると、ガトリングを持ったケイスの右腕をとって投げに移る。左手にはいつの間に奪ったのか、ヤンの超伝導ナイフが握られている。

 その瞬間、ケイスの体は自然に動いた。

 自分から前に飛ぶ様に体ごと回転する。その流れを利用して振り向くと、リヒターの左手に装備されたスパイクを突き出す。

 ケイスにとっては起死回生の一撃。しかし、朱いブレインアーマーは首を振ってよけると、そのまま急上昇した。

 それを合図にしていたのか、朱い機体が上空へ駆け上がると、アイングロバーバルを攻撃していた六機のスホイも撤退を開始したようだ。

 水が引くように、あっという間に上空高く消え去る。

 しばらく、ケイスはその行く手を呆然と眺めた。

「ケイス准尉。ぼっとしてないで、俺の機体を引き上げろよ」

 イライラとしたヤンの声が脳に響き、ようやく我に返る。

 敵機撤退のシグナルが視覚野に流れる。

 ケイスの機体はわざとノロノロとフロートを開いて浮かぶヤンへと向かった。
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