18.ナオミ・夕月

文字数 3,718文字

 本当に倒したのか?

 砂煙が風に飛ばされ、視界がクリアになると、巨大な獣の死体のように、横たわるバジリスクの機体が見えた。

 ケイスがバジリスクから離れ、ゆっくりと着地すると、地上では兵達の歓声が上がった。

 ブルーマンの声が響く。

「今、私は、新たな自由を手に入れた。潜行中の潜水艦に部隊を突入させてまで、君との接触を果たして良かったよ。ケイス」

「なんだと?」

 金切り声。夕月から、ものすごい悲鳴があがった。

 頭を抱え苦しみ出す夕月。

 その悲鳴に、トランス状態にあるヤンの機体まで一瞬、動作を止めた。

 無造作に伸ばされた夕月の右手が雷帝からノコギリ状の大剣を取り上げ、ヒュン、ヒュンと二度、素振りでもするように振られた。

 ヤンの三日月と、雷帝の機体が歪んだように見えた。

 ゆっくりと、機体が二分されていく。

 まるであっけなく、両機とも肩から綺麗に袈裟懸けに切り割られ、まるで傷ついた蝶のようにヒラヒラと地面へと落ちていった。

 機体を上昇させつつ、ケイスはどこかから聞こえてくるブルーマンの声の方向へ叫ぶ。

「どういうことだ!?

「ようやく、あの忌まわしい、束縛から解放された。ケイス。君が潰したのは象の脳だよ。インドで数十人を襲って殺したサーカスのかわいそうな象。彼を我々が飼って操り、我々が彼に束縛される関係だったのさ」

 ゲラゲラとげひた笑いが響き。

「あの、忌々しい象の脳みそが潰されれば、私たちは自由だ。残念だが、君の愛しい人は、このまま私の補助電脳として活躍してもらう」

 夕月がゆっくりと姿勢を伸ばし、ケイスの所まで降下してきた。

 ケイスの機体に残った人工筋肉でかろうじて繋がっていた脇腹の装甲が、ガチャリと音を立て地上に落下していった。

 二機のブレインアーマーが巨大な立像のように地面に立ち、睨み合う。

 夕月の頭部がケイスを見た。頭部のアイカメラが、赤く明滅を繰り返した。

「貴様!騙したな!」

 またもや、げひた笑い。

「この美しい補助電脳は君に渡しても良かったが、気が変わってしまったよ。この機体と私、ナオミとのタンデムは最高だ!」

 ケイスが踏み込むように夕月の腕に手を伸ばすのが軽くいなされる。

「私は、私の能力とこの機体の戦闘能力を必要とする国に亡命する」

「亡命だと?!」

 突然、脳内の会話にアイヒマンの声が割り込んだ。

「我々の援助無しに、貴様らが生きながらえることなどできんぞ」

 アイヒマンのヒステリックな声が響く。

「さっさと任務を全うして、撤退しろ!実験動物どもめ!」

 ブルーマンの口元がニヤリと歪んだ。落ち着いた声音で

「我々は真の自由を手に入れたのだよ。今までは西側のアジテーション、グレーパッケージとして隷属してきたが、これからは所属先は私が決める。すでに、各国からオファーはもらっている」

 夕月の頭部を明滅が続いている。 

「ケイス。頭部カメラの明滅ですが…」

 レイティナが脳内に現れ、言いにくそうに言葉切った。

「わかっている」

 点滅はモールスだった。

 ケイスは答えると、怒りとも悲しみともつかない感情が腹の底からあがってくるのを必死にこらえた。

『ワタシヲ ツブセ Do You Copy?』

 胸を突き上げる衝動。巨大な人工筋肉が震え、アウトフレームが軋むのがわかる。

 ケイスの手がゆっくりと、腰の刀に伸びた。

「やるのか、ケイス?」

 夕月、いや、ブルーマンもギザギザとした黒光りする大きな剣を構える。

 大きな夕焼けが二つの機体のシルエットを浮き立たせた。

 ケイスは上段にかまえた刀を、スッと、降ろした。そして、そのまま刀はケイスの手から離れた。

 夕月の戦闘脳、ナオミの脳に補助されたブルーマンの機体がこの隙を逃すはずもない。

 正面にかまえられた大剣が雷光のごとく、まっすぐにケイスの三日月の脳天に落ちてくる。

 ケイスがそのまま一歩前に出る。まるで、自ら太刀に切られにいくように。

 ケイスの両手が下から、夕月の手首をそのまますりあげるようにして上に伸ばす。

 大剣の圧倒的な重圧はそのままケイスの腕ごと叩き切るかに見えた。

 瞬間、ケイスは相手の力に逆らわずに、夕月の左脇に反転して身を移すと、取った腕をくるりと回した。

 ドスンッと重い音をさせて夕月が地面に落ちた。ケイスはそのまま取った手を肘をきめて押さえ込んでしまう。

「なんだと?!」

 ブルーマンの驚愕。

「レイティナ。ナオミがどこに格納されているかわかるか?」

「スキャンします」

 レイティナが押さえ込まれた夕月のスキャンを開始する。

「なっちゃあいない。まるで、使えていないぞ。ブルーマン」

 ケイスの三日月がしっかりと、夕月を押さえ込んだ。

 うつぶせに押さえつけられた夕月がそれでも起き上がろうと、ギリギリと体を起こす。

 頭部をひねって、ケイスを視覚にとらえた。

 赤い明滅はまだ続いている。

「もう少しだ。待っててくれ」

 ケイスがナオミに語りかける。

「腹部中央になります」

 レイティナのスキャンが終了する。腹部ハッチ横の緊急用のパージボタンがマークされる。

「リック!リック・マイヤー准尉!死んでないなら返事を!」

 ケイスが無線でモータードレス隊を呼び出す。

「どうした?ケイス。ションベンなら一人で行って来いよ」

 すぐに、リックの軽口が聞こえてくる。

「この中にナオミが、ワトソン大尉の脳が閉じ込められている。回収してくれ」

 脳内のイメージを画像処理してリックのモータードレスに送信する。

「どういうことだ?」

「説明は後だ。何機かつれて、早く回収に来い!」

「なんかわからんが、とりあえず了解した。ベック!ジョンソン続け!」

 リックのモータードレスが、二機を率いて足下に走り込んでくる。

「ま、まだ生きてんじゃねぇかよ!」

 なんとか逃れようと動く夕月を見上げてリック言った。

「はやくしろって!」

「わかったよ」

 仕方なく夕月の腹部によじ登ろうと、他の二機の肩を借りる。

「まったく。しっかり、押さえててくれよ!」

 夕月の腹部に登ると、パージボタンを探し出す。

 しばらくして、リックがハッチをパージするためのレバーを発見した。

「こいつを引っ張ったら、対人兵器がドカンってのは勘弁してくれよ」

「中に居るのは、いや、中に入っているのは、ナオミの脳の入った脳槽だ」

「なんだって?!」

「説明は後でする。早くナオミを」

「ちくしょう!!なんだってんだっ!」

 リックがパージボタンを押すと、ボスンッという音と共に、腹部の装甲パネルが跳ね上がり、そのまま外れて下に落ちた。

 リックが恐る恐る中を覗き込む。

「俺たちの師匠をこんなところに閉じ込めやがって」

 無理矢理、悪態をつきながら恐る恐るハッチに首を突っ込む。リックの機体のカメラを通じて、ケイスの脳にも映像が送られてきた。

 中は、無数の配線とパイプがのたうっている。

 その中心に、NAOMIと書かれた一抱えほどのスチールタンク。

「このまま、持ち出しちまって大丈夫なのかよ?」

 リックがタンク横のリリースレバーらしきものに手をかけた。

「大丈夫です。そのタンクには数時間程度、脳槽を維持できる生命維持装置がついています」

 レイティナの説明をケイスが伝える。

 バシュッという音と共に、タンクが外れた。

「外れた・・・」

 タンクを抱え、リックが夕月から降りようとしたその時、

「死ね!このやろう」

 夕月と三日月とを黒い影が覆った。

 折れ曲がった刀ごと覆い被さってくるヤンの三日月。

 ケイスごと夕月まで叩ききろうとするかのようなその勢い。

 誰もがやられたと思った。

 ケイスの機体は反射的に振り返り、ヤンの腕を両手で押さえる。

 夕月の頭部にあるカメラアイが青く光った。

 夕月がそのケイスごと吹き飛ばして上空に舞い上がった。

「うぉおお!」

 リックの雄叫びとも叫びとも付かない声。夕月が飛び去る直前に地面に転がり落ちる。

 夕月はそのまま舞い上がると、一気に上昇した。

「また、会おう。ケイス」

 そのまま、ブースターに点火すると衝撃波を残して飛び上がる。

 執念だけで動いたと思えるヤンの機体は、上半身だけのヤンの機体が地面にドシャリと落ちた。腹部から、人工筋肉の束と内部機関がはみ出てくる。

 ケイスは夕月を追おうとと、流体コイルの回転を上げるが揚力が発生しない。

「!?」

 レイティナの警告より先に、流体コイルの格納されている円柱状のタンクが、グシュッと言う音と共にひしゃげ、そのまま、つぶれるように爆発する。

 うつぶせに倒れ込んだ三日月が見上げると、赤みを帯びた空の中で、夕月が小さくなりやがて消えた。
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