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文字数 1,167文字

左右に骨組みだけのハウスが並んでいる。
中をのぞいてみたが、そこにはなにもいなかった。畜産場だったのだろう、少し奥にはサイロが見えた。ぬかるんだ道を進むと、大きな2階建ての建物があった。周囲には2階がある建物は他にはみたらない。依頼者の「事務所の2階」という記憶を信じるなら、依頼品があるのはこの建物に違いない。

自動ドアがこじ開けられていた。誰だか知らないが、以前にここに入ったのはシェルターへ避難する前だったはずだ。スーツを着ているならこの隙間は通れないし、スーツを着ていないならここに来ることはできない。自動ドアをさらにこじ開けて中に入った。
1階には陳列棚が並んでいるが棚にはなにも並んでいないし、階段も見当たらない。
自動ドアを振り返って少し考える。
依頼者の記憶はしばしばまだらだ。依頼品のことは明快に説明するが、その場所までの道筋は不完全なことが多い。2階があるのだからどこかに上るための階段があるはずだ、無ければ上がれない。内側にないのなら外側しかない。建物の裏に回ると角度のきつい階段が見えた。

引き出しにはあまり物は入っていなかった。ノートとペン、書類が挟まったマニラ封筒が数冊、印鑑。避難する直前までは必須だったものが、避難するときには不要になったということか。日常的に使用していたものを捨てて移動するということは、別世界への旅立ちということなのか。あの事故で世界が破壊されたことが、渡りに船だった人間もいるのかもしれない。
かつてある男が言った。

『意味は自分に対する説明にすぎない。作り話とそれほど違わない』

依頼品は見つからなかった。
ほかの引き出しもみてみたが、やはり依頼品は見つからなかった。おおかたシェルターにたどり着くまでにどこかで捨ててしまったのだろう。
捨てたことを忘れてしまっているか、都合よく記憶を変えたのだ。
探せば見つかるはずの価値ある大切なものがここにあると願ったのかも知れない。
椅子に座ってデスクの上を眺めてみる。
ページを開いたノート、キーボードにディスプレイ、貼られた付箋、卓上カレンダー。マウスがないが、どこかに投げつけたんだろうか。少し背筋を伸ばしてデスクの周りを覗いてみたが、見当たらない。避難するときにマウスだけ持っていったのかも知れない。混乱しているときはそんなこともある。
ノートには数字がたくさん書いてあった。意味は分からないが、それを理解する必要はないし、そのつもりもない。ページを戻って表紙をめくりノートを閉じると、そこに腕時計があった。
腕時計はまだ動いていた。かすかな音を立てて秒針は回っている。
残念だが依頼品ではない。
しかし、しばらくみつめていて思い出した。
これは友人が話していたものと同じだ。古い雑誌の広告写真を見せながら、これが欲しいと話していた。
その時計を持ち上げて袋に入れた。
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