文字数 1,469文字

晴天。
空気は澄んでいる。
いや、澄んでいるように見える、と話すべきだろう。
防護スーツのヘルメットに内臓されたモニター越しの空の色が、本物の空の色であると断言できる根拠はない。その空に見えている昼間の月が、本物の月であると断言できる根拠もない。
その上、その空が気圧室のモニターに映る空なのだからなおさらだ。
計器の初期化と計測が終わったことを示す機械音が、小さく連続的に鳴った。
数値は問題ない。毒は入ってきていない。
自動回収機を起動するとランプが点滅し始め、1分ほどリンクが確立されるのを待つ。待たされるのが嫌いでも、これを待たないわけにはいかない。いざというときはこの機械が体を回収してくれるし、体が回収されるということは、蘇生する可能性を残すということに他ならない。
自動回収機のコンソールに

「お気をつけて」

と表示された。
いつものことだが、やはりしゃくにさわる言葉だ。
それでいつもどおりに悪態をつく。

「クソが」

この機械を作った連中が地球をこんな風にした。
蹴り上げたい衝動を抑え、その代わりに気圧室の壁に設置されているこぶし大のボタンを叩いた。気圧室の圧力が高まると、前方の隔壁が静かに上昇し始めた。
気圧室の空気が外へ流れていく。
その風に背中を押され"外"へ向かって歩き出した。

車に向かってかつての幹線道路の真中を歩く。
防護スーツはまだまだ重いが、これまでと比べれば格段に軽くなった。
これを着たまま走るのは難しいが、なにか嬉しいことが起これば小躍りすることぐらいはできるだろう。
両眼を模して取り付けられているカメラの映像がヘルメット内のモニターに表示されることで、目の役割をしている。ヘルメットにはシールドさえもない。
だからスーツで小躍りしてるところを見ても、それが嬉しさのあまりかどうかはわからないかも知れない。
スーツは特殊素材を特殊な技術で成型したもので、つなぎ目は一切ない。ヘルメットとスーツとの接合にも特殊なファスナーが使われていて、気密性は完全だ。
"外"にいながら"外"とは接触しない。
つまりそういうことだ。
車に乗り込んで、つけっぱなしのキーをひねると、静かにエンジンが動き出した。
かつてある男が言った。

  『やっぱり日本車は世界一だ』

そのときも同意したし、今言われても頷くさ。世界がこんなことになった後でも、何事もなくエンジンが掛かるんだから。
そのうえ、アクセルを踏めば進むしハンドルを右に回せば右に曲がる。ハンドルを左に回せば左に曲がるし、要するに律儀に働く。
窓を開けきって右ひじを突き出し、アクセルを深く踏み込むと気持ちよく加速した。
数十年間消えたままの信号を過ぎたら3秒後にハンドルを左に15度ほど傾け、その直後に15度ほど右に傾ける。
放置車両をよけるためだ。
少しタイヤが滑ったな。タイヤを探しておかないと。
いつもならここからはアクセルベタ踏みで最高速度を狙う場所だが、今日は軽く踏み込むだけだ。どうしてもやらなければいけないことがあって少し寄り道をすることにしていた。

<動物注意>

シカのような絵が描いてある黄色い標識が見えてくると、丁寧にブレーキを踏み、(ちゃんと止まるなんてやっぱり日本車は世界一だ)、車から降りた。
いつも窓を破るために使っている斧を標識の支柱へ打ちつける。火花が散るが一度では折れなかった。舌打ちする。
そして何度か火花を散らす。
凹みが大きくなったところで支柱に足をかけ、の標識をへし折った。
"外"にはもう動物はいない。
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