第11話 始まった宴

文字数 33,454文字

 浩太達が居酒屋の裏口を出た瞬間に居酒屋の裏口の扉は消えてなくなり巨木の森と天を突くような山々ととても深い水底まで透けて見えるような美しい水を湛えた湖といった荘厳な自然が周囲に広がった。天竜が先に立ち生き物達の生気に満ち溢れた巨木の森の中を進んで行くと森が終わった場所にどこまでも続いていそうな雄大な草原が広がっていた。

「供物を」

 草原の中で不意に歩みを止めた天竜が青くどこまでも飛んで行けそうなくらいに澄み切った空を見上げて声を上げると目の前の何もなかったはずの空間に突然様々な種類の酒や肴や食器や卓上調味料などが山ほど載っている横幅は二メートルくらいだが縦の長さは何十メートルもありそうな物凄く縦長なテーブルが一つと椅子が二つ横に並んだ状態で並んで現れた。

「凄い」

 聖域を包む厳かな雰囲気やそこに広がる自然などのすべてに圧倒されていた浩太はここまで歩いて来てようやく感嘆の声を漏らす事ができた。

「凄いでしょう。ここが聖域。そして、ここが宴の会場よ。お酒も肴も飲み放題の食べ放題なんだから」

 浩太の横に立っていた創元が浩太の肩に手を置きながら言った。

「ここにはわしら竜が生きるのに必要はすべてがあるのじゃ。春夏秋冬、山に海に森に湖、雪も降れば嵐も来るのじゃ」

 竜子が創元の立っている側とは反対側の浩太の横に来て言った。

「酒贄の二人はそこに座るのだ。二人が椅子に座りこの宴の為に杯を合わせた時から宴は始まるのだ」

 天竜が浩太達とホーマ達の方を見ながら言った。

「さあ、浩太ちゃん。椅子に座って。こっちに来てから今日まであたくし達と一緒に飲んだ時のように早川さんと楽しく飲めば良いのよ」

「わしらは戦いに行くから一緒に飲んではやれないのじゃ。一人だからって寂しがらずに頑張るのじゃ」

 創元と竜子が浩太の事を応援し励ますように言った。

「二人とも気を付けて。無理はしないで。俺の為に本当ごめんなさい」

 浩太はこれから自分の為に戦いに行く二人の顔を見ていられなくなり言い終えると同時に思いっ切り頭を下げた。

「もう浩太ちゃんったら」

「浩太。頭を上げるのじゃ。楽勝なのじゃ。心配無用なのじゃ」

 創元と竜子の言葉を聞いて浩太は頭をゆっくりと上げた。

「創元さん。竜子ちゃん。本当に気を付けて」

 浩太は今度はしっかりと二人の顔を見ていようと思うと目を涙で潤ませつつ二人の顔を見ながら言った。

「いや~。もう~。浩太ちゃん。かわいいわ」

「こら創元。こんな時までやめるのじゃ。とっとと行くのじゃ」

 創元と竜子が漫才のような掛け合いをしながら浩太から離れると前方にあったテーブルの下を横切るようにくぐってテーブルの向こう側に行き振り向く事なくそのまま歩き去って行った。

「浩太君。さあ、私達も行こうか」

 背後からぽんっと肩を叩かれたのと同時に早川さんの声がした。

「あ。はい」

 不意を突かれた浩太が驚きつつ言葉を返すと早川さんがテーブルと椅子の方に向かって歩き出した。

「これはまた豪華だね。お酒も肴もなんでも揃ってる」

 早川さんがテーブルと椅子の傍まで行くと二つある椅子を引きながら嬉しそうに言った。

「ああ。すいません。俺の椅子まで」

 浩太は言いながら慌てて駆け出すと早川さんの傍まで行った。

「細かい事は気にしない気にしない。さあ、飲もう。折角の席だからね。楽しもう」

 早川さんが声を弾ませて言い椅子に座った。

「は、はい」

 浩太は楽しもうって、早川さんはこれから何が始まるのか本当に知ってるんだよな? と不安に思いながら椅子に座った。

「早川さんに桜花浩太。椅子に座ったら目の前にある杯を手に取り好きなお酒の名を言うのだ。そうすると勝手にそのお酒で杯の中が満たされるのだ。テーブルの上の物を飲んでも良いが、そっちの手っ取り早くて楽なのだ。おっと、言い忘れそうになったのだ。水割りとかロックとかそういう注文もできるから好きに注文して良いのだ」 

 天竜がテーブルの下をくぐってテーブルの向こう側に行くと振り向き浩太達の方を見ながら言った。

「杯ってここにはコップしかないけど、それで良いんだよね?」

 浩太はテーブルを見回しながら言った。

「それで良いのだ。くれぐれもお酒を飲むのだぞ。お酒以外だと酒贄の意味がないのだ」

 天竜の言葉を聞いた浩太はコップを手に取ると、少し悩んでから梅酒の炭酸水割りでと小さな声で呟いた。

「浩太君は梅酒のソーダ割りか。では私は日本酒を冷で行こうかな。銘柄はまずは十海山あたりが良いかな」

 早川さんがテーブルの上に置いてあったコップを手に取ると嬉しそうに微笑みながら言った。

「酒贄の杯は満たされたのだ。酒贄達よ。杯を合わせるのだ」

 天竜が急に厳かな声を出した。

「では、浩太君。乾杯」

 早川さんがそう言うと浩太に向かってコップを差し出して来た。

「えっと、でも」

 浩太は戦いが始まってしまうと思うとそう呟きコップを合わせる事を躊躇った。

「桜花浩太。時は戻らないのだ。ここまで来て宴を中止にはできないのだ。覚悟を決めるのだ」

 天竜がくるりと回れ右をして浩太に背を向けると静かな声でそう告げた。

「創元さん。竜子ちゃん」

 浩太は天竜に向かっては何も言わず、いつの間にやら随分と遠くに行ってしまっていてもうシルエットしか見えなくなっている二人の姿を見つめながら呟くとコップを早川さんの持つコップに近付けた。

「では改めて乾杯」

 早川さんが言いながら浩太のコップにコップを合わせるとかつんっと小さな澄んだ高い音が鳴った。

「宴の始まりなのだ」

 天竜がまた厳かな声で言うと竜の姿になり創元達のいる方へと向かって飛び立って行った。

「戦いが始まった」

 浩太は恐怖を感じながら呻くように呟いた。

「本当だ。凄い戦いだね。ファンタジーの世界が現実として目の前にある。こんな物が見られるなんて本当に驚きだ」

 早川さんが浩太の言葉に答えるように言った。

「早川さん。俺、今から早川さんに失礼な事を言うかも知れないけど良いですか?」

 浩太は早川さんの方に真剣な眼差しを向けながら言った。

「何か君に悪い事をしたかな? したのならすぐに謝るが」

 早川さんが心配そうな声音で言った。

「俺には何もしてないです。大丈夫です。ただ、早川さん、ちょっと、冷たくないですか。皆俺と早川さんの為に命を賭けて戦ってるんです。それなのになんか早川さんはあんまり心配とかしてなさそうだから」

 浩太は言い終えてからすぐにそうだお酒を飲まないと創元さんと竜子ちゃんに力をあげられないんだったと思った。浩太は慌てて梅酒のソーダ割りを飲もうとしたが、コップの縁を口に当てた所で手を止めた。飲んで二人に力をあげてしまったら戦いが今以上に激しくなるかも知れない。浩太はそう思うと梅酒のソーダ割りを飲む事ができなくなってしまいコップの縁を口から離し遠くで戦っている創元と竜子の方に目を向けた。

「そうか。それは、なんというか、申し訳ない事をしたね」

 早川さんがそう言ってから日本酒を少しだけ口に含むようにして飲んだ。

「この状況でお酒、飲めるんですね」

 浩太は呟くようにそう言うと梅酒のソーダ割りの入ったコップを再び口の傍に持って行った。

「私は急に呼ばれて来たから、君よりもこの状況の事が良く分かってないのかも知れない。そうだな。まずはお互いの事を話そうか。見ず知らずの私達がこうして一緒に酒を飲み語る機会を得たのも何かの縁だ。折角の出会いだから大切にしないとね」 

 早川さんが言い終え、くいくいっとコップの中の日本酒を飲み干すと新たな日本酒を注文しコップの中が透明な液体で満たされた。

「なんか早川さんってのんきですよね。そういう事じゃないですよ。お互いの事を知ってもこの戦いは止められない。俺は心配なんです。戦ってる皆の事が」

 浩太は先に早川さんがお酒を飲み干した事に焦りを覚え声を荒げた。

「まあまあそう怒らないで。お酒は楽しく飲まなきゃ。私は、皆、自ら望んで戦ってると思ってる。君や私の為とはいえね。本当に戦いたくなかったら戦わないはずだ。違うかい?」

 早川さんが優しく諭すように言った。

「そんな。それは分からないですけど、戦うのは良くない事です。俺は皆を戦わせたくないんです。ああやって戦ってる姿を見て強くそう思ったんです」

 浩太は大きな声で言ってから梅酒のソーダ割りのコップをテーブルの上に置いた。

「浩太君。まさか君、お酒を飲まないつもりかい?」

 早川さんが心配そうな声で言った。

「怖くて飲めなくなったんです。俺が飲んで二人に力をあげたら戦いが激しくなるかも知れないって思って」

 浩太は言い終えると梅酒のソーダ割りの入っているコップをぎりぎりと音が聞こえて来そうなほどに強く握り締めた。

「君が飲まないと君の仲間の二人は負けてしまうよ。それでも飲まないのかい?」

 早川さんが優しい声音で言った。

「それは分かってるつもりです。けど、飲んだら戦いが激しくなって皆が酷く傷付くって思うと」

 浩太が言っている最中に早川さんがまた日本酒を飲み干しコップを空にした。

「私は飲むよ。それが彼女たちの為でもあるし私は酒を飲むのが好きだからね。君の気持ちは分かるつもりだ。けど、君の真似はできないな。なぜなら君はただ逃げてるだけだと私は思うからだ。君は自分の負ってる責任を果たしてない。果たそうともしてない」

 早川さんが何気ない普通の会話でもしているかのような口調と声音でそう言った。

「俺は逃げてなんていません。戦いを止めたいと思ってるだけだ」

 浩太はかっとなって大声を上げた。

「それなら、今すぐにあの戦いの中に飛び込んで行けば良い。そして止めれば良い。違うかい?」

 浩太は睨むようにして言葉を言い終えたばかりの早川さんを見た。

「それは思い付きませんでした」 

 浩太は突き刺すような勢いでそう言うと椅子から立ち上がってテーブルに上がりテーブルを横切って向こう側へ行こうとした。

「なんだこれ?」

 浩太は呻くように言った。テーブルの向こう側に下りようとした浩太だったがテーブルの際にある透明な壁のような物に邪魔されてテーブルから下りる事ができなかった。

「きっと私達を行かせない為にそうしてるんだろうね。どうやら止めには行けないみたいだ。浩太君。椅子に座るんだ。そうしてても意味がない」

 浩太は何もできない自分とずけずけと物を言って来る早川さんに苛立ちを募らせながらテーブルを下りると椅子に座った。

「ほら。浩太君。止めには行けないと分かった今、そんな風にしてる時間はないんじゃないかな」

 早川さんが梅酒のソーダ割りの入ったコップを手に取ると浩太に向かって差し出した。

「早川さんはどうして平気なんですか? おかしいです」

 浩太は叫ぶように声を上げた。

「君は良いな。羨ましいよ。そんな風に真っ直ぐでがむしゃらで。そんな時期が私にもあったんだよな」

 早川さんが急に昔を懐かしむような声を出した。

「なんですか急に。馬鹿にしてるんですか?」

 浩太がこうなったら喧嘩でもなんでもしてやるという覚悟を決めて言うと早川さんがゆっくりと否定するように頭を左右に振った。

「馬鹿になんてしてないさ。本当に羨ましいと思ってるんだ」

 早川さんが言い終えてから、急に何かを思い付いたような顔をした。

「そうだ。こういうのはどうかな。私は今三杯酒を飲んでる。それはすなわち私が君よりも酒を三杯多く飲んでいるという事だ。浩太君。君も同じ量を飲むんだ。はっきりした事は何も分からないしただの憶測に過ぎないけど、同じ量を飲んでいるのであればある程度彼女達の方に行く力も同じくらいになるんじゃいかな」

 早川さんの言葉を聞いた浩太はなるほどと思った。

「それは、そういう物かも知れませんけど」

 浩太はそう呟くように言い押し黙った。すぐにでもお酒を飲みたいと思ったが早川さんに対して抱いていた怒りの感情が邪魔をし、そうですねと素直に頷いてお酒を飲む事ができなかった。

「君もそう思ってくれるかい? さあ、それなら飲もう。ようーし。おじさん遠慮なくやっちゃうぞ」

 そんな事を言うと早川さんがまたコップの中身を空にした。

「おいしいな~。酒ってのはなんでこんなにおいしんだろうね。浩太君。君も早く飲んだが良い。私は本当に酒が好きでね。一度エンジンが掛かっちゃうと酔い潰れるまで止まらなくなっちゃうんだ。もうこうなった私はがんがん行っちゃうよ。同じ物をもう一杯頼む」 

 早川さんがとても嬉しそうに微笑みながら言いまた空になっていたコップをお酒で満たした。

「本当に変な人ですね。早川さんって」

 浩太は自分の気持ちに区切りを付けようと早川さんをけなすように言ってから梅酒のソーダ割りの入ったコップを手に取ると中身を一気に飲み干した。

「おお。良いね。浩太君。良い飲みっぷり。けど、一気飲みはあまりお勧めしないな。すぐに酔っちゃうともったいないからね」

 早川さんが言いながら箸を片手に持つと近くにあった揚げ出し豆腐の入った皿に向かって箸を伸ばした。

「しょうがないじゃないですか。早川さんのが三杯分多く飲んでるんだから。そう思うのなら少し待ってて下さいよ」

 浩太は確かに一気飲みはやり過ぎたと思いながら言い終えるとすぐに二杯目を注文した。

「良いよ。では私は和らぎ水でも飲もうかな」

 早川さんが言いながらお酒の入っているコップをテーブルの上に置くと別の空のコップを手に取った。

「和らぎ水を頼む」

 早川さんがそう言うと早川さんの持っているコップが水で満たされ、早川さんがくいっと水を飲んだ。

「早川さん、勝負する気あるんですか?」

 浩太は今度は少しだけゆっくり飲もうと思いながら三回に分けて梅酒のソーダ割りを飲んでコップを空にすると言葉を出した。

「勝負? ああ。そうだね。難しいな。彼女達の気持ちは凄くありがたい。こういう機会を作ってくれた事にも本当に感謝し切れないくらい感謝はしてる。けど、君達を相手に勝ちたいのかと言われたら、うん。難しいね。浩太君達はあれだろ? 浩太君がこの竜の世界から人の世界に帰る為にこの戦いをしてるんだろう?」

 早川さんが浩太の言葉に言葉を返してからまた水をくいっとやった。

「はい。俺が自殺じゃないけど、そんなような事をしちゃったのが原因でこっちの世界に来ちゃったから。本当に自分の馬鹿さが嫌になります」

 浩太が言うと早川さんが手に持っていたコップを落とした。

「おっと。すまん。思わず落としてしまった。それにしても自殺とは穏やかじゃないね」

 早川さんがそう言いながらコップの中からこぼれ出た水で濡らしてしまったテーブルをテーブルの一角に山のように積まれていたおしぼりの一つを使って拭いた。

「そうですね。でも、自殺をしようと思っただけなんです。落ちる気はなかったっていうか。変な言い方ですけど。ビルの柵の外に出たら偶然落ちちゃったみたいな感じというか」

 浩太は言いながら改めて自分の馬鹿さドジさが酷く嫌になった。

「そうか。けどそれは大きな違いだよ。自殺したいって思う事なんて生きれてば何度でもある。それと実際に自殺してしまう事とは全然違う事だ」

 早川さんが言い終えるとテーブルを拭いたおしぼりを地面の上で絞ってからテーブルの脇に置き日本酒の入ったコップを手に取ってちびりっとやった。

「早川さんも死にたいって思った事ありますか?」

 浩太はコップの中身を半分ほど飲んでから聞いた。聞いてから頭の中がふわふわして来ている事に気付き、やばい酔って来たと浩太は思った。

「そりゃあるさ。たくさんあるよ。仕事で失敗した時、好きな人に振られた時、大事な人が死んだ時、上げれば切りがない」

 早川さんがそう言ってから日本酒をぐいっと煽った。

「でも、頑張って乗り越えて来たんですよね?」

 浩太のその言葉を聞くと早川さんが優しい目をして微笑んだ。

「そうだね。なんとか全部乗り越えて来たかな。けど、私も死んでしまった。病気だったんだ。胃癌でね。享年四十三歳。まあまあ未練のない人生だったかな」

 浩太は早川さんが何を言ったのかすぐには理解できなかった。

「どういう事ですか、それって?」

 浩太は早川さんの言った言葉を頭の中でゆっくりと繰り返してから恐る恐る聞いた。

「うん? どういう事ってどういう事かな?」

 早川さんが不思議そうな顔をするとそう言った。

「いえ、享年とか、胃癌とかって」

 浩太は反射的にそう答えた。

「それはあれだよ。私は胃癌で死んだって事だね」

 早川さんがなんでもない事のように言った。

「えええええー」 

 浩太は驚きのあまりミニガンの発砲音のような声を上げてしまった。

「そんなに驚く事かな。君だって死んでるんだろうに」

 早川さんの言葉を聞いた浩太は頭をぶんぶんと大きく左右に振りながら言った。

「死んでません死んでません。俺は生きてます」

 浩太の言葉を聞いた早川さんがまた不思議そうな顔をするとうん? と言った。

「落ちたけど助かったんです。竜子ちゃんの背中に落っこちて。だから俺は生きてるんです」 

 浩太は思わず叫んでいた。早川さんがあー、なるほどと言ってから笑い声を上げた。

「そういう事か。良かったじゃないか死んだりしなくて。けど、そうなると、この竜の世界っていうのは死後の世界みたいな物じゃなかったんだね。私はてっきり死んだ人間が来る場所か何かだと思ってた」 

 早川さんが納得したというようにそう言うとちびりっと日本酒をやった。

「なんか早川さん凄く落ち着いてますね。これってとんでもない事ですよ」

 浩太は驚き冷めやらぬ声で言った。

「まあ、そうだね。けど、竜とか出て来ちゃってるんだよ。それだってとんでもない。それに私はホーマ達に呼ばれてこんな風に生き返ったみたいになった時に思い切り一度驚いてるからね」

「ああ。そっか。でもその時は本当に驚いたでしょう」

 浩太は早川さんの言葉を聞いて俺だったらどうなるんだろうと思いながら言葉を返した。

「驚いたよ。病院のベッドでああ死ぬんだってなって意識を失ったと思ったらまた目が覚めたんだよ。ああまだ死んでなかったんだって思ってたらそうじゃなかったんだから。しばらくは落ち着くどころじゃなかったな。けど、ホーマ達と話してるうちに段々落ち着いて来て自分の置かれてる状況が理解できたんだ。けどまああれだよね。実際自分がなってみないとこの感覚は分からないかも知れないね」

 早川さんがしみじみと言った。

「なるほどなー。あ。でもそうすると早川さん。早川さん達が勝ったらどうなるんですか? 俺はてっきり早川さんも俺と同じようにこっちに来てしまってて人の世界に帰る為に戦ってるんだろうって思ってましたけど」

 浩太は俺は生きてるから人の世界に帰るけど、死んだっていう早川さんはどうなるんだろう? と考えながら聞いた。

「今はこっちの世界から出られないし一週間しかこの状態でいられないらしいんだけど、ホーマ達が勝ったらちゃんと生き返って生きてる人のいる向こうの世界に戻る事ができるらしいんだ」

「そんな事ができるんですか?」

 浩太は早川さんの言葉を聞き、また驚きながら言った。

「できるみたいだね。ホーマ達はそう言ってた。さっき私達に杯を合わせろと言って来たあの天竜という竜の女王の力をもってすれば可能だとか」

 早川さんが口を閉じると本当に不思議な事ってあるもんだねというような顔をした。

「凄いですね。天竜ってそんなに凄いんだ」

 浩太は感嘆の声を漏らした。

「ホーマ達の気持ちは凄く掛け値なしに嬉しいんだけどね。君みたいな子が相手じゃどうしようもないな。ただこの席だけは楽しく飲みたいなんて今思ったりしてるんだ。折角の最後の晩餐だからね」

 早川さんが言い終えると優しくふんわりと微笑んだ。浩太は飲みましょう。俺も付き合いますよと言おうとしたが言葉を出す寸前の所で慌てて口を噤んだ。

「ちょっと待って下さい。それって、俺の為に死んでも良いって事ですか? 折角生き返る事ができるかも知れないのに」

 浩太は、ああ。なんて事だ。俺は帰る為に早川さんは生き返る為に戦ってるっていう事だよなこれってと思いながら言葉を出した。

「浩太君。それは違う。私はもう一度死んでるんだ。だからこのままで良いんだよ」

 早川さんが諭すような口調で言った。

「駄目ですよ。そんな事。折角生き返る事ができるかも知れないのに。俺はまだ生きてるんです。でも早川さんは違うじゃないですか。俺が勝ったら早川さんは本当に死んでしまう。無理だ。これじゃ俺が早川さんを殺すみたいじゃないですか。俺にはそんな事できないです」

 浩太は俺が負けますという言葉も言おうとしたが負けるという事は創元さんや竜子ちゃんが死ぬという事だと思うとその言葉を出す事ができなかった。

「浩太君。申し訳ない事をしたね。私が君の話を聞いて勘違いしたばっかりに。私の事は話さない方が良かったね」

 早川さんが心底申し訳ない事をしたという顔をしながら言った。

「いえ。聞いてなくっても最後にはこんな風になってたと思います。どっちかが勝つって事はどっちかが負けるって事ですから。どうすれば良いんですかね? 俺、ちゃんと分かってなかった。さっきだって負けますって言おうと思ったんです。けど、俺達の方が負けると今戦ってくれてる二人が殺されるらしいんです。それは嫌なんです。早川さんが死ぬのも嫌です。けど、二人にも死んで欲しくないんです」

 言い終えた浩太は顔を俯けるとこんなのどうすれば良いんだ? 俺がビルから落ちたばっかりにと思いテーブルに思い切り拳を叩き付けた。

「浩太君。大丈夫だよ。負けるの私達だ。君達は勝って未来に進むんだ」

 浩太の耳に早川さんの優しい声が入って来た。

「そんな駄目ですよ。早川さんが、そうだ。ホーマさん達だって殺されるかも知れない。俺には勝つなんてできません」

 浩太が言うと浩太の肩に早川さんが手を乗せて言った。

「二人には私から話そう。あの二人なら分かってくれるはずだ」

「皆死んじゃうかも知れないんですよ。俺の所為で。そんなの駄目だ」

 浩太が叫ぶように言うと肩の上に乗っていた早川さんの手がそっと浩太の肩をぽんぽんと叩いてから離れた。

「間違ってるのは私達だ。私は病気で死んだんだよ。生きてる君とは違う。もしも私が勝ってしまったら私は君を本当の意味で殺す事になる。私はそんな事はしたくないしあの二人を人殺しにはしたくない」

 早川さんが優しいが力強い口調で言った。

「俺は死にません。こっちの世界から出られなくなるだけです」

 浩太が言うと早川さんがけど、君の仲間の二人は殺されてしまうんだろう? と言った。

「それは、早川さん達だって」

 そう言った浩太と早川さんは見つめ合った。

「このままだと堂々巡りだね。私はね。あの二人には私と一緒に死んでもらって構わないと思ってるんだ」

 浩太は早川さんの唐突な自分勝手な言葉を聞き驚き戸惑った。

「なんですか急に。おかしいですよそんなの」

 浩太は責めるように言った。

「そんなにおかしい事かな?」

 早川さんの言葉を聞いて浩太は早川さんどうしちゃったんだ? と心配になった。

「そんな勝手な事ってありますか? 死んでもらっても構わないだなんて言って」

 浩太がそう言うと早川さんが何かに気付いたような顔をした。

「言葉が足りなかったみたいだな。恥ずかしいからあまり言いたくはない事なんだけどね。私とホーマは愛し合っててね。私がもう病気で長くないと知った時彼女は私を追って死ぬと言ってくれたんだ。ギネカもホーマが死ぬなら死んで良いと言ってくれててね。それが、何をどう考えて私を生き返らそうだなんて事になってしまったんだか」  

 浩太は早川さんの言葉を聞いていてだったら猶更死んじゃ駄目じゃないかと思った。

「愛し合ってるなら生きた方が良いですよ。ホーマさん達だって早川さんが死んだ後でそう思ったからきっと早川さんを生き返らせようって思ったんですよ」

 浩太の言葉を聞いた早川さんが難しい顔をした。

「ホーマ達は私達とは違う時を生きてる。ホーマは良く言ってた。私に先に死んで欲しくないって。私もホーマを残して死にたくないと思ってた。けど、無理なんだよ。どう頑張ってみても人間の方が早く死んでしまう。同じ時を生きる人間が相手だったらきっと自分よりも一瞬でも良いから長く生きて欲しいと思っただろう。けど私が死んだ後もずっとずっとホーマが私の事を思いながら生き続けると思うとね。時間が経って忘れてくれれば良いんだけど、あれはそういうタイプの女じゃないんだ。一途なんだよ」

 早川さんが口を閉じると昔を懐かしむような目を戦っているホーマ達の方へ向けた。

「なんか、複雑ですね。でも、ほら、とりあえず早川さんが生き返ればまたしばらくは一緒にいられるじゃないですか」

 言い終えた浩太は創元さん、竜子ちゃん、早川さんにホーマさんにギネカさん。皆が生きていられるようにするにはどうすれば良いんだろうか? と思い顔を俯けると必死に解決策は何かないかと考えた。

「皆で協力して天竜を倒すなんて事ができればそれが一番良いのかも知れないけどね」

 早川さんが溜息交じりに言った。浩太はばっと顔を上げた。

「それだ。それですよ。どうしてそんな簡単な事思い付かなかったんだろう。協力しましょう」

 浩太は早川さんの方に向かって身を乗り出すと勢い込んで言った。

「それは難しいと思うよ。浩太君は忘れてるのかも知れないけど、ここへ来る直前に君の仲間の竜子という子がホーマに向かってそんなような事を言ってたんだ。だが、ホーマがそれはできないと断ってた」

 早川さんの言葉を聞きながら浩太は、竜子ちゃんそんな話してたっけ? けど、そういう話をしてたとしてもこのまま何もしなければ皆が不幸になってしまう。それを回避する為には早川さんの言ったこの方法が一番良いんだ。と考えるともう一度勢い込んで言った。

「とにかく皆を呼んで一度話をしてみましょう」

 早川さんがにこりと微笑んでから今度はさっきとは違い、そうだねと言った。

「じゃあ、早速呼びますね」

 浩太は早川さんに向かって言ってから、椅子の上に立つと創元さん、竜子ちゃん、ホーマさん、ギネカさんと大声で皆を呼んだ。

「聞こえてないみたいだ」

 何度か呼んでみたが戦っている皆がなんの反応も示さないので浩太はがっかりしながら呟いた。

「まさか、あの透明な壁みたいなのが邪魔をしてるとかですかね?」

 浩太は早川さんの方を見ながら言った。

「その可能性はあるな。けど、私達に何かあった場合にすぐ対処できるようにしてあると思うんだ。例えば、私と君が酔った勢いで喧嘩なんかを始めたとして、声も聞こえない何も分からないっていうんじゃどうしようもないからね」

 浩太は早川さんの言った喧嘩という言葉を聞いてぴんと来た。

「早川さん。喧嘩してみましょうか?」

 浩太の言葉を聞いた早川さんが一瞬浩太の顔をじっと見てからにこりと微笑み頷いた。

「一芝居打とうって事だね。面白い。やってみよう」

 早川さんがそう言うなりいきなり浩太のように椅子の上に立った。

「このー。さっきから聞いてれば調子に乗って。もう。私は、怒ったぞー」

 浩太は早川さんの変に高くなった声と変な所を不自然に区切る口調とを聞いて驚いた。

「は、早川さん。演技がへた過ぎです」

 浩太は思わずそう口走っていた。

「なんだってー。くっそう。私を、愚弄、する気だなー」

 浩太の言葉は聞こえているはずなのだが早川さんがへたな演技を続けた。

「私を、怒らせたらどうなるか。見てらっしゃいー」

 早川さんが更に続けて叫ぶように言った。浩太は見てらっしゃいって、その台詞どうしてそうなったとあわわわわとなったが早川さんが続けるへただが一生懸命な演技に影響され、こうなったら俺もやってやりたいぜと燃えて来ている自分の心の声に不意に気付きはっとした。

「俺こそ怒りましたよ。きいぃー」

 浩太はのりのりで叫び声を上げた。

「こ、浩太君。きいぃーって。怖いよ?」

 浩太の叫びを聞いた早川さんがいきなり素に戻って言った。

「は、早川さん。そんな急に。さっきまで一生懸命演技をしてたのにー」

 浩太はうわっなんかやっちゃったぽいと思い顔を真っ赤にしながら言った。

「でも、きいぃーだよ。私はそんな風に怒った人が叫んだりするのを見た事がないよ」

 早川さんがこれでもかと真面目になって言ったので浩太はそうか思わず叫んじゃったけどきいぃーはなかったかとすぐに反省した。

「すいません。じゃあ、ぐおおおーで」

 浩太はこれなら良いかなときいぃーの次に頭の中に浮かんだ言葉を改めて叫んでみた。

「まだそれのが良いな。でも、どうしてそんな叫び声を上げるのかは分からないな。けど。私も負けないぞ。こなくそー」

 早川さんが再び演技を始めつつ言いながらカンフー映画の主人公が戦う時にするようなファイティングポーズをとった。

「おお。早川さん。格好良いじゃないですか。こっちもだこんちくしょー」

 浩太は言いながら何かのバトル物の漫画の主人公がやっていたような気のするファイティングポーズを真似てみた。

「やる気だなー浩太君」

 早川さんが気合のこもった声を上げた。

「早川さんこそー。うおー」

 浩太も負けじと声を張り上げた。浩太と早川さんはファイティングポーズをとったまま見つめ合った。

「うおおおー。浩太君」

 早川さんが不意になぜか何かを見て驚いた時のように目を大きく見開いてから叫びつつ目顔で浩太に何かしらを訴え掛けるような仕草をして来た。

「どうしたんですか? それじゃ分からないですよ。口に出して言ってくれないと」

 浩太が言うと早川さんがあっちゃーやっちゃったーというような実に苦渋に満ちた表情を見せた。

「早川さん、本当にどうしたんですか?」

 浩太が聞くと浩太の背後から声が聞こえて来た。

「なんなのだ? 喧嘩してると思って来たのに普通に話をしてるみたいなのだ」

 浩太はその声を聞いてうわっ。天竜、いつの間にこんなに傍まで来てたんだよっと驚きつつ早川さんが目顔で何かしらを訴え掛けるような仕草をしていた意味を理解した。浩太はなんとか喧嘩をしているように見せかけようと思うととりあえずなんでも良いから叫ぼうと決め口を動かし掛けたが舌を思い切り噛んでしまい何も叫ぶ事ができなくなった。悪い事は重なるものでその痛みに驚いた所為で浩太は椅子から片足を踏み外してしまった。前に向かって倒れそうになった浩太はすぐに倒れてたまるかと思うと体重を後ろにかけるように体をそらせながらまだ椅子の上に残っていた方の足をぐっと踏ん張った。

「あ、ああー。嘘だろー」

 浩太の叫びに続き天竜の絹を引き裂くような悲鳴が上がった。体重を後ろに向かってかけるように体をそらし椅子の上に残っていた方の足を踏ん張った所為で今度は後ろに向かって倒れて行ってしまいそのまま椅子の上から落下した浩太は背中から落ちるのだけは怖いから嫌だと思いなんとか体を捻って後ろを向いたがその為に飛び掛かるような恰好になって背後に立っていた天竜を押し倒してしまっていた。

「浩太君。天竜。大丈夫か?」 

 う~ん。いたたたとなっている浩太の傍に叫びながら早川さんが来た。

「俺はなんとか平気ですけど、天竜が下敷きに」

 浩太はそう言うと起き上がろうとして手を地面に突こうとした。

「今、むにゅってした」

 思わず浩太はそう言っていた。この展開は? これはあのべたべたな展開ではないのか? 浩太の脳裏にそんな思いが広がった。

「いや~、なのだ。それは余の胸なのだ。そんな事をしてはいけないのだ」

 切なそうな恥ずかしそうな、それでいて妙に艶めかしい天竜の声がした。

「天竜」

 浩太は呟くように言いながら思わずごくりと唾を飲み込み自分が組み敷いている天竜の顔を見た。

「桜花浩太」

 天竜と目が合った。浩太の名を呟くように言った天竜の虹色の瞳は涙で潤んでいた。

「おやおや。こんな展開ですか。しょうがないな。ここは若い人達に任せておじさんは退散しといた方が良いね」

 早川さんが嬉しそうに言いながら浩太達の傍から離れて行った。

「ちょっと。早川さん」

 浩太は大声で言いつつ慌てて天竜から離れ立ち上がった。

「はっ!? これは余とした事がなのだ」

 天竜が顔を真っ赤にしながら上半身を起こすとささっと居住まいを正した。

「駄目じゃないか。女の子を放っておいてこっちになんか来ちゃ」

 早川さんの傍に行くといきなり浩太は早川さんに怒られた。

「え? でも、だって、そんな、なんで」 

 浩太はしどろもどろになりながら言いこんな状況どうしろっていうんだよと思った。

「喧嘩は、してないのだな?」

 いつの間に立ち上がったのか天竜が浩太達の傍に来るとなぜか不自然に下を見つめもじもじしながら言った。

「早川さん。うおおおおー」

「おっと。そうだね。そうだった。惚れた腫れたじゃなかった。浩太君」

 浩太がそうだった喧嘩だったと思い叫ぶように言いながらファイティングポーズをとるとそれに応えるようにして早川さんがうんうんと頷きながら言いファイティングポーズをとった。

「邪魔をしないでくれ。天竜。俺達は喧嘩してるんだ」

 浩太はもう惚れた腫れたってなんだよと思いつつ急にはあはあと呼吸を荒くしながら言った。

「これはまずいですよ。このままでどちらかが死にかねないほどの喧嘩ですよこれは」

 早川さんがなぜか急に解説者のような口調と声音になって言った。

「お前達が喧嘩をしては駄目なのだ。すぐにやめるのだ」

 あっさり二人が喧嘩をしていると信じたらしい天竜がやっぱり不自然に下を向きもじもじしながらそう言い浩太と早川さんの間に体を入れると二人の距離を放すように押すような感じで浩太と早川さんに向かってのろのろとした動きで両方の手を伸ばした。

「邪魔しないでくれ」 

 浩太は天竜の顔を睨み付けようとしたが先ほど胸を触ってしまった事で妙に意識してしまい天竜の顔をまともに見る事ができず不自然に横を見ながら言った。

「やっぱり良いな。こういうのって。初々しい反応だね。そうですよ。私達は喧嘩の真っ最中。やめませんよ」

 浩太はやっぱり良いな。初々しい反応だねとか言わないで下さいと早川さんに言いたかったが余計な事を言ったらきっと話が変な方に向かってそれて行ってしまうと思い我慢した。

「お前達はお酒を飲むのだ。戦うのは向こうの者達の役目なのだ」

 天竜が早川さんの方だけを見ながら言った。

「おやおや? これもまた良い反応だね。君達もう付き合っちゃえば?」

 早川さんがそんなとんでもない事を言い出した。

「はあ? なんでそうなるんですか」 

 浩太は瞬時に顔を真っ赤にしながらキレ気味に言った。

「そんな事はできないのだ」

 天竜がちょっと切なそうに恥ずかしそうにしながら言った。

「浩太君。これは脈ありだよ? 駄目なの?」

 早川さんがまたとんでもない事を言い出した。

「みゃ、脈ありって。なんですか、それ」

 浩太はちらっちらっと天竜の様子を盗み見しながら弱々しい声になって言った。

「喧嘩は、駄目、なのだ」

 天竜が浩太の視線を意識しながらとりあえず言っておくのだみたいな感じで言った。

「ちょっと浩太君を借りるよ」 

 言うが早いか早川さんが浩太の傍に来ると浩太の肩をがしっと抱いて天竜から離れるように浩太を引っ張りながら歩き出した。

「何やってんですか早川さん。喧嘩はどうするんですか?」

 早川さんに引っ張られるままに歩きながら浩太は天竜の方をちらっちらっと盗み見しつつ言った。

「浩太君。今から大事な話をするからちゃんと聞くんだ」

 天竜からある程度の距離をとった所で足を止めると早川さんが小声で囁くように言った。

「なんですか急に大事な話って」

 早川さんの話し方につられるように浩太も小声で囁くように言った。

「天竜の気持ちを利用しちゃおう。間違いなくあの子は君にほの字だ。その恋心を利用して言う事を聞かせちゃおう」

 浩太はこの人はなんて酷い事を言うんだと思い目を見開いた。

「なんて事言うんですか。駄目ですよそんな酷い事」

 浩太は思わず大きな声を出していた。

「浩太君。声が大きいよ。良いかい。確かに私の言ってる事は酷い事かも知れない。けど、この方法以外に今すぐ何か別の方法を思い付くかい?」

 浩太は思い付かない、というかそんな風に不意打ちで言われても何も考えてないに決まってると思った。

「いきなりそんな事言われても。とにかく駄目ですよ。そんな事したら天竜が傷付くじゃないですか。そんな人の気持ちを利用するような事できないですよ」

 浩太はまた小声に戻り囁くように言った。

「浩太君。大丈夫だよ。君がうまくフォローしてあげれば傷付いたりなんてしない。恋愛というのはそういう物だから」 

 早川さんが言い終えると片手を浩太の目の前に持って来てサムズアップしてみせた。

「そんな風に言われても。とにかく駄目ですって。だいたい本当に俺の事が好きかどうかも分からないじゃないですか。それに、俺だって心の準備があります。いきなり恋愛とか言われても困りますよ」

 浩太は顔を俯け地面を見つめながらどきどきしつつ言った。

「浩太君。恋なんて物はいつも突然始まる物だよ。そんな事言ってたら折角のチャンスを逃してしまうよ。君はそれでも良いのか?」

 早川さんの言葉を聞いて浩太は顔を上げた。

「逃してしまうって。でも、俺、本当に、天竜の事が好きかどうか分からないです。それなのに」 

 言葉を出しつつ浩太は自然にまた顔を俯けて行った。

「大丈夫。男なんてのは単純さ。今君が天竜の事を嫌いじゃなければ一緒にいるうちにきっと大好きになってしまう」

 早川さんが言葉を切ると顔を上げた浩太の目をじっと見つめて来た。

「な、なんですか急にそんな風に見て」

 浩太な早川さんに見つめられているうちに漠然とした不安に襲われたので慌てて口を開きそう言った。

「君は奥手過ぎるな。私だったらこんなチャンス絶対に逃さないのに。浩太君。君、童貞だろう?」

 浩太は童貞という言葉を聞いてぎくりとし何が悪いんだーと叫びたくなった。

「ど、どど、童貞とか言わないで下さい。そ、そんな事どうでも良いじゃないですか。大きなお世話ですよ」

 浩太は激しく憤慨しながら怒鳴るようにして言った。

「浩太君。天竜の方を見てみるんだ。彼女を見て何も感じないのかい? 自分の心に素直になるんだ。もっと本能の赴くままに生きるんだ」

 早川さんが言い終えると天竜の方を見て天竜を指差した。

「な、なんなのだ急に?」

 早川さんに突然指を差された天竜が困惑した様子で言った。浩太はその姿を見て思わず唾をごくりと飲み込んだ。

「早川さん」

 浩太は雷に打たれたような衝撃に脳天を貫かれた気持になりながら早川さんの方を見た。

「うん?」

 早川さんが言いながら浩太の方に顔を向けた。

「俺、告白します。行って来ます」

 浩太が言うと早川さんがとても嬉しそうに屈託のない笑みを顔に浮かべた。

「ああ。行くが良い若者よ。人生は山あり谷あり嵐ありだ。だけど、良い事もたくさんある。恐れるな。突っ走れ」

 早川さんが万感の思いを込めたように言うと浩太の背中をばしっと叩いた。浩太ははいっと大きな声で返事をすると天竜の顔をじっと見つめて歩き出そうとした。

「あ。ああっ~」

 浩太は唐突にある事に気付いてしまい激しくショックを受け叫びながら慌てて早川さんの方を見た。

「どうした浩太君?」

 早川さんがどんな事でも受け止めるよと言わんばかりの勢いで言った。

「早川さん。すいません。俺、失礼な事を言うと思います」

 浩太はそこで言葉を切ると早川さんの言葉を待った。

「どんと恋だ。おっと。今のは来いと恋をかけてみたんだ。ははは。おやじギャグ炸裂だね。なんてね。なんでも良いよ。さあ、言ってごらん」  

 浩太はおやじギャグの部分は完全に無視してはいと言ってから口を開いた。

「ホーマさんとか天竜とかに恋するってロリコンみたいじゃないですか? 俺、そう思ったらなんか。すいません。別に早川さんがロリコンだとかいうつもりじゃないんですけど、なんか引っ掛かるというか」

 浩太は口を閉じると早川さんの表情を探るように見た。

「浩太君。天竜の容姿に受け入れられない所があるのかい?」

 早川さんの言葉を聞いた浩太は頭をぶんぶんと否定するように激しく左右に振った。

「そんな事ないですよ。かわいいし。なんか神秘的だし? 綺麗だとも思うし」

 浩太は早川さんにだけ聞こえるように顔を真っ赤にしながらもじもじしつつ囁くように言った。

「ならばなんの問題が? ロリコンでも良いじゃないか。それにだ。見た目はロリかも知れないが彼女達は合法だぞ。彼女達は皆いわゆるロリBBAだ。この言い方をするとホーマが凄く怒るからあまりしたくはないんだけどそういう事なんだよ。浩太君。だから大丈夫だ」

 早川さんが言い終えると何かを成し遂げたような表情をしてからにこっと微笑んだ。

「早川。誰がロリBBAだって?」

 浩太達の背後から不意にそんな言葉が聞こえて来た。

「そ、その声はホーマ?! い、いつの間に?!」

 早川さんが驚き動揺した声で言いながら振り向いた。

「浩太ちゃん。どうなってるの? なんかこっちの様子がおかしいと思って来てみたんだけど」

「そ、創元さんに皆まで」

 創元の声がしたので浩太も振り返ってみると遠くで戦っていたはずの四人がすぐ傍に立っていた。

「ホーマ。今は邪魔をしないでくれ。大事な話の途中なんだ」

 早川さんがすっかり落ち着きを取り戻した様子で言った。

「大事な話って何? 我達がロリBBAって事に何か関係が?」

 静かに低く唸るようにホーマが言った言葉には有無を言わさぬ迫力があった。

「い、いや~。浩太君ごめん。実はね、ホーマ。浩太君が天竜に告白したいっていうから。それで、ほら。君らの年齢と容姿の話を、ちょっとね」

 早川さんがしょうがいないんだ浩太君本当にごめんというような顔をしながら言うとその場にいた全員の視線が浩太に突き刺さった。

「浩太よ。告白とはなんの告白なのじゃ?」 

 竜子が今まで聞いた事のないような優しい声で聞いて来た。

「え、えっと、あの、だから、その」

 浩太はしどろもどろになりつつ言いながら早川さんの方に顔を向けるともう早川さん何言っちゃってんですか。この状況どうにかして下さいよと目で必死に訴えた。

「皆。ここは大人しく二人の恋路を見守ろうじゃないか。人の恋路を邪魔する奴は馬に蹴られてとかなんとかって言うだろう?」

 早川さんが浩太の目での訴えに応えてそう言ってくれた。

「ちょっと天竜ちゃん? これはどういう事なのかしら?」

 創元が顔を真っ赤に染めながらもじもじしつつ皆の様子を見守っていた天竜に声を掛けた。

「余、余は、あの、ええっと、その、なのだ」

 天竜がしどろもどろになりつつ言いながら浩太の方を向くと言葉を切ってじいーっと何かを期待するような目で浩太の目を見つめた。うわ。凄い見られてる。これは天竜に、いや、きっとこの世界の恋愛に関する神様か何かに試されてるんだ。ここでの発言次第で俺と天竜の未来が決まるんだ。天竜に見つめられ続けすっかり舞い上がってしまった浩太はそう思うと天竜の虹色の瞳をじいーっと見つめ返しながら何をどう言えば良いんだろうと考え始めた。

「見つめ合ってるのじゃ」

 竜子が驚きの声を上げた。

「ちょっと。二人ともどういう事なの? あたくしはこんなの認めないわ」

 創元が怒りも露わに言った。

「天竜さん?」 

 ホーマが戸惑いつつ呟くように言った。

「良いじゃない~。このまま~二人がくっ付いて~ハッピーになって~それでハッピーエンドに~しようよ~」

 ギネカがテーブルの傍から椅子を持って来ると胸を揺らしつつ椅子に座りながら嬉しそうに言った。

「そうだ。その通りだギネカ。私と浩太君は争いなんて望んじゃいない。ホーマ。もう戦いはやめてくれ。私は生き返りたくなくなった。浩太君達を退けてまで生き返りたくはないんだ」

 早川さんが急に大きな声を出したと思うとホーマの両肩に両手を乗せながら強く訴えるように言った。

「早川。急にどうした? なぜそんな事を言う? なぜ考えを変えた?」

 ホーマが責めるような口調で言った。

「私は勘違いしてたんだ。浩太君も私と同じように死んでると思ってた。けど、浩太君と話してるうちに浩太君がまだ生きてる事を知ってしまったんだ」

 早川さんが言葉を切るとホーマがすぐ口を開いた。

「なんだそれは。だからなんだ? そんな事関係ないじゃないか。お前は我と一緒にいたくないのか? そのまま死んでしまっても良いのか?」

 ホーマの両目の中の瞳が射るように早川さんの両目の中にある瞳を捉えた。

「なんじゃ? どういう事なのじゃ? 話が良く分からないのじゃ。ホーマ。わしにも分かるようにちゃんと説明するのじゃ」

 竜子が仲間外れにするななのじゃと言うように不満そうに声を上げた。

「竜子には関係ない。これは我と早川の問題だ」

 ホーマの言葉を聞いた竜子が小首を傾げた。

「なんじゃ。浩太と天竜の話ではないのか?」

「竜子。ホーマちゃんと早川さんは今は放っておいてあげなさい。それよりも浩太ちゃんよ。ねえ浩太ちゃん。ちょっとこっち見て」

 創元が言い終えると浩太の頬をすーっと撫でた。

「うひゃ。ちょっと創元さん怖いですよ。やめて下さい」 

 浩太が飛び上がって驚くと創元が浩太の顔を両手で挟むようにしてそっと掴み自分の顔の真正面に浩太の顔が来るようにした。

「何があったのか詳しく教えて。どうして浩太ちゃんは天竜ちゃんに告白しようなんて思ったの?」

 浩太は創元の言葉を聞いてはいたが今はそんな事よりも何をされるか分からないから一刻も早く創元さんの拘束から抜け出したい、そんでもって無事に抜け出す事ができたら天竜の姿をもっと見ていたいと思い顔を創元の手から逃れられるように天竜の姿が見えるようにと動かしながら口を開いた。

「創元さん。やめて下さい。怖いですから放して下さい。邪魔をしないで下さい。俺は天竜の事が好きなんだ。ずっと見ていたいんだ」

 浩太が叫ぶように言うと創元の浩太の顔を掴んでいる手がぴくっと微かに動いた。

「浩太ちゃん。お願いよ。どうしてそうなったのかだけ教えて」

 創元が消え入るような悲しそうな声で懇願するように言った。

「創元さん。そんな、分かりました」

 創元の悲しそうな声を聞いた浩太はあっさりと心を打たれてしまい創元に早川さんと飲んでいて話していた内容や天竜とどうしてこんな風になったのかを事細かに語って聞かせた。

「そう。分かったわ」

 創元が静かな声でそう言うと浩太の顔から手を放した。

「竜子。ちょっとこっち来て」

 創元が竜子を呼ぶと竜子がなんじゃ? とちょっと面倒くさそうに言いながら創元の傍に来た。

「浩太ちゃん。ちょっと手を貸して」

 創元がそう言うと浩太の右手を掴んで持ち上げた。

「なんですか?」

 浩太が言ったのとほとんど同時に浩太の右手が創元によって操られ竜子の胸にぎゅっと押し付けられた。

「う、う、うひいぃ~」

 むにゅっとした得も言われぬ感触に浩太はおかしな声を上げてしまった。

「な、なんなのじゃ? これはなんなのじゃ? 創元。何をしてるのじゃ?」

 竜子が突然の出来事に戸惑い混乱した様子で創元に聞いた。

「どう浩太ちゃん? どきどきしてる?」  

 創元が聞いて来たので浩太ははいはいと何度も何度も言いながら何度も何度も頷いた。

「創元。だからこれはなんなのじゃ? わしはどうすれば良いのじゃ? 怒って浩太をぶっ飛ばせば良いのか? それとも、その、このまま浩太を」

 竜子の顔が赤く染まって来て言葉の途中で竜子が押し黙った。

「竜子はどう? どきどきしてる?」

 創元が聞くと竜子が少し考えるような顔をしてから小さく頷いた。

「そうじゃな。どきどきはしてるのじゃ。じゃが、そんな事より、そろそろ手をどけた方が良いと思うのじゃ」

 竜子が弱々しい実に女の子らしい口調でそう言った。浩太は竜子ちゃんが嫌がってると思うとそうです早くどけて欲しいですと慌てて叫んだ。

「じゃあどけるわ」

 創元がそう言い浩太の手を引いて竜子の胸から離した。

「浩太ちゃん。竜子の事どう思う?」

 創元が竜子の方を見ながら言った。

「どう思うって、別に、はっ!?」

 浩太は自分の心の中に新たに生まれて来た気持ちに気付くと驚き絶句した。

「あれ? どうしてだ? なんかおかしいぞ。この気持ちは? このどきどきは?」

 浩太が大声で言いながら自問自答を始めると創元が言った。

「浩太ちゃんくらいの年の男の子はね。すぐに惚れるのよ。すぐに求めてしまうの。浩太ちゃん。あーたは天竜ちゃんじゃなくっても良いのよ。竜子でもギネカでもホーマでもあたくしでも誰にでも切欠さえあれば告白したくなっちゃうのよ」

 創元の言葉が浩太の胸にぐさりと深く突き刺さった。

「ああ。こんな。なんて、事だ。俺は。俺の恋心は」

 浩太は己の軽薄さと薄情さと心変わりの早さに苦悩し叫びながら頭を抱えると崩れ落ちるようにして地面に両膝を突いた。

「浩太ちゃん。あーたは悪くないわ。いえ。誰も悪くはないのよ。悪いのは若さなのよ。それだけなのよ」

 創元が遠くを見るような目をしながら優しい声で言った。

「はあああー。俺は。俺は一体!? この気持ち、この思い、どうすれば良いんだー」

 浩太は空を見上げると抜けるような青空に向かって雄叫びを上げた。

「創元。竜子。桜花浩太に何をしたのだ?」

 天竜が浩太の異変に気付き浩太達の傍に来て言った。

「天竜ちゃん。ちょうど良かったわ。あーたと浩太ちゃんの間に起きた事について今から説明してあげる」

 創元が言いながら天竜の前に行った。

「余と桜花浩太の間に起きた事? どういう事なのだ?」

 天竜がちょっと頬を赤らめながら言った。

「あーたと浩太ちゃんの恋の話よ。あーたも浩太ちゃんも確かに今お互いを好きあってる。だけど、浩太ちゃんはあーたが相手じゃなくても良いの。浩太ちゃんは誰が相手でも良いのよ」

 創元の言葉を聞いた天竜の表情が一瞬にして悲しそうな物になった。

「言ってる事が良く分からないのだ。それは桜花浩太が余を好きではないという事なのか?」

 言い終えた天竜が浩太の顔を見た。浩太は逃げるようにしてさっと顔を横に向けてしまった。

「違うわ。好きは好きなの。だけど、浩太ちゃんくらいの年の男の子は誰の事でもすぐに好きになってしまうのよ」

「余は嫌われてしまったのか? 桜花浩太は余の事を嫌いなったという事なのか?」 

 創元が口を閉ざすと天竜が小さな震える声で言った。

「違う」

 浩太は天竜の悲しそうな様子を見ていて、違うんだ。そういう事じゃないんだ。嫌いになんてなってないんだと強く強く思うと大声で叫んだ。

「そうじゃないんだ天竜。俺は、俺くらいの男の子は誰の事でもすぐに好きなってしまうんだ。俺は天竜の事が確かに好きなんだ。だけど、今は、竜子ちゃんの事も好きなんだ。どっちも好きで好きになってしまって、だから、今の俺じゃ、天竜の事だけを好きだなんて言えない」

 浩太は一気に心のうちを言葉にしてさらけ出した。

「それは、なんなのだ? そんなのお前がしっかりすれば良い事ではないのか? 桜花浩太。お前はお前なのだろう? 他の誰でもないたった一人の桜花浩太なのだろう? ならば他の男の子がどうであってもお前だけはお前であれば良いのだ。お前だけは余だけを思ってくれれば良いのだ」

 天竜の悲痛な叫び声が響いた。

「天竜。ごめん。駄目だよ。俺はもう汚れてるんだ。さっきまでの天竜の事だけを好きだった俺はもういない。俺は天竜と竜子ちゃんのどちらかを選ぶなんてできない」 

 浩太は天竜を裏切ってしまったという思いに押し潰されそうになりながら必死に言葉を出した。

「なぜなのだ? 何があったのだ? どうしてなのだ?」

 天竜が浩太の傍に来ると浩太の肩を掴んで浩太を立ち上がらせ言い募った。

「ごめん。天竜。俺、竜子ちゃんの胸を触ったんだ。そしたら、俺、どきどきして。あの時の天竜の胸を触った時と同じだったんだ。そしたら俺、はっとして。竜子ちゃんの事、急に意識し始めて」

 浩太は天竜の顔を見る事ができず、顔を俯けながら喉の奥から絞り出すようにして言葉を出した。

「余がいるのだぞ。どうして竜子の胸なんて触ったのだ」

 天竜が叫ぶと創元が口を開いた。

「あたくし達が戦ってる間に起きた事を浩太ちゃんに聞いて浩太ちゃんの気持ちを確かめたくなったからあたくしが触らせたの」

「確かめる必要なんてどうしてあるのだ?」

 天竜が責めるように言った。

「それは、あたくしも浩太ちゃんの事が好きだからよ」

 創元の言葉にその場にいた誰もが息を呑んだ。浩太はうわーやっぱりそうだったんだと物凄いショックを受けどうしようどうしようと思い悩み始めた。

「良いの。あたくしの気持ちの事は今は良いの。だから浩太ちゃん。そんなに悩まないで」

 創元が浩太の傍に来ると優しく耳元で囁いた。

「こら~。創元。浩太にそんな風に近付いては駄目なのじゃ」

 竜子が口から炎を吐きつつ怒鳴った。

「そうなのだ。創元。そんなにくっ付いては駄目なのだ」

 天竜が叫びながら浩太に向かって手を伸ばすと束の間逡巡してからいきなり浩太に抱き付いた。

「てっ、おい~。天竜。何を抱き付いてるのじゃ」

 竜子が言いながら浩太の背中に飛び付くと天竜から浩太を奪った。

「なっ。竜子こそなんなのだ? 余、余の桜花浩太を横取りする気か?」

 天竜から奪った浩太を背後から抱き締めている竜子と天竜が睨み合い交錯した視線がばちばちと火花を散らした。

「だいたいなんなのじゃ? 天竜。お前は本当に浩太の事が好きなのか? 人の世界と竜の世界を分けといてどうして人を好きになんてなってるのじゃ。おかしいのじゃ」

 竜子が言いながらぎゅっと浩太を抱く手に力を入れた。浩太は竜子の体の柔らかい感触とほんのりと香る石鹸の匂いにうへへへとなり幸福感に満たされ至極情けない表情になった。

「そ、それは、なのだ。竜子こそなんなのだ。急に浩太の事が好きになったのか?」

 天竜がそう言うと浩太を奪おうと手を伸ばしたが竜子がささっと後ろにさがってそれを避けた。

「今はわしが聞いてるのじゃ」

 竜子が怒鳴ると絶対に渡さないと誇示するかのように更にぎゅっと浩太を抱く手に力を入れた。浩太は更にうへへへとなった。

「その手を放すのだ。最初に桜花浩太に会った時にいきなり触られた時から桜花浩太の事が妙に気になり出していたのだ。それからまた桜花浩太に触られ、そこにいる早川さんに恋だなんだと言われて。しょうがないのだ。好きになってしまったのだ。余だって恋愛したいのだ。どうして邪魔するのだ」

天竜が言い終えると竜子がなんなのじゃそれは。無茶苦茶なのじゃと怒鳴った。

「天竜ちゃん。恋愛したって良いわよ。だけど、時と場合をわきまえないと駄目じゃない。あーた、浩太ちゃんが人の世界に帰るのに反対してるのよ。そんな相手に恋してどうするの?」

「相手を選べれば苦労しないのだ。創元。好きになる相手を選ぶ事なんてお前にはできるのか?」 

 竜子が怒鳴った後に創元が言った言葉を聞いた天竜が必死に訴え掛けるように言った。

「そうね。確かに好きになる相手は選べない時もあるわ。けど、どうするの? あーたは好きになった相手の浩太ちゃんの邪魔をしてるのよ。浩太ちゃんの幸せを願うなら浩太ちゃんを帰してあげなさいよ」

創元が厳しい口調で言うと天竜が悲しそうな表情をし顔を俯けた。

「それは、確かに創元の言う通りなのだ」

 天竜が言ってから顔をゆっくりと上げ浩太の方に向けた。

「なんじゃ? 浩太は渡さないのじゃ」

 竜子が威嚇するように口から炎をぼっぼっと吐きつつ言い放った。竜子の言葉にはなんの反応も示さず天竜が突然その場に正座をすると地面に着くほどに深く頭を下げた。

「桜花浩太よ。余のわがままを聞いて欲しいのだ。余と一緒にいてはくれないだろうか? お前のこれからの人生、死ぬまでの時間をこちらの世界で余と一緒に過ごしてはくれないだろうか? 余は余のすべてをもってお前を愛しお前に尽くす事を約束するのだ。桜花浩太よ。どうか余の願いを聞いて欲しいのだ」

「竜子ちゃん。ごめん。手を放して」

 天竜の言葉に心を貫かれ急にきりっとした浩太は真剣な口調で竜子に向かって言った。

「浩太。わしを捨てる気か?」

 竜子が言いながら放さないのじゃとばかりにぎゅぎゅっと浩太を抱く手に力を込めた。

「うっへ、うへへへ。はっ!? 竜子ちゃん。お願いだ。俺は天竜の気持ちに応えなければいけないんだ。竜子ちゃんを捨てたりなんてしない。頼む。今だけでも良い。手を放して」 

 浩太が更に真剣になって懇願するように言うと竜子が更に強く手に力を入れぎゅぎゅぎゅっと浩太を抱き締めた。

「このままで応えれば良いのじゃ」

 浩太は更に強く抱かれた事で竜子の体の感触と石鹸の匂いに今まで以上に溺れ意識を持って行かれそうになったが、なんとか天竜の事を考えて踏ん張るともうしょうがないよね。だって竜子ちゃんが手を放してくれないんだもの。うへへへ、は!? また、いけないと葛藤しつつ竜子に抱かれているそのままの格好で天竜の言葉に応える事にした。

「天竜。分かった。俺は帰らない。ずっとここにいる。ここにいて君と死ぬまで一緒にいる」

 浩太が天竜の正座をして頭を下げている姿を真剣な眼差しでじっと見つめながら言うと創元がすぐに口を開いた。

「何言ってるの浩太ちゃん。受験は? やよちぇんは? あーた、家族と自分の未来を捨てるの?」

 創元さんの言う事も分かるけどしょうがないんだ。俺は天竜の気持ちに応えたいんだ。ん? 待てよ? やよちぇん? えっとやよちぇんって誰だっけ? なんかすごく大切な人のあだ名のような気がするんだけどと思い少し考えてから、あ、母さんの事だと気付いた浩太は失敗した。そうだった。母さんの事どうしようと思った。このままだと母さんに会えなくなるんだよなと考えるとたった今天竜の気持ちに応えようと思った気持ちが急激に萎んで行き浩太は戸惑いと焦りを感じ始めた。

「そうだった。ごめん。天竜。母さんの事があった。受験はまあ良いんだけど、母さんは。あのさ天竜。たまに家に帰っちゃ駄目かな。それか居酒屋で母さんに会うとか」 

 浩太はそうだ今の俺の事を愛してくれてる天竜なら俺が頼めばきっと許してくれるんじゃないかと期待しながら言ってみた。

「桜花浩太。それはできないのだ。向こうの世界との関わり合いは一切絶って欲しいのだ」

 天竜の言葉を聞いて浩太はえ? 駄目なの? そんな。どうしてだよ天竜? 母さんともう二度と会えないなんて。そんな事できない。無理だと思い愕然とし落ち込んだ。

「浩太ちゃん。帰るしかないのよ。あーたは自分が本来いる世界に帰るの」

 創元が言いながら浩太と竜子の傍に来た。

「桜花浩太。お願いだ。お前の事を愛してるのだ。頼むから一緒にいて欲しいのだ」

 天竜が言い終えると頭を上げた。天竜の虹色の瞳が涙で潤んでいた。

「でも、母さんが」

 浩太はそこまで言って押し黙った。俺の人生でここまで女の子に愛された事が今まであっただろうか。こんなにまで思ってくれる女の子を突き放して良いのだろうか。そもそも突き放す事なんてできるのだろうか。浩太の頭の中にそんな思いと考えが渦巻いた。

「天竜さん。こんな時にすまないが大切な話がある」

早川さんとの言い合いが終わったのかホーマが天竜に声を掛けた。

「ホーマ。どうしたのだ?」

 天竜が正座したままホーマの方に顔を向けると両目を両手で擦ってから言った。

「我達の願いは取り下げる。我達はこの戦いから下りる事にした」

 ホーマが告げると天竜がゆっくりと頷いてから口を開いた。

「分かったのだ。では今日はもう帰って良いのだ。早川さんの事は後でやるからその時また呼ぶのだ。それまでは一緒にいると良いのだ」

 天竜が言い終えると優しい笑みを顔に浮かべた。

「天竜さん。浩太君の事を愛してるのなら少しくらい譲歩した方が良いと思いますよ。たまに帰るくらい良いじゃないですか。ずっと一緒にいるよりたまに離れた方が良い時もある」

 早川さんが天竜に向かって言った。

「それは無理なのだ。それ以外の事ならなんでも譲歩するのだ」

 天竜が早川さんの言葉にそう答えた。

「天竜ちゃん立って。あたくし達と戦うのよ。ホーマちゃん達が勝負から下りたんだから」

「創元。ちょっと待って欲しいのだ」

 創元の言葉に答えてから天竜が浩太の方に顔を向けた。浩太と天竜は見つめ合った。

「桜花浩太。余の願いを聞いてはくれぬか? どうしても駄目か?」

 天竜が静かな小さな声で懇願するように言った。

「何を見つめ合ってるのじゃ。天竜。やめるのじゃ。浩太はお前にそんな風に迫られたらお前について行くに決まってるのじゃ」

 竜子がそこまで言って言葉を切ると浩太を抱く手を放し浩太の正面に回って浩太の目を真剣な目で見つめた。

「浩太。お前はなんで死のうとしたのか忘れたのか? 受験に失敗して落ち込んでやよちぇんの事を考えて死のうとしたんじゃろ? 今ならまだ戻れるのじゃ。受験もやよちぇんの事も今ならまだやり直せるのじゃ。ここで諦めてすべてを捨てて良いのか? 何もしないできないで天竜の愛に溺れる生き方をしてお前は満足なのか? しっかりするのじゃ浩太。自分の未来を諦めるななのじゃ」

「竜子ちゃん」

 竜子の言葉に心を激しく揺さぶられ浩太は思わず呻くようにして竜子の名を呟いた。俺はあの時ビルから落ちて死ななかった。生きてるって事はやり直せるって事だ。けど。だけど。もう一度受験をして受かるのか? 母さんにだってまた迷惑を掛けてしまうんじゃないか? 俺の事をこんなにも愛してくれてる天竜を突き放すなんてできるのか? 俺が帰らないとなったら母さんはどう思うんだろう。母さんは一人でずっとこれからを生きて行く事になる。俺は母さんを捨てられるのか? 俺はどうすれば良いんだ? 浩太は今まで生きて来た人生の中で初めてではないだろうかと思うほどに激しく深く思い悩んだ。

「若者よ。大いに悩め。だけど、悩んで駄目だったら駄々をこねて暴れて叫んで酒を飲め。私は惚れた腫れたが大好きだけど、こういう湿っぽいのは苦手でね。浩太君は帰った方が良い。帰ってやる事やって整理ができたら戻ってくれば良い。私なんて死んでこっちに来れたんだ。浩太君だってそれで良いじゃないか。天竜さん。良く考えみて下さい。大好きな浩太君を苦しめちゃ駄目ですよ」

 早川さんが浩太の傍に来て言うとどうだいナイスフォローだろうと主張するようににやりと笑ってから右手を前に出しサムズアップしてみせた。

「駄目なのだ。帰す事はできないのだ」

 天竜が何かを断ち切ろうとするかのように静かだが力強く言うとゆっくりと立ち上がった。

「天竜ちゃん。あたくし達の方はいつでもオーケーよ」

 創元が言いながら竜子と視線を交わしつつ地面に突き立てるようにして持っていた竜成敗を肩に担いだ。

「桜花浩太はここで竜子と創元の為にお酒を飲むのだ。竜子と創元は余と向こうで戦うのだ」

 天竜が浩太の顔を見つめながら言い、言い終えると空を見上げ虹色に輝く三、四十メートルはあろうかという巨大な竜の姿になった。

「ちょっと待って。天竜も創元さんも竜子ちゃんも駄目だ。戦わないで。戦わなくたって良いじゃないか。他に、他に何か方法はないの?」 

 浩太は自分の事を大切に思ってくれている三人がこのままでは自分の為にまた戦ってしまう。どうしても止めなきゃと思うと三人に向かって叫んだ。

「他に方法はないのだ」

 天竜が浩太の方に顔を向け言った。

「浩太ちゃん。大丈夫だから心配しないで」

 創元が浩太の方を向いて言ってから笑顔をみせた。

「お前は黙ってわしらの為に酒を飲んでれば良いのじゃ」 

 竜子が天竜と同じように巨大な竜の姿に変わりながらぶっきら棒に言った。

「皆勝手過ぎるよ。やめてって言ってるのに。俺の為に戦うなんてやめてくれ。頼むよ」

 浩太は全身から声を出すようにして叫んだ。

「余が作ったこの世界の決まり事なのだ。やめる事はできないのだ」

 天竜が再び空を見上げながら言った。

「話は終わりじゃ。さあ創元行くのじゃ」

「浩太ちゃん。行って来るわね」 

 竜子が言い終えてから片膝を地面に突き腰を曲げて創元を背に乗せる為の姿勢をとると創元が言いながら竜子の背に乗った。

「行っちゃ駄目だ」

 浩太は叫んでから、何か方法はないのか? と考え、そうだ。こうなったらなんでも良いからやってやると思うと天竜に向かって駆け出した。

「天竜」

 浩太は天竜の傍まで行くと叫びながら天竜の尻尾の先に抱き付いた。

「桜花浩太!?」

 天竜がびくっと体を大きく震わせつつ振り向きながら酷く驚いた声を出した。

「放さない。天竜が戦いに行くっていうなら俺もこのままついて行く」

 浩太は天竜の尻尾の先を抱く手にぎゅっと力を込めた。

「おお。浩太君。良いじゃないか」

 早川さんがもっとやれと言わんばかりに喜びながら声を上げた。

「放すのだ。危ないのだ」

「そう思うならすぐに戦うのをやめて人の姿に戻ってよ」

 天竜の言葉を聞いた浩太は一歩も退かないという意志を込めて叫んだ。

「浩太ちゃん、そっちなの?」

 創元が落胆も露わに叫んだ。

「これは傑作なのじゃ。まさかこんな方法に打って出るとは思わなかったのじゃ」

 竜子が大笑いしながら言った。

「何~これ~? どうなってるの~?」

 ギネカが今起きたばかりというような眠たそうな声を出した。

「ギネカ。どうなってるの~じゃない。こんな時に寝てたのか? だらしなく寝てるから状況が分からなくなってるんだ。今、あの浩太という男が戦いをやめろといって止めに入ったんだ」

 ホーマがぷりぷりと怒りながら言った。

「そうなの~。凄いじゃない~。僕達って~もう宴から下りたんでしょ~?」

 ギネカの言葉を聞いてホーマが寝てたのにその事は知ってるのか。まったく。ああ、その通りだ。もう天竜さんにその事は伝えてあると答えた。

「だったら~。浩太君の事を手伝おう~。折角ここまで来たんだし~。こんな戦い不毛だと思うし~」

 ギネカが言うとホーマが酷く驚いた顔をした。

「この馬鹿テイカ―。何言ってる。駄目だ。この戦いは天竜さんの決めたこの世界のルールに乗っ取ってやってるんだ。不毛でもなんでもない」

 ホーマが憤りつつまったく情けないというような声音で言った。

「いや。ホーマ。手伝うってのは悪くない案だと思うよ。あの浩太君の必死な様子を見てみろ。ビバ若さだ! 素敵じゃないか。こうなった私も行って来よう」 

 早川さんが言うが早いか駆け出そうとした。

「こら。早川。お前まで何を言い出すんだ。まったくどいつもこいつも。ギネカ。早川。もう帰るぞ。これ以上ここにいてもしょうがない」

 ホーマが言ってから巨大な竜の姿になると尻尾を早川さんの前に出し早川さんの進路を妨害しつつ二人を乗せる為の格好をした。

「ホーマさん待って下さい。お願いです。この戦いを止めるのを手伝って下さい」

 ホーマ達のやり取りの一部始終が耳に入って来ていた浩太は駄目で元々だと思いながら叫び声を上げた。

「お前の邪魔をしないだけありがたいと思って欲しい。我達は帰る」  

 ホーマが浩太の顔を一瞥してから眉一つ動かさずにそう言った。

「桜花浩太。早く放すのだ。何をしても無駄なのだ」

 天竜が言いながらゆっくりと慎重に尻尾と体と両手を動かし抱き付いている浩太ごと尻尾の先をそっと両手で包むように持つと自分の顔の前に尻尾の先と浩太を持って行った。

「嫌だ。絶対放さない。死んだって放さない」

 浩太は天竜の竜となっている為に人の姿の時の何倍もの大きさになっている虹色の瞳をじっと見つめながら叫んだ。

「桜花浩太」

 天竜が本当に困ったというような声で浩太の名を呼んだ。

「まったく浩太ちゃんったら良い男の顔になっちゃって。妬けるわ~。天竜ちゃん。もう戦いはやらなくって良いんじゃない? 新しい風が吹いてるのかも知れないわよ。意地を張っててもしょうがないわ。それに、このままだとあーた女としての幸せを逃がすわよ」

 創元が竜子の背から降りながら言った。

「ふん。わしは浩太を帰してやれれば戦いなどもうどうでも良いのじゃ」

 竜子が至極つまらなそうに言ってから人の姿に戻り大きな欠伸を一つした。

「創元。竜子。お前達まで何を言い出すのだ。駄目なのだ。ちょっと待つのだ」

 天竜が創元達の方に顔を向けると慌てて言った。

「桜花浩太。余を困らせないでくれなのだ。余がお前の事が好きだという気持ちに偽りはないのだ。だが、これは余が決めたこの世界の決まりなのだ。余が率先して守らなければならないのだ」

 天竜が顔の向きを浩太の方に戻すと浩太の目を見返しながら優しいが強い意志のこもった声で説得するように言った。

「天竜が決めたルールなら天竜が変えれば良いじゃないか。大体どうして戦うんだ? 話し合いだって良いじゃないか。じゃんけんだって腕相撲だって良い。方法なんて他にいくらでもある」

 浩太は頼むから分かってくれと思いながら必死になって説得した。

「余が決定した事柄を覆すという事がいかに重大な事かを示す為の戦いなのだ。命懸けの戦いという事に意味があるのだ。さあ桜花浩太。頼むから手を放してくれなのだ」

 天竜が言ってから浩太を持つ手を自分の顔の前から離し浩太が尻尾を放して自分から離れても良いようにと地面に付けた。

「どうしてそんなに頑固なんだ。戦わないで欲しいっていう俺の気持ちをどうして分かってくれない? 天竜はもし俺が竜子ちゃんや創元さんと命懸けで戦うっていっても止めないの?」

 浩太は尻尾に抱き付いたまま叫んだ。

「それは。それは、理由によっては、止めないのだ。桜花浩太。駄目な物は駄目なのだ。分かって欲しいのだ」

 天竜が言ってから目を伏せた。

「あ、おい、こら。早川」

 そんなホーマの声が聞こえたと思うと早川さんが浩太の傍に駆け寄って来た。

「浩太君。私に良いアイディアある」

 早川さんが浩太の耳元に顔を近付けるとそう小さな囁き声で言ってからつい今しがた思い付いたという良いアイディアを耳打ちしてくれた。

「早川さん。ありがとうございます。もう、俺、なんでもやります」

 浩太は早川さんに小声で感謝の言葉を伝えると天竜の尻尾から手を放し天竜の手から下りた。

「天竜。分かった。どうしても戦いをやめないっていうなら俺にも考えがある」

 浩太はそう言うとテーブルに近付きステーキなどの肉を切る為のナイフを手に取った。

「桜花浩太。何をする気なのだ?」

 浩太の動きを目で追っていた天竜が叫び声を上げた。

「こうする。俺はドジだから本当に刺しちゃうかも知れない。って。あ~。言ってるそばから刺しちゃった~」

浩太はお腹にナイフを突き立て刺した真似をするとそう言いながらテーブルの上を見回しトマトケチャップの入っているチューブ容器を探した。トマトケチャップの入っているチューブ容器を見付けた浩太はその場所に向かって突っ伏すようにして倒れつつトマトケチャップの入ったチューブ容器を手に取るとささっとお腹の下に入れた。

「浩太君大丈夫か?」

 早川さんが叫びつつ浩太の傍に来て覆い被さるようにして浩太の体を周囲の皆から見えないように隠すと浩太はトマトケチャップを周囲の皆から見えないようにと気を使いながら噴き出させた。

「そんな、なのだ。凄い血の量なのだ。桜花浩太。嫌なのだ。死んじゃ駄目なのだ」

浩太達の芝居に騙された天竜が悲鳴のような声を上げた。

「あら嫌だ。浩太ちゃんったら。大変だわー」

 浩太と早川さんの芝居に気付いた創元がわざとらしく叫んだ。

「どいつもこいつも酷い演技なのじゃ」

 創元と浩太と早川さん三人の芝居に気付いている竜子がぼそっと小声で呟いた。

「そんな~。大変~」

 浩太達の芝居に気付いていないギネカが大きな声で言いながら浩太に駆け寄った。

「早川。お前、あいつに何を言ったんだ」

 天竜と同じように騙されているホーマが人の姿になると浩太の傍に立っていた早川さんに怒りつつ言いながら近付いて行った。

「桜花浩太。なんて事をしたのだ。駄目なのだ。死ぬななのだ」

 天竜が人の姿になると浩太に駆け寄った。

「天竜。戦いをやめてくれる?」

 口を開く時に胸の辺りに妙な痛みを感じたがテーブルに突っ伏した時にぶつけただけだろうと思うと浩太はいかにも苦しいというような芝居をしつつそう天竜に向かって言った。

「それは、なのだ」

 天竜が呻くように言った。

「俺が死んでも良いの? 戦いは俺の命よりも大切?」

 浩太はこんな言葉、恥ずかしくて顔から火が出そうだと思ったが、今はしょうがないんだと思い直すと頑張って演技を続けた。

「お前の命は何よりも大切なのだ。今は戦いなんかの事よりも早く傷を見せるのだ」

 天竜が泣きそうな声を出しながら浩太の体を仰向けにしようとした。

「嫌だ。見せない。天竜が戦いをやめるって言うまで俺はこのままでいるんだ」

 浩太は天竜騙してごめん。でもやったぞ。思い通りの展開だ。これで天竜に戦いはやめると言わせられればと思いつつ言いながら絶対に傷は見せないぞとアピールする為にテーブルにしがみ付いた。

「桜花浩太。今は傷の事なのだ。早く見せるのだ」

天竜が懇願するように言い浩太の体を背中側から抱くようにして持つと仰向けにしようとした。

「天竜さん駄目ですよ。そんな風に無理矢理に動かしたら余計に血が出しまう」

 浩太が仰向けにされるのを阻む為に早川さんが言いながら止めに入った。

「そんな事言ったってこのままでは桜花浩太が死んでしまうかも知れないのだ。どうすれば良いのだ?」

 そう言った天竜の目から堰を切ったように涙がぼろぼろとこぼれ落ち出した。

「天竜。お願いだ。戦いを、やめると、言って」

 妙な痛みがあった胸の辺りが苦しくなって来て言葉が急に出しづらくなった浩太はあれ? なんだろう? 天竜が泣いちゃったからかな? 演技じゃなくってなんか本当に苦しくなって来たぞと不思議に思った。

「桜花浩太。それは。それは、駄目なのだ。皆に示しがつかないのだ。余の決めた決まりなのだ」

 天竜がまるで幼い子供のように嗚咽しながら言った。

「天竜。俺、創元さんとか、竜子ちゃんに諦めるなって、言われたんだ。だから、なんだかんだあっても、ここまで諦めないで来られたんだと思う。天竜は、天竜は、本当は全部諦めてるんじゃないか? 竜の世界の事も、人の世界の事も、自分の事も、竜の仲間達の事も、俺や早川さんの事も。だから、自分で決めたルールに従って、それを何があっても破らないようにする事で、自分の気持ちをごまかしてるんじゃないか? なあ、天竜。諦めちゃ駄目だ。何度でも、何度でも、立ち上がるんだ。駄目で元々だよ。やってみなきゃ」

 浩太はどうしてかは分からないが意識が朦朧として来て遠退き始めているのを感じたのでこのままでは気を失ってしまうかも知れないと思うと気を失う前にとにかく戦いをやめさせるんだと思い必死に今言うべき言葉を考えながら声を喉の奥から絞り出した。

「桜花浩太。余が諦めてるというのか? 余は、余は」

天竜がそこまで言って急に言葉を切ると浩太の顔に自分の顔を近付けた。

「桜花浩太。様子がおかしいのだ。大丈夫なのか?」

 天竜が悲鳴のような声で叫びながら再び浩太を仰向けにしようとした。

「天竜さん。そっとだ。優しく」

 天竜と同じように浩太の様子のおかしさに気付いた早川さんは今度は止めには入らなかった。

「これは、なのだ。どういう事なのだ?」

 浩太を仰向けにした瞬間、体の下からどこにも刺さっていないナイフと中身のかなり減ったトマトケチャップのチューブ容器が転がり出て来たのを見て天竜が何がなんだか分からないのだというように言った。

「天竜さん胸だ。胸に箸が二本刺さってる」

 早川さんが叫び声を上げた。

「どうしてなのよ? 浩太ちゃん? 演技じゃなかったの?」

 創元が浩太の寝かされているテーブルの上に飛び乗り浩太の両肩を両手で掴もうとしたが途中で手を止めると、その両手をテーブルに突き浩太の顔に自分の顔をぐっと近付け覗き込みながら呻くように言った。

「創元よ。浩太の奴、またやったんじゃないのか? こいつドジだって自分で言ってたじゃろ? ドジを踏んで箸を胸に刺したんじゃないのか?」

 竜子もテーブルの上に飛び乗ると創元と同じように浩太の顔を覗き込みつつ叫ぶように言った。

「ドジとはどういう事だ?」

 ホーマが創元や竜子に向かって聞いた。

「そんな事より~早くなんとかしないと~浩太君~死んじゃうと思う~」

 ギネカが口調こそ変わらないが泣きそうな声で言った。

「そうだわ。どうしましょう」

 創元が言いながら顔を上げると天竜の方を見た。

「この傷は思ったよりも深いのじゃ。病院に連れて行こうにももう間に合わないのじゃ。このままだと本当に浩太は死ぬのじゃ」

 竜子が浩太の顔をじっと見つめながら言った。

「天竜さん。どうにかならないのか? 死んだ人間を生き返らせる事のできる力を持つほどのあなたなんだ」

 ホーマが天竜に向かって大きな声を上げた。

「テイカーは~? 天竜さんの~テイカーになれば~助かると思う~」

 ギネカが口調こそ変わらないが真剣な声を出した。

「余は、余は、どうすれば良いのだ?」

 天竜が目から涙を溢れ出させつつ嗚咽しながら言った。

「皆、大げさ、だよ。俺、大丈夫」

 途切れ途切れになっている意識の中で皆の話の所々を聞いていた浩太は喉の奥から絞りすようにして言葉を出した。

「浩太ちゃん。話さなくて良いわ」

「そうなのじゃ。黙ってるのじゃ」

 創元と竜子の声が浩太の耳に入って来た。

「二人、とも、随分近く、から声がする」

 言い終えると同時に浩太は胸の下の辺りから何か熱い物が込み上げて来るのを感じた。浩太は咳き込みながら血を吐き出した。

「血だ。浩太君。大丈夫か?」

 早川さんが叫んだ。

「天竜ちゃん。お願いよ。浩太ちゃんを助けて」 

 創元が懇願するように言った。

「浩太。苦しいのか? これでどうじゃ? 少しは楽になったか?」

 竜子が言いながら浩太の体を抱きかかえ背中を摩った。

「天竜さん。この浩太という男を愛してるんだろう? 我のように愛する者を失って良いのか?」

 ホーマが説得するように言った。

「分からないのだ。余には判断できないのだ」

 天竜がか細い声でそう言うとその場に力なく座り込んだ。

「俺の事は、良いよ。ドジしたの、自分だし。戦いさえ、やめてくれれば。天竜。俺、ごめん」

 浩太はそこまで言って完全に意識を失った。
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