第3話 居酒屋いや~ん

文字数 4,660文字

「どうするのよ。これまずいわよ。どうして連れて帰って来ちゃったりしたのよ」

「しょうがないじゃろ。こいつが勝手にわしの背に落ちて来たのじゃ。飛んでたのじゃぞ。途中で捨てて来るなんてできなかったのじゃ」

 聞いた事のない二つの異なる声が浩太の耳に入って来た。浩太はまだ眠たいのになんなんだこの声はと思うと閉じている目を更に閉じようと瞼にぎゅっと力を込めた。

「竜として人に干渉しちゃいけない決まりよ。絶対にあの子にバレてるわ。もう~。どうすれば良いのよ」

「ほっとけば良いのじゃ。天竜が何か言って来たらこいつを差し出せば良い。如何様にも好きにすれば良いと言えば良いのじゃ」

 何か言い合いをしているのかどちらの声も少し怒っているかのように浩太には感じられた。

「そんな。それじゃこの子がかわいそうだわ」

「わしは知らないのじゃ。どうでも良いのじゃ」

「何よそれ」

 声が段々と鮮明に聞こえて来ると女性のような言葉遣いの方はどこかおかしな話し方で野太くごつい男のような声をしていてもう一人ののじゃのじゃ言っている方は酷く素っ気ない話し方で幼い少女が出すような声をしているような気が浩太にはして来た。

「何よそれも何もないのじゃ」

「あーた、そんな無責任な事言って駄目じゃないの」

「あー。もう。ぎゃーぎゃーうるさいな。寝てられないじゃないか」

 浩太は我慢できなくなってぼそぼそと言いながら頭をぼりぼりとかきつつ目を開けた。

「あら。起きたわ」

「そうみたいじゃな。わしは知らんからな」

「ちょっと、何よ。待ちなさいよ」

「わしはお使いに行って疲れてるのじゃ。休ませるのじゃ」

「うわ。オカマ? それに、ピアスだらけ?」

 声のする方に顔を向け並んで立って話をしている二人の姿を見た途端に思わずそんな事を言ってしまってから浩太は初対面の人達相手になんて事を口走ってしまったんだと慌てて自分の口を両手で押さえた。

「何よこの子。いきなり失礼ね」

 いかにも怒ったオカマの人というような口調でオカマの人が言った。

「すいませんすいませんすいません」

 浩太はしゃっと立ち上がると何度も何度も頭を下げながら謝り続けた。

「いや~ねえ。冗談よ。そんなに謝らなくっても大丈夫。言われ慣れてるんだから」

 オカマの人のその言葉を聞いて浩太は口を閉じると頭を下げるのをやめ恐る恐る二人の方を見た。

「あたくしは松永創元。あーたが今いるのはあたくし達の経営する居酒屋の店内の座敷の上よ。そこ、そっちの先から段差になってるから落ちないように気を付けて。それと、こう見えてもあたくし武士の端くれなのよ」

 言い終えてからおほほと不気味に笑ったオカマの人は髪型は総髪で着流しを着ていて時代劇などに出て来る浪人のような姿をしていた。年の頃は四十代くらいだろうか。濡れてでもいるかのように光って見える黒い髪と少し色素が薄いのか茶色い瞳が印象的なその顔を見ていて浩太は黙ってればなんか格好良い武将のような感じのする人だぞと思った。結ってあるので尻尾のようになっている後ろ髪を揺らしながらなぜかオカマの人、いや創元は二メートルくらいはありそうな筋骨隆々な体を動かしボディービルダーがするようなポーズを取り始めた。

「は、はあ」

 こんな姿でオカマで武士の端くれとか言ったり変なポーズをし始めたりするこの人はなんなんだ? と思った浩太はただそんな曖昧な相槌を打つ事しかできなかった。

「こっちの子はピアスだらけじゃなくって竜子。名字はないわ。ただの竜子よ」

 創元が自分でポーズにアレンジを加えたのか両手を同じ方向に伸ばすような恰好をしその両手の先で両耳に色も大きさも様々な円形のピアスを大量にしている少女の方を指し示した。

「紹介などいらないのじゃ。余計な事をするななのじゃ」

 赤色の無地のTシャツにこれまた赤色のホットパンツという格好をした十歳くらいに見えるピアスだらけの少女は燃えている炎のような赤色の大きな瞳が印象的でプライドの高そうな気の強そうなそれでいて年相応のかわいいと思える顔を至極嫌そうに歪めそう言った。少女の身長は創元の半分とちょっとくらいしかなく赤ワインのような色の長い髪の先がTシャツの裾にかかっていて小さく揺れていた。

「リアルのじゃロリ」

 浩太はまた懲りずにそんな言葉を思わず口走ってしまった。

「あら。のじゃロリとか言われてるわよ」

「うるさいのじゃ」

 創元に言われた竜子が不愉快そうに言った。

「良いじゃないの。アニメとかに出て来るのじゃロリキャラってかわいい子ばっかりよ。羨ましいわ。あたくしものじゃのじゃ言おうかしらん」

 創元が言いながらポージングをやめると浩太の方を何かを言って欲しそうな目でじいーっと見つめた。

「キャ、キャラが被るからやめた方が」

 求めに応じる事で気に入られたりしたら困ると思い本当は何も言いたくなかった浩太だったのだが創元の視線の圧力に負け消え入りそうな小さな声で言った。

「うふーん。なるほどーん。それって今のあたくしのままで良いって事よね。あーた良い事言うじゃない。じゃあやめましょ。そうそう。そんな事よりあーたお名前は?」

「えっと、名前ですか? 言わないと駄目?」

 創元に名前を問われた浩太はこの人には教えたくないと心の底から思いながら言った。

「駄目に決まってるでしょ。あたくし達が名乗ったのよ。減るもんじゃなし、ちゃっちゃと教えなさい」

 創元がそう言うとなぜかゆっくりと歩き出し浩太の立っている座敷の前まで来て草履を脱いで畳に上がり浩太との距離を詰めて来た。

「桜花浩太です。近付いて来ないで下さい」

 浩太は早口に言いながら数歩後ろにさがった。

「浩太ちゃんね。で、浩太ちゃん。怪我とかはしてない? 大丈夫かしら?」

 創元が言ってから足を止めたが浩太はまた創元が近付いて来ても良いようにと更に数歩後ろにさがってから足を止めた。

「俺が、怪我、ですか?」

浩太はまた何をこの人はおかしな事を言い出したんだ? と思った。

「浩太ちゃん。あーたまさか何があったか覚えてないの?」

 創元がオカマ特有のあらまあという顔になりながら言った。

「何があったか、ですか?」

 浩太はそういえばここはどこの居酒屋で俺はどうしてここにいるんだろう? と思いながら呟くように言った。

「まああれね。細かい事は思い出せなくっても良いわ。過ぎた事は気にしない方が良いものね。けど、あれだわ。これは聞かないと駄目ね。浩太ちゃんはあれなの? 自殺しようとしてたの?」

 浩太は創元の口から出た自殺という至極物騒な言葉を聞いて目を丸くしつつ創元の顔を見つめた。

「浩太ちゃん、あーたビルの屋上から飛び降りたんじゃないの?」

俺がビルの屋上から飛び降りた? この人は一体何を言ってるんだ? と思った浩太の頭の中に突然ぱっと鮮明な映像付きでビルの屋上から落ちた時の記憶が蘇った。

「でどうなのよ? あーたやっぱり自殺したの?」

 浩太が落ちた直接の原因は携帯電話を拾おうとしたからだったがあの時張り出し部分の端まで行ったのは自殺しようと思っていたからだった。自殺しようと思わなければ浩太はあの場所までは行かなかった。あれは自殺なのだろうか? それとも事故なのだろうか? と浩太は考えた。いや。そんな事よりも俺はなんて馬鹿でドジなんだろう。ビルから落ちた原因が携帯電話を拾おうとしたからだなんて。マークシートの事といいもう本当に嫌になる。そう思った浩太は意気消沈して両手で頭を抱えた。

「まあ、良いわね。深くは聞かないわ。けど、これだけは言わせてちょうだい。何があったかは知らないけれど諦めちゃ駄目。何があっても諦めないで生きなきゃ駄目よ。何もかも諦めて死ぬなんて絶対に駄目」

 創元が真剣な顔になり優しいが強い意志を感じさせる声音で言った。創元の言葉を聞き浩太の頭の中に母親の事や受験の事で苦悩していた時の感情が鮮やかに浮かび上がって来た。

「でも、どうしようもない時ってあるじゃないですか。俺、あの時、死のうって思ってて。落ちたのは携帯電話の所為だけど、あそこまで行ったのは死のうって思ったからで」

 浩太が叫ぶように言うと創元が目にも止まらぬ速さで近付いて来て浩太の両肩をぐっと両手で掴んだ。

「ひっ。ひいいいいぃ」

 浩太は怯えて目を閉じぎゅっと体を縮ませながら悲鳴を上げた。

「ちょっと。何もしないわよ。失礼ね。あたくしの話を聞いて」

 創元のそう訴える声を聞き浩太は恐る恐る目を開けると創元の目をじいーっと見た。

「良い浩太ちゃん。諦めちゃ駄目なの。何度でも立ち上がるの。そうすればきっと良い事があるわ」

「でも、俺、馬鹿でドジで。酷いミスばっかりしてて」

「皆そうよ。誰もがそういう経験をしてるの。だから大丈夫。あたくしを信じて」

 創元が目をきらきらと純真無垢な子供のように輝かせながら両手を大きく開くと浩太の体を抱き締めようとした。創元の言葉に心を打たれ始めていた浩太はそのまま抱き締められた。

「良いの。良いのよ浩太ちゃん。誰でもミスはするのよ。それで良いの。そのミスで得た教訓を次に繋げるの。諦めなければ必ずいつかうまく行くわ」

「創元さん」

「浩太ちゃん」

 浩太も創元を抱き返し二人は強く強く抱き締め合った。

「男同士で抱き合うとか最悪なのじゃ。気持ち悪いのじゃ。創元。奴が来たようじゃぞ。どうするのじゃ?」

 竜子の言葉を聞いて創元がそっと浩太の腕を解くと浩太から離れた。

「そうだったわ。浩太ちゃん。もうお家に帰りなさい。お家に帰ったらあたくし達の事は忘れるの。そして二度とここに来ては駄目よ」

「急にどうしたんですか?」

 唐突な創元の言葉に浩太は驚き一抹の寂しさと強い戸惑い覚えながら聞いた。

「詳しい事は言えないの。あそこが出口よ。えっと、そうだわ。あったわ。さあ。この鞄を持って何も聞かずに早く行きなさい」

 創元が突き放すように言うと浩太の傍の座卓の足元に置いてあった浩太の鞄を取り浩太に向かって差し出した。

「なんか全然分かんないんですよ。なんでですか?」

 浩太が鞄を受け取りながら言うと創元がしょうがない子ねといった感じで口を開いた。

「聞いては駄目。さあ。早く行くの。もう話し掛けないで。あたくし別れは苦手なの」

「そんな、でもこのまま帰るなんて。あんなに励ましてもらったのに」

 浩太は釈然としない気持ちを抑えきれずに言った。

「早く行きなさい。そうしないと、お仕置きよ」

 創元が浩太に向かってむちゅ~っと投げフレンチキッスをした。

「あ、あの。なんかごめんなさい。ありがとうございました。諦めるなって言ってもらって凄く嬉しかったです」

 浩太はうひぃーとなり慌ててしゃしゃっと動くと創元の横を駆け抜け座敷から飛び降り創元の指し示した出入り口らしき木製のガラス張りの格子戸に向かったが途中で靴を履いていない事に気が付くと座敷の傍まで戻り周囲を見回して自分の靴を見付け目にも止まらぬ速さで履いてから再び出入り口らしき木製のガラス張りの格子戸に向かって走り出した。
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