第6話 酒贄とファーストキッス

文字数 10,793文字

「浩太ちゃん。やよちぇん、元気そうで良かったわね」

 創元が言いながら浩太に携帯電話を差し出して来た。

「はい。でも、検査がこれからみたいだったから何もなければ良いんですけど」

 浩太は受け取った携帯電話を鞄の中にしまいながら返事をした。

「心配なんてしててもしょうがないのじゃ。創元。わしは昼寝するのじゃ」

 竜子が言葉尻にふあ~あと欠伸を付け足した。

「もう竜子ったらもう少し言い方ってもんがあるでしょ。昼寝は駄目よ。浩太ちゃんとこれから早速飲むんだから。竜子は肴の用意。あたくしは適当にお酒を出して来るわ」

 創元が言葉尻ににかっと意味深な微笑を付け足してから店の奥に向かって歩き出した。

「なんじゃと? 面倒臭いのじゃ。おい。浩太。お前が肴の用意をするのじゃ。創元の後について行って店の奥にある厨房に行くのじゃ。厨房に行ったらその辺りにある物を適当に見繕って来れば良いのじゃ」

 竜子が言い終えると顔をくいっと動かし顎で創元の背中を指し示した。いきなりお酒を飲むとか言われて、いきなり浩太って呼び捨てにされて、いきなり魚の用意をしろとか言われて。なんなんだよ。もう。宴の事があるから全部我慢するけど魚の用意なんてやった事ないし何もできないのにどうなるか心配だよと思いつつ浩太は竜子の顔を見た。

「俺、魚をさばいたりとかできないんだけど」

「そっちの魚ではないのじゃ。漢字が違うのじゃ。今言ってる肴とは酒のつまみの事なのじゃ。酒を飲む時に食べる物の事を言ってるのじゃ」 

 浩太の言葉を聞いた竜子が面倒臭そうな顔をして言った。

「へえー。そうなんだ。どんな漢字を書くんだろ。そんな言葉があるの初めて知った。竜子ちゃん、良く知ってるね」

 浩太は素直に感心しながら言った。

「お前、わしを馬鹿にしてるじゃろ?」

 竜子がそう言うと目を細めじろりと睨んで来た。

「してないよ。小さいのに良く知ってるなって思ったから」

 浩太はうわっ、怒ったみたいだと思い慌てて言ってから店の奥ってどうなってるんだろうななどととぼけて呟きつつ椅子から立ち上がった。

「小さい? ふん。まあ良いのじゃ。とっとと行くのじゃ。何もしないとわしが創元にどやされるのじゃ」

 竜子が目を閉じて顔を上に向けると首をぐりぐりと回しながらまた言葉尻にふあ~あと欠伸を付け足した。

「何もしないとって竜子ちゃんは何もしてないじゃないか」

 ついぼそぼそと小さな声で浩太は言ってしまった。竜子がぱっと目を開けるとまた睨んで来た。

「わしと創元はお前の為に命懸けで戦うんじゃぞ。お前はそういう者に対してそういう事を言うのじゃな?」

 竜子に言われ、さっきその事を考えてたのにもうすっかり忘れてたと浩太ははっとした。

「ごめん。すぐ行って来る」

 浩太は早口に言うと店の奥に向かって駆け出した。

「創元さん。竜子ちゃんの代わりに俺が肴を用意します。どうすれば良いか教えて下さい」

 店の奥と店とを仕切っている深い黒色の木製の壁の真ん中にある大人が横に並んだままでも三人くらいは楽に通れる大きさの扉も何もない出入り口の中に入るとすぐ目の前にいた創元の背中に向かって浩太は声を掛けた。

「浩太ちゃんったら。嬉しいわ。けど、竜子に何か言われたんでしょ?」

 創元が振り向くと浩太越しに竜子の方を見た。

「それは、ええっと」

 創元さんの言う通りだけど竜子ちゃんの所為にするのもなんかと思い、でも創元さんに嘘をつくのもどうかと思い浩太は言葉に詰まってしまった。

「浩太ちゃん気を使い過ぎよ。そんなんじゃすぐ疲れちゃうわ。でも、そうね。今はお願いしちゃおうかしら。あの子、もう寝ちゃったみたいだから」

 創元の言葉を聞いて振り返った浩太は店の奥側から見て左手側の座敷になっている部分に置かれている二つの長方形の座卓の間で竜子がすーすーと規則正しい寝息を立てて寝ている姿を見た。

「思い切り寝てますね」

 浩太は言いながら創元の方に振り返った。

「ね。あれだけ思いっ切り寝られると起こす方が遠慮しちゃうわ」

 浩太に答えてから創元も振り返って前を向いた。

「厨房はこっちよ」

 創元が言ってから奥に向かって歩き出した。店の奥と店とを仕切っている壁の裏の両サイドには大型の業務用冷蔵庫が二つずつ計四つ並んでいてそれが廊下のような空間を作り出していた。

「ここが厨房よ」

 創元が足を止めて振り向きながら言った。業務用冷蔵庫が作り出す廊下のような空間を抜けた先は広い部屋になっていてそこには調理台や食器や調味料など料理に使う様々な物が置かれていた。

「この店ってかなり広いんですね」

 浩太は厨房の奥の壁にもドアがあるのを見付けたのでそう言った。

「ここは天竜ちゃんの作った空間だから凄く広いのよ。あのドアの奥はもう聖域なの。天竜ちゃんや私達は聖域に行く時はあそこから出入りしてるの」

「聖域?」

 創元の言った聖域という言葉を聞いて聖域ってなんだ? と思った浩太はそう聞かずにはいられなかった。

「そう。聖域。そこが宴の会場でもあるわ。竜とテイカ―だけが住む天竜ちゃんが作った世界の本当の姿をしてる場所。とってもファンタジーでしょ~?」

 創元が嬉しそうに言った。

「ドア開けても良いですか?」

 ファンタジーな世界を見てみたいと好奇心に駆られた浩太は聞いた。

「後で。今はまず飲むのよ」

創元が力強く言い切ったので浩太はそれ以上何も言えなくなりは、はいと返事をした。

「じゃあ浩太ちゃんはあたくしが用意する物を店の方に運んでテーブルに並べて行って」

 創元が着流しの袖をぐいぐいっと捲りながら言った。

「分かりました」

 浩太は袖の下から露出した創元の腕の逞しさに感嘆しつつ返事をした。

「浩太ちゃん。それじゃまずはこれからお願いね」

「はい」

 創元と浩太は酒と肴の用意を始めた。

「うーん。良く寝たのじゃ~。すんすん、くんくん。何やら良い匂いが漂ってるのじゃ」

 竜子がふいにむくっと上半身を起こすと寝ぼけ眼を手で擦りながらまだ眠たげな声で言った。

「何が良い匂いがするのじゃ~よ。良いタイミングで起きちゃって」

 創元が言いながら座敷の座卓の上に焼酎の瓶を二本置いた。

「これで終わりですか?」

 浩太は手に持っていたたこわさびの皿を焼酎の瓶の隣に置きながら聞いた。

「はい。お疲れ様。それじゃあ浩太ちゃんはそこに座ってて。あたくしはあと一つだけ取って来る物があるから」

 創元が返事をすると座敷から離れ厨房に向かった。

「おお。浩太。良くやったのじゃ。ちゃんと肴の用意ができてるのじゃ」

 竜子がきょろきょろと周囲を見回してから座敷の端に座っている浩太の方を見て言った。

「俺は運んだだけ。料理を作ったのは創元さん」

 浩太は竜子が何もしていない事に対して不満を覚えていたのでそれを言葉に滲ませつつ言った。

「なんじゃ? 何か言いたそうなのじゃ」

 竜子が浩太の言葉に滲ませた意味に気付き目を細めつつ言った。

「べ、別に何もないよ」

 これはまた余計な事をしてしまったと思った浩太は慌ててとぼけた。

「面倒臭い奴なのじゃ。お前には感謝の気持ちがないのじゃ。わしらがこれから何をするのかもう忘れたのか?」

 竜子が意地の悪そうな笑みを顔に浮かべた。

「それは、ごめん」

 浩太は小さな声で言いながら頭を下げた。

「ちょっとちょっと。竜子。駄目じゃない。浩太ちゃんをいじめちゃ。今回の宴は浩太ちゃんの為だけじゃないのよ。あたくしとあーたの為でもあるの。あーただって本当は分かってるんじゃないの? このままだらだらと生き続けてもしょうがないって」

 創元が厨房から戻って来ると竜子に向かって言った。

「別にいじめてなどいないのじゃ。当たり前の事を言ってるだけなのじゃ。だらだらと生き続けるか。わしはこんな生き方も悪くはないと最近は思うようになって来てるのじゃ。創元。お前は今のこの居酒屋の仕事以外に何もしなくて良い状況が嫌なのか?」

 そう言うと竜子が創元の方に顔を向けた。

「嫌じゃないわ。戦いに明け暮れる日々よりも楽しいし心も豊かになる。とても素敵な毎日よ。けど、それは今のこの生活の中で一生懸命生きてるからよ。あーたは違うでしょ。ただ生きる事を諦めてだらだらと無為に過ごしてるだけだわ。何をやるにもやる気がない。どこか虚ろにしてる。楽しそうじゃない。そう感じるから言ってるの」

 創元が言い終えると手に持っている物体の先端をがつっと音をたてながら床に当てた。浩太はその音を聞いて初めてその物体の存在に気付くと驚きで目が点になった。

「なんですかそれ?」

 浩太はそう聞かずにはいられなかった。

「これ? これは竜成敗っていう名前のあたくしの愛刀よ」

 創元が竜成敗の方に視線を向けながら言った。竜成敗は形は日本刀のような形をしていたが剥き出しになっている鈍い黒色の刃部分の幅と厚さが普通の日本刀の何十倍もあり長さも二倍以上はある巨大な物だった。

「それ本物ですか?」

 物凄く興味をそそられた浩太は立ち上がると創元の傍に行った。

「当たり前じゃない。こんな形だけど斬れ味は抜群よ。硬い鱗に覆われてる竜の体を一刀両断できるんだから」 

 言い終えた創元がどう見ても重そうな竜成敗をぶんっと音をたてて軽々と振ってみせた。竜成敗を振った創元の姿はファンタジーになど出て来る竜を狩る為の異形の刀を持った侍そのものだった。

「創元さん格好良い」

 我知らずのうちに浩太の口からそんな言葉が漏れ出ていた。

「あら嬉しいわん。格好良いだなんて。これを持った姿を人に見せたのは随分と久し振りなのよ。もういや~。急に恥ずかしくなって来たわ~」

 創元が満面の笑みを顔に浮かべながら言いくねくねと動き出し竜成敗をぶんぶんと音をたてながら振り回しまくった。

「わしはそれが嫌いなのじゃ。竜を殺す為の道具なんて見たくもないのじゃ。創元よ。それを持って来たって事はわしを斬る気なのじゃろ? だったらちゃちゃっと早くやれなのじゃ」

 浩太は竜子の言葉を聞いて耳を疑った。

「斬るってどゆこと?」

「浩太ちゃん。大丈夫よ。斬るなんて大げさな事はしないわ。ちょこっとだけよ」

愕然としながら浩太が言うと創元が座卓に近付きながら言った。創元が座卓の上に置いてあった空のコップを一つ手に取ると竜子の傍に行った。

「ちょこっとって。でも、それってちょこっとは斬るって事ですよね?」

 浩太は怯えながら聞いた。

「お前の所為じゃ。宴をするにはわしの血をお前に飲ませる必要があるのじゃ」

 竜子が至極嫌そうな顔をしながら言った。

「血を飲むんですか? 竜子ちゃんの血を? この俺が?」

 浩太は思わず悲鳴のような声を上げてしまった。

「そうよ。竜子と浩太ちゃんが一時的な繋がりを持つ為よ。あ。浩太ちゃんの血も竜子に飲ませるからお相子ね。お互いの血を飲むってなんかエロいわよね。いやだ~もう~」

 創元がにやにやと笑いながら嬉しそうに言い竜子の手を手でそっと握って持ち上げた。

「うう~。やっぱり嫌なのじゃ~。痛いのは嫌なのじゃ~」

 竜子が泣きそうな声を上げると竜子の創元に握られている方の手が一瞬にして紅蓮の鱗に包まれた竜の手と化した。

「そんな事しても無駄よ~。はい。ちょっととちくっとちまちゅからね~」

 創元が幼子をあやすように言いながら竜成敗の刃部分をちょこっと竜子の人差し指の指先に押し当てた。

「うぎっ」

 竜子が苦痛に顔を歪め小さな声で呻いた。

「竜子。我慢よん」

 創元がコップの縁を竜子の人差し指の指先に当てるとコップの中に真っ赤な血が少しずつ静かに流れ落ちて行った。

「もう良いじゃろ」

 コップの底に血がうっすらと溜まるとすぐに竜子が怒ったように言った。

「はいはい。もう良いわよ」

 創元が言いながらコップを竜子の人差し指から離した。

「ちりちりと痛むのじゃ。痛いのは大嫌いなのじゃ」

 竜子が人差し指を口に咥えながら言い浩太に恨みがましい目を向けて来た。

「りゅ、竜子ちゃん。その手」

 浩太は竜子の竜の手と化している方の手を震える指で指差しつつ言った。

「この手がどうかしたのか? わしは竜なのじゃぞ。別に不思議でもなんでもないじゃろ」

 竜子がそう言うと人差し指を口から出し竜の手と化している手を浩太に見せるように前に出した。

「竜子ちゃんが竜だって?」

 浩太は素っ頓狂な声を上げた。

「浩太ちゃん。あーた今まで気付いてなかったの?」

 創元が竜子の血の入ったコップと竜成敗を持ったまま浩太の傍に来て言った。

「浩太。お前馬鹿か? 今までの話の流れで分かるじゃろ。わしが竜じゃなかったらどうしてここにいるのじゃ? それに宴だってわしが竜じゃなければまったくわしには関係ない話じゃろが」

 竜子が言い終えるとまた人差し指を口に咥えた。

「うん。確かに、そうだ。そうなんだけど、なんか、普通の、いや、ちょっと変だけど普通の人間の女の子だって思い込んでた」

 浩太はそう言ってから竜子に出会ってからの記憶を頭の中で辿ってみた。

「そうか。そうだよね。竜子ちゃんが竜じゃなかったらここにいる事とか宴の事とか全部話がおかしくなっちゃうもんね」

 浩太はそう言いながら竜子の姿をじっと見つめた。

「な、なんじゃその目は?」

 竜子が体をぶるるっと震わせながら言うと片手で自身の体を庇うように抱き締めた。

「竜になって。そんでもって触らせて」

 天竜を触った時の感触をもう一度感じてみたいと思った浩太はそう言って座敷から下りると竜子の方に向かって歩き出そうとした。

「浩太ちゃん。女の子に向かって触らせてなんてそんなストレートなのは駄目よ。デリカシーがないわ。それに今はそんな事よりもこっちよ。浩太ちゃんの血を竜子の血と混ぜたいから少し手を斬らせてちょうだい」

 創元の言葉を聞いた浩太はそうだった血の事があったと思いはっとした。

「どうしてもそれをやらないと駄目なんですか? 人の、あ。竜だっけ。とにかく血を飲むとかって無理ですよ」

 浩太は逃げるように座っていた場所に戻りながら創元さんお願いですからそれだけはやめて下さいという思いを込めて言いつつ懇願の眼差しを創元に向けた。

「わしも斬ったのじゃ。ちゃちゃっと斬るのじゃ」

 竜子がすすっと浩太の傍に来たと思うと浩太の体を後ろから羽交い絞めにした。

「ちょっと竜子ちゃん」

 浩太はそう言うと竜子の手から逃れ出ようともがいた。

「こら。暴れるななのじゃ」

 竜子が言い物凄い力を腕に入れて来た。

「ひぎいぃ」

 浩太はあまりの力の強さに驚き思わず変な声で呻いてしまった。

「浩太ちゃん。そのままじっとしてるのよ」

 創元が言ってから浩太の右手を握ると竜成敗の刃を人差し指の指先にちょんっと押し当てた。

「いひっ」

 痛みに呻いた浩太の人差し指の指先に浩太ちゃんごめんねと言いつつ創元がコップの縁を当てた。

「ざまあみろなのじゃ。ちりちり痛いじゃろ。わしと一緒なのじゃ」

 竜子が浩太を放しながら言った。

「あら竜子ったら。浩太ちゃんと一緒がそんなに嬉しいの?」

 創元がからかうように言うと竜子が不愉快そうな顔になりながら先ほどまで自分いた場所に戻りどかっと音をたてて腰を下ろした。

「ふん。勝手に言ってろなのじゃ」

 竜子が言ってからごろんと座敷の畳の上に寝転んだ。

「浩太ちゃん。もうこれくらいで良いわ。これを使って」

 創元がそう言ってからコップを浩太の人差し指から離し座敷の畳の上に置いてあったティッシュの箱を取ると浩太の方に差し出した。

「う~。竜子ちゃんの言った通りだ。ちりちり痛む~」

 浩太は恨みがましい目を創元に向けながら言いティッシュを一枚箱から取って人差し指に当てた。

「さーて。じゃあこの血をビールに混ぜちゃおうかしら。こうすれば飲みやすくなるでしょ」

 創元が言いながら座卓の上にあった瓶ビールの栓を開けると黄金色の液体を血の入っているコップの中にとぽとぽと注いだ。

「あ~。確かにそうすると見た目的にもきっと味的にも何も分からないですね」

 浩太は冷めた目をしながら冷たく言った。

「もう浩太ちゃんったら。あんまりこういう仰々しい事は言いたくなかったんだけど、これは浩太ちゃんが酒贄っていう者になる為の重要な儀式なのよ。この血を浩太ちゃんと竜子が飲む事で二人に文字通り血の繋がりができて浩太ちゃんは酒贄という者になるの。宴の時、お酒を飲んで精神が高揚して軽いトランス状態になった酒贄になってる浩太ちゃんの精神から発せられる力が竜子とあたくしに伝わって戦う為の強い力になるんだから。浩太ちゃんが酒贄にならないとその力が生まれないのよ」

 創元が並々とビールの入ったコップを浩太の前に差し出しつつ言った。

「俺、なんか良く分からないけどその酒贄になるんですか。それは、まあ良いですけど、これ、竜子ちゃんの血が入ってるんですよね?」

 そう言いながら自分の血だけならまあ飲めるけど他人の血なんてと思ったところで、浩太はそうだ竜子ちゃんはただの人じゃなかった竜だったと思った。そう思うと竜の血を飲むという事に対して途轍もないロマンを感じて来てしまった。けれど、物語の中ならいざ知らず現実となるとやっぱりと思い浩太は竜子の寝ている姿に目を向けた。

「うん? なんじゃ。何やら視線を感じるのじゃ」  

 竜子がそう言うとばっと上半身を起こして浩太の方を見た。

「野生の勘!?」

 浩太はそう口走ってから、また変な事を言っちゃったと思い慌てて両手で口を覆った。

「野生とはなんじゃ野生とは。このわしのどこが野生なのじゃ。この馬鹿め。創元。わしが先に飲むのじゃ。この馬鹿を待ってたら肴がまずくなるのじゃ」

 竜子が創元に向かって言うと片手を伸ばした。

「あら珍しい。竜子が積極的になってるわ」

 創元が嬉しそうに言いながら竜子にコップを手渡した。

「なんとでも言えなのじゃ。いちいち反応するのも面倒なのじゃ」

 言い終えた竜子がコップを口に当てるとぐいっと煽り中に入っていたビールを半分ほど一気に飲んだ。

「ほれ。あとはお前が飲むのじゃ」

 竜子が浩太に向かってコップを差し出しながら言った。

「いや。でも、ちょっと」

 なんの躊躇いもなく飲むなんて竜子ちゃんて凄いなやるなと思いながらも浩太は逡巡してそう言うとコップを受け取らなかった。

「ほほう。なんじゃお前? わしの酒が飲めないと言うのか?」

 竜子が嬉しそうに言い、すっと立ち上がると浩太の傍に来た。

「竜子ちゃんがどうとかじゃなくって。血が入ってるし」

 言ってから、なんだか竜子ちゃんの目が据わってる。これは目を合わせると危険な気がするぞと思った浩太は慌てて竜子の顔を見ないようにと横を向いた。

「いや。わしの事が気に入らないのじゃ。なぜならこの中の血はわしの血なのじゃからな。お前はわしを拒否してるのじゃ。わしはもう飲んだのじゃぞ。早くお前も飲むのじゃ」

 竜子が言ってから浩太の首に腕を回しぐいっと引っ張ると口にぐいぐいとコップを押し当てた。

「うひいぃ。い、痛い。痛いよ竜子ちゃん」

 竜子の腕とコップから逃れようと浩太は声を上げながらもがいたが竜子が腕に力を入れるとこれがまたしても物凄い力だったのでもがく事ができなくなった。

「竜子ったらもう酔ったのね。最近全然飲んでないから前よりも更に弱くなったみたい」 

 創元が傍に来るとそう言いながら竜子の腕にそっと手を当てた。

「なんじゃ創元?」

 竜子が絡み付くような口調で言い創元を睨んだ。

「浩太ちゃんが痛がってるわ。もっと優しくしてあげないと」

「うるさい奴なのじゃ」

 竜子が創元の手を振り払うと浩太の首に回していた腕を放し浩太の口に押し当てていたコップを浩太の口から離した。

「こうなったらわしが直接飲ませてやるのじゃ」

 竜子が宣言するように言うとコップを自分の口に当てコップの中に残っていたビールを全部口の中に入れた。

「ひゃっ。うっひょ~ん」

 次の瞬間浩太ははっうっそ~んと叫んでいた。だがその声はまともな声にはならなかった。それはまったくの不意打ちだった。竜子がいきなり口を浩太の口に押し当てて来たと思うと口の中に入っていたビールを浩太の口に中に流し入れて来たのだった。

「いやだ~。もう~。竜子ったらあ~。いやだ~。もう~」

 創元が激しく興奮した様子でくねくねしながら叫んでいる横でファーストキスを奪われ生まれて始めて飲むビールを口移しで口の中に入れられ頭の中も心の中も混沌の真っただ中に叩き落され思考が完全に麻痺した浩太は石像のように固まって呆然としていた。

「どうじゃ? 飲んだか?」

 竜子が口を浩太の口から放すとぶっきら棒に言い放ち乱暴に自分の腕で自分の口をぐりっと拭った。はっと我に返った浩太はなんて事をするんだよと言おうとして口を開こうとした。

「駄目よ浩太ちゃん。ビールが」

 創元が目にも止まらぬ速さで動き浩太の口を手で塞ぎながら言った。

「むぐう」

 浩太は唸った勢いでごくんとビールを飲み下してしまった。

「あら。あたくしが飲ませたみたいになっちゃったわ。でもこれでオッケーね」

 創元が言いながら浩太の口を塞いでいた手を放した。

「オッケーじゃないですよ。何やってんですか。創元さんも竜子ちゃんも」

 浩太はこれでもかという大声で叫んだ。

「なんじゃ? わしの飲ませた酒に文句でもあるのか? わしと喧嘩しようっていうのならいつでも相手になってやるのじゃ」

 竜子が怒鳴ると口を食い付くぞとアピールするかのように大きく開けた。

「××▽〇〇」

 浩太は言葉にならない悲鳴を上げてしまった。竜子が大きく開いた口の中には先ほどまで生えていたはずの人間の歯の代わりにいつの間にかたくさんの鋭く尖った牙のような歯が生えていた。竜子のかわいい顔と口の中に生えている凶悪な形の歯との不釣り合いな様子が目も当てられないほどにおぞましく恐ろしい物に竜子の姿を変えていた。

「なんじゃその顔は? わしの顔がそんなに怖いのか?」

 竜子が嬉しそうに言いながらにやりと口の中の鋭く尖った歯を良く見せるようにして笑った。

「やめて。その顔トラウマになるから。本当に怖いから」

 浩太は叫びながら顔を伏せて竜子の顔を見ないようにした。

「ふん。失礼な奴じゃ。そんなに怖がるならいつもの顔に戻してやるのじゃ」

 竜子が言ったので浩太は顔を上げて竜子の顔を見た。

「うわ~」

 竜子の顔を見た途端に浩太は叫んでしまった。

「騙されたのじゃ。面白いのじゃ」

 竜子が大きな笑い声を上げながら言った。

「もう。竜子。駄目よ。さっきから浩太ちゃんに酷い事ばかりして」

そう言うと創元が竜子と浩太の間に割って入って来た。

「わしは悪くないのじゃ。馬鹿なこいつが悪いのじゃ。ほれほれ。こっちを見るのじゃ。今はいつもの顔なのじゃ」

 竜子が言ったが浩太はもう騙されないぞと思い竜子の方を見なかった。

「どうせまたそうやって騙すんでしょ」

 浩太は何か仕返しする手段はないのだろうかと思いながら口を開いた。

「騙してないのじゃ。なんじゃつまらない奴なのじゃ。もう良いのじゃ。そうじゃった。創元。さっきビールを飲んだ時に少しこぼして服が濡れてしまったのじゃ。着替えを持って来て欲しいのじゃ」

 竜子が言い終えると服を脱いだのか衣擦れの音がした。

「うわ~。騙された~」

 浩太は悲鳴を上げた。浩太は竜子が服を脱いだと思い俺はロリコンじゃないぞと思いつつも気になってついつい見てしまっていたのだった。

「また騙されたのじゃ。脱いでないのじゃ。こいつをからかうと面白いのじゃ~」

 鋭く尖った歯を生やしたままの竜子が嬉しそうに言いながら楽しそうに笑った。

「浩太ちゃん。もう竜子の事は相手にしなくって良いわ。二人で静かに飲みましょ」

 創元がぷりぷりと怒りながら言うと浩太の隣に腰を下ろした。

「創元さん。でも、このまま何もしないなんて。なんとか仕返しをしたいです」

 浩太が言うと創元が不意に浩太の耳に顔を寄せて来た。

「そ、創元さん、ちょっと」

 浩太はこれは危険だと思うと慌ててそう言いながら創元から離れた。

「浩太ちゃん。逃げないの。ただの内緒話よ。竜子に仕返ししたいんでしょ」

 創元が小声で言ったので浩太は渋々創元の顔に耳を近付けた。

「無視するのよ。それが一番の仕返しよ。けど、あの子、あんなに楽しそうにして。久し振りに見るわ。あんなあの子の姿」

 言い終えた創元が浩太の耳から顔を離すと竜子の方に顔を向けた。

「そうですか? 母さんと電話してた時も楽しそうだったじゃないですか」

 言いながら浩太も竜子の方に顔を向けた。

「あたくしと竜子はずっと一緒にいるから。浩太ちゃんには分からない事が分かっちゃうのよ」

 創元が言ってから座卓の上にあった焼酎の瓶の方に視線を向けるとその瓶を手に取った。

「ささ。飲みましょ。あ。そうだわ。その前に浩太ちゃん、お腹が空いてるんじゃない?」

 創元が手に焼酎の瓶を持ちながら言った。

「そう言われるとなんかお腹が空いてる気がしますね。でも飲むんだったら食べない方が良いんじゃないですか?」

 浩太の言葉を聞いた創元が勢い良く頭をぶんぶんと左右に振った。

「駄目よ。空きっ腹で飲むと酔いが回るのが早くなるわ。先にこの辺のお腹に溜まりそうな物を食べておきなさい」

 分かりましたという浩太の返事を聞くと創元が満足そうに微笑み焼酎の瓶の蓋を開け自分の傍に置いてあったコップの中に注ぎ始めた。
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