第7話 赤い鼻緒の下駄
文字数 1,848文字
真輔と佐吉は、手に入れた娘の物かもしれない下駄を娘の遺体を置いた自身番に届けると、町廻りの続きに出ることにした。遅れを取り戻そうと、昼餉もそこそこにいつも以上の速さで歩いていた。八つの鐘が鳴って半刻ほどが経った頃、真輔と佐吉の後を平太が追いかけてきた。
「真輔様、娘の身元がわかりやした。」
佐吉に続きを任せ、真輔は平太と最初の自身番に大急ぎで戻って行った。
番屋には源三郎が戻って、上がり框に腰かけた女の横に立っている。女は、戸口をくぐった同心の姿を見て、立ちあがって頭を下げた。地味な縞の着物に小さく結った髷、化粧気のない顔に固い表情が貼り付いていた。栄三郎が女を指して、
「おかつです。おせんの姉で…。」
「確かめたのか。」
「へえ、間違いないそうで。」
真輔はおかつの方を向くと、気の毒なことだったといたわった。
川で見つかった娘は、おせんと言い、姉のおかつと母親が本所にある長屋に住んでいる。すぐに身元が知れたのは、親子の長屋の大家が月番で本所にある自身番に詰めていたからである。栄三郎から話を聞いた大家は、年格好、特に背の高さが気になった。姉のおかつの勤め先に出向き、おかつに確かめてくるように言った。おかつは、本所にある紙問屋の女主人付きの女中をしている。大家に付いて行った栄三郎を見知っていた女主人が、おかつの外出を許してくれた。
栄三郎がおかつから話を聞いていき、真輔は二人の話を黙って聞いていた。
姉のおかつの話では、おせんは、三年前に家を出て両国の矢場で働いていたらしい。らしいと言うのは、家を出てからというものおせんは居場所を母や姉に告げなかったからで、たまに、金を借りに来たり、返しに来たりで顔を見せるだけだったそうだ。
「あたしが仕事で出ている隙に、おっかさんから金を借りるんです。返しにくるときは、あたしが居るときにこれ見よがしに男連れで現れて、恩着せがましくお金を置いて行って…。もちろん、借りた金には足りゃあしませんよ。」
おかつは、死んでしまってもなお、というより、死んでしまったからこそ、妹の行状に腹を立てているように見えた。
「おせんの連れて来た男が誰か知っているかい。」
栄三郎の問いにおかつは首を振った。
「お恥ずかしい話ですが、おせんは毎回違う男と一緒でして。それも、博打打ちみたいな遊び人風の男ばかりで。」
「実は、おせんの腹には赤ん坊がいたんだ。父親に知らせてやらねぇとな。」
「あの娘は、身篭っていたんですか。それで捨てられて、身を投げたんですか。」
「身を投げたのではないと思います。」
ずっと黙って聞いていた真輔が、割り込んできた。おかつが驚いて真輔を見た。
「橋の上で争って、はずみで川に落ちてしまったのではないかと推測しています。」
「誰と争ったんですか。」
「まだ、わかっていません。」
「あたしは、あたしはおっかさんと家にいましたよ…。」
「おかつさんを疑っているわけではありません。相手は男でしょう。女同士で引っ張り合っても、川に落ちるほどの勢いにはならないと思います。」
おかつはしばらく黙り込んでいたが、更に腹を立てたようにしゃべり出した。
「だったら、はずみで川にはまったなら、相手を探してもしょうがないじゃありませんか。おせんがばかなんですよ。身篭って、相手の男に逃げられて、川に落ちて死んじまった…。」
確かにその通りだと、栄三郎は思っていた。身篭っていたことを公にせず、雨の日に足を踏み外して川にはまってしまったことにすれば、おかつも母親も肩身の狭い思いをせずに済む。だが、じっとおかつを見ていた真輔は、預けていた赤い鼻緒の下駄を受け取ると、おかつの目の前にそっと差し出した。
「これは、おせんのものですか。」
下駄を見つめたおかつの瞳がみるみる濡れて、震える手で下駄を受け取った。
「そうです…。あたしが初めての給金で買ってやったものです。背が高いくせに流行りの高下駄を欲しがって…。」
「あまり履かずに、大切にしていたようですね。でも、昨夜は履いていた。着飾って会いたい相手だったのでしょう。」
「かわいそうに、おせん…。でも、あたしには、相手がだれか本当に見当がつかないですよ。」
堪えていたものがあふれたように、おかつの眼から涙がこぼれ落ちて行った。
「真輔様、娘の身元がわかりやした。」
佐吉に続きを任せ、真輔は平太と最初の自身番に大急ぎで戻って行った。
番屋には源三郎が戻って、上がり框に腰かけた女の横に立っている。女は、戸口をくぐった同心の姿を見て、立ちあがって頭を下げた。地味な縞の着物に小さく結った髷、化粧気のない顔に固い表情が貼り付いていた。栄三郎が女を指して、
「おかつです。おせんの姉で…。」
「確かめたのか。」
「へえ、間違いないそうで。」
真輔はおかつの方を向くと、気の毒なことだったといたわった。
川で見つかった娘は、おせんと言い、姉のおかつと母親が本所にある長屋に住んでいる。すぐに身元が知れたのは、親子の長屋の大家が月番で本所にある自身番に詰めていたからである。栄三郎から話を聞いた大家は、年格好、特に背の高さが気になった。姉のおかつの勤め先に出向き、おかつに確かめてくるように言った。おかつは、本所にある紙問屋の女主人付きの女中をしている。大家に付いて行った栄三郎を見知っていた女主人が、おかつの外出を許してくれた。
栄三郎がおかつから話を聞いていき、真輔は二人の話を黙って聞いていた。
姉のおかつの話では、おせんは、三年前に家を出て両国の矢場で働いていたらしい。らしいと言うのは、家を出てからというものおせんは居場所を母や姉に告げなかったからで、たまに、金を借りに来たり、返しに来たりで顔を見せるだけだったそうだ。
「あたしが仕事で出ている隙に、おっかさんから金を借りるんです。返しにくるときは、あたしが居るときにこれ見よがしに男連れで現れて、恩着せがましくお金を置いて行って…。もちろん、借りた金には足りゃあしませんよ。」
おかつは、死んでしまってもなお、というより、死んでしまったからこそ、妹の行状に腹を立てているように見えた。
「おせんの連れて来た男が誰か知っているかい。」
栄三郎の問いにおかつは首を振った。
「お恥ずかしい話ですが、おせんは毎回違う男と一緒でして。それも、博打打ちみたいな遊び人風の男ばかりで。」
「実は、おせんの腹には赤ん坊がいたんだ。父親に知らせてやらねぇとな。」
「あの娘は、身篭っていたんですか。それで捨てられて、身を投げたんですか。」
「身を投げたのではないと思います。」
ずっと黙って聞いていた真輔が、割り込んできた。おかつが驚いて真輔を見た。
「橋の上で争って、はずみで川に落ちてしまったのではないかと推測しています。」
「誰と争ったんですか。」
「まだ、わかっていません。」
「あたしは、あたしはおっかさんと家にいましたよ…。」
「おかつさんを疑っているわけではありません。相手は男でしょう。女同士で引っ張り合っても、川に落ちるほどの勢いにはならないと思います。」
おかつはしばらく黙り込んでいたが、更に腹を立てたようにしゃべり出した。
「だったら、はずみで川にはまったなら、相手を探してもしょうがないじゃありませんか。おせんがばかなんですよ。身篭って、相手の男に逃げられて、川に落ちて死んじまった…。」
確かにその通りだと、栄三郎は思っていた。身篭っていたことを公にせず、雨の日に足を踏み外して川にはまってしまったことにすれば、おかつも母親も肩身の狭い思いをせずに済む。だが、じっとおかつを見ていた真輔は、預けていた赤い鼻緒の下駄を受け取ると、おかつの目の前にそっと差し出した。
「これは、おせんのものですか。」
下駄を見つめたおかつの瞳がみるみる濡れて、震える手で下駄を受け取った。
「そうです…。あたしが初めての給金で買ってやったものです。背が高いくせに流行りの高下駄を欲しがって…。」
「あまり履かずに、大切にしていたようですね。でも、昨夜は履いていた。着飾って会いたい相手だったのでしょう。」
「かわいそうに、おせん…。でも、あたしには、相手がだれか本当に見当がつかないですよ。」
堪えていたものがあふれたように、おかつの眼から涙がこぼれ落ちて行った。