第10話 再会
文字数 2,019文字
暮れ六つをとうに過ぎても表通りの駿河屋の暖簾の隙間からは灯りが漏れ、長い軒先の下を照らしていた。真輔と栄三郎は、道を挟んで店の正面に立っていた。店の前まで来たものの、真輔は困っていた。穏便な方法で弥吉から話を聞くには、どういう手立てを取れば良いのか、経験のないために見当が付かなかったのだ。だが、すぐに栄三郎が助け舟を出した。
「幼馴染のおせんのことで弥吉に聞きたいことがある、と店に言って、呼び出してもらいましょう。真輔様は、ここでお待ち下さい。二人で行くと大げさなことになります。」
「わかりました。お願いします。」
店の暖簾を分け入る栄三郎の後ろ姿を、緊張した表情の真輔の眼が追った。ここに至って、真輔には逡巡の気持ちが湧きあがった。頭の中にできあがった筋書きには破たんがないという確信があり、後はそれを確かめるだけだとここまで来た。しかし、それは、算学の証明のように確かめたらそこで終わるわけではない。
駿河屋の暖簾を分けて栄三郎と弥吉が出てくるのには、時間がかからなかった。弥吉は、おせんと変わらぬ背丈の小柄できゃしゃな男だった。呉服屋の手代らしく、こざっぱりとしたお仕着せを着ていたが、背中を丸めてうつむき加減で近づいて来た。
「真輔様、弥吉です。今日は熱があって、店を休んでいたようです。」
「病のところすまなかったな。」
弥吉は小刻みに首を横に振った。
「熱はたいしたことはないんですが、お客様に染ってはいけないので、奥の仕事を手伝っていました。」
「客を待たせているのでなければ、ちょっと時間をもらえるかな?」
今度は、だまって頷いた。
結局、三人で番屋に戻ることになった。栄三郎が人払いをして、番屋の外には平太を立たせ、尋ねて来る者の応対をさせることにした。栄三郎が自ら三人分の茶を入れて差し出すと、弥吉は流し込むように一気に飲み干した。
「おいっ、熱くなかったか。」
驚いた栄三郎の問いかけが終わらぬうちに、弥吉は絞り出すようにかすれた声で、小さく叫んだ。
「あっしが、おせんちゃんを殺しました。」
「それは、おまえがおせんを川につき落としたってことか。」
栄三郎の声が低くなった。弥吉の首が微かに横に振れ、三人だけの番屋に沈黙が訪れた。
長い沈黙を破ったのは、真輔だった。
「おせんとは幼馴染だそうだが、よく会っていたのか。」
うつむいたままの弥吉の首が、また微かに横に動いた。
「あっしは奉公に出ましたし、おせんちゃんも家を出たので…。」
「そうか。では、偶然会う機会があったのか。」
栄三郎は、脅しをかけるでもなく、淡々を話しかける真輔に弥吉との門答をまかせた。
「花見の会の後…。」
「花見の会。桜の季節か。」
「はい、駿河屋では、お得意様に夏の新作をお披露目して、注文を取る会を致します。今年は桜が遅かったので、花見を兼ねてご招待したところ、とても盛況で…。あっしはそのお手伝いにまいりました。会の後、注文が良く入ったと旦那様が喜んで、褒美にあっしたちを早上がりさせてくださいました。それで、本所の家に向かったのですが、橋を渡ったところで先輩に誘われて。家に行っても、その日はおっかさんが仕事に出ていると思い、両国に一緒に行きました。」
「矢場で遊んだのか。」
「いえ、あっしはこずかいがありませんから、眺めているばかりで。」
「そこで、おせんと再会した。」
「はい、文無しだと言うと、少しだけ無料で遊ばせてくれました…。」
再び、弥吉は口をつぐんだ。真輔はせかすことはせず、弥吉が話し出すのを待っていた。その脇で、結論を畳み掛けたくなる気持ちを抑える栄三郎がいた。
しばらくすると、弥吉は独り言のように話し出した。
「それから、おせんちゃんと話をして、そしたらおせんちゃんが泣いて、慰めて…。あっしはまだ半人前のくせにあんなことしちまって…。」
お店の仕事以外には目もくれずに生きてきた弥吉を、幼馴染の気安さを入り口に、おせんが絡み取って行った。つたない弥吉の話し方を聞きながら、真輔も栄三郎もその時の情景が目に浮かんでいた。
「一緒になりたいとおせんが言ったのではないか。」
弥吉は、子供のようにこくんと頷いた。
「でも、今は無理だと言いました。たとえ担ぎの行商でも、独り立ちするには十年はかかるからと。」
「承知したのか、おせんは。」
「待てないと言われました…。」
「それからは、会わなかったのか。」
弥吉はまた、こくんと頷いた。
「それから、休みもありませんでしたし…。そうしたら、昨日の夕方、おせんちゃんが手紙を小僧に言伝手してきて。店が終わったら、遅くても良いから日本橋に来てくれと、書いてありました。」
「幼馴染のおせんのことで弥吉に聞きたいことがある、と店に言って、呼び出してもらいましょう。真輔様は、ここでお待ち下さい。二人で行くと大げさなことになります。」
「わかりました。お願いします。」
店の暖簾を分け入る栄三郎の後ろ姿を、緊張した表情の真輔の眼が追った。ここに至って、真輔には逡巡の気持ちが湧きあがった。頭の中にできあがった筋書きには破たんがないという確信があり、後はそれを確かめるだけだとここまで来た。しかし、それは、算学の証明のように確かめたらそこで終わるわけではない。
駿河屋の暖簾を分けて栄三郎と弥吉が出てくるのには、時間がかからなかった。弥吉は、おせんと変わらぬ背丈の小柄できゃしゃな男だった。呉服屋の手代らしく、こざっぱりとしたお仕着せを着ていたが、背中を丸めてうつむき加減で近づいて来た。
「真輔様、弥吉です。今日は熱があって、店を休んでいたようです。」
「病のところすまなかったな。」
弥吉は小刻みに首を横に振った。
「熱はたいしたことはないんですが、お客様に染ってはいけないので、奥の仕事を手伝っていました。」
「客を待たせているのでなければ、ちょっと時間をもらえるかな?」
今度は、だまって頷いた。
結局、三人で番屋に戻ることになった。栄三郎が人払いをして、番屋の外には平太を立たせ、尋ねて来る者の応対をさせることにした。栄三郎が自ら三人分の茶を入れて差し出すと、弥吉は流し込むように一気に飲み干した。
「おいっ、熱くなかったか。」
驚いた栄三郎の問いかけが終わらぬうちに、弥吉は絞り出すようにかすれた声で、小さく叫んだ。
「あっしが、おせんちゃんを殺しました。」
「それは、おまえがおせんを川につき落としたってことか。」
栄三郎の声が低くなった。弥吉の首が微かに横に振れ、三人だけの番屋に沈黙が訪れた。
長い沈黙を破ったのは、真輔だった。
「おせんとは幼馴染だそうだが、よく会っていたのか。」
うつむいたままの弥吉の首が、また微かに横に動いた。
「あっしは奉公に出ましたし、おせんちゃんも家を出たので…。」
「そうか。では、偶然会う機会があったのか。」
栄三郎は、脅しをかけるでもなく、淡々を話しかける真輔に弥吉との門答をまかせた。
「花見の会の後…。」
「花見の会。桜の季節か。」
「はい、駿河屋では、お得意様に夏の新作をお披露目して、注文を取る会を致します。今年は桜が遅かったので、花見を兼ねてご招待したところ、とても盛況で…。あっしはそのお手伝いにまいりました。会の後、注文が良く入ったと旦那様が喜んで、褒美にあっしたちを早上がりさせてくださいました。それで、本所の家に向かったのですが、橋を渡ったところで先輩に誘われて。家に行っても、その日はおっかさんが仕事に出ていると思い、両国に一緒に行きました。」
「矢場で遊んだのか。」
「いえ、あっしはこずかいがありませんから、眺めているばかりで。」
「そこで、おせんと再会した。」
「はい、文無しだと言うと、少しだけ無料で遊ばせてくれました…。」
再び、弥吉は口をつぐんだ。真輔はせかすことはせず、弥吉が話し出すのを待っていた。その脇で、結論を畳み掛けたくなる気持ちを抑える栄三郎がいた。
しばらくすると、弥吉は独り言のように話し出した。
「それから、おせんちゃんと話をして、そしたらおせんちゃんが泣いて、慰めて…。あっしはまだ半人前のくせにあんなことしちまって…。」
お店の仕事以外には目もくれずに生きてきた弥吉を、幼馴染の気安さを入り口に、おせんが絡み取って行った。つたない弥吉の話し方を聞きながら、真輔も栄三郎もその時の情景が目に浮かんでいた。
「一緒になりたいとおせんが言ったのではないか。」
弥吉は、子供のようにこくんと頷いた。
「でも、今は無理だと言いました。たとえ担ぎの行商でも、独り立ちするには十年はかかるからと。」
「承知したのか、おせんは。」
「待てないと言われました…。」
「それからは、会わなかったのか。」
弥吉はまた、こくんと頷いた。
「それから、休みもありませんでしたし…。そうしたら、昨日の夕方、おせんちゃんが手紙を小僧に言伝手してきて。店が終わったら、遅くても良いから日本橋に来てくれと、書いてありました。」