第73話 戸高家への帰省

文字数 4,664文字

 8月も中盤に差しかかり、お盆が近づいてくる。
 こんな時ぐらいは実家へ帰省した方がいいと、連日にわたって泰宏から電話で催促された。
 和葉は嫌がっていたが、娘の葉月は遠出ができるので賛成みたいだった。

 あとは春道の意見となるのだが、今年は自分の実家にも帰省をするため、和葉の実家にも行こうと告げた。
 最終的に妻は「春道さんもそう言うのでしたら……」と納得し、お盆の最初に戸高の実家へ行くのが決定した。

 車に乗って、お盆の前日に帰省する。
 春道も何度か戸高家にはお邪魔した経験がある。そのたびに何か大きな問題が発生してたような気もするが、さすがに今回は大丈夫だろう。
 気楽な気持ちで運転し、数時間かけて妻の実家へ到着する。

 地元の名家で先代――つまりは和葉の父親が存命の頃に仲違いをした。葉月をめぐる扱いで揉めたのが原因だ。当初は妻も実父を嫌っていたが、死去した際の出来事をきっかけに、徐々に雪解けモードになってるみたいだった。

「相変わらず、おっきいねー」

 最初に車から降りた葉月が、戸高家を見上げながら言った。確かに春道たちが住んでる家に比べれば、かなりの差がある。さすが地元の名家だと、感嘆のため息を漏らしたくなるほどだ。
 今の春道だと、一生かかっても、これほどの家を建てる金は稼げそうもない。葉月と和葉が、極端に広い家を好む性格でなくてよかったと改めて安堵する。

「ほら、葉月。自分の荷物をきちんと持ちなさい」

 1泊する予定になっているので、全員が着替えを含めた荷物を、それぞれのバッグに入れて持ってきていた。
 母親に注意された葉月は自分のバッグを背負い、開けていた車のドアを閉める。
 春道も運転席から降り、トランクにしまっていた自分の荷物を取り出す。そこには和葉のもある。葉月だけが後部座席の横に、自分の荷物を置いていたのだ。

 助手席から降りてきた和葉に、春道は彼女の荷物を渡す。
 ありがとうございますとお礼を言われたところで、戸高家の中からひとりの女性が出てきた。見つけた和葉が小声で「出ましたね……」と呟く。

 女性の名前は戸高祐子。葉月の担任で、何かと春道や和葉をからかってくる。
 ついこの間もわざと誤解させるように和葉へ妊娠の報告をしてくれたおかげで、春道は大変な目にあった。
 この場で恨み言を口にするわけにもいかないので、大人の対応として普通に挨拶をする。

「こんにちは。少しの間、よろしくお願いします」

「そんな他人行儀の言い方をしなくていいですよ。春道さんと私は家族なんですもの」

 祐子の発言に、和葉がこめかみをヒクつかせる。
 春道にとっては妻の義姉ということになるのだから、かろうじて家族と呼べないこともない。なので明らかに間違っているとは指摘できないが、やはり何か意味があるような喋り方をする。それが妻は不愉快なのだろう。

「春道さんは私がお部屋へ案内します」

 いけしゃあしゃあと言う祐子に、やや棘のある口調で和葉が「私たちはどうすればいいですか」と尋ねる。

「ここは和葉さんの実家ですもの。私が案内しなくても、どこの部屋が空いてるかくらいはわかるでしょう。葉月ちゃんと一緒に、好きなところを使ってくださいな」

 お家の中を探検できるとはしゃぐ葉月をよそに、和葉と祐子がお互いの視線をぶつけあう。やや険悪な雰囲気に、居心地が悪くなる。

「と、とりあえず、家の中に荷物を置かせてもらうことにしよう」

「そうですね。では私が、お客様の春道さんを、たくさんおもてなしをしますね」

 にっこり笑いながら、ごくごく自然な動作で祐子が春道の腕に手を回してくる。
 人妻となった女性の、上半身のふくらみがかすかに触れる。思わず祐子を見て、ボーっとしてしまう。
 その様子を見ていた和葉が、強引に春道の腕と祐子を引き離した。

「人の夫の腕に、軽々しく手を回さないでもらえますか?」

 笑顔を浮かべてはいるが、いつになく和葉の目が怖い。殺気みたいなものは、何故か春道にもぶつけられる。

「あら、どうしてですか? 家族同士のスキンシップですよ。欧米では挨拶でキスやハグをするなんて、珍しくもありません。そう言えば、春道さんに挨拶をするのを忘れていましたね」

「結構ですっ。ここは日本で、欧米ではありませんっ」

 ぐいと自分の方へ春道を引き寄せた和葉が、怒りの形相で祐子を睨みつける。
 きちんと結婚してからわかったのだが、意外と和葉はやきもち焼きだったりする。普段がキリっとした女性だけに、たまに見せるそうした一面はとても可愛らしく見える。

 だがあまりに続くと、さすがに精神的な疲労を覚える。
 戸高家に滞在してる間、一体どのくらい似たような展開が繰り返されるのだろうか。そう思うと、少しだけ憂鬱になった。

   *

 現在の戸高家当主となる泰宏は今日も出勤していたが、春道たちの到着後、間もなく帰宅した。その時には、春道たちは部屋でゆっくりしている最中だった。
 祐子は最後まで春道と、和葉や葉月を別々の部屋にしたがっていたが、わりと広めの部屋を知っている和葉が3人で寝るから大丈夫ですと強引にそこを選んだ。

 中に入ってから春道は、以前に使っていた自分の部屋でなくていいのかと妻に尋ねた。すると彼女は笑顔で「私の部屋では、とても3人で眠れませんよ」と言った。
 気を遣っているのかとも思ったが、どうやら実家に帰ってきても、あまり感傷的にはなってないみたいだった。

 そのうちに着替えた泰宏が、春道たちの部屋を訪ねてきた。少しだけ話をしたあと、全員で結構な広さの居間へ移動する。
 小さな迷路くらいは作れそうな敷地を利用しているため、案内がなければ迷子になりかねない。だからこそ戸高家に来るたび、葉月は楽しそうにはしゃぐのだ。

「走り回ってもいいけれど、家の中の物を壊したりしないでね」

 今にもどこかへ走っていきそうな葉月の背中に、苦笑しながら和葉が声をかける。
 一軒家で下に誰が住んでるわけでもないので、多少騒いでも問題はない。
 泰宏もわりといい加減な性格をしてるだけに、葉月が走り回っても「子供は元気なのが1番」と笑うだけだ。

「居間では祐子がお茶を用意してくれているはずだ。皆で飲みながら、話をしよう」

「……よもや、毒入りではないわよね」

 実の妹である和葉の辛辣な問いかけに、泰宏が白い歯を見せて豪快に笑う。

「それは大丈夫だろう。和葉の分以外は」

「私の分以外は……ね。ありえそうで笑えないわ」

 春道や葉月に接する時はわりと丁寧な口調なのに、何故か実兄と接する際はやや乱雑な言葉遣いになる。もしかしたら、これが和葉の素なのかもしれない。
 だとしたら春道にもそう接してもらいたいが、彼女の性格上、そう簡単には変えられないのだろう。なにせ娘にも丁寧な言葉を用いて話すほどだ。
 以前に理由を聞いたら、乱暴な言葉遣いをして葉月に真似されたら困るからと教えてくれた。

 だからといって、春道にまで強制するつもりはないらしい。
 よほど酷い言葉を使えば話は別だが、普段どおりに話してるだけなら、注意されたりもしない。それは娘の葉月にも言えた。

「パパー」

 その葉月が、春道の服の裾をくいくい引っ張る。何かを聞きたそうに、こちらを見上げている。

「どうした」

「毒って何ー?」

 思わず、ズッコケそうになる。まだ小学3年生とはいえ、さすがにそれくらいは知ってると思ったからだ。
 勝手な思い込みで失望するのは失礼なので、心の声を顔に出さないようにしながら、毒について説明する。

「毒というのは、命を落とすかもしれない危険なもののことだ」

「ふうん。ママで例えると、どうなるのー?」

「えっ……ママで!?」

 春道が目を見開く。
 まさか葉月がそんな返しをするとは夢にも思ってなかった。
 先を歩く泰宏たちにも話し声が届いているらしく、春道がなんて答えるのかと2人揃って聞き耳を立てている。どうやら助け舟を出してくれるつもりはないようだ。
 困り果てた春道だったが、ここで愛娘の瞳に悪戯な輝きが宿ってるのに気づく。

「葉月、お前……毒の意味をわかってて、俺をからかってるだろ」

「えっ!? は、葉月、知らなーい。
 あ、ちょっと面白そうなとこがあるから、探検してくるねー」

 そう言うと葉月は、逃げるように春道の側から走り去ってしまう。
 おい、葉月と呼び止めてはみたが、こちらを振り返らないまま、小さな背中は和葉たちをも追い越した。

 愛娘の方は母親と違い、過ごす時間が増えるにつれて、出会った当初よりも天真爛漫さを爆発させるようになった。さっきの言葉での悪戯も、彼女なりのコミュニケーションのひとつだ。

「やれやれ。危うく葉月の罠に引っかかるとこだったよ」

 春道の何気ない呟きに、前を歩く和葉が「そうですね」と、こちらを振り返りながら応じる。

「でも、気にはなりますね。春道さんが毒について、私を使ってどのように説明したのか」

 迂闊に何か喋ったら大変な事態になりそうだったので、春道は曖昧に笑って誤魔化した。

   *

 泰宏の案内で居間へ到着すると、ちゃぶ台の上に全員分のお茶が置かれていた。やたらと豪華そうな湯呑みがひとつだけあるが、誰のかは気にしない方がよさそうだ。

「やあ、いい匂いだな。いつもながら、祐子の淹れてくれるお茶は美味しそうだ」

 湯気を上げている湯呑みを眺めながら、大きな声で泰宏が感想を口にした。
 台所にいた祐子にも声は聞こえたらしく、すぐに居間へ姿を現す。

「いつもより、よ。今日は春道さんが来るから、普段、貴方には飲ませない高級日本茶を奮発したの」

「そうなのか。春道君が来てくれて得をしたな。はっはっは」

 奥さんの発言をまるで問題にせず、豪快に笑うだけの兄を見て和葉が大げさにため息をつく。

「昔から兄さんには、嫌味や皮肉は通じませんでしたね。わかってやってるのかもしれませんけど……」

 春道は彼の能力を詳しくは知らないが、幼少期を一緒に過ごした和葉ならどのような性格かも含めて色々と知っているのだろう。
 ただ能天気なだけの人物ではないというのは、なんとなく気がついてはいるが、確証はまったくなかった。

「葉月ちゃんにはケーキもあるから、たくさん食べてね」

 葉月には優しい祐子が、茶棚にしまっていたお菓子とケーキを一緒に出してくれる。大喜びの葉月は「先生、ありがとうー」とすぐにお礼を言ったあと、食べてもいいか許可を求めるように和葉を見る。
 許しが出ると満面の笑みでいただきますとケーキの側に置かれていたフォークを手に取った。

「葉月ちゃん、ケーキは美味しい?」

「うんっ。葉月、ショートケーキ大好きっ」

 最初に上に乗っている大きないちごを食べたあと、生クリームとスポンジケーキをバランスよくとって口の中へ運ぶ。膨らんだ頬をリスみたいにもごもご動かし、ごくんと飲んだあとで「美味しいーっ」と嬉しそうに声を出した。

「喜んでもらえてよかったわ」

 祐子が、葉月の隣に座りながら微笑む。

「あれ? 先生……お腹がふっくらしてるー」

 ケーキを食べるのを一旦やめて、葉月がTシャツの上から祐子のお腹を凝視する。

「ふふ。女性はね、妊娠をするとお腹が大きくなるのよ。葉月ちゃんも、いずれわかるようになるわ。ねえ、あなた?」

 祐子が夫に視線を向ける。

「そうだな。ただ……祐子の場合は結婚後から、妊娠してなくてもお腹はふっくらしてたけどな。はっはっは」

 笑う泰宏をジト目で見ながら、祐子に代わって実の妹の和葉が「最低」と吐き捨てるように言った。
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