第54話 第一回 葉月ちゃん対策会議

文字数 4,842文字

「では、これより第一回。葉月ちゃん、対策会議を行いたいと思います」

 以前はいじめられっ子だったが、現在ではクラスの人気者になりつつある少女。それが高木葉月だった。
 その部分だけで判断すると、苦境から見事に立ち直った闘志豊かな人物像を連想するが、実際はごく普通の可愛い女児である。

 そんな葉月と、最も仲が良いと自負している今井好美が、つい先ほど会議の開会を宣言した。
 会場となっている好美の部屋で、まばらな拍手が起こる。

 当人の葉月が用事があるということで、ひとりで帰宅したその日の放課後に好美宅へ集まっていた。

「けどさ……対策会議なんて、する必要があるのか?」

 早速、好美に疑問の声を発したのが、同級生の佐々木実希子だった。
 空手をしており、腕前も結構なもので、同学年の男子と喧嘩になっても一歩も退かない度胸も持っている。
 好美も葉月も頼りにしている親友であり、実希子本人も持ち前の面倒見の良さから付き合ってくれている。

「私も同感ね。今のままで、問題ないと思うわよ」

 対策会議などと仰々しく言っていても、部屋にいるのは三人だけ。
 部屋の主である好美と実希子、そしてもうひとりが室戸柚だった。
 クラス内でも目立つ人物であり、少し前までは葉月をいじめる中心人物のひとりだった。
 いじめが止んだあとも、何かと絡んだりしていたのを今も記憶している。

 状況に変化が見られたのは、昨年に行われた林間学校でのことだった。
 誰が決めたのか、くだらない肝試しなんて行事の際に何かがあったらしい。
 何故か好美はその間の記憶がなくなっているが、葉月の的を射ない説明でも、それぐらいは理解できた。

 陰湿な雰囲気が消えており、まるで呪いでも解けたかのごとき状態になっている。おかげで、男子生徒からの人気もうなぎ上りなのだが、柚当人はどうでもよさそうにしていた。

 スラッと伸びたロングヘアーを綺麗な茶色に染めて、とても同年代とは思えないくらい大人っぽい。だからこそクラスの女性陣のリーダー的存在に、いともあっさりなれたのだろうと推測できる。

 好美たちは現在小学校三年生になっているが、二年生の時から柚ひとりだけが垢抜けていた。
 それに対して葉月は純朴な少女そのもので、明らかに火と油のような関係に見えた。それがふとしたきっかけで仲良くなれるのだから、火に油を注いだら何かが生まれる……わけがない。

 内心でひとりノリツッコみをしながら、好美は自宅へ招集した二名の少女の意見を受け止める。

「確かに、貴女たち二人の言い分にも一理あります。けれど、大事なことを忘れているわ」

 目を大きく見開いたあとで、オーバーアクション気味に好美は二人が座っている方を指差した。

「もうすぐ……
 もうすぐっ!
 あの調理実習がやってくるのよ!」

 その瞬間に実希子と柚の表情が凍りついたのは言うまでもなかった。

   *

「では、各員の異論がなくなったところで……引き続き第一回、葉月ちゃん対策会議を行います」

 好美が議長。
 実希子と柚が会議の出席者となる。

 議題は好美が宣言したとおり、葉月への対策に尽きる。
 普段なら皆をほんわかさせてくれる太陽みたいに明るい少女なのだが、こと料理に関すると状況が一変する。

 昨年の林間学校による包丁乱舞事件から伝説が始まり、その技術は人参を半分に切るだけなのに、周囲の人間――とりわけ好美の顔色を蒼どころか病人みたいな白に染める。
 娘の料理の腕を知っているらしく、葉月の母親も指導しているみたいだが、その成果は一向に現れていなかった。

 後日、なんとか改善させようと、好美が葉月を自宅へ招いて、一緒にケーキ作りをしようとしたことがあった。
 だが、たまたま同席してくれた好美の母親によって、開始から五分も経過しないうちにお菓子作りの中止を命じられた。

 まずは卵を割って、中身をボールへ入れようとしたのだが、その時点から問題が発生。何故か葉月が作業工程を実行すると、爆発したかのごとく黄身や白身がキッチン内へ四散するのである。
 卵の中身が黄色ではなく赤色だったなら、世にも恐ろしいスプラッター映画が完成していた。
 当時の状況を部屋にいる二人へ説明しながら、好美は背筋を震わせる。

「この世に破壊紳を降誕させてはいけないのよ。
 地球の平和は私たちが守るの!」

 胸の前で構えた握り拳に力を入れる好美を前に、何故か実希子と柚が引きつった笑顔を浮かべている。

「お、落ち着けよ、好美。変なアニメの見すぎじゃないのか」

「そ、そうよ。そんなだから、アニメや漫画が悪影響を及ぼすなんて、根拠もない発言をされるはめになるのよ」

 ヒートアップしまくる好美を、実希子と柚の二人が懸命になだめる。
 とはいえ、二人もできれば家庭科の調理実習を行いたくないという思いは一緒だった。

 実希子はもちろん、林間学校では違う班に所属していた柚も、わずかな時間であっても葉月による調理風景を直に見ている。

 世のため人のため、悪人を成敗すると言わんばかりの包丁さばきが披露される。
 そんなのはテレビの時代劇に任せておきなさいとツッコみを入れたところで、当の本人には一切通じない。

 葉月当人は料理をしているだけであり、危険行為になっているとは微塵も思っていないのだ。
 悪気がない分、注意もあまり効果がなく、質の悪さが全開でフル稼働する。

「で、でも、最近は少し、マシになってきたんじゃないのか」

 実希子が問いかけるように、好美へ話しかける。
 林間学校や母親との料理の練習を経て、葉月も自身の料理下手を自覚するとばかり思っていた。

 けれど、好美が期待していた事態にはならなかった。
 何故なら、葉月には心の拠り所としている言葉があった。

 ――でもね。葉月は免許皆伝なんだよー。パパが、言ってたの。

 いつか、好美が直接聞かされた言葉だった。
 それをそのまま、この場にいる二人にも伝える。

「すべての元凶は、勝手に免許皆伝なんか与えた人間よ。
 でも、ここで恨み言を口にしても、何も始まらないわ」

「……そのわりに、言葉に殺気がこもってるわね」

「ば――!
 だ、黙ってろよ、柚。好美に聞こえたら余計大変になっちゃうだろ」

 慌てて柚の口を自分の手で塞ぐ実希子を尻目に、議長の好美による対策会議は継続される。

   *

「まだまだ時間が許す限り、葉月ちゃん対策会議を続行したいと思います」

 議長の宣言に、わずかながらも実希子と柚がウンザリした表情になる。
 けれど好美は一切気にせず、三名だけの会議を着々と進行する。

「葉月ちゃんに自由に作らせた料理を、ゲストとしてお呼びしたお父さんに全部食べてもらう。この他に、具体的な案はありますか」

「……いつの間に、そんな案が採用されたんだ?」

 多少呆れた様子の実希子のツッコみに、胸を張って好美はこう答えた。

「議長権限です」

 だったら、その権限とやらで勝手に決めてくれ。
 言葉にしなくとも、実希子の顔は如実にそう語っている。
 熱しやすく冷めやすい正確なのは前々から知っているが、早くもこの会議に飽きてきてるみたいだった。

 このままではマズい。
 そう判断した好美は思考回路をフル回転させて、効果的な対応策を導き出そうとする。

「なら、実希子ちゃんが、葉月ちゃんのお料理をひとりで食べるということで、今回の会議を終了していいですか」

 一瞬にして顔色を悪くした実希子が「ちょっと待て」と言うより先に、展開を見守ってきた柚が口を開いた。

「異議なし」

「では、賛成多数で、先ほどの案を可決します」

 葉月の料理の腕前を十二分に知っている好美は、何の躊躇いもなく友人を憐れな生贄に設定する。

 このまま円満に対策会議が終了するかと思いきや、意外なことに反対の声が上がった。

「却下だ、却下。その案は、絶対におかしいって。どうして、そういう結論になるんだよ」

 空気の読めなさを最大限に発揮して、実希子が好美と柚の二人を糾弾する。

 だが好美は慌てない。
 このような展開になるのは、すでに想定済みだった。
 三人で始まった会議で、すでに好美はひとりのメンバーを味方につけている。
 お互いに被害を受けたくなかったがゆえに、視線だけで同盟を成立させていた。

「だって、実希子ちゃんは、葉月ちゃんの保護者なんだから」

「ま、待て。保護者と言うのであれば、好美の方じゃないか。いつも学校で、何かと面倒を見てるだろ」

「言われてみれば、そうよね」

 あっさりと柚が、実希子の意見に同調する。
 どうやら好美ともあろう者が、策に溺れてしまったようだ。
 こうなると、状況を覆すのは簡単にいかない。
 ここは一度、仕切りなおすべきと判断する。

「それなら結論を一旦、白紙に戻しましょう。幸いにして日暮れまでにはまだ余裕があるわ」

 さり気なく危機回避をしつつ、好美は議長らしく場をまとめた。

   *

「結局さ。葉月に料理させないってのが、一番効果的な方法なんじゃないか」

 継続される葉月ちゃん対策会議。
 主要メンバーのひとりである実希子が、そんな発言をした。

 その程度なら、いちいち言われるまでもなかった。
 勉強苦手で運動ひと筋のポニーテールの空手少女と違い、好美はクラスでもトップの成績を誇っている。

 なんて思うのは失礼極まりないので、好美は今気づいたと言わんばかりの表情を作って「そうね」と応じる。

「でも、そんなに上手くいくかしら」

 実希子の提案に待ったをかけたのは、もうひとりの主要メンバーだった。
 以前は葉月と反目――というより、一方的にいじめていた。変化が起きたのは林間学校の最中で、理由を尋ねても柚は決して教えてくれなかった。
 実希子だけは察しているらしく、仲良くなった現在では、何かにつけてからかったりしている。

 柚自身にこれまでみたいな棘はなくなっており、比較的付き合いやすいクラスメートになっている。
 小学三年生になった際のクラス替えで、二年生の頃の親しかった友人とは別々の学級に所属していた。
 好美と実希子、それに葉月を加えた仲良し三人組は揃って同じだった。そこへ柚が加わったのである。

「どうしてさ。林間学校の時だって、そうやってたはずだろ」

 ここで好美は林間学校にて、夕食を作っていた際の光景を思い出す。葉月に野菜を切ってもらおうとしたところ、とんでもない惨状になりかけた。
 切り方どうこうより、包丁の握り方からおかしかったのである。挙句、切れないなら刺せばいいなどと言い出す始末。
 全員で慌てて、葉月を野菜を洗う係へ配置換えさせた。

 その時はなんとか事なきを得たが、それ以来というもの、葉月は家で料理の練習に取り組んでいると言っていた。
 発言を信用して、好美は一緒にケーキを作ろうとしたが、途中で強制ストップさせられる事態になった。目の前で見ていただけに、葉月の料理の腕を人一倍信用できなくなっているのだ。

「今回は調理実習でしょう。全員にきちんと作業をさせるべきだと、先生に注意されるかもしれないわ」

 柚の意見はもっともだった。好美もそう判断したからこそ、こうしてわざわざ対策会議なるものを開催しているのである。
 調理実習を担当する教師に「葉月ちゃんも、やってみなさい」と言われれば、葉月は大喜びで包丁を手に取るであろう。そして、数秒後には好美たちが悲鳴を上げるはめになる。

 確定事項ではないものの、そうなる確率が高いと考えている。
 だが、いくら考えても、有効そうな対応策は浮かんでこなかった。

「とにかく、調理実習はまだ先なんだ。各々でどうするか考えて、あとで第二回の会議を行えばいいんじゃないか」

 実希子にしてはまともな意見だと納得し、好美が賛成すると、柚も「そうしましょう」と同意してくれた。

 結果的には後回しにしたのと変わらず、根本的な解決にはなっていないが、時間が経てば効果的な案を思いつくかもしれない。
 そう考えて会議をお開きにすると、好美たちは三人で遊ぶことにしたのだった。
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