第14話 初めてのおつかい~きっかけ~

文字数 4,561文字

「ねえ、パパー。お買い物に行こうよー」

 世の学校が冬休みに入り、仕事部屋から出るなり、春道は娘である葉月にまとわりつかれていた。普段は迷惑とも感じないが、同じ状況が毎日続けば、さすがに多少はウンザリしてくる。

 そんな中、娘が発した台詞が先ほどのものだった。いつもなら「遊ぼうよー」というのが定番なのに、今回は珍しく違う。これでは恒例の「せっかくだから、友達と遊んで来い」という追い払い技が通用しない。

「何か欲しいものでもあるのか?」

 歳のわりにしっかりしてる葉月は、春道と母親の和葉を気遣ってか、あまりあれこれとおねだりをしない。
 もっとも物品を対象にしたケースだけの話であり、遊んでほしいなどのお願いは日常茶飯事だった。

「うんー。冬休みの宿題で使うノートとかを買いに行きたいのー」

 何をねだられるのか内心ビクついてみたりしたが、それらはすべて無駄に終わった。財布の中身を心配する必要がない品々だったからだ。ホッとすると同時に、どうせならもう少し高価なものを欲しがればいいのにと複雑な心境になる。

「もしかして特殊なノートで、かなり高かったりするのか?」

 発生したての疑問を、遠慮せずに娘へぶつけてみる。すると葉月は、いつものにこにこ笑顔のまま首を左右に振った。

「ううん、普通のノートだよー。ママから、ひとりでお買い物に行ったら駄目って言われてるからー」

「……うん?」

 気になる内容の台詞に、春道は思わず何て言ったのか聞き返してしまう。愛娘は嫌がりもせずに繰り返してくれたが、やはり聞き間違いなどではなかった。

 確かに「ひとりで買い物へ行くな」と言われたと口にしていた。しかも注意をされた相手が、母親なのである。何事もひとりでしっかりやらせたがるタイプだとばかり思っていたので、これは意外だった。

「そ、そうか……と、ところで、ノートはすぐに使うのか?」

「んーとね、あとちょっとは大丈夫だよー」

 どうやら宿題で使うノートが、予定の量では足りなくなったのだろう。最近では、ノートなんて色々な店で売っている。すぐに連れて行ってあげてもよかったが、それをしなかったのは、どうしても気になる点があったからだった。

   *

 夕食後の家族団らんを終え、午後九時をまわったところで葉月が就寝の準備をするため、リビングから退室していった。すでにお風呂は済んでいるので、あとは眠る前の歯磨きを洗面所でするつもりなのだ。

 小さな後姿を見送ったあとで、春道は愛妻の和葉に声をかけた。日中、葉月とのやりとりで抱いた疑問を、直接ぶつけるためである。

「何ですか?」

 リビングにあるソファへ並んで座ったあと、和葉が早速用件を尋ねてきた。若干頬を赤らめているのが気になるところではあるが、今はスルーしておくことに決定する。

「いや、葉月のことなんだけどさ」

 和葉が仕事で不在にしてる間の出来事を、なるべく詳しく説明した。すると即座に「ええ、そのとおりです」と娘の説明が正しいと証言をした。

「外には危険が溢れてますからね。まだお買い物デビューは早いと思いまして」

「い、いや……む、むしろ遅いぐらいなんじゃないか……?」

 春道の言葉に妻が「そうなのですか」と、やや大げさなくらいに驚く。娘のことに関して過保護なのはわかっていたが、さすがにここまでくると過剰すぎる。

「だ、大体、これまでだって林間学校に行ったり、友達と遊びに行ったりしてただろ」

 確かに午後五時という門限つきだが、それは年齢を考えると仕方ない部分がある。そう解釈して、春道も何も言ってこなかった。しかし夜間の外出と、ひとりでの買い物は明らかに状況が違う。何故なら、後者は日中でも充分に可能だからだ。

「それとこれとは、話がまったく違います」

 自信たっぷりに和葉が言い放った。冗談でないのは、真正面から春道を見てくる視線の真剣さでわかる。

「林間学校では当然、引率の先生方がいらっしゃいます。約一名、信用に当たらない人物がおりましたが、そこは許容範囲内です」

 誰のことかはすぐにわかったが、ここで余計な口を挟むといらない展開になるので、あえて春道は黙っておくことにする。

「お友達と遊ぶのも、基本的に誰かのお家へ集まるので、保護者が同じ建物内へいる可能性が高いです。仮にそうでなかったとしても、ひとりでいるよりはずっと安全です」

 力説する愛妻はなおも言葉を続ける。

「三本の矢は確かになかなか折れません。けれど、一本だけなら実にあっさり折れてしまうのです。そこのところを、どうかご理解ください」

 言いたいことを言い終えたあとで、和葉がチラリと春道を見てくる。反論があるならどうぞと促してるのだ。確かに葉月はまだ十歳にも達してない子供である。母親が心配する気持ちも、わからなくはなかった。

「だからといって、いつまでも親や他の人に頼りきりじゃないけないだろ。和葉だって、今の葉月ぐらいの歳には、ひとりで買い物ぐらいしてたはずだ」

 春道自身がそうだったので、相手も同様だと思っていたが、実際は違った。それを証明したのが、愛妻の次の台詞だった。

「いいえ。私がひとりで買い物などをするようになったのは、中学校に入学してからです。幼少時はお手伝いさんもいましたし、父の友人の方々が、遊びに来る際色々と買ってきてくださいましたから」

 たまらず春道は絶句する。とある事件で生前の父親との仲が悪化し、家を出ると同時に妻は母方の姓を名乗るようになった。けれど、それまでは父方の姓である戸高だったのだ。その戸髙家へは、春道もお邪魔している。

 田舎とはいえ、土地も家も広大でかなりの資産家だというのはひと目でわかった。和葉はそこの娘なのだ。要するにお嬢様だったのである。お手伝いさんという言葉が、当たり前のようにでてきたことからも間違いない。

 そういう環境で過ごしてきたのであれば、中学校まで自分で買い物した経験がないという話も真実味を帯びてくる。根本的に、春道とは住んでいた世界が違うのだ。和葉と父親が仲違いしてなければ、きっと話をする機会すらなかった。

「も、もしかして……私が変なのですか?」

 こちらが何も言わないので、どうやら心配になったみたいだった。普通は小学校に入った時点で、母親のおつかいなどでひとりきりの買い物を経験してるのではないだろうか。他ならぬ春道がそうだった。

 そのことを教えると、愛妻は「なるほど……それは妙案かもしれませんね」と頷いた。春道が辿ってきた道を、そのまま娘にも歩ませるつもりなのだ。葉月の年齢になって、初めてのおつかいもどうかとは思ったが、やる気になってる和葉を止める理由はなかった。

「それでは早速、計画を練りましょう。まずは目的の店と品を決める必要がありますね」

 キリッとした目つきになったあとで、和葉は仕事用に持って歩いているバッグから、一冊のノートを取り出した。業務中に気づいた点などをメモしてるらしく、最初のページから文字でビッシリ空白が埋まっている。

「まずは葉月に依頼する買い物内容についてですが……」

 仕事モードへ突入してしまったのか、途端に事務的な雰囲気が漂いだす。管理職を務めている女性らしく、場の取り仕切り方などは慣れまくっている。

 ……などと、感心してる場合ではなかった。
 真剣になるのは結構だが、おつかいを難しく考えすぎてる気がしてならない。幼き日の春道少年の記憶をいくら蘇らせても、母親から「貴方に買い物を依頼します」と言われた覚えはなかった。

「ま、待てよ! そもそもノートが欲しいって言ってたんだから、普通に文房具売ってる店に行かせればいいだろ。難しく考える必要なんてないって」

「そんなことはありません。お店を指定しないと、どこへ行けばいいかわからないはずです。親として、最初は事細かに進むべき道を提示してあげるべきです」

 それが大げさだと思うのだが、そんな指摘をしようものなら、烈火のごとく怒りだす危険性がある。それに、相手の言い分が間違ってるとは言い切れない。そう考えた春道は、自分が折れることにする。

「わかったよ。それなら、葉月も知ってる店を指定して、ノートを買ってきてもらえばいい。買い物を依頼するなんて難しく言わずに、自分で買ってきなさいって言えばいい」

「それなら道に迷う心配もないでしょうし……わかりました。ではそのように計画書を作成しましょう」

「仕事じゃないんだから、計画書なんていらないだろ。普通に口でお願いすればいいんだよ。和葉は何でも難しく考えすぎだ……っていうより、もう少し葉月を信用しろ」

 ――危なかった。
 台詞を言い終えた直後、春道は内心ドキドキしながら冷や汗をかいてしまった。最後に自分でフォローを入れておかなかったら「春道さんが、楽観的すぎるのですっ!」と怒られてしまうところだった。

 一緒に過ごすようになってきて、段々と春道も相手の怒るポイントがわかりだしていた。もっとも、まだ完璧ではないのでよく叱られる。友人曰く、この状態を「尻にしかれてる」と言うそうである。

「……そうですね。料理の一件で、少しだけナーバスになっていたかもしれません」

 料理といえば、思い出されるのがつい先日の林間学校である。後に娘の親友で、同じ班に所属していた今井好美という少女に話を聞くことができた。
 やはり想像どおりで、途中から包丁を握らせなかったそうだ。春道は苦笑して終わりだったが、同席していた和葉は、顔を蒼ざめさせながら幾度も少女に「ありがとう」とお礼を言っていた。

 それほどまでに、受けた説明が壮絶だったのである。その後に一度、和葉監視で葉月に料理を作らせてみたが、途中で強制終了になったのは言うまでもない。

「……ま、まあ……料理は学校の家庭科とかでもやるだろうしな……そ、そのうち……慣れるんじゃないかな……うん……」

「本当にそう思ってますか?
 春道さんも見てたでしょう。トマトを切らせようとしたら、対象を素手で持ったまま空中で水平に切ろうとしたあの荒業を!
 途中で止めなかったら、間違いなく大惨事になってましたよ!」

 ずずいっと愛妻が顔を近づけてくる。両目には迫力が満ち満ちており、下手に反論しようものなら、それこそ一撃で切って捨てられるだろう。このままではマズいので、半ば強引に春道は話題を変える。

「い、今は料理じゃなくて、葉月のおつかいを話し合ってるんだろ? いつ頼むかは決めたのか」

「そうでした。逃げられた感がありありですが、ここは素直に乗っておくことにします」

「そ、そうしてもらえると、非常に助かる」

「明後日は葉月も私も休みなので、その日にしましょう。春道さんもスケジュールを空けておいてくださいね」

 丁度良かったというような顔をしつつ、予想外の要求を和葉がしてきた。先ほどの台詞内容から考察するに、もしかすると愛妻は愛娘を尾行してまわるつもりなのかもしれない。

「い、いや……そ、そこまでする必要――」

「――春道さんはっ!
 ご自分の娘が……葉月が心配ではないのですかっ!?」

「わ、わかった! 空けとく! だから落ち着け! 落ち着いてくれ!」

 こうして明後日は、夫婦揃って葉月の初めてのおつかいを、リアルタイムで観賞することになったのだった。
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