第82話 愛娘たちの白雪姫

文字数 5,418文字

 夏の名残が完全に失われ、日差しも限りなく穏やかだ。
 秋から冬へ少しずつ移動しようとしてるある日。
 春道は妻の和葉と一緒に、愛娘の通う小学校へやってきた。校門の前には文化祭の案内用の看板がある。

 午後からは各クラスによる出し物が、体育館で行われる予定だった。
 葉月たちの学級は演劇をやるらしい。事前に保護者の観覧も可能と聞いていたので、和葉の強い希望により、こうして足を運んだのだ。

 門を抜け、体育館へ向かいながら、春道は隣を歩く妻の和葉に尋ねる。

「葉月たちは演劇と言ってたが、何をやるんだ?」

「どうやら、白雪姫みたいですよ」

「グリム童話か」

「ええ。小学生のやる演劇ですから、過度な描写が排除された、絵本的な物語になるのでしょう」

 本来のグリム童話には、意外なくらい残虐な描写が存在する。
 子供に読み聞かせするのはマズいのではないかという議論も多々、起こるらしかった。そのため、日本では残虐な描写を省いたショートバージョンも存在する。
 恐らくはそちらを参考に、演劇をするのだろう。

「ところで、葉月の役どころはどうなってるんだ。俺は何も話を聞いてないんだが」

 春道が愛娘の演劇の話を知ったのは、今朝になってからだった。
 出かける際に葉月が「今日は演劇を見に来てね」と言って、保護者への案内のプリントを手渡してきたのだ。
 仕事のスケジュールに余裕があったので、多少抜けても大丈夫だろうと夫婦揃って見に行くのを決めた。

「私も詳しくは知らないのです。文化祭があるのは知っていましたが、まさか演劇が行われて、それを保護者が観覧可能だとは思っていませんでした」

「まあ、とりあえず、体育館へ行けばわかるか」

「そうですね」

 同意してくれた和葉と一緒に、保護者用の出入口に設定された扉を開けて体育館へ入る。
 中では他のクラスの出し物として、合唱が行われていた。元気に、楽しそうに歌う子供たちの姿に妻が目を細める。

「和葉、こっちに椅子が用意してある。ここに座ろう」

 体育館にはステージがあり、その下にそれぞれの学年と学級に分かれた生徒たちが体育座りをして、他のクラスの出し物を見物中だった。
 さらに後ろの出入口付近に、春道たち保護者用の椅子があった。
 結構な数の保護者が来ていたものの、椅子の数にはまだ余裕があったので遠慮なく座らせてもらう。

「一体、葉月はどんな白雪姫を演じるのでしょうか。気になりますね」

 緊張と興奮が混ざったような感じの声で、和葉が話しかけてくる。

「おいおい。まだ葉月が主役と決まったわけじゃないだろう。期待しすぎるなよ」

「何を言ってるのですか。春道さんの目は節穴ですね。葉月以外に、白雪姫役が似合う女の子がこの世界にいると思いますか」

 いくらなんでも言いすぎだろうと思ったが、完全に舞い上がってる和葉には、何を言っても通じそうになかった。
 どうせ劇が始まればわかることだ。春道は曖昧に笑って応じ、それ以上の会話継続を断念した。
 他のクラスの児童たちの出し物へ注目しているうちに、いよいよ葉月が所属する学級の出番が訪れる。

 今にも立ち上がって声援を送りそうな妻をなんとか抑えながら、ステージを注目する。
 下りていた幕が上がり、いよいよ白雪夢の演劇が開始される。

   *

「こ、これは一体……どういうことですか……」

 隣に座っている和葉が、狼狽しきった様子で擦れた声を出した。

「どういうも何も……そういうことだろ」

 応じた春道の視線の先には、白雪姫に扮した佐々木実希子がいた。男勝りな性格をしているだけに、ステージ上の彼女はずいぶんと恥ずかしそうだ。
 もしかしたら、普段とのギャップを狙って抜擢されたのかもしれない。
 当人が望んで主役の座を射止めたわけじゃないのは、演技をしてる表情を見れば一目瞭然だった。

 悪者となる王妃役は室戸柚だ。鏡役の今井好美に向かって「鏡よ、鏡……」と定番の台詞を口にする。こちらはほんの少し不満げにも見える。
 恐らく柚は、白雪姫役をやりたかったに違いない。
 とはいえ目立つ役には変わりなく、一生懸命に役柄を演じる。

 すでに白雪姫役の実希子は舞台袖にはけていて、ステージには王妃役の柚と鏡役の好美しかいなかった。

「この世で一番綺麗なのは誰かしら」

「それは白雪姫です」

 王妃役の柚が、露骨に顔を歪める。
 とても小学生とは思えないほどの、迫力満点の演技だった。

「白雪姫ですって。先日までは、私が一番だと言っていたじゃないの」

「王妃様では、成長した白雪姫にはとても敵いません」

「何ですって。よく見なさい。実希子ちゃんよりは可愛いでしょ」

「王妃様。実希子ちゃんではありません。白雪姫です。そして私は鏡です」

「知ってるわよ」

 怒鳴るように王妃役の柚が叫ぶ。
 ステージの下で見てる児童からは笑いが起き、保護者もクスっとする。
 それもそのはず、序盤からしてすでに普通の白雪姫ではない。明らかにコメディタッチな演出が加えられている。

 もしかしたら、先日退職したばかりの女教師の意向だったのかもしれない。
 とにもかくにも、一風変わった白雪姫が舞台上で展開される。

「そもそも私の鏡なんだから、もっと所有者に気を遣ったらどうなの!?」

 床をドンと踏みつけながら、王妃が鏡に詰め寄る。

「申し訳ありませんが、私は自分に素直な鏡なのです。何があっても意見を曲げるわけにはいきません」

 きっぱりとした口調で答えた鏡を、王妃役の柚が睨みつける。

「……割るわよ?」

 しばらくの沈黙が続いたあと、鏡役の好美が口を開く。

「この世で一番綺麗なのは王妃様です」

「わかればいいのよ。おーほっほっ」

 口元に手の甲を当て、どこぞの漫画みたいな笑い方を柚が披露する。

「最初のシーンで、鏡が白雪姫より王妃を綺麗だと言うとは……。
 斬新な白雪姫ですね」

 愛娘が主役でないと知って、ショックを受けていた和葉も、ステージ上で繰り広げられるあまりの展開に目を丸くする。
 次は一体どうなるのかと思っていたら、ナレーション役の女児が衝撃的な発言を行った。

「こうして王妃も白雪姫も幸せに暮らしました。めでたし、めでたし」

「……終わってしまいましたね」

 座っている椅子からずり落ちそうになった春道の隣で、呆気にとられたように和葉が言った。
 劇が開始されてから、わずか1分足らずで終幕とは想像以上だ。
 本当にこれで終わるのかと思っていたら、鏡が辞表を書いているシーンへ突然に切り替わった。

「嘘をついてしまった私は、もはや真実の鏡とは呼べない。だけど、ひとりの少女の命を救えたのだからこれでいい」

 切なそうに呟きながらも、鏡は穏やかに微笑む。
 椅子に座り直した春道が何だこれはと思っていると、鏡の背後から王妃が乱入する。得意げな表情で「そんなことだろうと思ったわ」と言った。
 しまったとばかりに振り返った鏡を指差し、王妃はなおも言葉を続ける。

「貴方の思惑などお見通しよ。生憎と私は偽りの賞賛になど興味はないの。白雪姫を排除して、誰よりも美しい王妃になるのよっ」

「そんな真似をしなくても、努力で白雪姫の美しさを超えるべきです」

「一理あるわね。では改めて真実の鏡に問うわ。私は白雪姫より美しくなれるのかしら?」

「あ、それは無理です。だって、白雪姫は別格ですし」

 しれっと答えた真実の鏡の前で、王妃役の柚が派手にずっこける。
 もはや白雪姫ではなく、単なるパロディと化していた。

「貴方と話してると気が狂いそうだわ。当初の予定どおり、白雪姫を排除します。猟師を呼びなさいっ」

 王妃が猟師を呼びつけ、白雪姫の殺害を命じる。
 しかし白雪姫を哀れに思った猟師は、森の中へこっそり逃がしてあげた。
 その上で、王妃へ命令を実行したと嘘をつく。

 該当のシーンを保護者席で見ていると、今度は妻の和葉が椅子からずり落ちそうになった。
 猟師役の男児と白雪姫役の実希子が演技をしている後ろで、ぽつんと立っている葉月を見たからだ。
 両手に木の枝を持ち、頭にも木の枝をつけている姿を見れば、何の役を任されてるのかはすぐにわかった。

「……木だな」

「木ですね……」

 元の位置まで戻った和葉が、額を右手で押さえながら頷いた。
 葉月の役どころは間違いなく森の木だ。
 仲の良い友人たちが重要な役を演じているにもかかわらず、どうして葉月だけが木なのだろうか。

 しかし保護者席から見ている分には、とても楽しそうに木を演じているみたいだった。両親である春道と和葉にも見に来てほしいと言うくらいなので、嫌がっているわけではないのだろう。

「……撮影するか?」

「せっかくですので、そうしてください」

 運動会の際にも使ったビデオカメラで、春道が葉月の姿を撮影する。
 にこにこ笑顔で木になってる愛娘が、妙に可愛らしい。

   *

 物語は進み、白雪姫の存在にとうとう王妃が気づいてしまう。
 生きているのを知った王妃は激怒し、自分の手で始末しようと考える。
 物売りに変身し、小人たちに守られていた白雪姫に接近する。

「リンゴはいらんかね」

 老婆に扮した王妃が、小人の家の外から中にいる白雪姫へ声をかける。

「すみません。小人たちから、誰が来ても中へ入れるなと言われてるので……」

「中へ入る必要はないよ。リンゴを渡せばいいだけなんだからね。ほら、こんなに美味しいよ」

 毒なんてついてないよとばかりにリンゴを食べ、白雪姫を安心させる。
 騙された白雪姫は王妃が変装しているとも知らずに、老婆から毒入りのリンゴを受け取り、かじってしまう。
 その場に崩れ落ちる白雪姫を見下ろしながら、変装を解いた王妃が高らかに笑う。

「これで私が世界で一番美しくなったわ。おーほっほっ」

 勝ち誇る王妃とは対照的に、白雪姫が毒殺されたのを知った小人たちはおおいに悲しんだ。白雪姫の美しさをいつでも見られるようにガラスの棺に入れる。
 そのうちに、ひとりの王子が小人たちのもとへ訪れる。王子役は仲町和也だった。

「おお、ひと目見た瞬間に、恋をしてしまった。どうか私に白雪姫と結婚をさせてほしい」

 演技力がある柚に比べれば、和也の台詞は棒読みも同然だった。
 小学生なのだから、この程度が当たり前。柚が凄すぎるだけだ。

「だが、白雪姫はすでに死んでしまった」

 小人のひとりが王子に言った。

「それでも私は、彼女と結婚をしたいんだっ」

 諦めない王子の熱意に押され、小人たちも納得する。
 ここでタイミングを計ったように、ナレーションの声が館内に響く。

「王子は白雪姫にキスをして、目を覚まさせます」

 館内が一気に大盛り上がりで、高学年の生徒は冷やかしたりもし始める。
 あまり騒ぎが大きくなれば教師も止めに入るだろうが、とりあえずは黙認中だった。
 その中で和也が、戸惑いの表情を見せる。
 ガラスの棺に入れられていた白雪姫役の実希子も同じだった。

 とりあえず、するふりだけもしなければ収まらないような雰囲気だったため、仕方なしに和也が棺の中にいる実希子へ顔を近づけようとした。

「そ、そんなこと、できるわけないだろっ」

 直後に顔を真っ赤にした実希子が棺の中から飛び上がり、反射的に側に置いてあったリンゴを手に取って和也へ投げつけた。
 幸か不幸か、驚きによって開かれたばかりの和也の口内へ入ってしまう。
 途端に館内がザワめき、観客になってる児童のひとりが「毒入りリンゴを王子が食べた」と口にした。

 この言葉が耳に入ったらしい和也はリンゴを口から取り出したあと、呻くような演技を見せてステージ上に倒れた。
 あろうことか、白雪姫によって王子が毒殺されてしまったのだ。
 わけのわからなさすぎる展開に、木としてセットの一部になっている葉月も目をパチクリさせていた。

 劇として成立しないどころか、あとで好美に怒られる。
 そう判断したからどうかは不明だが、今度は白雪姫役の実希子がアドリブで劇を混乱させる。

「ああ……私はなんということを。こうなったら、王子様のあとを追います」

 そう言って毒入りリンゴを拾って食べるふりをしたあと、再びガラスの棺の中へ倒れてしまう。主役2人が毒入りリンゴで倒れる展開に、誰もが混乱状態。
 なんとかしようと、葉月が前へ出る。

「あっ!?」

 驚きの声を上げたのは、葉月ではなかった。
 柚もまた劇をなんとかしようと、舞台袖から乱入してきたのだ。
 タイミング悪く葉月が道を塞ぐ形になり、柚はまともにぶつかってステージの上へ倒れてしまう。

「……木が王妃を倒した」

 誰かがぼそりと呟いた。
 直後に拍手喝采が起き、何故か最後に立っていた木が称えられる。
 それを見ていた鏡役の好美が今のうちとばかりに、舞台袖でナレーションの女児に指示を送る。

「こうして世界は平和になりました。めでたし、めでたし」

   *

 スーっと幕が下りてきて、今度こそ本当に葉月たちのクラスの演劇が終了する。
 児童たちには大うけだったが、保護者席にはなんとも微妙な空気が漂った。
 そんな中でも、ひとりの女性だけはとても嬉しそうだった。春道の妻の和葉だ。

「やっぱり葉月が主役でしたね」

 嬉しそうに話す和葉を生暖かい目で見つめながら、春道は尋ねる。

「これ……何の劇だったっけ?」

「何を言ってるのですか。白雪姫に決まってるでしょう」

 さも当たり前のように和葉が言う。
 それを聞いた春道はもう何も言わず、劇を撮影していたビデオカメラをそっとしまった。
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