第57話 第二回 葉月ちゃん対策会議
文字数 4,533文字
「では、これより第二回。葉月ちゃん対策会議を始めたいと思います」
会議室になっている今井家の一室――つまりは好美の部屋に大きな拍手が鳴り響いた。第一回とは違い、参加者の目は真剣そのものだった。
「前回と同様に、今回も私――今井好美が議長を務めさせていただきます」
ひとり立っている好美が頭を下げると、またもや参加者たちが拍手をした。
会議に参加しているのは、やはり実希子と柚の二人。
議長の好美を含めても、総勢三名のこじんまりとした会議だった。
ゆえに第一回目では、参加者たちにもいまいち本気度が感じられなかった。最終的には全員で遊んでしまったのが災いした。
調理実習の日はまだ先だと、油断していた好美たちにも責任はある。その結果が、先日の調理実習での悪夢に繋がった。
とりあえずは実希子や好美の機転でなんとか窮地を脱したが、いつまた同じような現場に遭遇するかわからない。
そこでその時のために新たな対策を練りたいと発案し、好美は自分の部屋に実希子と柚を招集したのである。
例のごとく、葉月が所用で帰宅しなければならない日を使って会議が行われている。
こんな会議を何度も行ってるとわかれば、葉月が悲しむかもしれない。それだけは避けたかった。
ここにいる全員が葉月を友人として好いており、悲しませたいなんて微塵も思っていない。それだけに、唯一と言ってもいい難点をなんとか改善させたいのである。
「まずは、あのどーんっをなんとかさせない限り、私たちに未来はありません」
「そ、そこまで言うほどかしら……」
毅然とした好美の態度に違和感を覚えたのか、柚がやや引き気味に発言した。
「甘いわ。柚ちゃんだって見たでしょう。葉月ちゃんの、どーんっの凄まじさを。下手したらお野菜じゃなくて、指が飛んでいくわよ!」
「た、確かに狙いを間違えると、恐ろしい事態になるのは間違いないな」
好美の熱弁を受けて、実希子が賛同する。
二人に力説されれば、柚も従わざるをえない。
「大体、柚ちゃんがいじめっ子根性をフルに発揮して、葉月ちゃんに包丁を持たせなければ万事解決なのよ!」
「い、いじめっ子根性って……あまり人聞きの悪い言葉は使わないでもらえるかしら……否定できないけど」
実際に虐めていた経験があるだけに、好美の無茶な指摘にも強いツッコみを入れるのは不可能だった。
好美がどうしてここまで切羽詰っているかといえば、先日の調理実習で、改めて葉月の包丁使いに恐怖を覚えたからだ。
どーんっという掛け声とともに、高く振り上げた包丁を垂直に落下させる。重力を最大限に利用した斬新な切り方は、見ている誰もが戦慄を覚える代物だった。
「けど実際問題、あの、どーんをなんとかする方法はあるのか?」
「だから、それを考えるために、こうして対策会議を開いているのよ。皆の意見を期待しているわ」
クッションに座っている実希子と柚に目でプレッシャーを与えつつ、好美もご自慢の頭脳をフル回転させる。
しかし効果的な策は思いつかず、時間ばかりが悪戯に過ぎていく。
「実希子ちゃんも、柚ちゃんも何かない?
このままだと黒魔術で、葉月ちゃんのお父さんに呪いをかけるという選択肢しかないわよ」
「……だから、いつ決まったんだ……っていうか、いい加減に葉月のパパから離れろよ」
やや呆れ気味の実希子の指摘を右から左へ受け流しつつ、好美主導の葉月ちゃん対策会議はなおも続く。
*
好美の自宅を議場として、放課後に葉月ちゃん対策会議が行われている。
メンバーは議長の好美を始め、実希子と柚というお馴染みの面々だった。
「なんとか今回は事なきを得たけれど、このままではいつ流血事件に発展してもおかしくないわ」
ひとり立ち上がっている好美が、どこぞの演説者みたいな仰々しいジェスチャーで実希子と柚に注意喚起をする。
第一回目の対策会議では、どこか他人事だった二人も、今ではある程度真剣に参加してくれるようになっていた。
それもこれも、先日行われたばかりの調理実習が原因だった。恐るべき惨状を目にして、ようやく事の重大さを理解してくれたのだ。
「りゅ、流血事件って……」
「実希子ちゃん、甘く考えないで。月夜の晩ばかりではないのよ」
「……その指摘は、何か違うような気もするけれど……」
緊張感を欠如させつつある実希子をシャンとさせようとした好美の発言に、室戸柚が恐る恐るツッコみを入れる。
「柚ちゃんもまだ、現状を理解していなかったの? 私たちの相手は、どーんのひと言でとんでもない包丁さばきを披露するリトルモンスターなのよ!」
今にも泣きそうな好美の勢いに押され、実希子と柚が揃って、そのとおりですとばかりに顔を何度も縦に頷かせる。
「そのためには、なんとしてもこの第二回葉月ちゃん対策会議で、なんらかの対応策を見出すしかないのよ。さもなければ、あの暗黒魔道士の餌食だわ」
「あ、暗黒魔道士って……そ、そこまで言うかね……」
「勘違いしないで、実希子ちゃん。葉月ちゃんのことではなくて、その後ろに控える黒幕のことよ」
その説明でピンときた柚が「まだ葉月ちゃんのパパを恨んでたのね」と小さく呟いた。
柚が発した言葉は実希子にも聞こえていたみたいで、スポーツ万能少女がそうだとばかりに手を叩いた。
「葉月がパパのせいで暴走してるんなら、もう一方のママに止めてもらえばいいんじゃないか」
実希子がそう言うと、好美はすぐにそれだとばかりに電話機の子機を取りに居間へ走った。
数分後に全力ダッシュで部屋へ戻ってきた好美が、右手に持っている電話機の子機で高木家へ電話をかける。
何度かのコール音のあと、大人びた声の女性が「はい、高木ですが」と出てくれた。葉月の父親が日中から堂々と不倫していない限りは、該当人物はひとりしかいない。
「あ、葉月ちゃんのお母さんですか。私、今井好美です。今日は少しお話が……」
「どーん」
受話器の向こう側で響く、実によく聞き慣れた掛け声。
そして発生する物音と悲鳴。
気がつけば電話は切れていた。
「どうだ。上手くいったか」
瞳を爛々と輝かせて尋ねてくる実希子に、好美は重苦しいため息をつきながら告げる。
「……手遅れだったわ」
*
ゴクリと喉を鳴らしながら、実希子が好美に問いかける。
「い、一体……何があったんだ」
「わからないわ。ただひとつ確かなのは、事件は高木家で起きているということよ!」
「な、なんだって……!」
沈痛な面持ちの好美と、仰々しく驚いている実希子。
そして二人を生暖かい目で見守る柚。
葉月ちゃん対策会議は新たな局面を迎えるかと思いきや、好美はこれまでどおりに進行する。
「とにかく、葉月ちゃんのママを助っ人にする計画は頓挫しました。実に素早い根回しです」
「そうだな……壮絶な悲鳴が聞こえてたもんな……」
好美の言葉にうんうんと頷く実希子とは対照的に、柚はどこか冷めた目をしている。
このままでは対策メンバーに離脱者が出てしまうかもしれない。
議長として、好美はその事態を避ける必要があった。
「ここで意見をまとめてみましょう。まずは柚ちゃん。対策として、どのような行動をとるべきだと思いますか」
「え……私?」
「当たり前だろ。柚も、対策会議のメンバーなんだから」
普段から乗りやすい性格のためか、実希子は雰囲気に流されて、すっかり好美の味方である。
こうなると柚がひとり冷めた態度をとるわけにもいかず、仕方なしに案を披露しなければいけなくなる。
それでもアホらしいと思えば、帰ればいいだけなのだが、そのうちに再び恐怖の調理実習はやってくる。
肉じゃが調理の際の惨状を柚も目にしてるだけに、葉月を決して野放しにはできないとわかっていた。
「それはそうだけど……でも、効果的な対策なんてあるの?
あの子、意外に行動的でしょう」
「確かに……野菜を洗うようにお願いしても、いつの間にか包丁を握っていかねないからな」
気がつけば包丁を持っている。その時点で完全に危ない人間である。
しかし葉月の場合は、さらにそこからひとひねり加えられる。
天下無敵のどーんで、まな板に乗っている野菜を、頭上から振り下ろした包丁で真っ二つにするのだ。実際に現場を目撃した際の衝撃は凄まじいものがある。
危惧する実希子に賛同しつつ、好美はなんとか葉月を包丁から引き離す方法を考える。
「葉月の料理の腕が上達すれば、問題ないんだけどな……」
「それはそうね。でも、教えるのはかなり大変そうよ」
提案者の実希子でさえも、柚の指摘に「そのとおりなんだよな」と頷く。
そして今日もやはり、葉月ちゃん対策会議はなんら成果を上げられずに、解散を余儀なくされた。
*
好美が学校へ到着すると、すでに先に来ていた葉月と実希子が、なにやら楽しそうに会話をしていた。
他の面々も加わっており、一見しただけでクラスの仲の良さがわかる。良いことだなとほっこりしつつ、好美が席に着くと、やはり早めに来ていた柚がやってきた。
「おはよう」
挨拶を交わしてから、好美もクラスの中にある大きな輪の中に加わろうとすると、何故か柚が制止してきた。
「どうしたの、柚ちゃん」
「精神状態が不安定なら止めておくべきね。葉月ちゃんたちの話題は料理よ」
「な、な、なんですって……!」
爽やかな朝の雰囲気が、粉々に破戒されてしまったかのごとき錯角に陥る。
たった一回の調理実習で、ここまでの精神的ダメージを他人に与えられるのだから、ある意味では葉月の料理の腕前は免許皆伝だった。
「どうやら、葉月ちゃんがお母さんに頼んで、料理を本格的に教えてもらったらしいわ」
「そ、そうなの。それで、成果のほどは?」
「上手くいったらしいわ。ご両親ともに美味しく食べてくれたって」
なら、大丈夫ねと好美は胸を撫で下ろす。
けれど室戸柚がそこへ不必要な追い討ちを放ってくる。
「ただ……すべて、葉月ちゃん談だけどね」
「……話を盛ってるかもしれないのね」
親友を疑うのは気が引けるが、話を丸々信じていると、後にとんでもない事態になりかねない。
なにせ免許皆伝と言われていた腕前が、この間の調理実習における包丁さばきだったのだ。
生唾を飲み込んだあと、意を決して好美も輪の中へ加わろうとする。
しかしその前に実希子が、好美のところへやってきた。入れ替わりに、今度は柚が葉月の話し相手を務めにいく。
何のローテーションかと思ったが、葉月に聞こえないところで実希子と少し会話したかったので、この展開を好都合だと好美は受け止める。
片手を上げて「よっ」と挨拶をしてきた実希子に、葉月との会話の具体的内容を求める。
「葉月ちゃん……肉じゃがを作れるようになったんですってね」
「ああ、そうみたいだよ。やっぱり葉月も、あのままじゃマズいと思ってたんだろうな。これで、対策会議の必要はなくなるかもしれないな」
「そうね……それが一番だわ」
今現在、もっとも危惧しているのは葉月の包丁の扱い。
これが解決されれば、いらない心労を増やす必要もなくなる。
今度こそは平和な日々が訪れるようにと好美は心の中で祈る。
これからわずか数十分後に、砕け散る願いとも知らずに。
会議室になっている今井家の一室――つまりは好美の部屋に大きな拍手が鳴り響いた。第一回とは違い、参加者の目は真剣そのものだった。
「前回と同様に、今回も私――今井好美が議長を務めさせていただきます」
ひとり立っている好美が頭を下げると、またもや参加者たちが拍手をした。
会議に参加しているのは、やはり実希子と柚の二人。
議長の好美を含めても、総勢三名のこじんまりとした会議だった。
ゆえに第一回目では、参加者たちにもいまいち本気度が感じられなかった。最終的には全員で遊んでしまったのが災いした。
調理実習の日はまだ先だと、油断していた好美たちにも責任はある。その結果が、先日の調理実習での悪夢に繋がった。
とりあえずは実希子や好美の機転でなんとか窮地を脱したが、いつまた同じような現場に遭遇するかわからない。
そこでその時のために新たな対策を練りたいと発案し、好美は自分の部屋に実希子と柚を招集したのである。
例のごとく、葉月が所用で帰宅しなければならない日を使って会議が行われている。
こんな会議を何度も行ってるとわかれば、葉月が悲しむかもしれない。それだけは避けたかった。
ここにいる全員が葉月を友人として好いており、悲しませたいなんて微塵も思っていない。それだけに、唯一と言ってもいい難点をなんとか改善させたいのである。
「まずは、あのどーんっをなんとかさせない限り、私たちに未来はありません」
「そ、そこまで言うほどかしら……」
毅然とした好美の態度に違和感を覚えたのか、柚がやや引き気味に発言した。
「甘いわ。柚ちゃんだって見たでしょう。葉月ちゃんの、どーんっの凄まじさを。下手したらお野菜じゃなくて、指が飛んでいくわよ!」
「た、確かに狙いを間違えると、恐ろしい事態になるのは間違いないな」
好美の熱弁を受けて、実希子が賛同する。
二人に力説されれば、柚も従わざるをえない。
「大体、柚ちゃんがいじめっ子根性をフルに発揮して、葉月ちゃんに包丁を持たせなければ万事解決なのよ!」
「い、いじめっ子根性って……あまり人聞きの悪い言葉は使わないでもらえるかしら……否定できないけど」
実際に虐めていた経験があるだけに、好美の無茶な指摘にも強いツッコみを入れるのは不可能だった。
好美がどうしてここまで切羽詰っているかといえば、先日の調理実習で、改めて葉月の包丁使いに恐怖を覚えたからだ。
どーんっという掛け声とともに、高く振り上げた包丁を垂直に落下させる。重力を最大限に利用した斬新な切り方は、見ている誰もが戦慄を覚える代物だった。
「けど実際問題、あの、どーんをなんとかする方法はあるのか?」
「だから、それを考えるために、こうして対策会議を開いているのよ。皆の意見を期待しているわ」
クッションに座っている実希子と柚に目でプレッシャーを与えつつ、好美もご自慢の頭脳をフル回転させる。
しかし効果的な策は思いつかず、時間ばかりが悪戯に過ぎていく。
「実希子ちゃんも、柚ちゃんも何かない?
このままだと黒魔術で、葉月ちゃんのお父さんに呪いをかけるという選択肢しかないわよ」
「……だから、いつ決まったんだ……っていうか、いい加減に葉月のパパから離れろよ」
やや呆れ気味の実希子の指摘を右から左へ受け流しつつ、好美主導の葉月ちゃん対策会議はなおも続く。
*
好美の自宅を議場として、放課後に葉月ちゃん対策会議が行われている。
メンバーは議長の好美を始め、実希子と柚というお馴染みの面々だった。
「なんとか今回は事なきを得たけれど、このままではいつ流血事件に発展してもおかしくないわ」
ひとり立ち上がっている好美が、どこぞの演説者みたいな仰々しいジェスチャーで実希子と柚に注意喚起をする。
第一回目の対策会議では、どこか他人事だった二人も、今ではある程度真剣に参加してくれるようになっていた。
それもこれも、先日行われたばかりの調理実習が原因だった。恐るべき惨状を目にして、ようやく事の重大さを理解してくれたのだ。
「りゅ、流血事件って……」
「実希子ちゃん、甘く考えないで。月夜の晩ばかりではないのよ」
「……その指摘は、何か違うような気もするけれど……」
緊張感を欠如させつつある実希子をシャンとさせようとした好美の発言に、室戸柚が恐る恐るツッコみを入れる。
「柚ちゃんもまだ、現状を理解していなかったの? 私たちの相手は、どーんのひと言でとんでもない包丁さばきを披露するリトルモンスターなのよ!」
今にも泣きそうな好美の勢いに押され、実希子と柚が揃って、そのとおりですとばかりに顔を何度も縦に頷かせる。
「そのためには、なんとしてもこの第二回葉月ちゃん対策会議で、なんらかの対応策を見出すしかないのよ。さもなければ、あの暗黒魔道士の餌食だわ」
「あ、暗黒魔道士って……そ、そこまで言うかね……」
「勘違いしないで、実希子ちゃん。葉月ちゃんのことではなくて、その後ろに控える黒幕のことよ」
その説明でピンときた柚が「まだ葉月ちゃんのパパを恨んでたのね」と小さく呟いた。
柚が発した言葉は実希子にも聞こえていたみたいで、スポーツ万能少女がそうだとばかりに手を叩いた。
「葉月がパパのせいで暴走してるんなら、もう一方のママに止めてもらえばいいんじゃないか」
実希子がそう言うと、好美はすぐにそれだとばかりに電話機の子機を取りに居間へ走った。
数分後に全力ダッシュで部屋へ戻ってきた好美が、右手に持っている電話機の子機で高木家へ電話をかける。
何度かのコール音のあと、大人びた声の女性が「はい、高木ですが」と出てくれた。葉月の父親が日中から堂々と不倫していない限りは、該当人物はひとりしかいない。
「あ、葉月ちゃんのお母さんですか。私、今井好美です。今日は少しお話が……」
「どーん」
受話器の向こう側で響く、実によく聞き慣れた掛け声。
そして発生する物音と悲鳴。
気がつけば電話は切れていた。
「どうだ。上手くいったか」
瞳を爛々と輝かせて尋ねてくる実希子に、好美は重苦しいため息をつきながら告げる。
「……手遅れだったわ」
*
ゴクリと喉を鳴らしながら、実希子が好美に問いかける。
「い、一体……何があったんだ」
「わからないわ。ただひとつ確かなのは、事件は高木家で起きているということよ!」
「な、なんだって……!」
沈痛な面持ちの好美と、仰々しく驚いている実希子。
そして二人を生暖かい目で見守る柚。
葉月ちゃん対策会議は新たな局面を迎えるかと思いきや、好美はこれまでどおりに進行する。
「とにかく、葉月ちゃんのママを助っ人にする計画は頓挫しました。実に素早い根回しです」
「そうだな……壮絶な悲鳴が聞こえてたもんな……」
好美の言葉にうんうんと頷く実希子とは対照的に、柚はどこか冷めた目をしている。
このままでは対策メンバーに離脱者が出てしまうかもしれない。
議長として、好美はその事態を避ける必要があった。
「ここで意見をまとめてみましょう。まずは柚ちゃん。対策として、どのような行動をとるべきだと思いますか」
「え……私?」
「当たり前だろ。柚も、対策会議のメンバーなんだから」
普段から乗りやすい性格のためか、実希子は雰囲気に流されて、すっかり好美の味方である。
こうなると柚がひとり冷めた態度をとるわけにもいかず、仕方なしに案を披露しなければいけなくなる。
それでもアホらしいと思えば、帰ればいいだけなのだが、そのうちに再び恐怖の調理実習はやってくる。
肉じゃが調理の際の惨状を柚も目にしてるだけに、葉月を決して野放しにはできないとわかっていた。
「それはそうだけど……でも、効果的な対策なんてあるの?
あの子、意外に行動的でしょう」
「確かに……野菜を洗うようにお願いしても、いつの間にか包丁を握っていかねないからな」
気がつけば包丁を持っている。その時点で完全に危ない人間である。
しかし葉月の場合は、さらにそこからひとひねり加えられる。
天下無敵のどーんで、まな板に乗っている野菜を、頭上から振り下ろした包丁で真っ二つにするのだ。実際に現場を目撃した際の衝撃は凄まじいものがある。
危惧する実希子に賛同しつつ、好美はなんとか葉月を包丁から引き離す方法を考える。
「葉月の料理の腕が上達すれば、問題ないんだけどな……」
「それはそうね。でも、教えるのはかなり大変そうよ」
提案者の実希子でさえも、柚の指摘に「そのとおりなんだよな」と頷く。
そして今日もやはり、葉月ちゃん対策会議はなんら成果を上げられずに、解散を余儀なくされた。
*
好美が学校へ到着すると、すでに先に来ていた葉月と実希子が、なにやら楽しそうに会話をしていた。
他の面々も加わっており、一見しただけでクラスの仲の良さがわかる。良いことだなとほっこりしつつ、好美が席に着くと、やはり早めに来ていた柚がやってきた。
「おはよう」
挨拶を交わしてから、好美もクラスの中にある大きな輪の中に加わろうとすると、何故か柚が制止してきた。
「どうしたの、柚ちゃん」
「精神状態が不安定なら止めておくべきね。葉月ちゃんたちの話題は料理よ」
「な、な、なんですって……!」
爽やかな朝の雰囲気が、粉々に破戒されてしまったかのごとき錯角に陥る。
たった一回の調理実習で、ここまでの精神的ダメージを他人に与えられるのだから、ある意味では葉月の料理の腕前は免許皆伝だった。
「どうやら、葉月ちゃんがお母さんに頼んで、料理を本格的に教えてもらったらしいわ」
「そ、そうなの。それで、成果のほどは?」
「上手くいったらしいわ。ご両親ともに美味しく食べてくれたって」
なら、大丈夫ねと好美は胸を撫で下ろす。
けれど室戸柚がそこへ不必要な追い討ちを放ってくる。
「ただ……すべて、葉月ちゃん談だけどね」
「……話を盛ってるかもしれないのね」
親友を疑うのは気が引けるが、話を丸々信じていると、後にとんでもない事態になりかねない。
なにせ免許皆伝と言われていた腕前が、この間の調理実習における包丁さばきだったのだ。
生唾を飲み込んだあと、意を決して好美も輪の中へ加わろうとする。
しかしその前に実希子が、好美のところへやってきた。入れ替わりに、今度は柚が葉月の話し相手を務めにいく。
何のローテーションかと思ったが、葉月に聞こえないところで実希子と少し会話したかったので、この展開を好都合だと好美は受け止める。
片手を上げて「よっ」と挨拶をしてきた実希子に、葉月との会話の具体的内容を求める。
「葉月ちゃん……肉じゃがを作れるようになったんですってね」
「ああ、そうみたいだよ。やっぱり葉月も、あのままじゃマズいと思ってたんだろうな。これで、対策会議の必要はなくなるかもしれないな」
「そうね……それが一番だわ」
今現在、もっとも危惧しているのは葉月の包丁の扱い。
これが解決されれば、いらない心労を増やす必要もなくなる。
今度こそは平和な日々が訪れるようにと好美は心の中で祈る。
これからわずか数十分後に、砕け散る願いとも知らずに。