第3話

文字数 3,137文字

 猫山は気分よくスタジオを出た。絶賛生放送中ではあるが、今流れているインタビューのコーナーは収録だ。ゲストである町長のふんぞりかえった語りが十分は続く。そのあいだにスマホをいじって、猫山はもう一度メールを確認した。
【チケットのご用意ができました。ゾッコン少年ファーストコンサート 速攻彼女ツアー】
 「うひょひょひょひょ」と変な声で笑う。スタジオでメールを見たときの衝撃と興奮は治まったが、代わりにじわじわと喜びがこみあげてくる。猫山はアイドルグループであるゾッコン少年の大ファンだった。本当は職権乱用でCDをかけまくりたいのだが、局アナウンサー兼パーソナリティでもある冠野に苦笑いで止められた。自分の冠番組でそれは勘弁してくれ、と。
 知名度はまだまだだけど、一度聴いたら絶対に皆好きになるのに。猫山は歯がゆい思いでいたが、青田買いをしたという誇りに酔いしれられるのもまた事実だった。
 なにを着ていこうか。2デイズだから初日にグッズの買い出しに行かなくちゃ。まずは有休申請か。どんなに周囲から白い目で見られても、この二日間はもぎとってみせる。外は荒天だが、彼女の心には青空が広がっていた。
 猫山が強い決心を固めていると、目の前から八木が歩いてきた。相変わらずひょろりとして頼りない雰囲気をまとっている。
 普段、ラジオ制作部と視聴者センターが絡む場面はほとんどない。なもんで、猫山は軽く会釈をして「お疲れ様でーす」とすれ違おうとしたのだが、八木が突如「あ」と足を止めた。なもんで、振りかえってしまった。
「猫山さん、この人」
 八木はそう言って人差し指を立てる。流れているラジオのことだろう。
「あ、八木さん、町長とお知り合いなんですか」
「まさかまさか。じゃなくて、これはまずいかもなあ」
「え、なにが?」
「今、風向きを変えてみせるって言ったでしょ。あと嵐を巻きおこすって……これはなあ、また不謹慎とか言ってきそうだなあ」
 なんのことやらさっぱりわからない猫山は「へー」と適当にごまかした。八木は「ああ、連呼しちゃってるなあ」と町長の言葉をなぞっている。
 町長は冠野がセッティングしてきたゲストだ。お偉い方に顔が利くらしい冠野が、自分の権力的なつながりを電波で知らしめるケースはままある。冠野自身も局アナの枠を飛びこえて、政界進出でも目論んでいるのかもしれない。とにかくそこにディレクター猫山の意思が介入する隙はなかった。
「八木さん、今日は泊まりですか」
「多分そうなるかなあ。猫山さんは?」
「彼が迎えにきます」
 やっぱり恋人は車持ちにかぎる。それは猫山の信念だった。朝から大雨でも、彼女がヒールを履いていられるわけはそこにあった。雨ごときでおしゃれをあきらめるなんてありえない。八木は「へえ、いいなあ」となんだかピントのずれた受け答えをしている。別に羨望の眼差しをくれるのはかまわないのだが、こんなにぼんやりしていて視聴者の問いあわせに対応できるのだろうか、と猫山は多少懐疑的になった。
「ところで久知良さん知らない?」
 八木は問いもずれている。テレビの人間の動向なんて、ラジオの人間がわかるわけがない。なにより今、猫山は生放送中なのだ。インタビューは収録なだけで……まさかわかっていないのだろうか。職務放棄して局内散歩してるとでも?
「知らないです」
「そうかあ。さっきテレビフロアに行ったけど席にいないし、ホワイトボードにも【L字対応】としか書いてないんだよなあ。何時までとか、どこにいるかとかわからないんだよねえ」
 猫山もいちいち【○時まで生放送中】だの【1スタジオ】とは書いていない。それは怠慢なのだが、ディレクター陣はゆるゆるで、誰もそれぞれの行方など気に留めないのだ。逆に言えば、そんな同僚が自分を探していたりしたら、それはもう放送事故が起こったのだと思っていいくらいだ。
「久知良さんがいないのはいつものことじゃないですか」
「そうだよなあ。下手したら僕、もう一週間くらい見てないかも」
「私、多分一カ月はお会いしてませんよ」
「テレビとラジオじゃフロアも違うもんねえ」
 ようやく気づいたか。まあ、離席しているということは、局内を徘徊している可能性も高いのだからどこかで目撃してもおかしくはないのだが。
「久知良さんって本当はいないんじゃないの説ですね」
「え、なに。そんな説あるの」
「実は私の知ってる久知良さんと、八木さんの知ってる久知良さんは別人で複数人いる説とか」
「七不思議みたいだねえ」
「放送局にありがちでしょ」
 夜中に勝手にオンエアされる番組。現場にいない人の声が混ざる録音室。謎の音声の乱れ。ループするジングル。妙にひんやりとした宿直室。
 挙げだせばきりがないが、最後の一つ以外は単純に人為的なミスである場合が多い。猫山自身も身に覚えがいくつもある。二週続けて同じ内容の録音を放送し、あちこちから大目玉を食らったこともある。
 いちいち気にしてたら体がもたない。すぐに切りかえることが制作陣にとっては大事だ。例えば今、猫山の脳内がゾッコン少年でいっぱいであるように。
「じゃ、そろそろ戻ります」
「あ、お疲れ様」
 要領を得ない会話を切りあげて、猫山はスタジオへ向かった。本当はもう少しゾッコン少年の余韻にひたりたかったのに。でも、久知良さんからの七不思議話はちょっと面白かった。これはなにかのネタに使えるかもしれない。
 猫山はそっと頭のメモに書きくわえた。彼女のダイナミックな文字が海馬で踊る。【久知良さん、いない? いっぱいいる?】と、あとで見返したら、当人もなんのことやらと首をひねりそうな大ざっぱさだ。
 スタジオに入ると、ADからリスナーのお便りを渡された。だいたいが知っているラジオネームばかりだ。コユキちゃん、隙間風さん、バイカル湖の美少年さん、へのへのもっとーさん、アラフィフ男さん……。常連ができるのはすばらしいことだが、あまり同じ人のメッセージばかり読むのもマンネリ化する。猫山は内容二の次、新しい風を吹かせたい、とラジオネームをざくざくとチェックしていった。
 初見のラジオネームからのメッセージを数枚引っぱりだし、冠野に渡す。冠野はふらふらとほっつき歩いていた猫山をじろりとひと睨みする。彼女は華麗にスルーしながらジングルを流し、キューを出す。
「たくさんのメッセージ届いています。皆さん、ありがとうございます。ではさっそくいきましょう。ラジオネーム・台風のまぶたさんからいただきました。いつもラジオ聴いてますが初めてのお便りです、とのことでありがとうございます! 先ほどのインタビューですが、失言だらけでしょ……ありえないでしょ……とも思ったのですが、えー、町長の熱い思いが伝わってきて誠によかったとのことです。いやー、ありがとうございます。僕が町長に直談判しまして、わざわざご出演いただいたんですけどね。いや、実に気さくで志が高くて……」
 冠野は顔を引きつらせながら話しつづける一方で、猫山を手招きしてメッセージを投げつけた。メッセージを読みかえすと、つらつらとクレームが書きつらねられていた。インタビュー一つで、よくここまで文句が出てくるもんだ、と猫山は感心してしまう。
 ゾッコン少年の曲をかけたら、どんな反応をするかな? 
 ズッキュンバッキュン君のハート ドッキュンゾッコン速攻彼女さ
 意味不明だって怒られるのかな?
 猫山は常連組からの無難なメッセージに差しかえて渡した。冠野は乱暴にもぎ取って、ことさらゆっくりとなめまわすように、それらを慎重に読みあげていった。
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