第2話

文字数 3,670文字

「うん。多分、おばあちゃんが言ってるのはね【マグマの底から発掘! パワフルパワーストーン】だと思います」
 窓に吹きつける大きな雨粒をながめながら、八木はのんびりとした口調で話した。少しでも早口になれば、受話器の向こう側にいる老婆は絶対に聞きとれない。聞きかえしてくれるうちはまだいいが、ひどいときは癇癪を起こしかねない。「バカにしとるんか!」とか「日本語を話さんか!」とか。
 この仕事をしていて常々心がけていることは、ゆっくりと大きな声で話す。それだけだ。怒らないように、というのは当たり前だが、語り口のスピードを落とせば苛立つことはめったになかった。つまり怒っている人間というのは、だいたいが早口なのだ。
『それだわ~【悪魔のとこから発掘!】したやつだわ~』
「うん、おばあちゃん。【あくま】じゃなくて【マグマ】ね。で【マグマの底】ね」
『探してたのよ~【パワーパワーストーン】ね~。どこに電話すればいいの~?』
「電話番号言いますね。いいですか? あ、メモ取ってもらってね。じゃあ、言いますよ」
 八木は訂正をあきらめて、一つ一つ数字を力強くはっきりと伝えた。名称を間違っていたとしても、商品にたどり着ければ問題ない。だいたい【パワフルパワーストーン】にしたって誤植なんじゃないか、と疑ってしまうような商品名だ。思いきり意味が重複している。いっそ老婆が言うように【パワーパワーストーン】のほうが振りきっていて面白い。
『ありがとうね~。台風がね~怖いからね~石に守ってもらうのよ~』
 そこから老婆の世間話に、八木は二十分ほど付きあった。ご所望の石は台風が去ってからでないと老婆の手元には届かないと思うが、八木はひたすら「そうですか」「うんうん」「よかったね」の常套句で乗りきった。話しているあいだにも、もう一機の電話はしきりに鳴いていた。
 待たせると面倒な人じゃないといいけどなあ、と八木は老婆の相手をしながら、すでに脳内は次の相手にシフトチェンジしていた。
 老婆は上機嫌ながら唐突に「じゃあもういいわね」と打ちきって受話器を乱暴に置いた。こういうことはままある。聞き手だったはずの八木が、いつの間にか長電話の原因みたいな言い方をされるのだ。
 そんなとき八木は素直に首をかしげる。もしかして自分が引きとめてしまっていたのかなあ、と。会話の切りあげ方というのは永遠の課題だ。あまりにぎこちない別れ際のせいで、もう二度と会わないだろう相手にも最後の最後まで怒られてしまった記憶もある。
 結局、自分は誰とも別れがたいのかもしれない。八木は老婆との会話の記録をパソコンに打ちこんだ。
『今ならなんと! ななななーんと! ビッグメガ扇風機、二台で四万九千八百円!』
 高っ。通販番組に八木は一人、心の中だけでつぶやいた。いつもならパートの空井さんが「高っ!」と実際にのけぞるところだが、今日彼女は有休を取っている。子どもが休校になったらしい。そもそも電車もまともに機能していないので、出勤できたとしても帰れるかがあやしい。こういうときに無理に働く必要はどこにもない。
『すごい! 気持ちいい! 自然の風を浴びてるみたい!』
 ただ、テレビやラジオは常時運転していなければならない。ならないなんて誰が決めたかもわからないけれど、確かに八木も視聴者側に立つと、電源を入れれば常になにかやっているという大前提がある。こういうときは特に、もしも砂嵐ばかりが流れていたらとてもやりきれないだろう。
 と、電話が鳴った。老婆の相手をしていたときにかかっていた番号と同じだ。八木はひと呼吸おいてから「はい。視聴者センターでございます」と応答した。すると不穏な沈黙が一瞬下りる。嫌な予感しかしない。八木は長期戦になるかもしれない覚悟を決めた。
『今、おたくのテレビ観てたんですけど』
 聞きなじみのある声だ。しかし、視聴者センターにおいて常連というのは厄介な場合が多い。
「ありがとうございます」
『ショッピングやってるでしょ。土野小波とかいう三流タレント出てるでしょ』
 八木は横目でテレビを観つつ『風を感じるうう!』と恍惚の表情を浮かべているタレントが土野小波であることを確認した。
『ありえないでしょ。不謹慎でしょ』
「と、申しますと……」
『こんな! 台風のときに! 扇風機紹介するなんておかしいでしょ!』
 受話器の向こうはヒステリックに叫んでいる。きいきいと甲高い声は、性別も年齢も当たりをつけるのは難しい。『不謹慎且つ不適切でしょ。不愉快な思いをしてる方いっぱいいるでしょ』とまくしたて、八木はああ一番苦手なタイプだなあ、と軽く眉間をもむ。個人の意見を大衆の総意と勝手に思いこむ輩。多いんだよなあ、地方局の視聴者に。そう思うのは偏見だろうか。
「申し訳ありません。扇風機は人工的な風なので、大目に見ていただければ……」
『いや、だめでしょ。だってそよ風レベルじゃないでしょ。ビッグメガ扇風機でしょ』
「台風に比べれば微風かと……」
『そういう問題じゃないでしょ! だいたい高すぎでしょ、この扇風機! どんな風吹くわけ?』
 値段とか、今そういう問題じゃないでしょう、と返したくなったが呑みこんだ。空井さんがいつも受話器を置いたあと「どれだけヒステリックなの」とぷりぷり怒っていたことを思いだす。あれは間違いなくこの人だ。八木は確信を持って尋ねてみる。
「こちらの番組はうちで制作しているものじゃないんです。ですが制作元に貴重なご意見として、お伝えさせてください。よろしければお名前を伺いたいのですが……」
 すると案の定、相手は押し黙る。八木は少しだけ意地悪に「もしもし? もしもーし」と呼びかけてみる。
『匿名希望で』
 ビンゴだ。空井さんはいつも「しかもあれだけ文句言って名乗りもしないって、卑怯ですよねえ」と頬をふくらませていたのだ。子どもも中学生になったという空井さんだが、そのポーズは妙にかわいらしく似合っていた。
「お名前がないと、ちょっとご対応できないのですが」
 八木は完全に皮肉屋モードに入った。温厚ではあるが、性格がいいというわけでは決してない。八木はそんな性分をきちんと自覚していたし、ある意味で自負もあった。
 雨がぽつぽつと降りだしてきた。普段は穏やかにたたずむ大樹が、わさわさとヘッドバンギングしている姿が窓の外に見える。葉が風に舞い、小さな竜巻をつくる。
 今日は泊まりかなあ、と八木は思った。局内にある宿直室は窓もなく薄暗い。夏でもうすら寒くて、一番身近な避暑地のようだった。女性社員のあいだでは、なにか霊的な現象ではないかと畏怖の対象になっているようだが。
 引きだしに隠しもっているカップ麺を夕飯にして、マイ枕を持っていって、と算段していると、ようやく受話器の向こう側がなにか言った。忘れてた、と八木は意識を電話に戻した。
『ずっと台風情報があって、肝心の扇風機の情報がわからないでしょ!』
 思わず、は? と声が出そうになった。ものすごい路線変更だ。アグレッシブすぎて頭が追いつかない。いつの間にか別人にすり替わったのか?
 テレビ画面は今日一日ずっと、左側と下段に台風情報を表示している。交通情報、避難情報、台風の現在位置。どれもこれも削ってはいけないものだ。ビッグメガ扇風機よりも、ずっと。
「匿名希望さまは、ビッグメガ扇風機に批判的だったのでは」
『別に商品自体を批判なんてしてないでしょ。タイミングが不謹慎って言ってるだけでしょ。そうやって人をクレーマー扱いするわけ? 視聴者としてそりゃ興味関心はあるでしょ』
 あったのか。どんなえげつない風が吹くかもわからないものに。こんなバカ高いものに。
 売り手側であるはずの八木は、ビッグメガ扇風機への不信感が止まらない。でも、なんにでも買い手はいるのだ。必ず誰かの琴線にはふれるのだ。世の中は実にバランスよくできている。
『だから台風情報なんて邪魔だって言ってるんでしょ。せっかくの番組台無しにするわけ? 今すぐ担当者に注意してよ。それならおたくの社員でしょ』
 ビンゴだ。台風情報を表示する、いわゆるL字対応をしているのは局内のテレビ部の人間だ。
『この番組観てる人、皆そう思ってるでしょ。今すぐ消して、今すぐ!』
 ガチャリ、と乱暴に匿名希望は通話を断ちきった。鼓膜を傷つけるような音に、八木は受話器をあわてて耳から離す。嫌な感触が残る。
 八木はため息をついた。ビッグメガ扇風機にはとうとう、おまけとして掃除用の霧吹きがセットになった。土野小波はきゃあきゃあとミストシャワーを噴射しまくっている。
 また微妙なものを、と八木は思わずにやついた。総意を主張する人間にかぎってアンバランスが過ぎる。正論はだいたい一元的なんだ。
 八木は席を立った。ずっと座っているのもくたびれる。トイレに行きがてら、テレビのフロアを覗きにいくつもりだった。
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