第16話

文字数 3,183文字

 なんだかわけのわからない展開だ。しかし嫌な展開だ。台風のまぶたは暗闇の中、じっとりと汗をかきながらラジオを抱え、依然として悶絶していた。下ろし忘れて飛ばされた【ハイパーロングポール】は、どこかの家に突き刺さってしまった。それだけならまだしも【ハイパーロングポール】はアンテナの役割を果たし、謎の電波を受信しているらしい。それもブラック企業に悩まされている人間の告発だ。
 呼吸を整え、冷静になろうと台風のまぶたは努めた。確かに自分の過失で他人の家を破壊したのは事実だ。が、結果、それが一人の人間を救おうとしているんじゃないか?
 台風のまぶたは真っ暗な部屋の中で目を見開いた。そうだ。結果オーライでしょ! これは人助けでしょ! 
 その発想は台風のまぶたに多少の安心感を、いや、かなりの勇気を与えた。
 余裕を取りもどした台風のまぶたは不意に空腹を覚えた。先ほど食べたカップラーメンは、数々の怒りであっけなく消化してしまったらしい。クーラーボックスの中身をあさる。確か惣菜で買った茄子の煮物があったはずだ。
 と、携帯が突如鳴りひびき、台風のまぶたはその場で跳ねた。自慢ではないが、誰かから電話がかかってくることなど皆無なのだ。いったい誰が、と表示を見ると【視聴者センター】の文字が浮かびあがっていた。台風のまぶたは一瞬息を止めた。これまで一方的に訴えてやるだけだった相手がかけてくるなんて。
 無視しようかとも思ったが、電話はなかなか鳴りやまない。なんとしつこい男か。台風のまぶたは頭に血が上り、結局通話ボタンを押した。好戦的な性分がすぐ前面に出てしまう。
「もしもし?」
『あ、もしもし。視聴者センターの八木と申します』
 八木か。台風のまぶたは名前をしっかりと記憶する。そのうえで絶対こっちは名乗ってやるもんか、と鼻息を荒くした。
『台風のまぶたさんですか?』
 しかし八木は名前を問おうとはせず、ラジオネームで呼びかけてくる。少々肩透かしを食らったが、台風のまぶたは「そうですけど」とぶっきらぼうに応じる。
「なんの用ですか? いきなりそちらからかけてくるなんて失礼でしょ。ありえないでしょ。ていうか、この行為は許されるわけ?」
 台風のまぶたは完全に戦闘モードに入った。レインスティックの不謹慎さを訴えてやった電話では、この八木という男が無理やり煙に巻いてうやむやにしたのだった。そこでくすぶっていた怒りも手伝って、台風のまぶたはヒートアップする。
「だいたいあんた、さっきの問いあわせも忘れてるでしょ。あんな雨の音演奏するゲスト呼んだことに対する謝罪がないでしょ。ちゃんと伝えてるわけ? ちゃんと仕事してるわけ? ちゃんと生きてるわけ? ねえ」
『台風のまぶたさん、【ハイパーロングポール】お買い求めになられてますね』
 突然急ブレーキをかけられた車のように、台風のまぶたは前のめりのままバランスを失い、畳に顔面から滑りおちた。『もしもーし』という八木の声がずいぶん遠くに聞こえる。なんだ、なにを言われた? こいつはなにを言ってる? 呪文?
『顧客リスト確認しまして、電話番号から台風のまぶたさんがご購入いただいたことがわかりました。で、この【ハイパーロングポール】なんですが、台風のまぶたさんしか……くくく……買っている方が……ぐふふっ……いないんですよね』
 台風のまぶたは携帯を耳に当てたまま、再び畳をごろごろと転げまわった。叫びだしたいのを必死でこらえる。
 ばれている! うちの【ハイパーロングポール】が飛んでいったのだとばれている! しかもこいつはこちらの本名も住所も把握している!
 一気に形勢逆転で追いつめられた台風のまぶたは、荒くなる呼吸を悟られまいとするだけで精いっぱいだった。八木のほうは必死で笑いをこらえているようで、なんとも腹立だしい。しかし今、台風のまぶたに反論するすべはない。
『いやー……売れゆき不振とは聞いてましたが、不振どころじゃなかったですねえ。まさか……くくっ……買ってるの一人で……それが飛んでくなんて……ははっ、ふははははは!』
 ついに八木は爆笑しだした。台風のまぶたは、その笑い声でなにかが切れる音を聞いた。こいつ……こいつ……許すまじ!
「いや、それがなに? おたくの商品買って売り上げに貢献してるんだから、むしろお礼でしょ」
『ふはっ……そうですよねえ。一本でも日の目見せてもらえてよかったです。なんせ……ぐふっ……すっごい在庫抱えてるんですよう。かさばるし置き場なくてですね……ひっひっ……縦にしても横にしても邪魔で……縮めることもできないし……あははははは!』
 八木の笑いのツボはなんなのだ。とにかく台風のまぶたは自分が馬鹿にされていることだけはわかった。こめかみが、携帯を持つ手が、歯の根が、意識とは関係なしに小刻みに震えている。台風のまぶたは怒りで目の前が真っ暗になった。もともと部屋は真っ暗なのだが。
「あのね、八木さん? あんた客馬鹿にしてるでしょ。なに? これまでの仕返しでもしようとか思ってるわけ? 貴重なリスナーにそんなこと許されないでしょ。ありえないでしょ。【ハイパーロングポール】が飛んでって、突き刺さった家の方はお気の毒ですよ、ええ確かに。でもそれ、台風のせいでしょ。私のせいじゃないでしょ。かわいそうだとは思うけど、謝る必要ないでしょ。運が悪かっただけでしょ。ていうか、嘘か本当かわからないけど、【ハイパーロングポール】のおかげでなんか大変そうな人の声拾えたんでしょ。むしろ感謝でしょ!」
 台風のまぶたは早口でぶちまけた。怒れば怒るほど、自分が正しいという確信に満ちてくる。こんな不謹慎でちゃらんぽらんで性根の腐ったやつなんかに、誰が詫びなんか入れるか! 死んでも謝らん!
 肩で息をする台風のまぶたを、闘牛士がマントでひらりとかわすように、八木はひいひい笑いながらてんで的外れな回答をした。
『いや、もう責めるつもりなんて……はっはは……ないです。ただただ、めちゃくちゃで、意味不明で……ひいっふふっ……面白いなあって……あははははぐははははふわっはははは!』
 まるで手ごたえのない八木に、台風のまぶたは憮然とした。
 こいつはレインスティック奏者のときも面白いの一言で済まそうとした。世の中の不謹慎が面白いか面白くないかで決まるなんて、そんなふざけた話があってなるものか。単に八木が笑い上戸なだけだろう。
 腹の底から笑いこけている八木が憎くてたまらない。台風のまぶたは日ごろめったに笑わない。テレビを観てもラジオを聴いても人と話しても、笑うポイントなんて見当たらない。クレームポイントしか目につかない。常に眉間に寄せつづけていたしわは深く刻まれてしまい、もう一生消えそうにない。
 くだらないことで笑える八木が、心底憎い。
「あんたみたいなやつが一番嫌いだよ」
 台風のまぶたは通話を切った。そのまますぐに電源を落とす。不愉快極まりなかった。なにかを思いきり殴りたくても、この部屋は自分のものではないし、自分のものを壊す度胸もない。台風のまぶたは「あああああ!」とがなった。普段なら下の階の住人から文句を言われそうな絶叫だ。
 しかし今は雨が降りつづけている。風が吹きつけている。二つが絡みあって遠くの空が光っている。台風のまぶたの叫びなど、それらがかき消してしまった。
 台風のまぶたは開けっぱなしにしていたクーラーボックスから、茄子の煮物を取りだした。封を切り、手探りで茄子を一つつまむ。
 茄子は暗闇と同化するんだな。
 台風のまぶたは暗闇を口に放りこんだ。暗闇を咀嚼する。暗闇を味わう。カツオの出汁が効いている。ほんの少しだけその発見が、面白いと思えた。
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