第8話

文字数 2,275文字

「そうですよねえ」
 八木は予想どおりの展開に同意するしかなかった。
 激しさを増していく雨風。気まぐれに轟く雷鳴。止まるライフライン。広がる停電地域。増える帰宅困難者。
 人々が不安に駆られている中、ラジオはいつもどおりに情報を届けられる、災害時にこそ活躍する唯一のツールだった。
 にもかかわらず、ラジオから聴こえてくるのはのんきな雨音。晴れやかな日に聞けば、きっと涼しげで心穏やかになる音色なのだろうが、こんな日には逆鱗に触れることにしかならない。
 しかも、あの梶木という男、緊張しているのか計算なのか、冠野が『ありがとうございました』と終わろうとしても、演奏を止めないのだ。『こんな音もあるんですっ』『ね、素敵でしょう?』と貪欲にレインスティックの良さを普及しようとしている。
『もう大丈夫ですからっ』
『で、では、次はもっときつめの雨の音色をですね』
『はい、CMです!』
 無理やりCMをはさみ、ようやくラジオからも雨音が流れるという異例の事態は収束した。この状況でもっときつめの雨を奏でようとした梶木に、八木は舌を巻いてしまう。
『ちょっと聞いてないでしょ。こんなときにどういう神経してるわけ? 不謹慎極まりないでしょ』
 左耳にきんきんと甲高い声がやかましい。うっかり台風のまぶたの存在を忘れていた。ついつい梶木と冠野のやり取りに意識を持っていかれてしまっていた。
「多分、CM明けはゲストさん、もういないと思いますよ」
『そういう問題じゃないでしょ!』
 まあ、そうだよなあ、と八木は今回ばかりは比較的、台風のまぶたに近い気持ちでいる。レインスティック奏者なんて、ちょっと考えれば場違いだとわかるのに。そんな空気なんて破壊してみせるのが猫山なのだ。八木は彼女に対してもまた、畏敬の念を抱いた。
『あんたら人の気持ちとかわかんないわけ? この非常時に困ってる人が大勢いるわけでしょ。忖度というものはないわけ? そりゃあね、あんたらは安全なところでのんきに楽しくおしゃべりしてればいいわけでしょ。気楽でいいよね』
 しかし、暴力的な雨脚と同レベルに、台風のまぶたの主張は矢継ぎ早に降りそそいでくる。まさにマシンガントーク。それにしても、正しさを訴えるためには、ほかのものを貶めるしか方法はないのだろうか。
「あ、CM明けましたね。やっぱりもうゲストの方お帰りになられたみたいですよ」
『だからそういう問題じゃないでしょ! 終わったからってうやむやにするわけ?』
 八木は言葉に詰まった。確かにここでうやむやにするのは、後ろめたいことがあるせいと言っていいだろう。煙に巻いておしまい、ほとぼりが冷めるのを待っておしまい、というのは、とかくこの仕事においての常套手段だ。
 誠実かどうかと問われれば、確実に不誠実な対応だろう。
「うーん。でも、もう放送しちゃいましたしねえ。済んでしまったことを責められても」
『はあ? こんなことが二度とないように謝罪するのが筋でしょ!』
 時刻はまもなく五時。この番組もそろそろ終盤だ。外はどんどん夜の表情を見せてくる。このままだと、街は完全に闇に呑まれるだろう。八木は今夜ここに泊まる。電気も水も備蓄がある。いつもの環境と違うというストレスはあるが、屋根が吹きとばされるとか、雨漏りをするんじゃないか、とか、そういった心配とは無縁で夜を明かせるだろう。
 でも自宅はどうなっているかわからない。八木はそこまでいい部屋に住んではいない。安月給なのだ。誰かと比べて安月給なのではなく、八木の感覚において間違いなく安月給なのだ。『皆が納得するように誠意を示すべきでしょ! リスナーあってのラジオでしょ!』と、台風のまぶたは台風よりもすさまじい勢いでがなり立てる。
「でも、なんか、面白くなかったですか」
『はあ?』
「ちょっとシュールだったというか。なんかツッコみどころ満載で」
 八木としては本気で言ったつもりだったのだが、台風のまぶたには火に油だったらしい。『ふざけるな!』と大爆発する。鼓膜がじんじんとしびれる。
『どこが面白いんだよ! あんたら放送局はそうやって不謹慎さを笑いのネタにして!』
「不謹慎というつもりはないんですよ。笑いに寛容というか」
『こっちが不寛容だって言いたいのか!』
 台風のまぶたは我を忘れたように怒鳴りちらす。さっきまでは少し余裕があるように感じられた口調もがらりと様相を変え、乱暴な言葉尻が剥きだしになっている。
「そんなつもりじゃないんですよ。なんだろう、笑いのポイントが違うのか、僕の笑いのツボが浅いのか」
『なんでそんな話になってるんだよ! ただただ、そっちが不謹慎だってだけだろ!』
「いや、僕は真面目に考えてます。笑いのポイントっていうか、許容範囲の問題なのかなあ」
『やっぱりこっちの心が狭いって言ってるんじゃないか!』
「いやいや、そういうことじゃなくて。お互いに許せる部分が違うってことですかねえ。うーん。あ、ここは台風のまぶたさん、あなたのラジオネームに免じてどうかお許しいただけませんかねえ」
『なんだよ、ラジオネームに免じてって』
「この件をまぶたの上に置いて、目に入れずにいてもらえませんかねえ」
 沈黙。もう一度噴火が起こるかな、と八木は耳から受話器を離すが、台風のまぶたは、
『うまいこと言おうとしたわけ?』
 と、ぼそりとつぶやいただけで通話を切った。
 もし【台風の目】とラジオネームを変えてきたらどうしよう、と八木はすぐさま懸念した。
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