第12話

文字数 1,429文字

 台風のまぶたは窓に近寄っていった。風が容赦なく窓をたたくたび、その歩みは止まる。じりじりと間合いを詰めて、カーテンの隙間からそっとベランダを覗き見た。ガタン、と大きく窓が悲鳴を上げる。
 ない!
 台風のまぶたはフリーズした。何度目を凝らしても、何度まばたきをしても、窓越しの風景は変わらない。暴風雨の中、洗濯機は頑張って口を閉じている。ガタガタガタ、と身を震わせながらも、しっかりと蓋はガムテープで補強されたままだ。
 台風の備えは完璧だ、と台風のまぶたは思っていた。信じていた。慢心だった。
 隣室が空いているのをいいことに、隣のベランダまで無断で借りていた報いだろうか。二部屋分の長さを誇る【ハイパーロングポール】の姿がなかった。以前からテレビやラジオで紹介されていた商品だった。
 台風のまぶたはめまいを覚えた。その場に立っていられなくなり、膝から崩れおちる。ベランダの現実に目を向けたくない。カーテンをきっちりと閉じる。台風のまぶたはうつむいて、畳の目を意味もなく数えた。
 【ハイパーロングポール】はハイパーな長さを誇る一方、軽量さも売りにしていた。最初、手に持ったときは、台風のまぶたもその軽さに驚いたものだ。まさかその軽さがあだとなり、風に飛ばされるとは。
 と、そこまで考えて、台風のまぶたは頭をかきむしる。いや、決めつけるのはまだ早い。もしかしたら別の家の【ハイパーロングポール】かもしれない。ついうっかり物干し竿を下ろし忘れるなんて、よくあるミスだ。自分の【ハイパーロングポール】ではない可能性だってあるじゃないか。
『えー、ここでまさかのお便り続報です。ラジオネーム・レインメーカーさんからです……先ほどの続きをFAXいたします。これもまた近所のスーパーから送信しています。とても親切な若者です。天井に黴が生えているのも許せます……え、スーパーに? すごい状況ですね』
 チェックメイト。誰かが台風のまぶたの脳内でささやいたようだった。
 完全にうちの【ハイパーロングポール】でしょ!
『……ラジオは依然、不思議な電波を受信しています。途切れ途切れですが、よくよく聴くと、どうもしゃべっている人は自身の労働環境の劣悪さを訴えているようです。長時間残業、休日出勤は当たり前、不可解な人事異動、慢性的な人手不足、自転車操業に陥った利益減少……筆舌に尽くしがたいほどのブラック企業に身をおかれているようで、まさにデスマーチ。たまたま聴いてしまったことに罪悪感もありつつ胸が痛いです。もしかして同じようにこの電波を受信されている方はいらっしゃらないでしょうか。どうにかこの方のお力になりたいと思い、貴局にFAXを送らせていただきました。レインスティックを取りあげてくださる放送局に悪い局はありません。ぜひご協力をお願いいたします……ちなみにデスマーチを訴えておられる方もどこかの地方放送局にお勤めのようです。お名前は…………まあ、ここは個人情報ですからね。ちょっと慎重に扱いましょう。一旦、曲いきましょうか曲。え? さっきのもう一回かけましょうか。はい、ええ、もうそれでいきましょう。ゾッコン少年で【速攻彼女】!』
 ズッキュンバッキュン君のハート ドッキュンゾッコン速攻彼女さ
 効果音として入る銃声に合わせて、台風のまぶたは胸を撃ちぬかれたように悶絶した。畳の上でごろごろと転げまわる。汗ばんだ肌に、ささくれたイグサの感触は不快だった。
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