第5話 三校対抗戦 登山大会

文字数 7,136文字

 八月六日、その日、俺たちは、早朝、まだ日の暗いうちから家を出て、集合場所の京都駅からバスで下野村へ向かった。
 9時過ぎに出発式が行われる鞍馬スキー場着くと、すでに他の二校もそろっていた。
 上賀茂高校は、男女二名ずつのパーティーだ。
 にこやかに元気な挨拶をしているのが生徒会長三年の加茂、なんでもおうちは上賀茂神社の宮司とか。
 その後で、大きな声で挨拶をしている三人は山岳部で、三年堀部、宮下の山岳部男子と 二年女子荒木田。さすが、いつも上賀茂はまっすぐだ。
 監督の小島先生は、新任のまだ若い女性だ。が、ここは生徒に山岳部がそろっているだけに、パーティー全体が場慣れしていて余裕の雰囲気が出ている。
 甲子社は、山で会ったメンバーだ。
 三年がクールな俵生徒会長と黄色いバンダナの中村ダニエル。
 二年は個性的な二人、阿部は静かに一人瞑想中なのか、一番後ろで一人目を閉じて静かにたたずんでいる。もう一人の女子、一条は、バリバリのクライミング選手で、鍛えられた腕がたくましい。
 監督は、白い髭の桝本先生、こちらと目が合うとぺこりと挨拶をする。
 わが、鴨川チームはと見ると、真っ赤なティーシャツで朝からはりきっている井澤は、さっそく上賀茂の山岳部の連中と、熱く山のことで盛り上がっている。
 今日は長い髪を後ろにくくって目つきもきりりとした南條。
 その南條と話している伊山は、今日は、行軍するオスカルの設定で行くそうだ。あいかわらずのオスカル推しは変わらない。
 最後に、天見は、いつになく静かだが、朝の太陽のまぶしさに目を細めながら、会場全体の、期待が満ちてくるざわめきを、ちょっと緊張しながらも楽しんでいるようだった。
 開会式が終わり、まもなく出発の時間になる。
 今日の登山行動は、鴨川、上賀茂、甲子社の順で、ひと固まりで進む。ここから約9キロ先、藍野までを尾根伝いの縦走だ。
 今日は、審判員の先生を先頭に、みんなが一列で進むので、もっぱら、歩き方や地図上の位置の確認、ルートの観察に集中しての山歩きとなる。
 11時ちょうど、出発の時間だ。先頭の井澤が、みんなに声をかける。
「さあ、みんな、行こう!」
 四人で「おー!」の掛け声をあわせ、出発する。
 鴨川パーティーは、井澤、南條、伊山、天見、そして監督の俺の順で進む。リーダーが井澤、サブリーダーには、今回、倉木に代わって天見があたることになった。
 三校は順に山に入っていく。
 大会の山歩きは、やはり違う。どのパーティーも緊張感で顔つきも固く、一様に黙々と歩を進める。
 一人一人の間隔をあけすぎても減点対象だ。みんな前について、一定のリズムで、着実に歩みを進める。
 鴨川パーティーもさすがに、みんな、おしゃべりをする余裕などなく、周囲の観察や歩き方に集中している。
 途中、どこで審査員の先生が、一行を観察しているかわからない。全ての行動が採点の判断にされるとあって、みんな緊張して歩いていた。すぐ前を行く天見も、緊張で身体が固くなっているのか、歩き方がスムーズに動いていない。
 でも、皆表情には挑戦するワクワク感に満ちていて、八月の山の空気はすがすがしかった。
 標高も高く涼しいとはいえ、歩き始めるとすぐに汗が出て来る。
 しばらく舗装道を行くと、カミノ峠への登り口があり、そこから細い山道、尾根筋に入っていく。
 空は青く澄み渡り、風の音が山を駆け抜けていく。
 鳥の声が、あふれるようにこぼれてくる森を過ぎ、道はどんどん急な登りになる。
「橋を渡るぞ、11時15分、朱莉頼む」
「11時15分、丸太橋!」
 朱莉が、復唱する。
 どの地点に何があったかという、ルートの観察は大事になるが、歩きながらメモをとるというようなことはできないので、全部覚えておいて、休憩の時に地図に書き込む。そのため、途中の目印となるポイントと時間を覚えながら歩くのだが、担当の朱莉一人で覚えるのにも限りがあるので、順にみんなで覚える。行程が進むにしたがって覚えるべきポイントが増えて、みんなが、ぶつぶつ口の中で忘れないようつぶやきながら歩くことになる。
 尾根道は登り下りを繰り返しながら、どんどん登っていく。左右の谷からは、下から川の音が聞こえる。天気は快晴、これから日が高くなっていくにつれ、どんどん暑くなりそうだ。
 道が少し下りになった斜面で、先頭の井澤が声をかけた。
「オスカル! 元気か?」
「任せろ、パリを目指すぞ」
 伊山がにこりと顔をあげて、応える。
 それを聞いて、全員の顔が、はっと上がった。
 この「オスカル」の言葉、審判員の先生を発見したという、暗号だった。
 大会では、審判員が木陰から一行の歩く様子を見て採点している。そのため、大会ではこんな工夫もするのだ。
 確かに向こうの木立の陰に、人がいる。
 体力がないと思われるような、ふらつきを見せてはいけない。
 だが、意識するとよけいにギクシャクしてしまうものだ。
 前の天見は、なんだか急に歩き方が固くなった気がした。
 道は、粘土質でいかにも滑りやすそうな下り斜面だ。
 やっぱりこういう歩きにくい所でチェックするよな。
 ここで足を滑らせたら、たちまち減点だ。
 その時、二番目を歩く南條のそばの草むらから、バッタがチキチキチキっと羽音をさせて勢いよく飛び出してきた。
「ギャー!」
 叫び声とともに、南條が足を滑らせ片ひざをついてしまう。
 やばい、減点一だ。
 南條は、特訓の成果か、なんとか歯を食いしばり、バッタを見ないようにして立ち上がった。
 えらいぞ、南條。
 こけるとだめだ、そう思うとよけいに、手足が強張る。
 前を行く、天見が妙なロボットみたいな動きになったかと思った次の瞬間、彼女の足が粘土の斜面で滑ってしまう。
「うわっ!」
 天見はバランスを崩し、派手に尻もちをついてしまった。
「痛―! やっちゃった」
 思わず声も出て、天見とみんなの視線がぶつかる。
 だが、みんなはすぐに笑顔で「大丈夫だよ」の表情を天見に向けた。
 天見は、驚くほどの速さで立ち上がると、残りの下り坂は慎重に降りきった。
 俺たちは、そのまま急坂が見えなくなるまで進んで、ようやく息をついた。
「うわー、見られるって、ほんと緊張するな」
 美紅が一番に声を出す。
「私、やっちゃった。みんな、ごめん」
と朱莉がうめくと、天見が「私の方が、ほんと、ごめん!」と両手を合わせてみんなに謝る。
「あんな派手に、尻もちまでついちゃったら、大きな減点だよね」
「大丈夫だって、まだ始まったところだ。これからだよ」
 先頭を行く井澤が、笑顔で振り返って声をかける。伊山が明るく言葉を続ける。
「この山全部が私の舞台だと思えばいいのよ。伸び伸びいけるぞ」
「いや、美紅、それは美紅だけだって、ねえソラ」
「うん、でもここはオスカルになりきるのも悪くないかもね。さっきは審査されてると思うとすごく固くなっちゃって。自分があんなに緊張すると思わなかった。
 だから、私も、パリを目指すよ、オスカル!」
「お、いいねえ、さあ、アンドレ、君も元気をお出し」
と、朱莉に声をかける。
 朱莉も観念したのか、声をはって宣言する。
「わかったわ、オスカル。私には、やるべきことがあるわ。この苦難を必ず乗り超えて見せる! みんなでパリを目指しましょう」
 美紅に乗せられ、一行は笑いながら、再び歩みをしっかりとして進めた。
 最後尾の俺も、心の中でパリを目指し歩いた。
 カミノ峠を過ぎると、道は北尾根を行く登りになる。
 あたりに巨木が目立つようになり、山が深くなっていくのを感じる。
 明るく開けたところへ出た。
「うわー、凄い遠くまで見えるよ」
 朱莉が指さす向こうは、東に遥か広がる山域が、遠くまで見渡せる。
 どこまでも山の連なりが続いている。
 いつのまにか、もうこんなに登ってきていたんだ。
 先頭を行く審査員の先生が、ここで小休止にすると声をかけた。
 とたんに、一行全体に緊張が走る。
 後ろからの来た上賀茂、甲子社チームも到着する。
 上賀茂と鴨川パーティーは、立ったまま水分補給をしていたが、甲子社の生徒たちは思い思いに座り込んで給水している。ダニエルは、早速チョコバーをかじっている。
 すると、審査員の先生が、声をかけた。
「それでは、一番のチーム来てください」
 来た! いきなりうちだ。
 こういった小休止では、順不動で小テストがある。
 それを知る鴨川、上賀茂は、どのチームが呼ばれるかわからないので、それまでは落ち着いて休憩ができなかったのだ。
 鴨川の四人が、審査の先生のもとに集まると、テスト用の地図を渡された。俺は心配しながら、後ろから見ている。
「はい、今いる地点を地図に記入してください」
 地図を真ん中に置いて、みんなで現在地を確認して、書き込む。
 ここは比較的わかりやすい所でよかった。みんな自信をもって、記入している。
 すぐに次の問題だ。
 この山域のことや登山の基礎知識について、審査員が出すいくつかの質問にみんなで考えて答えるのだ。
「この写真の花の名は?」「この地域で有名なこの名所の名は?」など三問、解答用紙に書き込む。
 井澤と南條が、このあたりはしっかり下調べをしてくれていたので、確実に答えることができた。
 解答用紙を提出すると、ようやくみんな、ほっとして水を飲む。
「ありがとう、誠吾、朱莉」
 ソラの言葉に、美紅もうなずく。
「ほんと、さすがだな、誠吾も見直した。山の誠吾は違うな!」
「おだててもなんもでないぞ」
 美紅の言葉に照れた誠吾が笑う。
 こうして、俺たち鴨川パーティーは、あのしりもちを除くと、前半の登山行動をまずまず順調に進めることができた。
 一方、上賀茂パーティーは、落ち着きがあって、どの行動にもそつがなかった。やはり、ここまでのところ、少し他の二校とは差がある気がする。
 それに比べて甲子社の方は、本当の登山の専門家はいないようで、こうした本番では、少しとまどいがあるように見えた。が、一人ひとりの体力と運動センスはずば抜けているようで、鴨川の生徒たちが汗をかいて、ふうふう言ってるのを横目に、全員が涼しい顔で、どのチームよりスピーディに見えた。知識の点でもそつがない。
「これは、三校とも、大きな差はつかないな。みんな、細かいとこまで、気をつけていこう」
 井澤が、小休止のときに、他のパーティーの様子を見ながらみんなに声をかけた。
 全員が表情を引き締め、うなずく。
 その後、順調に行程は進み、15時には、無事、今日の幕営地、藍野に到着した。
 今日は予定どおりに歩けた。
 到着でほっとする間もなく、すぐにみんなで頭を集めて、提出用の地図と記録帳の書き込みを完成させる。
 次に、審査員の先生が、みんなの装備を一人一人確認して回ってくる。
 これは登山に必要な装備がきちんとそろっているか、そしてその整理力が見られる。
「うわー、どうかミスってませんように」
 天見が、小さい声でそう言いながら、自分の赤いザックをおろし、審査を待っていると、
 ん? 天見のザックの中で動く気配がした。
 え? 何だ? と思う間もなく、ザックの中からひょっこりと顔を出したのは、パン!
 パンダ柄のパンの顔が、ちょこりと顔をのぞかせ、鼻をひくひくさせている。
 そして、その目が天見と合うと、目をぱちくりさせて、嬉しそうにした。
 俺の家にいるはずのおまえが、なぜいるんだ、パン。また、勝手に荷物の中に紛れてついてきてたのか。
 うわ、審査で見つかったらまずいぞ。
「パン、こっち!」 
と、天見がとっさに自分のティーシャツの裾をあげる。
 それを察したパンは、すばやく天見のティーシャツの中へ、
 審査員が、こちらに顔を向ける寸前だった。
 ふー、パン、じっとしとけよ。
 そう念じながら、なんとか、天見の装備点検が終わる。
 ほっとした顔の天見だが、口を一文字に結んでいる。これは、天見のお説教だな、パン。

 幕営地の藍野は、廃村で、古い民家のなごりがまだ残っており、森にのみこまれた家屋の跡が、いくつかあった。
 もう少し下った所には、トロッコの線路跡も残っているらしい。
 四方は見渡す限り山、こんな山深い所に、昔は人が住んでたんだ。そのことに驚く。でも、人って、もとはこんなふうに、自然と共に生きてて、その方が自然なのかなとも思う。
 中央の広場に、三校はテントを設営する場所を指定される。
 時間内にきちんと安全な設営、これも重要な審査ポイントで、10点と大きい。
 笛の合図で一斉に三校のテント設営が始まる。
 普通は10分での設営のところ、今回は特別に20分で男女二張りの設営だ。
 ここも鴨川は息のあった協力でなんなく乗り切る。
 声をかけあって、力を合わせ、時間に余裕をもって終わることができた。
 南條が自分の金具の打ち方を、最後まで心配していたが、学校で何度も練習した成果だ。
 金具の打つ角度まで気をつけて、きっちりできたと思う。
 上賀茂、甲子社も、ここは同じく、ほぼ同時に完成させていた。
 続いて、知識テスト。
 井澤は、4時からのラジオの天気予報を聴いての天気図作成に向かう。これは、しっかりした知識と慣れがいる。他の三人は知識テストだ。「自然観察」が天見、「気象」を南條、「救護」は伊山が解答した。
 テストは、主催者用の大きなテントで行われ、短い時間だったが、それぞれがテスト用紙と格闘する。
「どうだった、美紅」
 天見の問いに、伊山は親指をたてて応える。
「大丈夫、誠吾の言ってくれたところが出たよ。基本しか出ないってことだから」
 南條は心配なく、天見もなんとかきちんと答えられたようだ。
 三人がようやく一息をついていると、井澤が戻ってきた。
「みんな、ご苦労さん、さあ、あと一つだ。炊事に入るぞ」
「おー、やっとだな。大会とはいえ、やっぱりこれがなくっちゃな。ソラ、頼んだぞ」
 伊山が、「おなかが鳴るー」と騒ぐ中、夕食の準備を始めた。
 今回の炊事担当は、天見だ。
「今夜のメニューは、夏の暑い中、頑張ったみんなのことを考えて、バテ解消の栄養と準備のしやすさを考えて用意してきたよ」
 天見は、家で塩コショウなど下準備をして冷凍させて持ってきたという豚バラのスライスに、梅干しの細切れと、しめじをビニル袋の中で手際よく混ぜ合わせた。
 それをさっと炒め、炊きあがったご飯の上に乗せて、仕上げに白ごまと大葉を乗せ、
「簡単、豚バラの梅しそ丼の完成です!」
「うわー、なんだ、このうまそうなのは、ソラ」
 伊山ができあがった丼を前に、目を輝かせる。
 すぐにみんな集まってきて、大騒ぎの中での食事となる。
「うまい! 山の中で、このうまさは反則だ!」
 伊山が、嬉しそうにごはんをかきこむと、
「ソラ、ごはんもう残ってないのか」
と井澤が騒ぎだす。
「あとは、もう明日の朝と昼のおにぎり用だからだめだよ」
と天見が言っても、二人は、もう少しだけ、ご飯がほしいとごねた。
「頼む、ソラ、この残ったタレでご飯をもう少しだけ」
「誠吾、静かにしなさい。美紅もよ。審査員の先生、こっちを見てるって」
「うん、これもマナー違反ってことになるぞ、お前ら」
 俺がボソッとつぶやく。
 南條の「しー!」でようやく我に返ったメンバーは、固まったようになって回りを見渡す。
 甲子社や上賀茂パーティーの、あきれたような視線に、愛想笑いを返して、メンバーは、そそくさと残りのご飯粒を最後までかきこんだ。
 こうして大会一日目は終わった。
 夜、消灯時間になると、みんな一日の疲れから、すぐに寝入ってしまったようだった。
 
 ソラは、ふと夜中に目覚めた。
 時計を見ると、夜中の2時過ぎだ。
 少しでも眠りなおそうとしたが、家で小町さんから頼まれていたことを思い出した。
 北山の風景を見たいから、時間があったら呼び出してほしいといわれていたのだ。
 ソラは、他の二人を起こさないように気をつけて、そっとテントを抜け出した。
 パンも少しは息抜きさせてやらないと、とポケットに入れていく。
 テントの外は、夜の闇。先生たちのテントの所に大きなランプが一つ、常夜灯としてあるだけだった。
 空を見上げた。天盤を星明りがぎっしりと埋め尽くしているのを見て、思わず声が出そうになる。
 前下見で来たときは曇っていたから、こんな凄い天の川、初めて……。星って、こんなにいっぱいあったんだ。
 パンが、ソラの肩に上ってきて、チュッと鳴いた。
 静かに、パン。審査員の先生に見つからないようにしなくっちゃね。
 ソラは広場の端に座って、メモ帳を取り出すと、目を閉じて心を静める。そして、目を開けたときには、その手が素早く動き出していた。
「……小町さん、見て、天の川きれいだよ」
 ティーシャツにスリムなパンツ姿の小町さんは、動き出すと、ポンと手帳の上に飛び出してきた。
「今夜は、きれいな星空ね。井手の里もいいけど、現代の街は明るすぎるから。ここまで山深いと、久しぶりに平安の夜を思い出すわ。
 ……それにしては、どうも山がざわついているような……、それに、どうも嫌な気配がする。気をつけるのよ、ソラ」
 パンも耳が立てて鼻をひくつかせる。
 ソラも耳を澄ませる、が、風も止まっていて、夜の山はどこまでも静かだった。
 しばらく静かに星空を眺めたあと、明日に備え、テントに戻った。
 小町さんは、そっと、ザックの中に入り、そこでパンと一緒眠りについた。
 起床は、4時と早い。
 それまで少しでも寝ようと、ソラは目を閉じた。
 静かな山は、いつも以上に聴覚を鋭くさせるのか、テントの外、森にいる動物の気配を時々感じながら、少しだが寝ることができた。
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