第2話 今年の三校対抗戦

文字数 7,183文字

 それから二週間後、四月も終わろうとする時、放課後の生徒会室に集まったのは、生徒会執行部の会長の倉木澪会長(三年)、副会長の南条柚希(二年)、書記の木村梨々香(三年)、唯一のワンゲル部員、井澤誠吾(二年)、そして、天見空(二年)、そして、生徒会顧問の俺で六名だった。
 俺が頷くと、倉木会長が、その涼し気な瞳で一人ひとりを確かめるように見回して、話し出した。
「今日は集まってくれてありがとう。なかなかメンバーが集まらない中、よく協力してくれたわ」
 いつもクールな倉木会長が、今日はにこやかな笑顔でみんなを見回す。特に天見に向かっては、特別な笑顔を向けているのは気のせいじゃないだろう。
 あれから二週間、生徒会からの必死の呼びかけも虚しく、今年も参加者は集まらなかった。
 ただ一人、井澤だけは、いの一番で入り、率先して全校生徒に声をかけまくっていたが、予想通りというか、それ以上誰一人手を挙げなかった。
 それで、なぜ天見がここにいるかというと、南條に頼み込まれ、そのまま、というところだ。
 天見は、やっぱりこういう押しに弱いところがある、と少し思うものの、まあ、一応名ばかりとはいえ陸上部で、本人いわく、小さいころから走ったりするのは好きだし、何よりも去年の経験、生徒会のみんなと新しいことに挑戦した去年の三校対抗戦出場が、いい思い出としてあったから参加したという。
「今年は、私以外はみんな二年になったわね」
 倉木会長が、集まったみんなに向かって言った。
 三年、倉木澪会長は、オーストラリア生まれの帰国子女、去年も生徒会の書記をやっていたから天見たちも知っている。スポーツ万能で、向こうでもマラソン大会に出たことがあるという。
 副会長の南條は、お父さんと小さいころから山登りにつきあっていたというぐらい。彼女は生徒会だから、やるしかないと出場を覚悟していたようだから、これは天見と似たようなものだ。
 井澤は、もうここぞとばかりに張り切っている。
 つぶれそうなワンゲル部も、ここで活躍すれば部員が入るんじゃないかという期待もあって、いつも以上に、いや無駄に元気だ。
 今日集まった中で唯一不参加の生徒会書記の木村さんは、静かにみんなから一歩引いてにこやかに記録をとっている。彼女は相当な運動音痴のため、三年だけど、初めから対象外だったみたいだ。
 会長いわく、彼女を連れて行ったら、確実に遭難すると。確かに真っ白な肌で線の細い姿は、井澤の横にいるだけで、柳のように揺れて見える。
「朱莉は生徒会で覚悟してくれていたと思うけど、ソラ、よく入ってくれたわ。あなたは、去年の大会でも大活躍してくれたし、もううちの勝利の女神ね、とても心強いわ」
 倉木が、優しく天見に声をかける。
「いえいえ、私なんか。でも家がけっこうな坂の上にあるんで、毎日の登下校で鍛えられているっていえば、鍛えられてますから、とにかく頑張ります」
「うん、頼んだわね。じゃあ朱莉、今回の大会ルールを説明してくれる」
 南條は、立ち上がると手早く、みんなに大会資料を配り、まず表紙にある、大会の概要を説明した。

 第九十回三校対抗戦
競技:登山競技
日時:8月7日・8日
場所:芦尾周辺山域
参加チーム:各校一チーム 男女混合四人 及び監督一名
競技ルール:インターハイ登山競技に準ずるも、今回は登山の普及を目的として行われるため、特別ルールとする。

 資料は、そのあとに地図や細かい説明なんかが載っている。
「登山の大会って、インターハイでもやってるんだ」
 天見が思わず口にすると、井澤が、またかという感じで、ため息まじりに話し出す。
「それ、もう何十回、いや何百回も聞かれるから、もう口にタコできてるよ。
 登山にはちゃんと大会があるし、インターハイもある。去年はうちだって先輩たちがいたから参加できたんだ。まあ、予選は通過できなかったけど……」
 井澤は、そう言いながらも、立ち上がって、みんなに登山競技について、熱く語りだす。
「登山大会の本来の目的は順位を競うものじゃなくて、技能の向上と自然、山を愛する気持ちを高めるためのものっていわれている。
 登山競技は、選手四人で編成されるチームによる団体戦なんだ。登山するときに必要な体力や装備、気象に関する知識なんかの各項目があって、合計百点満点で競う。インターハイだと、三泊四日の行程で食料や装備を背負って大会コースを歩く。知識も重要で、山に関する知識や天気図の作成も審査されるんだ。
 具体的には、一つひとつやりながら説明するよ。
 ただ、チーム行動を安全に行うっていうのが最も大事な精神だから、たとえばチームの一人が遅れがちになるとチームとして減点される。ちなみに、登山競技では監督も選手と同じ行動をして責任をもつということになっていて、もし監督がリタイアするとチームもリタイアになるから、監督もチームの一員なんだ」
「え、うちの監督って……」
 南條の声に、皆の視線が俺の方に向くので、俺はすかさず、首を振って否定する。登山なんてとんでもない。井澤がすぐ反応する。
「二年二組の担任、中倉先生だよ。ワンゲルの顧問さ」
「へー、あの先生、山登るんだ。授業中でもサングラスで、時々バイクで学校、来てるよね」
 天見の言葉に、井澤は苦笑いで答える。
「まあ、山では紫外線きついからサングラスは常備品だからね。ただ、あの先生の場合は、目が弱いとかで、日常的にサングラスをしてるのは、目を守るためだから。美術家にとって目は命だろ。
 でも、俺もあの先生がサングラスとったの、見たことないな。なんでも絵を描くときしかはずさないらしいから」
 ひとしきり、中倉先生の話で盛り上がったあと、井澤は改めてみんなに言った。
「まあ、この登山競技っていうのは、どうしてもマイナーなところがあるだろ。だから、この機会を利用して登山を広く知ってもらおうっていう上賀茂登山部の強い推しがあったんだけど、俺も、上賀茂の奴らと同じで、今回の三校対抗戦は、山を愛する者として登山のおもしろさを知ってもらう千載一遇のチャンスだと思ってる。
 今回の大会は、素人が集まることを前提に組まれてるから、ルールも緩やかになっている。泊も一泊だけだし、コースも比較的初心者でも登れるコースだ。みんなに登山を楽しんでもらうっていうのが目的だからな。
 ただ、やっぱり三校対抗戦ってことで、差をつける必要があるから、競技なんだ。その辺はちょっと遊びの山登りというわけにはいかない」
「どんなことをしなくっちゃいけないのかな? 誠吾、私らが、この夏までに何やればいいか、ざっと説明してくれる」
 南條がタブレットを出して、メモしながら聞いた。
「とにかく安全のためにも、やっぱり体力作りが一番だ。ランニングは基本として、俺たちはよく重いザック背負って、階段の上り下りなんかをやってる。
 それと、知識面だな。天気図、地図の勉強と、ほかにも自然、救護のこととか……」
「うわあ~やっぱり、勉強しなくっちゃいけないんだ」
 天見が、思わずうめくのを見て、井澤は、ちょっと頭をかきながら、
「ああ、安全第一が登山の基本だから、そのためには最低必要な知識を知っておくってことなんだ。ということで、そのペーパーテストがある」
「大自然のど真ん中で、テスト受けるの⁉」
 天見は、そんなこと聞いてないぞと、口の中でつぶやいてへこんでいる。
「今回は特別ルールだから、その点も少しは緩和されてるよね」
 南條の問いに井澤がさらに説明する。
「そうそう、とりあえず、四人で分担して、その専門担当がわかっていればいいってことで、一人ひとりが専門で、そこだけ覚えてくれればいいからさ。俺が天気図とか、コース読みとか大事なとこはやるから。みんなに知っておいてほしいのは、地図の読み方、救護、自然のこととかだな。とにかく、みんなで山を楽しもうぜ、な、俺の特製カレー、楽しみにしててよ」
「うわ、なんか、ごまかされてる気がする……」
 天見がうなっている間に、その日は解散となり、次の日の放課後からトレーニングを始めることになった。
 井澤を除いた三人とも、山は全くの素人だが、みな一度やると決めたら、諦めないメンバーがそろったのがわかった。
 倉木会長も南條も静かに闘志を燃やしている。
 天見は、少し不安気だが、まあ彼女がやると言ったら一途に突き進むところは、俺も担任として保証できるので、大丈夫だろう。帰る頃にはあんなに不安そうだったのが、井澤と山登りのことで盛り上がっているのだから。
 こうして鴨川高校、鴨高の特別登山隊は結成されたのだった。

 井手の駅からの帰り道は、ちょっときつい坂が続く。
 毎日のこれが役に立つとはね。
 夕日を背に浴びて、長い坂道を登ると、やっと家が見えてくる。
 通い慣れたその坂道を歩いていると、小さいころから唯一の味方だった、祖母のオタキさんのことを思い出した。
 オタキさん、私、今楽しいよ。こんなに楽しくて、いいのかなって思うぐらいだよ。
 丘の上の住宅街、家が見えてくる。
 見慣れた家が見えてくると、やはりソラの心は重くなった。
 高校に入って、少し自分を俯瞰するということができるようになってきて、随分楽になった……、将大先生や友達の言葉で、自分が自分でいていいと思えるようになってきた。
 とはいえ、やはり家は家だ。 
 ソラにとってはまだ何かを言える所ではなかった。ソーシャルワーカーの花山先生の言葉を思い出す。
 あなたは何がしたい?
 ソラは今自分がしたいことを、もう一度考えて……、家路についた。
 
 夕食後、自分の部屋で机に向かったソラは、スケッチブックを取り出すと、目を閉じて心を静める。
 私がしたいこと、それが、こうしてちゃんとできる。
 今日も小町さんに会える。
 ソラは、心を澄ませていく、ふと右手甲の鍵型の痣がチリチリと熱くなってくるのを感じ、目を開ける。
 次の瞬間、鉛筆を持つソラの右手が素早く動き始め、さらさらと紙の上で踊りだす。
 手だけが別の命を持つような、なめらかで迷いのない動き、スケッチブックに一つの命を描き出していく。
 絵を描くときは全体的な構図や輪郭から入ることが多いが、ソラは左上から、まるで印刷のように無駄な線など一切なく、いきなり細かな線まで描き出していく。
 絵を描くというより、まるでそこに元からある姿を浮き出させているだけのように、わずかな時間でスケッチブックには一人の女性、小町さんが立っていた。
 小町さんは、日本画の中にいる(その絵は学校の玄関ホールにかけられている)ので、トビのように実際に生きている体があるのと違って、ソラが一度呼び出すと、その実体のままでいることが多い。本人がそれを望んでいるからだが、時折、家の中で母さんとばったり出会ってしまうと、こうして消えてしまうので、その度にソラが、絵に呼び出してあげることになる。
 今日も、ソラが学校へ行っている間、どうやら春の陽気に誘われて、庭でトビ(トビは近所の野良猫である)と日向ぼっこをしていたら、母さんと出会ってしまい、絵に戻ってしまったようだった。
 誰かに見られないのか、はじめの頃は心配もしたが、人の意識を向けられた瞬間に消えてしまうため、人に見られたらどうしよう、という心配はない。
 実際に見える人は特別で、これまで将大先生以外いない。
 スケッチブックの中に現れた小町さんは、最近本人がお気に入りの現代の服装、パンツにトレーナーの小町さんだ。この方が、十二単より、描くのも早い。まあ、こういうアレンジができるのは、毎日のように一緒で、つながりが深くなったからできる技なのだけれど。
 スケッチブックの小町さんは、すぐに動き出し、ぴょんと三次元に飛び出してきた。
「ソラ、帰りが遅いわよ。もうあの絵の中で、じっとしてるのは、ほんとにつまらないんだから。まあ、あなたたちが、楽しそうな学校の様子を見ているのも、それはそれでいいんだけど」  
「明日から登山のトレーニングなんだよね。小町さん、ホールで見てたら、応援してよね。あの階段上り下りするんだって」
「ほー、山に登るのか。それはまた、風流ね。奥山で歌を詠むのも好きだったのよ。その時には、我もつれていってほしいわね」
「う~ん、そういうのんきな感じじゃないと思うんだけどな……」
「ところでソラ、今度の休みには、上賀茂神社に連れて行ってくれるんでしょ」
「うん、でも、登山とか始まったらいろいろ忙しくなりそうなんだよね。土曜は、靴とか買いにいくの」
「上賀茂様へは、頼むぞ。一度は行っておきたいとこなのよ」
「わかった。そんな話を聞くとパンとか、また行きたいっていうから、あの子には秘密よ」
 小町さんは、笑うとさっそく、上賀茂社がいかに素晴らしい所か力説し出し、夜は更けていった。

 次の日の放課後、さっそく集まった鴨高特別登山隊の四人は、校舎の階段下で井澤からザックを渡される。
 登山用のザックは、ソラの知っている、よくあるリュックサックよりもしっかりとしていて大きいものだ。
「道具類のことなんだけど、みんなはウエアと靴以外は、ほとんど部にあるものでいけるから。まずはそのザックを使ってもらったらいい」
 色とりどりのザックはちょっと古びているのもあるけれど、部の先輩たちが使った物だという。ソラはその一つを持ち上げようとして、その重さに声が出た。
 他の二人も恐る恐る持ち上げて、声をあげる。
「それ、トレーニング用として、とりあえず十㎏の重り入れてるから」
「十㎏を背負って上り下りするの?」
 朱莉は、早速背負いながら訊く。
「ああ、山へ行くときは必要な物は全て自分たちで持って行く。テントや食糧とか、けっこうな重さになるんだ」
 ソラも背負ってみる。肩にずっしりとくる重さだ。
 これを背負って一日中山を登ったら、やっぱり疲れるよね。体力いるのがわかる。
「誠吾は何㎏なわけ?」
と、朱莉に聞かれた誠吾は、黙って自分の青いザックを渡す。
 朱莉はそれを手に持ったとたん、どしんと落としてしまった。
「重たーい。これいったい何㎏あるの?」
「まあ、六十㎏かな」
 それを聞いて女子陣から、おおーと称賛の声が出るのを、平然と聞き流すそぶりの誠吾。
 でも、その目が自慢気なのを隠しきれていない。
 誠吾は、みんなにこれからの練習について、説明を始めた。
「練習のことだけど、基本は三つだ。
 登山は安全第一だから、そのための最低限の体力作りは、しとかなくっちゃいけない。だからそのための一つがこれだ。これ背負って階段の上り下りをする。
 もう一つはランニング。学校の外周を回る。これを週に二度はやってほしいんだよ。それで、歩く力と持久力をつける。
 あと一つは知識だ。特に地図読みの練習。地図の読み方は、全員できるようになってほしい。山では何が起こるかわからないから、自分の居場所がわかること、これは最低限必要なことだ。
他の対策は、これから分担して決めていこう。あ、それから大会前に、少なくとも月一回は、山行っていうんだけど、登山に行こう。ちゃんとテント泊で」
 そんな説明が終わると、いよいよ練習だ。
 ソラたちは、十㎏のザックを背負うと、誠吾を先頭にして、一列で校舎の階段を上り始める。
 歴史ある校舎の廊下は、床と腰板は木造の焦げ茶、上半分の壁は天井まで白く塗られ、古い校舎のこのトーンが落ち着きがあって、ソラは好きだった。
 木の階段板をギシギシいわせ、三階まで上ると、もう太ももあたりにくるものがある。
 上がったら下りて、また上がる。朱莉も倉木先輩も、悲鳴をあげだすのに時間はかからなかった。
 これは、思った以上にきついよ
 ソラは、家までの坂道を毎日上り下りしているから、まだましなほうだが、他の二人は、京の街中の住まいだから当然かもしれない。
 三階までの階段を何度か往復し、やっと誠吾が「終わりだ」と言うと、ソラを含め女子三人はザックを背にしたまま、木の廊下に倒れこむ。
「うわー、きつい!」
 倉木先輩が、いつものクールさに似合わない悲鳴を上げる。
「足が、もうがくがくよ。もう上がらないわ」
 朱莉も廊下の真ん中で大の字だ。ソラは、なんとか重いザックを肩から降ろすと、タオルで汗をぬぐう。
「ほんと、肩も痛いし、これいつも使ってない筋肉、相当きてるね」
「みんな、ご苦労様、これ、週に一、二度でいいんで、各自でやって体力つけてほしい。放課後、俺は毎日やってるからさ、いつでもつきあうから」
 誠吾が、みんなのグロッキー姿をにこにこしながら見下ろして言う。
 倉木会長が、汗をぬぐいながら立ち上がるとみんなに言った。
「これだけしんどい思いするんだから、ただの参加じゃもったいないわ。朱莉、ソラ、京美やるからには優勝、二連覇を目指すわよ」
 一番へばっていた朱莉がすかさず、「おー!」と声をあげて、立ち上がった。
 やっぱり朱莉は人一倍負けず嫌いだ。
「ソラも行くよー」
 朱莉に手を引っ張られて、立ち上がると三人で、しっかり手を合わせて、声を上げた。
 この時、ふらふらと立ち上がったソラには、目の前に、深く黒い霧に包まれたとんでもない高さの山が見えた気がした。
 この山を登り切ったときに、どんな景色が見えるんだろう……それが楽しみだった。
 それからは、メンバーは、週に二回の体力練習と、毎週金曜日に勉強会を開いた。
 負けず嫌いの朱莉は、初めての練習で一番ばてたのが悔しいのか、それから週に二度といわず時間があれば、よくランニングをするようになっていた。さすが、努力の人だ。
 というソラも、もともと体を動かすのは好きなので、それにつきあって、結局毎日のように、走ったり、勉強会をしたりするようになっていた。
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