第7話  天災

文字数 2,713文字

 鴨川パーティーが、そんなふうに、しばらくとどまっていると、後方から上賀茂のパーティーがやってきた。
 先頭を来た上賀茂のリーダー、登山部キャプテンの堀部が、「どうかしましたか?」と心配そうに聞いてくれる。
 俺たちは、天見が動けそうなので、上賀茂パーティーと一緒に出発することにした。
 山にバラバラパラと音がし出した。たちまちあたりが雨に包まれる。
 雨脚はどんどん強くなった。
 みんなは手早くレインコートを着こむと、空模様に注意しながら、互いに励まし先を急いだ。
 雨中の尾根筋を進む二つのパーティーを、長く生きて様々な形をした杉の古木たちが見下ろしていた。
 そんな尾根道の先に、まるで自然にできた山の道標のような、一際大きな杉の巨木が現れる。 
 この巨木を右に折れれば、今回のコースの最高峰、千m級の空見岳までもうすぐだ。
 俺たちは、空見岳へのコースに入って行った。
 そのもっとも高い所をトラバース(平行移動)する形で回り込みながら、南下していく。
 晴れていれば、ここからの景色は遥か東方の比良山系の山々、蓬莱山や打見山が望める所だが、今日は全てがすっかり雨雲の中だった。
 この下には、山々の濃い緑が遥か先まで続いているはずだが、全てが雨の中に沈み、何も見通すことができない。
 雨はもうレインコートの中まで入って、暑くて気持ち悪い。足元はすっかり水びたしだ。
 ぬかるんだ足元も、滑らないように注意がいる。
 空見岳ピークからは、主尾根を離れ、南に向かう支尾根を下る。
 雨は通り雨だったのか、その頃には止んできた。
 空模様にあわせて、俺の前を歩く、天見も自分を取り戻してきたようだ。足取りがしっかりしてきた。
 心配して何度も振り返る前の三人も、それがわかって、ようやく一行は落ち着いた心持で進むことができた。
 遅れた分を取り戻そうと、道を急いだこともあり、レインコートの中は蒸れて暑く、汗が流れ落ちた。
 ソラが、ふと立ち止まって周囲を見回す。
 俺は、どうした? と声をかけようとして、森の気配が、違うのに気づいた。
 何か違う。さっきまでの山となんだか違う、なんだろう。
 先頭の井澤が、もう少しで休憩だと声をかけたので、俺たちは、再び歩き始めた。
 登山道は尾根筋を離れ、山の中腹をトラバースしていた。
 そうしているうちに雨もやみ、一行は少し開けた見通しの良い斜面で小休止をとることにする。
 みんなは、立ったまま水分補給をし始めた。
 斜面は急で、上は、木々が高くて見通せない。みんなはレインコートを脱いで、ようやく蒸し暑さから解放され、風にあたった。
 俺は、まだ雲に覆われて、まだ遠くまでは見通せない樹海を降ろしながら、ふとさきほどからの違和感の正体に気づいた。音だ。
 鳥の声がしない……。
 雨も上がってしばらくたつ。なのに今朝から、当たり前のように森の背景にあった、鳥の声がしないのだ。
 天見も気づいたのか、「ねえ、鳥の声、聞こえないね」
と声を出すと、井澤も、改めて気づいたように森を見回す。
「そうだな、雨があがったら、たいてい、鳥も鳴いてたと思うけどなあ。なんか、妙に静かだ……」
 その時、いきなりドーンという音とともに、突き上げるように地面が揺れた。
 地震! 大きい!
 地面が激しく揺れた。
 山全体が激しく唸り声をあげる。俺たちは立っていることなどできなかった。
 斜面の上から、小さな石がパラパラと落ちてくる。
 その場にしゃがみこみ、地面にはりつくようにして、ただ、その激しい揺れに耐えることしかできなかった。
 どれほど続くのかと思うほど長く山全体は、大きく揺れ続けた。
「危ない!」
 後方の上賀茂パーティーの声がしたと思うと、上から土砂が崩れてきた。
 俺はとっさに前の天見の身体ごと前方へ転がり込む。
 背後を、土砂がドドッと流れ落ちていくのがわかった。
 土砂崩れの轟音の中、悲鳴や叫び声が交錯した。
 揺れとおさまりと共にようやく、土砂崩れの音がやむ。
 土煙が残る中、俺は顔を上げて回りを見た。
「みんな大丈夫か?」
 前に伏せていた井澤、南條、伊山の声がした。
 天見が、俺の後ろを見て目を見開き、手を口元にあててうめき声をもらした。
 振り返ると、俺の足元からわずか数センチの所に、崩れた大きな岩と土砂が、壁となって出来ていたのだ。
 俺は、とにかく前へと、生徒たちを離れさせる。
 天見は、伊山、南條に引っ張られるようにして連れていかれた。
 俺は、少し離れた場所から現場を確認する。そして、いかに自分たちが間一髪のところだったか、その事実をかみしめる。
 全員が押しつぶされていてもおかしくなかった。
 上賀茂パーティーは?
「お~い! 大丈夫か?」
 声を限りに、叫んだ。すると、土砂の向こうから声が返ってきた。
「こっちは大丈夫です。そちらは無事ですか?」
 幸い、後ろにいた上賀茂パーティーの方も難を逃れたようだ。
「ここは、まだ崩れる可能性があって危険です。すぐに離れましょう。私たちは、前へ進みます」
「わかりました。こちらはこのまま戻って別ルートを探します。そちらも気を付けて」
 そういっている間にも、再び小さな揺れが山を襲い、土砂の向こうから上賀茂生たちの悲鳴があがる。
「すぐに移動だ!」
 俺たち鴨川パーティーは前へ進んだ。
 いつまた地震が来るかと、不安な中、五人は急いだ。
 井澤は、こんなときこそ、慎重にしっかりと歩くんだと、途中何度も皆に声をかけながら先導してくれた。
 しばらく道を行くと、道は谷へ降りていく。
 その細い下り道の先に、人影があった。
 木にもたれかかるようにして、男性が一人、座り込んでいる。
 俺たちを認めたその人が、手を振った。どうやら動けないようだ。
 その人は監視員として参加していた先生で、橘と名乗った。
 さっきの地震で斜面を滑り落ち、右足首をケガしてしまったという。骨折はしていないだろうと、自分で話す。ずいぶんお歳のようだが、その日に焼けた顔は活力があり、自分の足が痛いだろうに、生徒たちに笑いかけながら、逆にこちらの心配をしてくれる。
「でも、助かったよ。救助が来るまで待つしかないかと覚悟していたところだったんだ」
 そういう橘先生に、俺が肩を貸して、先へ進むことにする。
 二人分の荷物は生徒たち四人が手分けして持ち、井澤を先頭に、ゆっくりと下り坂を降りていく。
 計画では三時にはゴールになっている麓の下野村まで降りるはずだった。だが、すでにもうその時間を過ぎようとしている。
 沢に降りた俺たちは沢沿いに山を下っていく。
 この川沿いにいけば、村へ戻れるはずだった。
 ……だが、一行の前方を再び土砂の山がふさいだ。
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