第10話 上賀茂神社の依頼

文字数 6,157文字

 八月、今年も大文字焼きが終わると夏休みもあとわずかだ。
 あの山での地震以来、地震が頻発して起こるようになった。
 昨日も夜、テレビでは地震の特集をしていた。
 地震の研究家だという有名大学の先生が、南海トラフ巨大地震について、日本列島周囲の大陸プレートの図を示しながら、解説していた。
「この海洋プレートは年間数センチ程度下方向に沈み込んでおり、ひずみが限界に達して跳ね上がったときに地震が発生するのだと考えられています。
こういった地震のタイプを海溝型地震といいますが、このタイプの地震は規則正しく起こってきた履歴が残っています。つまり、場所によって数十年から百年に一回くらいの周期性をもって発生している。
 大事なのは、このタイプの地震は、決してパスはない。時間的なずれは多少あったとしても、必ず起きるということです。
 そして、今、もっとも危険なのが、この静岡沖の東海と、名古屋沖の東南海、そして四国沖の南海地震、です。しかも、この三つが連動して起きる可能性が高い。これが『南海トラフ巨大地震』です。
 もし、それが起きれば、関東から九州まで激しい揺れが襲うと予想されます。
 更に問題なのは、この地震は陸に近い所で起きるため、津波が起きることが予想されるということです。そのため、被害はさらに大きくなる。国の予想では、死者数が32万3千人、238万棟あまりの建物が全壊や焼失すると推計されています」
 横にいたアナウンサーが心配そうに、それはいつ起こるのかと問うと、
「政府の公表した資料によりますと、この地域でのマグニチュード8から9クラスの地震の30年以内の発生確率は、70から80%とされていました」
 そこで、その専門家は、じろりと視線をあげてこちらをじっと見た。
「しかし、この半年、急激な地盤の動きが各地で観測されています。これはこれまでの予想をはるかに越える。まるで何かが目覚めてしまったかのように……。そして、今起きている一連の地震の状況を受けて、この度の政府発表では、この1年以内に巨大地震の起こる確率が98%と発表されました」
 そのニュースはたちまち、日本中の人々を混乱に陥れた。
 
 放課後、ソラ、朱莉、美紅の三人は珍しく、駅近くの喫茶店で喋っていた。
 学校は八月下旬から始まっている。ソラたち鴨高生は、毎年この時期は、九月に行われる学校の展覧会の作品作りに追われることになる。これは普通科生も共通だ。
 作品は、各自の専攻テーマにあわせて自由なのだが、今年は特別に上賀茂神社で行われる展覧会への応募を兼ねてもよいことになっていた。
 オリジナル長編アニメーション映画『天と地の歌うたい』が秋、十月からの全国公開されることを記念して、「天と地の歌うたい」作品コンクールが開催されている。
 このアニメの大事な舞台となっているのが上賀茂神社だ。
 上賀茂神社ではこのアニメとコラボする形で、このアニメ映画をテーマにした作品によるコンクールが開かれる。作品はテーマに沿うものならば、どんなものでもよい。それが学校の課題に選ばれた理由だ。
 このコンクールの応募でなくともいいのだが、公に評価される可能性がある、こちらを選ぶ生徒も多い。美術大学を目指す者が多い普通科も同様だった。賞をとれば、即自分の大事な勲章となり、アピールポイントができるから、真剣な者が多い。ソラたちは三人とも、応募するつもりだった。
 朱莉は陶芸作品を出すと意気込んでいるし、ソラと美紅も、専攻の日本画で出すつもりだ。
「どうソラ、作品の進み具合は?」
 朱莉が、ストローでグラスの氷をかき回しながら訊いた。
「うん、新しい色、作るの難しいんだよね。なかなか思い通りにならなくって、朱莉は? 」
「一応幾つか候補はできたんだけど、私も、まだ思うような色が出ない。ねえ、今度泉さんに、話、聞きに行ってもいいかな?」
「あ、それなら私も行きたい、陶芸の大家ってどんな人なのか興味あるんだよね」
と美紅も声を合わせる。
「わかった、今度、泉さんに聞いとく」
「ところでさ、地震のこと、昨日もテレビでやってたけど、なんか南海トラフ大地震とかって言いだしてるじゃない、心配だよね」
 朱莉の、うなるような声に美紅は笑いながら返す。
「まさか自分たちが山で地震にあうとは思わなかったよ。ほんと、よくみんな無事だったよ。うちの父さんなんか、もう私が遭難したと思って、大変だったんだから」
「こうして笑って話せるんだから、ほんと良かったよね」
 ソラの言葉に、三人は「ほんと」と、改めて山の話に盛り上がった。
 そんな話をしていると、カランコロンと喫茶店の扉が開き、上賀茂高校の制服姿の知った顔が、一人、入って来た。
 上賀茂高校生徒会長、加茂雅(みやび)さんだ。
 いつ見ても穏やかな表情で落ち着いた印象、ちょっと大人って感じの女性だ。
 加茂さんは、ソラたちを見つけると、にこやかに挨拶を交わして美紅の隣の席についた。
「対抗戦以来ね」としばらくは対抗戦の時の話で盛り上がったあと、加茂さんが、実は、と今日の本題に入った。
「今日はね、鴨高のみんなに、頼みがあって来たの。
 まず、今から話すこと、絶対に部外秘ってことで聞いてもらえるかな」
 加茂さんは、真剣な眼差しで、ソラたち三人の顔をしっかりと見つめ、皆がうなずくのを確かめると、不思議な話をしだした。
 三人は、上賀茂高校の生徒会長、加茂さんから、生徒会の朱莉に、個人的なことで相談があるということで集まったのだった。
 話が、昨年の「雨乞い」対決に関することというので、その責任者だった朱莉とソラ、そして同じく一緒に関わった美紅も「なんだかおもしろそうじゃないの、それなら私も行く」と加わりやってきたのだ。もちろん、朱莉は、生徒会長、倉木さんに了解をもらってのことだ。
 加茂さんの話によると、加茂さんの家は代々、上賀茂の宮司を務める家で、お父さんは今の宮司だという。
 その京都でも有数の歴史をもつ、上賀茂神社のことで内密にしてほしい頼みがあるという。
 上賀茂神社には、有名な七不思議というものがあり、その一つに「御扉の狛犬」というのがある。
 境内北側の奥に、ご祭神、賀茂別雷大神を祀る本殿がある。
 この本殿の扉の前には色目も鮮やかな、金の獅子と銀の狛犬が置かれ、この建物を守っているのだが、その扉の壁には、狩野派による狛犬が描かれている。
 言い伝えによると、これは狛犬の影で、応仁・文明の乱の頃、都で悪事を働いていた狛犬を、この本殿の扉に封じ込めたものだとされていた。
「本殿は、特別な時以外は拝観できないから、日頃は公開していないんだけどね、その御扉の狛犬が、……実は、突然いなくなったの」
「え、どういうこと?」
 美紅が、素っ頓狂な声をあげる。
 三人は、それが何を意味するのか、わからず、きょとんとした顔をしている。
「ありえないことなんだけど、御扉の絵から銀の獅子だけが消えてしまって、今は銀の獅子がいないの」
 加茂さんは、真剣な表情で三人を見つめた。
「それで、もう神社は大騒ぎで、この絵は狩野派の作で、上賀茂を象徴するほどの国宝なの。
 場所も、本殿の一番目につく正面。
 その絵が、突然、消えてしまったの」
 神社を象徴する国宝の紛失、これほどの一大事はない。
 神社では、当然、あたりの捜索や、専門家を密かに呼んでの調査も行われたという。
「でも、もう三か月もたつのに、何もわからないの。
 父さんはもう、責任感じて今にも倒れそうだし。私、どうしたらいいか……。
 それでね。三校対抗戦でみなさんに会ったとき、鴨高さんが、去年の三校対抗戦で、あの「雨乞い」を成功させたことを思い出して、もしかしたら、神様のこととかそういうこと、わかるかもって思って。
 私、とんでもないこと言ってるって、わかってるんだけど、もう藁にもすがる思いで……」
「う~ん、藁か……、まあ、それだけ不思議な話だと、藁にも頼りたくなるわね。
 で、どう思う? ソラ」
 朱莉がにこりとして、ソラに聞く。
 朱莉も美紅も、「雨乞い」のときの経験から、漠然としたものながら、まじないというものに対して、事実として受け止める気持ちができている。その源となるのがソラなのだった。
 加茂さんはほんとうに困っている。それなら自分にできることがあるなら力になりたい。
 そう、ソラは思った。
「何ができるかわからないけど、……調べてみることはできると思う」
「よし、加茂さん、私たち、その藁、引き受けるわ」
「あ、私ったら、失礼なこと、ごめん。でもほんと、ありがと」
 加茂さんは、顔を赤くして、でも、ほっとしたようにそう言った。
「あまり期待はしないでくださいね」
 そんなソラの言葉にかぶせるように、美紅が前のめりで聞く。
「で、いつ見に行く? 上賀茂へ」
 美紅の顔が、なんだかおもしろいもの見つけた猫のようになっていた。
 こら、美紅、賀茂さんにとったら非常事態なんだぞ。
 テーブルの下でソラは美紅の足を、つついて注意した。
 加茂さんは、なんなら今からでも見てもらいたいというので、ソラたちは、さっそく市バスで上賀茂社へ向かった。

 夕暮れの上賀茂神社、境内は、人も少なくなって、しんとした雰囲気がより増している。
 加茂さんの案内で、ソラたち三人は、普通は見ることができない本殿の方まで入らせてもらう。
 灯篭に灯りがともり、本殿は夕暮れ色の薄暗がりに沈んで、ひっそりとしていた。
「なんだか、ラッキーだな、ここ、入るの初めてだよ」
と美紅が嬉しそうに、小声でソラに言う。
 境内を進むと、やがて、本殿があり、その正面の両脇に狛犬と獅子がいた。
「うわ、派手だな、金と銀!」
 そう、本殿の前を守るのは、左の狛犬が銀色、右の獅子は金色、鮮やかに彩色された木製の像だった。
 夕暮れの本殿の軒下で、その二つの像だけは、あたりの光を集めキラキラと存在感を放っており、静かにその背筋をしっかりと伸ばして本殿を守っている。
 銀の狛犬のすぐ後ろの大きな扉が、問題の絵が描かれた扉だ。
 その扉の部分だけが白い布で覆われていて、加茂さんがその下を覗かせてくれる。
 確かに、そこには狛犬の姿はなかった。
「ここに絵が描かれていたんだよね」
 朱莉は、じっくりそばに寄って、扉を確かめる。本殿に上がらせてもらった三人は、目を近づけて、壁や柱を見ていく。
 ソラは、絵のあった扉を確かめたが、目に見える痕跡も、何かの気配も感じなかった。
 銀の狛犬の像も同じだ。魂の気配がない。
 改めて、本殿全体を見回したソラは、反対側を守る、金の獅子が気になった。
 そちらへ回ってみると、よけいその気配は濃厚になる。
 これほど強い魂の気配を感じるのは久しぶりなくらいだ。
 ソラは、本殿の奥に案内しようとしていた加茂さんを呼び止めて言った。
「ごめん、もうちょっとここを調べててもいいかな。
 あ、決して大事な物に触れたりはしないから」
 何かを察した朱莉と美紅は、加茂さんを引っ張るようにして、本殿の中へ入っていってくれた。
 三人の廊下を歩く足音が遠のくと、ソラは一人、いつも持っている小さい手のひらサイズのスケッチブックと鉛筆を取り出す。
 静かに心を静めれば、いつも以上に、すぐそれはやってきた。
 右手の甲にある傷跡が、ピリリとして、ソラの手が動き出す。
 さらさらと鉛筆の音が機械仕掛けのような素早さで動き、そして、あっというまに描き終えた。
 紙には、金の獅子がいた。
 少し待つと、絵の中の金の獅子は、その凛とした姿勢を崩さず、首だけを上げて、まっすぐとソラの目を見た。
「やはり、お主は、神子であったか。その力に会うのは、いつ以来か。
 ここに出会ったのも主様のお導きよ。
神子、我らを助けてくれ。なんとか、あの馬鹿者を見つけ出して、首に縄をつけて連れ戻してきてくれ。後生じゃ」
「獅子様、狛犬さんはいったいどうしたの?」
「実をいうと、わしにもよくわからんのだ。ある日突然、あ奴は姿を消した。まあ、奴は元々じっとしているのが嫌いでな、これまでにも百年に一度くらいは、すきを見て抜け出すことはあったのだが、まあたいていは、すぐに戻って来て、お役目は果たしておったのだ。
だが、今回はおかしい、もう三月にもなる。あんな奴でも、自分のお役目には、誇りをもっておると思うておったのだがな」
「いなくなる前のことで、どんなことでもいいの。何か覚えてることないかな」
 少し考えて、金の獅子は、顔を上げた。
「あいつは、根っからの寂しがりでな、日頃はいつもわしが相手をしてやっておったのじゃが、あの時はちょっと喧嘩をしてな。しばらく、あ奴の話をきいてやらんかったのよ。そんな時がかれこれ一週間も続いたか。わしも少し大人げなかったんじゃがな。そしたら、ある時、自分には、ちゃんと話しかけてくれる人間、それもとびきり麗しい女子(おなご)がおるとか言ってな。次の朝に、消えたのよ」
「その女子って、何か心当たりあるの?」
「今思えば、確か去年の秋だったか、特別拝観で、人がここにも大勢入って来た時にな、自分にすごく熱心に話しかけてくれた娘がいたと、嬉しそうに自慢しておったのを覚えておる。わしらなんぞに直接話しかける者など、めったにおらんからな。それが嬉しかったのだろう、わしは、また戯言をとその時は聞き流しておったが、今になって思えば、確かにつながっておるやもしれん。
あの女子(おなご)のことでも、思い出したのか」
「それよ、その人に、会いに行っちゃったんじゃないのかな。どんな人か、何かわからない?」
「わしもあまりよく聞いておらんかったが、確か、髪の長い若い娘だったと思うが……。
すまぬ、それぐらいしかわからぬ」
 獅子はすまなそうに頭を下げると、もう一度顔を上げて、ソラに頼んだ。
「神子よ、何とか、あ奴を連れ戻してくれ。あんな奴でも、奴は、わしの半身のような者なのじゃ。それに、やはりここを守るのはわし一人では限界がある。このままでは、お役目に関わる一大事なのじゃ」
「うん、全力であたってみるよ。それまで獅子さん、頑張ってね」
 金の獅子は、長居はできないとばかりに、紙の外へ跳んで消えた。
 その日、家に戻ったソラは、さっそく小町さんに相談した。
 が、小町も上賀茂の狛犬のことは、気まぐれな奴がおるという噂を聞いたことがあるというぐらいしか知らないという。
やっぱり、手掛かりになるのは、その女の子を探すしかないかな……。
 次の日からソラは朱莉、美紅に事情を話し(もちろん誰からの情報というのは言えなかったが)、上賀茂の少女を探すことにした。
だけど、やっぱり情報が少なすぎた。
 手掛かりは、髪の長い少女で、上賀茂神社の特別展に去年参加したこと、それだけだった。
 加茂さんに確かめたが、特別展では、名簿などは残っていなかった。
とにかくできることというので、将大先生にも相談しながらいろいろ手を尽くしてみたが、雲をつかむような話だ。
「試しに、ウオンテッドでもやってみるか?」という将大先生の提案で、指名手配の似顔絵よろしく、その少女の絵を描いて、校内に「この人知りませんか」と張り出してみたが、手掛かりは全くつかめなかった。
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