第9話 ここにいます

文字数 5,139文字

「おおおい、ここにいまーす。助けてー!」
 ソラは、声の限り叫んだ。
 だが、強く吹き付ける風の音とざわめく木々の音が、ソラの声を吹き飛ばしていく。
 声の限り、何度も叫んだが、ソラの言葉は強風にかき消されてしまう。
 見上げる斜面の上からは、人の気配は全く感じられなかった
「ソラ、急がないと上の人は、離れていってるって、パンが」
 このままだと行っちゃうよ。どうしよう。
 その時、小町さんがソラの肩によじ登ってきて言った。
「ソラ、我に任せて」   
 そう言うやいなや、小町さんは、ソラの肩でパンにまたがった。
「パン、この崖、お前なら登れるでしょ。我を乗せて上まで行くよ!」
 パンはチュッと一声出したかと思うと、小町さんを乗せ、ソラの肩から飛び降りた。そのまま、一気に斜面を駆け上っていく。
 パンの姿は、あっという間に、草むらの中に消えていった。
 小町さん、パン、お願い、頑張って。
 ソラは強風の中、立ち木にすがりつき、斜面の上をじっと見守っていた。
 
 小町を乗せたパンは、ガサガサと下草の中を突っ切って上を目指す。
 パンの背中から振り落とされないように、小町はその首にしがみついていた。
 パンは、一気に崖を駆け上り、開けた尾根まで出た。距離はそんなになかったのだ。
 さっき聞こえた、人は、どこか。
 小町とパンはキョロキョロあたりを見回す。
 いた。男たちが、三人、前方の尾根道を、「誰かいないか」と叫びながら進んでいる。
「パン、もう少し近づいて」
 小町の言葉に、パンは、尾根道を進み、人の後ろを追いかけた。
 ある程度近づくと、小町とパンは、道からそれ、草むらに隠れる。
 そして、小町がその身体の限り、声をあげた。
「助けて、この崖の下よ。助けて!」
 ここも風が強く、小さな身体の小町の声は、届いていなかった。
「もっと前よ。そばまで近づいて、パン!」
 草むらを飛び出し、パンは猛然と人に向かって駆けた。そしてパンも、鳴き声を上げる。
 キー!
 小町も叫ぶ。
「ここよ、崖の下!」
 男たちの足が止まった。
「おい、何か聞こえなかったか」
 もう一度だ。
 パンと小町は、同時に叫んだ。
 一番後ろの男が振り返った。
 その瞬間、小町の姿が、ぱっと消えてしまう。
 残された白黒の小さなネズミ、パンと、捜索者たちの目が合う。
 パンは、「キー!」と鳴くと、ソラたちの方に向かって、駆け戻った。
「なんだ、今のネズミ?」「それより、人の声が聞こえたぞ、この下か?」
 そのまま、崖を転がるように帰ってきたパンは、ソラの胸に飛び込んだ。

 こうして、小町さんとパンの頑張りで、捜索隊は、崖の下のソラに気づき、俺たち鴨川一行は、無事救出されることになる。
 地震の後、もともとコース各所に監視役で待機していた先生たちがすばやく動き、地元と連絡をとりながら捜索隊を組織して、すぐに動き出してくれていたおかげだった。
 先生たちは、予想以上に沢山、山で見守ってくれていたようだった。
 日暮れ近く、ようやく鴨川一行が、捜索隊の人たちと、無事にふもとまで降りてくると、すでに他の二校も全員、救出されて下山していた。
 三校とも、比較的、近くまで降りて来ていたのが幸いしたようだった。
 発見が最後になった鴨川だが、広場には捜索隊や、村の人がたくさん集まってくれていたが、日暮れが近づく中、今日の捜索を打ち切る相談をしていたという。
 夏の日暮れは遅い。それも幸いした。
 俺たちが、疲れた足取りで、ゴールとなる鞍馬スキー場の広場に帰り着いたとき、一番に中倉先生が走ってきてくれた。
 応援に来てくれていた中倉先生、いつものサングラスを無くしたらしく、つぶらな目で、ちょっと泣いていた。
 そして、俺を見つけると、肩を抱いて喜んだ。
「俺、先生に大変なこと頼んじゃったって、無茶苦茶後悔してたんだ。ほんと良かったよ」
 俺は、笑いながら、ここぞとばかりに今度おごる約束をとりつけ、まずは生徒たちの無事を喜び合った。
 橘さんが、救急車に運ばれる前に、わざわざ俺たちの所にやってきてくれた。
「みんな、ありがとう」
「足の方は大丈夫ですか」
 南條が問うと、橘さんは、自分の足を指して、
「ああ、大丈夫、このくらいで済んで、ほんと良かった。君たちが冷静に協力して乗り切ってくれたおかげだよ」
 橘さんは、にこりとして、そう言ってくれた。
 その後は、もうたくさんの人たちに、心配されて、ありがたくて大変だったが、その日の深夜には、全員が温かい屋根の下で過ごすことができた。
 ほんと、一時は野宿を覚悟したよ……、パン、ほんとにお前のおかげだ。今日はありがとうな。
 パンは流石に疲れたのか、その白黒のふわふわした毛を丸めて巣の中で眠っている。
 とにかく、ケガ人は上賀茂の生徒と監視員をしていた橘さんの二人だけ、山であれだけの地震、しかも土砂崩れが起きた中、これだけで済んだのだから、ほんと良かった。
 俺も、さすがに疲れ、シップを巻いた足をさすりながら、眠りについた。
 
 翌日の放課後、倉木先輩への報告を兼ねて生徒会室に集まったメンバーに、情報通の井澤が他のチームのことも教えてくれた。
 こいつの情報は、俺なんかより確かだ。
 一番先行していた甲子社パーティーは、地震が起きたとき、すでに沢に降りていた。
 谷の底で地震、そして土砂崩れにあい、パーティはパニックになってしまったようだ。
 監督の先生は残念ながら山登りというより山歩きが趣味の人、本当の意味での山の専門家がいなかったのが災いした。
 パーティは、ばらばらになり、みんな自分勝手に川下へ向かって逃げ出してしまった。
「なんといってもあそこは個性強いもん」伊山の一言に、みなうなづく。
 そこへ川の増水が襲った。
 昼に降った雨のせいだった。いきなり増水してきた泥水で水位があっという間に上がったという。
 甲子社のメンバーは、それぞれが山中で孤立しているところを、幸い、一番ふもとに近かったため、捜索隊の人たちや先生たちが、そう時間がかからないうちに、発見し、全員下山することができた。
 甲子社のほとんどが川下へ向かう沢沿いで発見されたのに比べ、阿部だけは、尾根で静かに捜索隊が来るのを待っていたという。さすが阿部晴明の末裔というべきか。
「でもみんなは助けないのね」南條がぼそりと言う。
 一方、上賀茂一行は少し道を引き返すと、そこから沢へ降りるルートを選んだ。
 なんでも過去にこの沢を歩いたことがあるという上賀茂山岳部のリードだったようだ。変にルートを知りすぎたゆえの油断だった。
 上賀茂の先生は山については素人の今年来たばかりの先生だ、コースのことをよく相談できなかったこともあった。
 一行が、沢に降りたところで、川が急に増水してきた。
 俺たちも、沢にいれば同じように、水の危険があったのだ。
 ケガ人もいたし、ほんとに危なかったということだ。
 井澤が、教えてくれた。
 山で道に迷うと、素人はたいてい下を目指す。そして沢を見つけると、何となくその川ぞいに下れば下山できると思ってしまうそうだ。しかし、実際は、川沿いの方が危険も多く、今回のように雨で増水の危険もある。山の川の増水は、その場で降っていなくても上流で降るだけで一気に危険なほどの水が押し寄せることがある。だから、十分気をつける必要があるんだという。
 山に慣れた上賀茂チームも、あまりの緊急事態に、そのことを忘れ、とにかく早く助かろうとしての失敗だ。ゴールが比較的近くにあったいうのも今回の判断ミスにつながった、と井澤はまじめな顔で語った。
「……って人のこと言えないよな。俺もあのとき、どうしようか迷って決められなかったもんな。まだまだ俺も修行が必要だわ」
 と、みんなに謝っていた。
「何言ってるんだよ、誠吾、私たちはおまえのおかげで助かったんだから。胸をはってくれ。私は山男を見直したぞ」
と美紅が誠吾の背中をたたく。
「うん、山の誠吾は頼もしかったよ。雷で動けないときも助けてもらったし、ほんと、ありがとう」
「そうよ、誠吾がちょっとカッコよく見えたもん。私、自分の目がどうかしたのかって思ったわ」
「おい、朱莉、勘弁してくれよ」
 みんなの笑顔に、誠吾は照れて、顔を赤くしている。
「たださ、今回のことで山のこと嫌いにならないでくれよな。自然は怖い所もあるけど、素晴らしいとこもいっぱいあるんだ。だから正しく恐れて、きちんと備えをして臨めば、楽しいこといっぱいあるからさ」
「わかってるって、私、山好きになったよ。な、ソラも朱莉もそうだろ」
「もちろんよ、またどっか行きたいわよ、ねえソラ」
「そうね、今度はもっとおいしい山ご飯、考えようよ。倉木先輩も一緒にね」
「うん、頼むわ、私はそのソラちゃんの豚丼、絶対食べたいからさ、なんなら調理室借りるわよ」
「いやいや先輩、やっぱ山で食べなきゃ。だから先輩、ケガ治ったら今度は一緒に行きましょう」
「朱莉、さすが我がパートナー、ありがとう」と、倉木は南條に抱きついた。
「そうだ、食材、いっぱい運ばなくっちゃいけないわね。だからさ、誠吾、しっかりトレーニングしといてよ」 
 倉木の言葉に誠吾が大げさなため息をつき、生徒会室は笑い声に包まれた。

 三校対抗戦は、数日後、大会選手が集められて特別に閉会式が行われることになった。
 その日、上賀茂高校体育館に各校の選手、役員、先生たちが集まった。
 はじめに大会会長のあいさつがあったあと、すぐに大会結果の発表となる。
 審査委員長として前に出てきたのは、車いすのあの橘さんだった。
 橘さんは、司会の人が車いすを押そうとしたのを断って、自分で車椅子を動かし、選手たちの前に出てきた。そして、選手たちを一人ひとりしっかり見つめ、ゆっくりと語りだした。
「みんな、今回はほんとうにご苦労様でした。そして、ほんとうによく無事だった。
 大会前にも話しましたが、登山は安全に山を楽しむことが第一です。だが、自然は時には牙をむく。自然の中で人の存在は小さなものです。その大きさを感じることができるところに登山の楽しみがあるともいえます。
 だが、今回、大きな自然の災害に巻き込まれてしまうことになりました。
 その中でみんなは、自然の脅威を感じながらも、それをよく乗り切ってくれた。
 それぞれの体験の中で、本当の安全のために何が必要かを、その身をもって学んでくれたのではないかと思っています。
 実をいうと今回の大会、こういう事態のため、無効にすべきだという意見が多くありました。
 しかし、山の中、それぞれが一生懸命奮闘し、がんばってくれたことをすべて無効に、ということにはしたくありませんでした。何よりも山が怖かったということで終わってほしくはありませんでした。
 君たちは、この大会に真剣に向き合い、自然の中で私たちが思う以上に、一人ひとりの力を発揮してくれた。一人では難しいことも、多くの人とともに力を合わせることで乗り切ることができた。そのことを是非忘れないでください。
 各チームはそれぞれに一人の人間として、自然と向き合い、全力でこの大会に取り組んでくれた。予想を超える自然の驚異に立ち向かってくれた。その努力と勇気をここに称え、審査結果を発表します」
 第一位、京都美術工芸高等学校
 第二位、上賀茂高等学校
 第三位、甲子社高等学校
 発表と同時に、美紅が「やったー」と叫び、ソラたちは、わっと輪になって喜びあった。
 三校の得点差は、小数点以下の僅差だった。得点詳細を見ると、一日目だけをとれば、鴨川は最下位だった。だが、分かれ目となったのが以下の二つの項目だった。
 ・二日目歩行技術、5点満点中、鴨川5・上賀茂4・甲子社3。
 ・マナー、5点満点中、鴨川5・上賀茂4・甲子社3。
 審査委員長の講評によれば、最終的に決めてとなったのは、パーティの協力と実際の災害に直面したときの判断力だった。
 その両方で、鴨川高校が最も認められ、他の二校を上回る決め手となったのだ。
 上賀茂パーティは、最後に沢に降りて進んだことが大きな減点材料になった。何よりも、そのルート決定時に協力することができず、その結果、危険につながってしまったのはまずかった。
 甲子社パーティは、完全にばらばらになってしまったことが大きな減点となった。
 続く表彰式で、井澤が優勝盾を受け取り、晴れやかな笑顔で高く掲げた。
 会場が拍手に包まれるなか、甲子社の会長、俵だけが、悔し気に、そっぽを向いていた。
「最後まで、ちょっと難しい人だったな」それに気づいた天見が、ぼそりとつぶやいていた。
 こうして、今年の三校対抗戦は、鴨川高校の二連覇という形で幕を閉じたのだった。
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