第8話 行く先は……
文字数 3,369文字
ここも崩れたんだ。
岩が大きく崩れ、川を半分以上埋めている。
半分せき止められた川は、濁り水が渦巻き、淵となっていてどのぐらい深さがあるのかもわからない。
流れも急で、向こう岸へは渡れそうになかった。
橘さんも、この川を渡るのは無理だと言った。
このまま川上へ戻り、なんとか対岸へ渡れる所を探すか。
それとも、再び来た道を戻って、山上を回るルートを探すか。山上を選ぶと降りてきた所を戻る登りになり、体力もいるし時間もかかるだろう。しかも、今はケガ人までいる。
どうする……。
橘さんも、自分一人が動くことができないため、口が重い。さっきの急な斜面を戻るとは簡単には言えないのだろう。
ついには、「わしを置いて、みんなは上を目指しなさい」と言い出した。
ケガ人を置いて、自分たちだけで進むなんて、できるわけない。
みんなも同じ気持ちだったのか、俺たちは、まず自分たちだけで相談しようと、橘さんから少し離れ、頭を寄せる。
「ここはやっぱりケガ人もいるし、川沿いの道を探す方がいいんじゃないの?」
伊山の問いに、井澤が首を振る。
「いや、こういう時に、沢は危ないんだ。雨も降っただろ、増水の危険もあるし、また土砂が崩れてくるかもしれない」
「上のルートだって土砂崩れの点では同じでしょ。それにケガ人のこと、さっきは下りだったから来れたけど、あの急斜面を上へ登るなんて、難しすぎるよ。それになんといっても日が暮れてくるのも心配よ。できるだけ早く下山しなきゃ」
「それは、俺がなんとかおぶってでもなんとか登るよ。まず、全員の安全が第一だ」
「将大先生だって、言わないけど足引きずってるでしょ、ケガしてるんじゃないですか? 雨で滑りやすいあの急斜面をずっと登るのは、やっぱ厳しいですよ」
南條が眉を曇らせて言う。
「ここはやっぱり、山を一番知ってる誠吾に決めてもらうのが一番じゃないか」
難しい顔をしながら、伊山が井澤を見る。
だが、さすがに井澤も、うなって、すぐに答えることができない。
天見が、みんなの顔を見回していった。
「沢を行くか、上へ戻るか。ここで一番大事にするのは時間か、安全か。時間がかかればそれだけリスクも増すよね。どちらを選んでも、危険なのは変わりないよ。
一番山を知ってる誠吾にしたって、自分のためにそれができないなんて、絶対言いにくいし、やっぱり誠吾一人に決めさせるのは無茶だよ」
「そうだ。やっぱりここは俺が決めるよ」
「もう、それもだめですって、どうせ、先生も自分のこととか考えないから……、
まずさあ、どちらに進むか、みんな、挙手してみようよ」
伊山の言葉に皆がうなずき、俺も何も言えなくなってしまう。
ああ、ここで中倉先生ならどうしたかな……、この大事な時に俺には自信をもって言えるだけのものがなかった。そんな自分が情けなくなる。
挙手の結果は、4対1、沢ルートは南條だけだった。
「どう朱莉、上へ戻るルート。もちろん、橘さんのことは、みんなで協力して、全員でやってみようよ」
天見の問いかけに、
「わかった、それで行きましょ」
南條はうなずく。俺は生徒たちの頼もしさにちょっと感動しつつ、
「よし、橘さんに話すぞ」
そう言うと、全員がしっかりとうなずいた。
橘さんに話すと、橘さんは、初めは固辞した。
だが、意志の固さでは、みな引けはとらない。
きっぱりとした生徒たちの言葉を聞いて、ついに橘さんも「お願いする」と言った。
橘さんには、まず、俺と井澤が肩を貸して、ゆっくりと、沢を上がるこの急斜面を登る。
女子三人は、五人分の荷物は抱えて進んだ。
斜面は先ほどの雨でぬかるみ、とても滑りやすくなっている。
「ゆっくりとでいい」みんなそう声をかけあって、少しずつ斜面を登っていった。
俺たちは、悪戦苦闘しながら、ゆっくりと斜面を登り、あっという間に一時間ほどが過ぎていた。
斜面の途中、少ししっかりした足場で、一行は小休止をとる。すでに時刻は五時になろうとしていた。
なんとか日が暮れる前にとはやる気持ちがあったが、誰もそれを口にはしなかった。
それを察したのか橘さんが、「ここまで上がれば、大丈夫だから、自分を置いて、大人たちを呼んできてくれ」と言い出した。
だが、いくら元気とはいえお年寄りを、こんな場所に置いて行くのをよしとする四人ではなかった。
南條がにこりとして橘さんに言う。
「まあまあ、橘さん、かわいい娘には旅をさせろって言うじゃないですか」
「朱莉、それ、今使うの、あってるのか?」
「あれ、私たちにぴったりじゃない?」
「そこは、旅は道連れっていう方だろ」
「あ、そうとも言うわね」
朱莉の妙に納得顔が面白く、橘さんをはじめ、みんな、思わず笑ってしまう。
こいつは、成績は優秀なんだが、ちょっとずれてるところがある。でもみんなの気が少し楽になった。
みんなが朱莉の天然に笑う。なんだかこうやって笑うの、随分しばらくぶりの気がした。
ありがとね、朱莉。
ソラがそう思っていると、汗を拭いて少し息が戻った誠吾が話しかけてきた。
「ソラ、悪いが、この先どっちに進めばいいか、調べたいんだ。将大先生も足の方、無理してるみたいだし、ソラ、一緒についてきてくれるか」
二人は、橘さんたち四人にここで待ってもらって、上への道を確認することにする。
誠吾とソラは、斜面を登り、すぐに山腹を横に通る道までたどり着いたが、そこからが問題だった。
元来た道は戻っても、先ほどの土砂くずれでふさがっている。
とすれば、ここからは道のないルートを行くことになる。
更に急になる斜面を上へ登って尾根を目指すか、道のない前方、川下に向かう方へ進むかだ。
ただ、どちらも道はなく、深い森と藪だ。
雨の心配はもうなさそうだった。
見上げた空は、雲が流れ、明るい青空が見えている。でも、風がずいぶん強い。
山腹に強く吹き付ける風が、山をドオッーと揺らし、木々が大きく揺れている。
二人は、別れて別々に先を探ることにする。
誠吾が、道のない深い藪になっている前方へ、ソラは斜面を少し登って上を見てみることになった。
尾根に出ることができれば、迷うことも少なく行けると誠吾は言うが、尾根までは、まだ随分あって、見上げても木々のせいで全く先がわからない。
「無理しなくていいからな、ソラ。斜面、崩れる可能性もあるってこと忘れるなよ」
「まかしてよ、実は私、小さい頃から木登りとか得意だったんだから」
二人は笑って、分かれた。
手をつき、木立を手掛かりにして、やっと登れるほどの急斜面だった。
道と呼べるようなものなどない。
これは、橘さんには無理だ。やっぱり誠吾の方かな。
ソラは、そんなことを思いながら、木の根元をたどるようにして、少しずつ上へ登ってみる。
どのくらい登ったろう。少しでいいと言われていたが、身軽なソラは、ひょいひょいと、登ることについ夢中になって、気づけば随分登って来てしまった。
しかし、上を見ても、木立に阻まれてまったく見通せない。あとどのくらい登れば尾根に出るのかもわからない。
おまけにこのあたりは更に風が強く、ビューという風が、ひっきりなしに斜面に吹き付けて来る。
夏だというのに、濡れた衣服で体が冷えてきた。
その時だ、背負ったザックから、チュッと声がして、中からパンが出てきた。
うわ、すっかりパンがいること忘れてた。
「どうしたの? パン、今、ちょっと危ないから、中でじっとしていてくれる」
ソラがパンをザックの中に戻そうとするが、パンはその手をするりと抜けてソラの肩に登ってくる。何か言いたそうだ。ソラの肩で立ち上がり、崖の上を見つめて、キーキーと泣き出した。
どうしたの、パン?
その時、背中のザックから声がするのに気付いた。
小町さんの声だ。
急いでザックを降ろし、中を開ける。
すぐに実体となった小町さんが、飛び出してきた。
「ソラ、人よ。パンが上の方から人の声が聞こえるって」
「え、ほんと?」
ソラは、すぐ斜面の上の方を見て、耳をそばだてる。
でも、強い風の音で、ソラにはわからなかった。
「人が、何人もいるって。ソラ、しかも誰かいないかーって探してるみたいよ」
探しに来てくれた人たちがいるんだ。
ソラは、上へ向かって声の限り叫んだ。
岩が大きく崩れ、川を半分以上埋めている。
半分せき止められた川は、濁り水が渦巻き、淵となっていてどのぐらい深さがあるのかもわからない。
流れも急で、向こう岸へは渡れそうになかった。
橘さんも、この川を渡るのは無理だと言った。
このまま川上へ戻り、なんとか対岸へ渡れる所を探すか。
それとも、再び来た道を戻って、山上を回るルートを探すか。山上を選ぶと降りてきた所を戻る登りになり、体力もいるし時間もかかるだろう。しかも、今はケガ人までいる。
どうする……。
橘さんも、自分一人が動くことができないため、口が重い。さっきの急な斜面を戻るとは簡単には言えないのだろう。
ついには、「わしを置いて、みんなは上を目指しなさい」と言い出した。
ケガ人を置いて、自分たちだけで進むなんて、できるわけない。
みんなも同じ気持ちだったのか、俺たちは、まず自分たちだけで相談しようと、橘さんから少し離れ、頭を寄せる。
「ここはやっぱりケガ人もいるし、川沿いの道を探す方がいいんじゃないの?」
伊山の問いに、井澤が首を振る。
「いや、こういう時に、沢は危ないんだ。雨も降っただろ、増水の危険もあるし、また土砂が崩れてくるかもしれない」
「上のルートだって土砂崩れの点では同じでしょ。それにケガ人のこと、さっきは下りだったから来れたけど、あの急斜面を上へ登るなんて、難しすぎるよ。それになんといっても日が暮れてくるのも心配よ。できるだけ早く下山しなきゃ」
「それは、俺がなんとかおぶってでもなんとか登るよ。まず、全員の安全が第一だ」
「将大先生だって、言わないけど足引きずってるでしょ、ケガしてるんじゃないですか? 雨で滑りやすいあの急斜面をずっと登るのは、やっぱ厳しいですよ」
南條が眉を曇らせて言う。
「ここはやっぱり、山を一番知ってる誠吾に決めてもらうのが一番じゃないか」
難しい顔をしながら、伊山が井澤を見る。
だが、さすがに井澤も、うなって、すぐに答えることができない。
天見が、みんなの顔を見回していった。
「沢を行くか、上へ戻るか。ここで一番大事にするのは時間か、安全か。時間がかかればそれだけリスクも増すよね。どちらを選んでも、危険なのは変わりないよ。
一番山を知ってる誠吾にしたって、自分のためにそれができないなんて、絶対言いにくいし、やっぱり誠吾一人に決めさせるのは無茶だよ」
「そうだ。やっぱりここは俺が決めるよ」
「もう、それもだめですって、どうせ、先生も自分のこととか考えないから……、
まずさあ、どちらに進むか、みんな、挙手してみようよ」
伊山の言葉に皆がうなずき、俺も何も言えなくなってしまう。
ああ、ここで中倉先生ならどうしたかな……、この大事な時に俺には自信をもって言えるだけのものがなかった。そんな自分が情けなくなる。
挙手の結果は、4対1、沢ルートは南條だけだった。
「どう朱莉、上へ戻るルート。もちろん、橘さんのことは、みんなで協力して、全員でやってみようよ」
天見の問いかけに、
「わかった、それで行きましょ」
南條はうなずく。俺は生徒たちの頼もしさにちょっと感動しつつ、
「よし、橘さんに話すぞ」
そう言うと、全員がしっかりとうなずいた。
橘さんに話すと、橘さんは、初めは固辞した。
だが、意志の固さでは、みな引けはとらない。
きっぱりとした生徒たちの言葉を聞いて、ついに橘さんも「お願いする」と言った。
橘さんには、まず、俺と井澤が肩を貸して、ゆっくりと、沢を上がるこの急斜面を登る。
女子三人は、五人分の荷物は抱えて進んだ。
斜面は先ほどの雨でぬかるみ、とても滑りやすくなっている。
「ゆっくりとでいい」みんなそう声をかけあって、少しずつ斜面を登っていった。
俺たちは、悪戦苦闘しながら、ゆっくりと斜面を登り、あっという間に一時間ほどが過ぎていた。
斜面の途中、少ししっかりした足場で、一行は小休止をとる。すでに時刻は五時になろうとしていた。
なんとか日が暮れる前にとはやる気持ちがあったが、誰もそれを口にはしなかった。
それを察したのか橘さんが、「ここまで上がれば、大丈夫だから、自分を置いて、大人たちを呼んできてくれ」と言い出した。
だが、いくら元気とはいえお年寄りを、こんな場所に置いて行くのをよしとする四人ではなかった。
南條がにこりとして橘さんに言う。
「まあまあ、橘さん、かわいい娘には旅をさせろって言うじゃないですか」
「朱莉、それ、今使うの、あってるのか?」
「あれ、私たちにぴったりじゃない?」
「そこは、旅は道連れっていう方だろ」
「あ、そうとも言うわね」
朱莉の妙に納得顔が面白く、橘さんをはじめ、みんな、思わず笑ってしまう。
こいつは、成績は優秀なんだが、ちょっとずれてるところがある。でもみんなの気が少し楽になった。
みんなが朱莉の天然に笑う。なんだかこうやって笑うの、随分しばらくぶりの気がした。
ありがとね、朱莉。
ソラがそう思っていると、汗を拭いて少し息が戻った誠吾が話しかけてきた。
「ソラ、悪いが、この先どっちに進めばいいか、調べたいんだ。将大先生も足の方、無理してるみたいだし、ソラ、一緒についてきてくれるか」
二人は、橘さんたち四人にここで待ってもらって、上への道を確認することにする。
誠吾とソラは、斜面を登り、すぐに山腹を横に通る道までたどり着いたが、そこからが問題だった。
元来た道は戻っても、先ほどの土砂くずれでふさがっている。
とすれば、ここからは道のないルートを行くことになる。
更に急になる斜面を上へ登って尾根を目指すか、道のない前方、川下に向かう方へ進むかだ。
ただ、どちらも道はなく、深い森と藪だ。
雨の心配はもうなさそうだった。
見上げた空は、雲が流れ、明るい青空が見えている。でも、風がずいぶん強い。
山腹に強く吹き付ける風が、山をドオッーと揺らし、木々が大きく揺れている。
二人は、別れて別々に先を探ることにする。
誠吾が、道のない深い藪になっている前方へ、ソラは斜面を少し登って上を見てみることになった。
尾根に出ることができれば、迷うことも少なく行けると誠吾は言うが、尾根までは、まだ随分あって、見上げても木々のせいで全く先がわからない。
「無理しなくていいからな、ソラ。斜面、崩れる可能性もあるってこと忘れるなよ」
「まかしてよ、実は私、小さい頃から木登りとか得意だったんだから」
二人は笑って、分かれた。
手をつき、木立を手掛かりにして、やっと登れるほどの急斜面だった。
道と呼べるようなものなどない。
これは、橘さんには無理だ。やっぱり誠吾の方かな。
ソラは、そんなことを思いながら、木の根元をたどるようにして、少しずつ上へ登ってみる。
どのくらい登ったろう。少しでいいと言われていたが、身軽なソラは、ひょいひょいと、登ることについ夢中になって、気づけば随分登って来てしまった。
しかし、上を見ても、木立に阻まれてまったく見通せない。あとどのくらい登れば尾根に出るのかもわからない。
おまけにこのあたりは更に風が強く、ビューという風が、ひっきりなしに斜面に吹き付けて来る。
夏だというのに、濡れた衣服で体が冷えてきた。
その時だ、背負ったザックから、チュッと声がして、中からパンが出てきた。
うわ、すっかりパンがいること忘れてた。
「どうしたの? パン、今、ちょっと危ないから、中でじっとしていてくれる」
ソラがパンをザックの中に戻そうとするが、パンはその手をするりと抜けてソラの肩に登ってくる。何か言いたそうだ。ソラの肩で立ち上がり、崖の上を見つめて、キーキーと泣き出した。
どうしたの、パン?
その時、背中のザックから声がするのに気付いた。
小町さんの声だ。
急いでザックを降ろし、中を開ける。
すぐに実体となった小町さんが、飛び出してきた。
「ソラ、人よ。パンが上の方から人の声が聞こえるって」
「え、ほんと?」
ソラは、すぐ斜面の上の方を見て、耳をそばだてる。
でも、強い風の音で、ソラにはわからなかった。
「人が、何人もいるって。ソラ、しかも誰かいないかーって探してるみたいよ」
探しに来てくれた人たちがいるんだ。
ソラは、上へ向かって声の限り叫んだ。