第9話 完結

文字数 1,447文字

「ドロー!」
 まさかの再試合となった。
 今度は逆に体操服から制服への早着替えとなった。僕は頬を叩いて気合を入れ直し、再び机の前に立つ。勝負の火ぶたはまたもや切って落とされた。

 しかし結果は、またしてもドロー。
 野上のクラスメートは彼女の勝ちだとヤジを飛ばし、冴木と海江田はそれに呼応する形で牧村は負けていないと反論する。
 結局三度目の試合をするハメに。
 騒ぎを聞きつけたのか、五年二組の担任である喜多尾恵理子(きたお、えりこ)先生が入って来て、甲高い声を上げた。
「あなたたち何しているの? いくら放課後だからって何やってもいい訳じゃないのよ。さっさと帰りなさい」
 すっかり戦意消失した僕と野上薫子は喜多尾先生に事情を話し、帰り支度を始めようとした。
 ところが――である。
 紅潮した顔の冴木が、右手をまっすぐ上げながら喜多尾先生に抗議した。
「先生、どうして駄目なんですか。僕たちは真剣なんです。せめて決着がつくまでやらせてもらえませんか」
 海江田もそれに同調したようで、「先生もやってみたらどうです? 先生が勝ったらなんでも言うこと聞きます。それとも負けるのが怖くて逃げはりまっか?」と、噛みつきだす。
 先生がそんなことするわけないと思われたが、彼女の反応は意外なものだった。
「面白そうじゃない。もし私が勝ったら、もう二度とこんなくだらない競争はしないと約束してくれるかしら。そしたらやってもいいわよ」
 まさかの展開に教室中が大騒ぎとなり、どこからともなく拍手が巻き起こった。
 先生は準備してくるからと、一旦教室を後にし、ややあって戻ってきた。手にはトレーナーとジャージを携えている。
 喜多尾先生は眼鏡をかけており、腰まであるロングヘアーに、ボタンの多いブラウス、下はきつきつのスキニーパンツだった。それらを脱いだうえで長袖のトレーナーとジャージに着替えなければならない。半袖の上着に短パンの僕たちと比べると、圧倒的に不利だ。それに、いくら小学生といえど、男子の前で下着を晒すことに抵抗は無いのだろうか。――そんな僕の心配をよそに、先生は涼しい顔で指の骨をポキポキ鳴らしている。
 三人が机の前に並び立つと、先生は「正々堂々といきましょう」と僕たち二人に声を掛けてきた。驚くことに当然外すと思われた眼鏡はかけたままだった。周りの生徒たちは固唾を呑んで見つめている。

 審判の合図で勝負が始まる。僕は三度目にも関わらず、これまでの疲れをものともせずにこれまでの最速と思われるペースで制服を脱ぎ終わる。
 だが、続けざまに上着を掴み、首を通したところで、「ハイ」との声が聞こえた。
 見ると喜多尾先生がものの見事に着替えを済ませ、笑顔で両手を挙げている。
「嘘だろ……」僕は思わず声を漏らす。
 速さもさることながら、着替え終わった姿に乱れた箇所は一切なく、まさに完璧な状態だった。
 野上はあっけにとられたようすで、ショートパンツを手に、瞬きひとつせずに止まっていた。
 しばしの静寂の後、割れんばかりの拍手が起こり、冴木や海江田を含む全員が一緒になって、喜多尾恵理子先生に賛美の言葉を投げかけ出した。
 教壇の前で勝ち誇るようにガッツポーズを取っている先生は、歓声が収まると唖然としている僕たちに声を掛けてきた。
「どう? 上には上がいるでしょう? こう見えても先生は大学の頃、早着替えサークルに所属していて、全日本早着替え選手権で準グランプリを取ったことがあるの。八年も前の話だけどね」

 早着替えサークルって何!?
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