第8話

文字数 1,585文字

 放課後。作戦会議を行う為、海江田と冴木が僕の家へやって来た。
 勝負の内容は至ってシンプル。制服から体操服に早く着替えた者の勝ち、ただそれだけだ。公立としては珍しく、我が小学校は制服が指定されている。本当は三人で着替えをしてアベレージを計りたいところだったが、冴木はまだ足に包帯を巻いたままで完治しておらず、海江田はその肥満体格から着替えは誰よりも遅かった。
 仕方がないので僕一人で行うことにした。
 まずは普通に着替えてみると、ストップウォッチは二分五十一秒を表示していた。これが速いか遅いかは分からないが、少なくとも基準にはなる。できれば一分以上は縮めたい。
 次は出来るだけ早く着替えることを意識して試してみると、今度は二分二十二秒。約三十秒の短縮だ。あれほどの口を叩いたくらいだから、野上は相当自信があるに違いない。
 今度のタイムは二分十八秒だった。思いのほか制服のボタンがスムーズに外せず、どうやらそれがネックになっているようだ。
 今度はそれを踏まえてボタンを外す練習を試してみる。十回ほど繰り返したところでもう一度タイムを計ると、今度は一分五十二秒を記録した。これで鉱脈が見えてきたと言える。
 その後も出来るだけ早く、無駄のない動きで着替えられるよう、脱着を繰り返す。
 それから毎日三人で着替えの練習をした。着替える様子を冴木と海江田が見守り、非効率と思われるところを指摘してもらうと、みるみるうちにタイムが縮まっていく。だがどうしても一分半を切る事が出来ない。これで大丈夫なのだろうか。

 こうして一週間が過ぎた放課後。僕たち三人は野上薫子の待つ五年二組の扉を開けた。既に机を後方に片付けられており、教室の前方に空間が広がっている。
 十人程の女子が見守る中、野上は黒板の中央で腰に手を当てながら、堂々たる仁王立ちを見せていた。
「どうやら逃げなかったみたいね。その勇気だけは褒めてやるわ」まるで悪役の定番の台詞だ。
 お返しとばかりに「当たり前だ。一度勝負を引き受けたからには、たとえ相手が女だろうと容赦はしない。さあ、どこからでもかかってこい!」と、ほとんど時代劇の台詞を返した。
 勝負はサシで行われる。
 教室の前方にふたつの机が置かれ、僕と野上は自分の体操服を乗せた。練習の甲斐があって納得のいく着替えができるようになった。だが、いざ彼女と並ぶと胸が刹那に高まり、武者震いを憶える。留めなく湧き出る不安を誤魔化すように、首と肩を大げさに回した。
 何気ない風を装って、野上を横目で見ると、彼女もそわそわして落ち着かない様子。偉ぶってはいるが、彼女も女子だ。おそらく僕と同じか、もしくはそれ以上に緊張しているのは間違いない。
 響き渡るは野上を応援する声。一方僕の方は、冴木と海江田の鳥のつぶやきのような弱苦しい声援が微かに鼓膜へ届くだけ。完全にアウェーである。この時点でモチベーションはだだ下がりだ。
 やがて審判を名乗る女子が二人の間に立ち、カウントを始める。「スリー! ツー! ワン!」ゼロの合図で僕と野上は同時に服を脱ぎ始めた。
 比較的スムーズに制服を脱ぎ終えて下着だけになると、僕は流れるような動きで机に置いた体操服に手を伸ばす。
 いいぞ、今のところは順調だ。
 上着に腕を通しながらチラリと野上の様子を伺ってみた。彼女はちょうど制服を脱ぎ終えたところで、ノースリーブが激しく波打つのが目に入る。進行度は、僅かに僕がリードしていると言えた。

 やがて着替え終わると両手を挙げ「ハイ」と声を出した。ところが野上もほぼ同時に声を上げ、どちらが勝ったのか判らない。どうやら彼女も同じ思いのようで、不安げな表情を覗かせていた。
 教室中がざわめき出すとあちこちから、どっち? どっち? との声が漏れ、二人は審判を務める女子の顔をじっと見つめる。そして彼女が下した判断は……。
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