Episode 4

文字数 3,592文字

「さて、俺は俺の研究をするか…」

 どうすればグロブノイドの個体数を増やすことができるか。それが一番の課題だ。コロニーサイズを大きくすれば可能だろう。だが女王ですら一年しか生きないのに、多く産卵させるのはまず無理だろう。
 となると方法は限られる。マーヴィンが目星をつけたのは、コロニーの数を増やすことだった。これは簡単で、グロブノイドの繁殖期に新女王の数を増やせばいい。問題は、このコロニーラボの環境下でそれが上手くいくかどうかであった。

「季節をシミュレートした方がいいな。いや待てよ、多雌性にしてみせるのはどうだ? コロニー内の女王多ければ…いや、女王同士で殺しあうリスクが…。だがグロブノイドは大人しい性格だし、可能か?」

 マーヴィンは悩んだ。どのプランが一番成功するかわからず、決めかねていた。

「待て待て。ここは初心に返って、まず生態を調査しよう」

 ひとまず、しばらくは飼育に専念してみることにした。一年間の飼育記録があるとはいえ、それだけでグロブノイドの性質を把握するのには不十分である。

「餌も見直そう。もっと栄養価のある餌なら、また違った飼育結果になるかもしれない」

 マーヴィンは様々な改善点を思いつけた。それは彼の発想力が優れていることもあったが、病気にならないグロブノイドの特性もあって、病原体の混入を考えなくてよいこともあった。
 既に彼は、飼育ケージの環境は手を加えなくても良い状態を作り出していたが、これを意図的に崩してみることも考えていた。環境の変化で生物の生態が変わることはありふれており、グロブノイドにも当てはまることだ。だから可能性がないわけではない。


 一年後。マーヴィンがコロニーラボにやって来て二年が立った。

「よし、成功だ!」

 グロブノイドの繁殖期を把握し、新女王を二匹誕生させた。片方の女王は今までの巣を受け継がせ、もう片方は新しい飼育ケージに入れた。その女王が卵を産み、巣を作っていることが今日わかったのだ。

「繁殖期に旧女王を水に近づける…。これだけで女王はコロニーの危機と思い、女王になる個体をいつもよりも多く産む。まさかこんなに簡単に増やせるとは!」

 次の繁殖期にも期待が持てる。今度は一気に数を増やしてみせよう。マーヴィンはそう思った。そして免疫系の研究用コロニーを確立すれば、エリザベスの研究も今まで以上のスピードで進む。近い将来グロブノイド由来のワクチンや抗体、血清、特効薬が開発され、人類の科学はさらなるステージに到達する。もう、すぐそこまでせまっているのだ。

「調子はどうだい、エリザベス?」

 エリザベスはニコッと笑って、

「まあまあ完璧よ。先週、グロブノイドのマクロファージを試験管内で培養したわ。これから数を増やそうと思ってるつもり」
「まあまあ、って言うと?」
「う〜ん。分裂を促進させる薬剤を、マクロファージが代謝してしまうことがあって、成功確率が百パーセントじゃないの。それだけが問題ね」

 そんなデメリットがあったとは。マーヴィンはグロブノイドがいかに超免疫生物と呼ばれ得るか痛感した。自分に無毒な物資であっても無効化しようとする様は、文字通りの貪食を意味していた。


 絶好調のマーヴィンに、運命の序章が襲いかかったのは、それから間もない頃であった。

「グロブノイドを軍事利用するですって!」

 上司の口から信じられない言葉が飛び出たのだ。

「ハートアームズ君の研究は評価に値する。喜びたまえ、君が認められたのだよ」

 そう言われても、彼は明るい表情ができなかった。彼がグロブノイドの研究をしていたのは人類のためであって、軍のためではない。不本意な使われ方は、喜べるものではなかった。

「大人しい性格のグロブノイドを、一体どうやって軍事利用すると言うんですか!」
「簡単だ。その免疫力を使うのだ」
「でも…!」

 その先は、上司が言わせなかった。

「考えたことはないか、ハートアームズ君? 君は未知の惑星に降り立った調査隊の生存率を知っているかい? 例を挙げよう。八年前二つ隣の恒星系のとある惑星に、百五十名からなる調査隊が降り立ったが、彼らは地球に帰って来ることがなかった。現地で未知の病原体に暴露し、感染。そして宇宙船内で大流行した。その病原体に効く薬はなかった。だから船員たちはパンデミックを防げなかったのだよ。だがグロブノイドがいればどうだ? 同じようなケースになったとしても、グロブノイドがワクチンを作ってくれる。そうすれば未知の病原体に怯えることはない。さらに宇宙を開拓し、文明を築き上げることができるのだ」

 上司が持ち出した話は、マーヴィンも知っていた。あれは痛ましい事故であったと思う。そして上司の言うようにグロブノイドがいれば、似たような事態は防げるだろう。
 しかし、

「ですが、僕は頷けません。あくまでも平和利用に絞るべきです! グロブノイドは本来なら地球上に存在しない生物。このコロニーラボに持ち込まれたのは、生物学の向上のためであって、軍事利用は当初の目的から大きく外れます!」
「君に拒否権はない! ハートアームズ、私は君の意見など尋ねていない。可能かどうか聞いているのだ。それだけに答えろ!」

 ここで否定するしか、軍事利用を妨げる方法はなかった。だがマーヴィンには、今の時点ではそれが一応は可能だった。

「グロブノイドは………人工的に増やせません。彼らのライフサイクルの中で、繁殖期が来て初めて増えるのです。今人類は宇宙のあらゆる方向に足を伸ばしていますが、その全てをカバーできるほどのグロブノイドはいません」
「なるほど。つまり数さえ増えれば可能なのだな?」

 マーヴィンは力なく頷いた。理論上は可能だからだ。それに足止めさせるこれ以上の理由がない。上司も研究者、嘘はすぐにバレる。引き下がる気はないが、ここで抗っても意味がない。穏便に済ませるには、黙って首を振るしかなかったのである。

 そしてこの一件以降、マーヴィンのコロニーラボ内での立場は危うくなるのであった。


「くそ…。どうすればいいんだ?」

 マーヴィンが心配したのは、グロブノイドの担当を外されることだった。さっきの上司の性格からして、あり得ない話ではない。だが彼には、グロブノイドの軍事利用は考えられなかった。
 言い換えてしまえば、人類の宇宙進出は、未開の地を開拓する…つまり新大陸を侵略するようなものである。マーヴィンはグロブノイドに、侵略の片棒を担がせたくなかったのである。愛着が湧いたのではない。彼は自分の研究を暴力的な使われ方をされるのが不愉快だったのだ。
 だが彼には、拒否権がなかった。そして相手は生物学の素人ではない。ゆえに彼は、研究をあたかも手こずっているかのようにゆっくりと進めるしかないと判断した。
 幸いにも、グロブノイドの女王の増やし方はまだレポートにまとめていなかった。だから誤魔化しが効いた。

「当面の間は、これでいくしかない…」

 マーヴィンはエリザベスに事情を説明すると、わかってくれた。だからグロブノイドの増やし方を黙ってくれると約束した。

「あとは、どうやって軍事利用を止めるか…」

 グロブノイドの生態研究よりも、手を焼くことだ。想像するに軍もしくはコロニーラボの上層部は、グロブノイドの魅力に取り憑かれている。グロブノイドの特性はもう誤魔化せず隠しきれない。だとすればやはり、説得するしかないのだ。

「口で言うのは簡単ね、相手が聞く耳を持ってくれている、なら」

 エリザベスの言う通りだ。話の判る人もいないわけではないだろう。だが可能性は低い。それに時間が経てば経つほど、このラボでの彼の立ち位置は低くなっていく。軍部の方針に従おうとしないから当然だ。
 この時のマーヴィンには、発言権がなかったのである。声を上げることができないのなら、彼に共感してくれる人は見つかりはしないだろう。マーヴィンは自室に戻ると、悔しさのあまり机をバンと叩いた。

「これほどまでの侮辱は、味わったことがない………」


 マーヴィンの現状は、好ましくなかった。仲間を見つけ出すには、発言権がいる。発言権を得るためには、成果を上げなければいけない。そしてグロブノイドにおける成果とは、最大の問題である数を増やすこと。だがそれが可能になることは、軍事利用も可能になってしまうことを意味していた。

「おそらく俺は、グロブノイドの数を増やせばその途端、ここを追い出される。後任者が俺のレポートを読んで、手順さえ間違わなければ簡単に増やせるんだからな…。グロブノイドの飼育には、高度な知識も深い経験もいらない。まさか大人しさが、厄介になってしまうとは…」

 この時からマーヴィンは、いかにグロブノイドの研究を進めるかよりも、どうすれば自分の目的を達成できるのかについてに、思考の比重が傾いていた。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み